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ロックンロールの初期衝動と

あんまり関係なさそうなミッチェル・フルーム「DOPAMINE」を聴いてポール・ウェラーを思い出す

ミッチェル・フルームの「ドーパミン」という作品がある。1998年に発表された。これを初めて見かけた当時からずっと忘れずにいたのは不思議だ。20年経って中古CD店での偶然の再会。そしてここからが始まり。この数年の間に聴いたもののなかで印象に残るそれは、音楽を聴くところのキーポイントのような存在になった。消えていた言葉と声が、色を取り戻した。そこに表される色彩感と同じような音響で、記憶が新しくなるようだった。トム・ウェイツの「Rain Dogs」にも通ずる街角音楽への連盟。魅力的な音楽には色がある。それは街の騒がしさのさなかに隠れている。取るに足らない安値を札付きのように貼られて棚のなかに入り込み窮屈そうに細身で隠れている。見つけなければならない日がある。そのひとときを逃してはいけない。

ところで僕は、
以前なら、中古レコード店やCD店に行って、自分の知らない新しい音楽を探すのが楽しみだった。いつからか、CDを新品として買わなくなってしまった。10年以上前なら、当たりまえのように、正規の値段として対価を払って音楽を聴いていたのだった。それらのCDをたくさん集めて、1000枚以上になっても、多いとはあんまり思っていなかった。要らないものはないと思っていた。しかし時は過ぎ、間を空けて日々は進み、家庭の生活がいろいろと大変になった時期が来た。CDを買いすぎたからそうなったわけじゃない。苦渋の決断。そうして、集めてきたひとつひとつを手放すことが多くなっていく。また他には、どうしても買いたいものを買うためのお金が必要になってCDを売るという事があった。今までに2000円も3000円も使って手にした新品CDも、中古店で売りたいと申し出れば、良くて1000円ふつうにしても500円くらいの値段でしか買い取ってはもらえない。人気の無いものや流行りの廃れたものは、たった100円200円くらいの価値としてしか認められない。物の状態を良く保っていたとしても、最初に買ったときに付いていたタイトルの帯や、解説書などライナーノーツ、初回限定のステッカーみたいなものの特典、それらが全部揃っていて、たとえCDの盤面に傷が付いていなかったとしても、100円、500円だとしたらやるせない(やるせないというか許せない)。

ここ4年か5年くらい、僕はCDを手放すことは一切なくなった。その数年前くらいから、これからはレコードを集めようと心に決めて、そのようにしてきた。
その時からというもの、むやみにCDに手を出さないようになる。もう売りたくないというのが本音だと思う。それから新品のCDあるいは新作のアルバムを買うなんていう事もなくなっていく。買うとしたら中古で如何に安く手に入れるか、そこが命題だった。レコードにもそれは当てはまる。中古レコードを集める人なら、それは当然の事ではあるだろう。中古レコード以外にも、今の時代の現実として存在する「レコード」という音楽の媒体がある。それは、ある新作アルバムを楽しむための手段の、別枠として用意されているという面はあるだろう。かつての名作を再発売するときにも、CDは必ず用意されているし、レコード盤自体はメインというわけでもないようだ。

レコードを探している。
その音楽を聴きたいと思っている。CDはそれらの音楽を知る手始めとしての情報源ではある。CDで聴いた音楽の内容が素晴らしいと感じるのならそれをレコードとして聴いてみたいというのが当然だ。レコードを探すためにCDを探している現実がある。しかし、レコードとして発売されていないものをCDでしか聴くことが叶わないなら、しょうがない。待ってください、CDもなかなか良い音ですよ。そうかなぁ。たとえば、ほんの数年前なら、CDを聴くためのプレイヤーは、しっかりとした良い音響のものが売り場に揃っていたはずなのに、今は簡易製のコンパクトなスピーカーのプレイヤーが主流になってきている気がする。自分が使っていたCDのミニコンポというものも、もう数年前にCDを読み取らなくなってしまって使えない。買い換えをするにもなんだか手軽に買えそうにないように値段が高くなっている気がする。今はCDを聴くなら、近頃、家に置いてあるコンパクトなラジカセみたいなプレイヤーだ。その音で決して満足できるとは言えない。そういう音の感触で、たとえばジャズを聴きたいとは思えない。ジャズは臨場が肝要だ。ロックなら、簡単なスピーカーでもかっこよく聞こえはするだろう。しかし、それらのポピュラーミュージックのなかで、繊細さが大切にされている音楽や歌声は、しょぼい音響で聴けば聞くほどに間が抜けて伝わってくる。音楽を聴いて歌声を聞いて、心が休まるどころか、息が詰まるように圧迫されたような心境になってしまうようなら、伝えようとしている意味は、ほとんど届いてきていないのと同じかもしれない。そういう音響設備の問題はともかく、音楽自体の収められたCDやレコードについての音響と音質、音圧というものの問題意識があるのも間違いない。

僕はここ数年、好きな音楽1960年代から70年代以外には、1990年代以降の音楽を探る方向で模索している。そもそも自分が若者だったときに同じ時代を共にしたはずの90年代後半の音楽を、その時にじゅうぶんに聴いてきていないのだった。それらの時代を代表するような名作の存在は記憶にしっかり残っている。僕はそれでも、敢えてその道を通らないようにしてきたかもしれない。
と今になって思うのだった。

20歳の時、自分に響いたのはSLAPP HAPPY(スラップ・ハッピー)「Ca Va(サ・ヴァ)」と、Robert Wyatt(ロバート・ワイアット)「Shleep」で、他に思い出すのはエルヴィス・コステロとバート・バカラックの共作による、ELIVIS COSTELLO with BURT BACHARACH「Painted From Memory」だ。他にもライ・クーダーによる「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の音楽映画も観たし、そのアルバムを聴いていた。そこからライ・クーダーの過去のアルバムのアメリカンルーツミュージックからワールドミュージックに興味が広がっていった。メキシコ、ハワイ、ブラジル、ラテン音楽。そう思えば、同じときにその時代90年代にも何かと話題になっていたキップ・ハンラハンという人の手掛ける音楽を聞きかじっていたのだった。なかでも繰り返し、しつこいくらいに聴いたのがMILTON CARDONA(ミルトン・カルドナ)のアルバム「Cambucha(Carmen)」だった。ラテンパーカッションと夜の踊り子が沈黙する祈りの音楽。そんな風に言ってみたところで決して理解していたとは言いがたいけれども、何故だか一日何時間も繰り返し聴いていたのはどうしてなのかよく分からない。Kip Hanrahan(キップ・ハンラハン)による音楽レーベル、American Claveから出ているアルバムの音はCDでも良質の音響だった気がする。そこから繋げて、キップ・ハンラハンが1986年に手掛けたアルゼンチンタンゴの巨匠アストル・ピアソラのアルバム「TANGO:ZERO HOUR」をずっと繰り返し聴いたのだった。自分のなかでの方向性はワールドミュージックというよりも、先鋭的な響きを有したルーツ音楽を如何にして理解したいかという熱意だったのだと思う。いや、今になっても理解し吸収しているとは到底言えないのだけれど。
キップ・ハンラハンの音楽人脈には、ラテン音楽に、ロックからジャズのミュージシャンまで、異種の混ざり合いがある。ロックなら、ジャック・ブルースの関わりが強いというのが気になった。ジャック・ブルースのアルバムをキップ・ハンラハンがプロデュースしているものもいくつかあるだろう。それから、ジャズオーケストラの編曲家ギル・エヴァンスの名を覚えたのは、キップ・ハンラハンのインタビューを読んだ時かもしれない。

時代の先鋭的な音楽を追究したとは決して言えない。どれも聞きかじって覚えた程度のものなのだった。自分はそもそも、その道をプログレッシヴロックから始めた。初めての….(赤面…)キング・クリムゾンから、どうしてソフト・マシーンの方角へ行ったのか思い出すのなら、それはプログレ繋がりではなかったのだろう。日本の女性歌手カヒミ・カリィの曲”GOOD MORNING WORLD”の曲中にソフト・マシーンの音楽の一節、ワンフレーズがサンプリングされていたからだろう。カヒミ・カリィさんのラジオ番組ミュージックパイロットを僕は高校生の時に、毎回カセットテープに録音してこそこそ聞いていたのだった….(赤面…)。そこからSoft Machineを聴いたなら、そのメンバーのロバート・ワイアットへゆくのは当然の道のりではある。ケヴィン・エアーズ、ヒュー・ホッパーへの道へも自ずと繋がってゆく。KEVIN AYERSを初めて聴いた時のアルバム「Rainbow Takeaway」のプロデュースを手掛けたのはスラップ・ハッピーのアンソニー・ムーアだったのだ。出逢いは軌跡として繋がり奇跡みたいに光る。今でもケヴィン・エアーズのアルバムではこれが一番良いと思う。プログレとアヴァンギャルドポップは全容に侵食する翳りのムードがあってこそ、次第に狂い始め壊れ始めたときの様子が哀歓にして、そしてそこが快感につき、時には面白可笑しくも響く。

思い返せばスラップ・ハッピーの20年以上振りの新作「サ・ヴァ」に推薦コメントを寄せていたのはブライアン・イーノと、その当時90年代に注目されていたCORNERSHOP(コーナーショップ)のメンバーの人とVirginレコードのリチャード・ブランソンだったと記憶する。1970年代の尖った音楽において、自分が注目していたのはBRIAN ENOの存在だった。ブライアン・イーノが参加しているなら聴いてみたい、そんな感じだった。ブライアン・イーノはソフト・マシーン脱退後のロバート・ワイアットのグループ、MATCHING MOLEのアルバムからワイアットのソロアルバムに幾つか参加していたし、時を隔てて97年の「Shleep」という当時の新作でも変わらずに交流していたのが奇跡みたいに思えた。そしてワイアットの新作にはポール・ウェラーが何故か参加していて激しいギターを弾いていたのだ(“Blues In Bob Minor”この曲はワイアットがディラン風に言葉を矢継ぎ早に羅列していくところにポール・ウェラーのギターが絡まる。疾走の裏腹に落ち着いた風情の声とギターとの緊張感が良い)。….何故にポール・ウェラー…
その時の自分は、ポール・ウェラーをブリットポップとモッズの代表格だと認識していたはずでロバート・ワイアットへの繋がりは意外に思えた。ワイアットにどう繋げるべきか、しかしとりあえずウェラーはその時代、見た目も中身も渋くてめっちゃかっこよかったと思う。ポール・ウェラーはイギリス最先端区域の現役ロックの人だった。
90年代の同じくらいの時、日本の音楽番組に、彼が特別ゲスト出演して、それをライブ中継したような放送があった。自分が、ポール・ウェラーという人物を初めて見たのはその時かもしれない。神殿のような場所で、歌ったのはマーヴィン・ゲイの名曲”What’s Going On”だった。ウェラーが渋い四角いサングラスを掛けてピアノの前に座って歌った姿は今も映像として残っているし、その時の記憶は鮮明だ。映像を見れば、抑制ともいうべき音響の丸みのなかで、無駄のないバンド圧の三角のなかで、魂のグルーヴが揺らぐのを視覚で確かめられる。初めて見た時からずっと、いつ見ても格好いいと思う。僕はモッズに憧れを抱いていたのだ。RONNIE LANEが1997年に亡くなった時から。

けれども自分はポール・ウェラーも、その時にちゃんと聴いていたわけじゃなかった(どないやねん)。興味はあるけれど放置。2008年にポール・ウェラーのソロアルバムの全体が紙ジャケット仕様でCD発売される時まで、アルバムはほとんど聴いてはいなかった。たとえば、それ以前2001年に、ジュールズ・ホランドが企画していたオムニバス形式のアルバム「Small World Big Band」に参加していたポール・ウェラーが、ビリー・プレストンの名曲”Will It Go Round In Circles”を歌っていたのはCDで聴いたことがある。ソウルの名曲をただ歌いたいだけの理由で、軟弱なカバーバージョンに貶めることもなく更に熱血のファンキーに転がしていたポール・ウェラーは全世代の兄貴としてめっちゃかっこよかった。凄いぞ兄貴。そこから数年経ち、聴くべき時が来たのだ。そしてやっと聴くことが出来たアルバム群のなかで、一番格好いいのは2004年の作品「Studio 150」だと思った。ウェラーのルーツミュージックと言えるのか、全曲カバーでまとめられたそれは素晴らしい。以前にもいろいろなカバーを試みてきたのだろう。2003年に発売された「FLY ON THE WALL」というレア音源をまとめたアルバムにて、ポール・ウェラーのルーツミュージックへの想いを聴くことが出来るが、それにつけても「Studio 150」は、カールせずにストレートに、スナックな脂っこさに陥る事もなく、SNAPで完璧なスタイルで、今までの表現力を遥かに上回る熱量を見せつける。取り上げている曲には1970年代も多く、80年代もあり、ロックからソウル、ポップスまでの名曲、隠れ曲にも亘っている。オアシスのカバーもあった。ポール・ウェラーがそこで、シスター・スレッジ及びシックの名曲”Thinking Of You”を歌っていなかったら、僕はCHICを単なるディスコグループだと思い込んで聴かなかったかもしれない。そうだとすれば、ロバート・ワイアットが1980年代にシックの曲”At Last I Am Free”をカバーしていた事を想わずにはいられないのだ。そうして後になって聴いてみたシックはめっちゃ凄かった。特に挙げるなら、Sister Sledgeによる”Got To Love Somebody”の曲中に放たれるヘヴィーなグルーヴの破壊力が最高値だった。ここで完全にはまってしまった。あらぶるベースに、とどろくドラムに、ざわめくギターカッティングの上に、クールにエレガントに、さんざめく四姉妹の歌声掛け声廻る声、極めつけのかっこよさだった。いったいなんの話か、そんなの関係あるか!凄いぞ姉貴。

ポール・ウェラーの「Studio 150」のアルバムにはギル・スコット・ヘロンやノーラン・ポーターの激渋いワイルドカバーバージョンが入っていた。ポールにはこういうハードなソウル曲のストリート感覚がよく似合う。イギリスの若者文化において影響力の強いノーザン・ソウルの音楽。それを現代感覚としてマジに聴かせられるのはポール・ウェラーにちがいない。何より歌の行き方が熱血であるところがいい。僕はポール・ウェラーの歌を聴くとミラー・アンダーソンを思い出してしまう。それからベティ・ライトもそうだ。マイアミソウルの女王Betty Wrightの傑作曲”Baby Sitter”や”Gimme Back My Man”をもしも彼が唄ったなら、きっとバッチリ決めてくれるにちがいないという妄想を広めたい。
それでも「Studio 150」の一番の決まり手、王手、ロイヤルストレートフラッシュの一撃は、スコットランド民謡として知られるフォークソング”Black Is The Colour(of my true love’s hair)”にちがいないだろう。彼女が立っている地でさえ愛しい、なんていう言葉の、風向きに込められた、詩と情熱と息遣い。この曲を歌うポールの声には、ざらついた悲しみが宿る。音楽への、歌心への真摯な生き方が刻まれている。やっと理解した。彼の真っ直ぐに届くギター弦の先にはロバート・ワイアットがいるのだ。生涯にただ幾つかだけ記憶し慈しむ音楽。ロバート・ワイアットの”Sea Song”が聴きたくなる。
涙が滲む。

ポール・ウェラーのアルバムのなかで、どれがいいか、自分がもしも人に勧めるとしたら「Studio 150」かもしれない。もうひとつ挙げるなら、1997年の「HEAVY SOUL」だと思う。このアルバムが発売された時、自分は18歳だったのだろう。雑誌の中の音楽欄のレビューに紹介されていたのを見たのは遠い記憶のような気はするが、今この音楽を聴いてみれば、時に埋もれてはいないと思う。素晴らしい事は、”曲が良い”というものではない。音楽が素晴らしく響くために為された努力と、そう成り得た奇跡を感じよう。冒頭からの”HEAVY SOUL”、ヘヴィーソウルの名に違わぬ重みと強さ、たくましさに奮わされる。最初から最後までこのバンドサウンドは、究めて固くぶれることがない。抑えた感情の揺らぎを声の強弱でコントロールする。それはまるで、静かなる宣言の旗を地にさし、時を動かせる偉大さにも似る。高揚感のすべてを風任せに受け止めているかのように”HEAVY SOUL”という言葉には説得力がある。ここには、すべての音が埋もれることなく、何かがひとつ特別に過度に強調されることもなく、絶対のバランスを保って、際立ちを以て同時に鳴らされるという、バンドサウンドの理想と形が実現されている。適度かつ強度も備えるロックサウンドとサイケの揺れすぎない刺激的な音像のせめぎ合いも魅力だ。このアルバムのプロデュースはブレンダン・リンチという人だ。録音エンジニアはマーティン・マックス・ヘイズ。彼らの組み合わせで、当時のオーシャン・カラー・シーンのアルバムも作られていたという事実。共鳴を見いだすならここへも続く。同じ97年ならOcean Colour Sceneのアルバム「Marchin’ Already」は1曲目から格好いい。
そして特別なことは、プライマル・スクリームの1997年の話題作、名作「VANISHING POINT」もこのコンビが音響を担当しているのだった。97年は画期的な作品が多い。BRENDAN LYNCHの名前は近年あまり見かけないけれど、この90年代後期辺りは注目され、実績もあったのだろう。自分が好きな音の傾向を気付かされたという点で「ヘヴィー・ソウル」と「バニシング・ポイント」の2つが素晴らしいきっかけになる。PRIMAL SCREAMの、ダブに強く影響されたサイケな音像、うるさすぎない強いロックと過剰すぎないエレクトロニックビートの軋み、全体で動いてゆく音響は、ひとつの瞬間を長い旅のように見せてくれる。プライマル・スクリームでも一番好きなアルバムだ。他には思い当たらない。

けれども僕は、97年当時話題になっていたはずの「VANISHING POINT」を聴いたことがなかった。この年の重要なアルバムとして紹介されてはいたのだろう。当時雑誌に載っていたのを何度も見た。しかし聴いたのはここ数年の事だ。だからこそ、ポール・ウェラーの大好きなアルバムとプライマル・スクリームの名作が、共通の制作であった発見は、時を隔てても嬉しかった。音楽体験は発見があってこそ、それが次の道しるべともなり、以後の指針となるのだと思う。20年経ったからこそ意味があるもの、見いだせるものは必ずあると思うのだ。これは時代への回帰思想ではない。新しい音楽の旅はつづいてゆく。

僕は20年くらい前の自分の記憶に残っているものを辿っていった。高校生の時から雑誌に載っていた90年代最新の音楽の情報を、一応はチェックしていたのだった。ページを切り抜いて取っておいたり、スーパーの広告紙の裏にタイトルや軽い内容のメモを取ったりもしていた。音楽情報を集めておく熱意だけはあったのだ。聴いていないのに知っているアルバムジャケット、音楽の傾向についてのたくさんの無駄情報だけが蓄積されていった。不思議なことに、見て覚えたデザインを忘れていない。音楽の内容がどうであろうとも、色彩感こそ記憶にずっと新しい。そんなわけで忘れるはずのない、MITCHELL FROOM(ミッチェル・フルーム)の「DOPAMINE」だった。ジャケのイラストがエロいから覚えていたんじゃないと思う。(決して)…..赤面)….もう一回見直して…….じゃないと断っておく(…赤面)

ところで、ミッチェル・フルームは1990年代”時代の人”だったにちがいないと思う。ミッチェル・フルームによるプロデュースとそこに付随するように並べられている録音エンジニア、ミキシングエンジニアのTchad Blake(チャド・ブレイク)の存在。初めて意識的にこの2人の音響を感じた作品は、1995年発表のロン・セクスミスの2作目(メジャー1作目)「RON SEXSMITH」だったと思う。意識というより知識はないから無意識にこの音響に魅力を感じたのだろう。大学生の時、うちのお母さんが近所の行きつけのリサイクルショップでそこの店員の人にCDを貸してもらったのが最初だった。エルヴィス・コステロがロン・セクスミスを絶賛しているという噂。それを雑誌で見たのは高校生の時だったのだろう。CDのジャケットを見て想い返してその数年前の記憶が光った。実際に音楽を聴いてみると、それは素晴らしい空気でこのロン・セクスミスという真面目なる音楽家、歌手の想いを密やかであるかのように、魂から繋ぐグルーヴのような揺らぎを、緩やかな声と静かな言葉で伝えてきた。”Secret Heart”は幾度聴いても聴き足りない。生涯にただ幾つかだけ記憶し慈しむ音楽。
涙が光る。

ロン・セクスミスのそれ以降の幾つかのアルバムにもミッチェル・フルームとチャド・ブレイクのコンビが関わっていた。そこから彼らによる仕事を追ってゆくとそれはまた長い旅になる。有名無名に関わらずいろんな歌手、音楽家、バンドによるそれらのほとんどを中古CDで集めて揃えて聴いていったのだけれど、2000年代に近くなると、ミッチェル・フルームとの組み合わせが減っていくのか、チャド・ブレイクは彼自身としてプロデュースを手掛けることが多くなっていくらしい。2000年代より特に90年代後半期の音像にキレがあって感覚も冴えているようだ。こういうところで90年代と2000年代の時代の違いを感じてしまう。そもそも音楽一般全体的に2000年代からの傾向は音圧の力が強いと思う。過剰すぎる強調の音像には疲れてしまう。だからこそ今こそ適度な音圧で、ゆきすぎないバランスの優れた90年代後期の音響を見返そうと思う。

いつかミッチェル・フルームのインタビューを読んだことがある。そこには彼が育ってきた時代の影響が語られていた。一番の影響力は、やはりなのか、ビートルズだという。そう思えば、彼らの手掛ける音響の配置と効果、音圧のバランス力、そういったものが含まれるポストプロダクションは、90年代ならではの、ビートルズ的なる音響実験であるかもしれないという面を見いだせるかもしれない。そしてミッチェル・フルーム関係、チャド・ブレイク関係の音楽を探っていくところにある密室的な街角音楽の感覚。たとえばロス・ロボスやラテン・プレイボーイズ、ソウル・コフィングの、ストリートロック感、ヒップホップを交えた実験的リズム、90年代の異色のブルース感ロック感、そこを補強した音響職人チャド・ブレイクとミッチェル・フルーム両人の傾向に強い影響力を与えたのではないかと感じるのが、TOM WAITS(トム・ウェイツ)1985年のアルバム「Rain Dogs」だ。同じ時に続けて聴いていっても違和感がないと思う。

長々と書いていったいなんの話かというと、自分の現在の出発点は、ミッチェル・フルームであり、ポール・ウェラーとプライマル・スクリームの97年であったのだ。

ロックンロールの初期衝動とは別の話だが、ロックに受けた影響の本当は、息が長い。

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