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ローリング・ストーンズと共に生き続ける。

私も「一生ストーンズします」。

私は2015年からストリーミングサービスを月980円で利用している。30数年の人生で、2500円を払って新作アルバムを聴く、という習慣が私の中で生まれたのは、高校時代にセックス・ピストルズを聴き始めたからだ。とにかく音楽に触れたい、音楽を吸収したい、という欲望が、パンク・ロックと出会い、自分の中で大きくなった。ピストルズの『勝手にしやがれ!!』という、西暦2000年当時は古典となっていたアルバムを聴いて、自分の中で、あやふやだった価値観が形成されていったのだった。新作アルバムを定価で聴く、ということは2020年の今でもあるが、とにかくアーティストの作品を聴きたい、というどうしようもない欲望は、中年男になった今でも失っていない。月980円のサービスを利用しているのはそのためである。
パンク・ロックと出会う前に、私は父親のカーステレオで色々と音楽を聴いていた。そのなかで、オーティス・レディングの「サティスファクション」を聴いた。その曲のオリジナルであるローリング・ストーンズのアルバムを聴きたくなり、札幌市にあるレンタルCDショップへ、小遣いを握りしめて行った。なぜオーティス・レディングだったのか、という記憶はもう残っていないが、高校生当時の私はJPOP含め、いろいろなものを手あたり次第に聴いていたのだった。
『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』。「サティスファクション」が収まっているアルバムである。一曲目が「マーシー・マーシー」。ドン・コヴェイのカバーである。その曲の、不思議なグルーヴは新鮮だった。ただ黒人音楽をカバーしたという感じではない。彼らストーンズは純粋に、オリジナルを敬愛している故の、ヘタウマなカバーになったのだろう。『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』の「サティスファクション」以外に「ヒッチ・ハイク」「クモとハエ」「ラスト・タイム」が収録されていたりして、その「ヘタウマ」な演奏と、それから生じる奇妙なグルーヴ。その感触は、もう一生ものだということは、当時高校生だった自分には想像もつかなかった。
大学時代にも、レンタルショップやCDショップで音楽に触れていた。そのときにもパンク・ロックは聴いていたが、数多くのパンクスが目の敵にしている(であろう)ストーンズを聴くのは、やめられなかった。「ストーンズの何がそんなにいいのか」という問いには、恥ずかしいことに明確な答えは今でも持てていない。もし面と向かって訊かれたら「単純に曲がいいからだ」という回答しかできないと思う。ストーンズを20年聴いてきて、彼らの素晴らしさはいくらでも話せるが、「ストーンズのどこがいいか」という問いには、これといって明確な今でもない。
「サティスファクション」のイントロの、キース・リチャーズのファズ・ギターの荒っぽさは、一度聴いたら、癖になってしまう。何万回と聴いた「サティスファクション」の、キースの荒っぽいギターは、到底言葉にできない。「サティスファクション」の素晴らしさは、キースのギター以外にも、ミックのこれまた「ヘタウマ」なボーカル、チャーリーの正確だが独特のドラムスと、ギター以外にもある。オーティス・レディング版とは違い、どこがどう素晴らしいか、明確に言い表せない。そういう意味で「サティスファクション」は、ストーンズを象徴するナンバーではないか。
2006年春、私は札幌ドームでストーンズを目撃した。「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のあのキースのリフが鳴った瞬間、札幌ドームは騒然となった。それは14年経った今でも覚えている。「ミッドナイト・ランブラー」の独特の、イントロの演奏。言葉では言い尽くせないグルーヴ。「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」の、これまた独特のイントロ。センター・ステージでの「ミス・ユー」、「悪魔を憐れむ歌」の「ケネディ」抜きのミックのボーカル。覚えたて(であろう)ミックの北海道弁。そしてアンコールでの「無情の世界」(これには会場はさほど盛り上がらなかった)と「サティスファクション」。全て、14年前の記憶である。自分にとっての、究極の憧れのバンドを、目撃したのだった。
「ロックは死んだ」と言うのは簡単かもしれない。実際、2020年現在、ロック以外にも盛んなジャンルの音楽はあり、それぞれが人気を持っている。でも、私は16歳の頃からストーンズを聴いてきて、今でも聴いている。確かに、ロックはもう人気がない。もう誰もロックアルバムなんか作らないし、一種の古典芸能みたいになっているのだろう。私がストーンズを聴いているのは、単なる青春の思い出以上に、彼ら、ミック、キース、チャーリー、ロニーが、2020年の今でも演奏を続け、我々ファンに向かい合い、正面から隠し事なしに、きれいごとなしに音楽を、生きざまを発信しているからだ。どんなことにも終わりは来るし、永遠にストーンズが生きられるわけではない。たとえ、現在四人のメンバーのうち、誰かが死ぬようなことがあっても、私はストーンズのファンであり続けると思う。『フォレスト・ガンプ』のセリフにもあったが、「死ぬのも人生のうち」というのは、その通りだと思っている。実際に、2014年に、キースと生年月日が同じだったボビー・キーズが死んだ。キースにとっては辛いことだったと思う。ストーンズは、そのことも受け入れて、現在も生きている。
そして現在。新型肺炎で全世界が騒然としている。ストーンズは新曲を発表した。「リヴィング・イン・ア・ゴースト・タウン」。
この8年ぶりの新曲は、1年以上前にできていて、ミックがコロナウイルス騒動に合わせて歌詞をいじったという。驚くのは、曲がポップで、まるで「ラヴ・イズ・ストロング」がグレードアップして蘇ったように感じられることだ。熟年バンドにありがちな年寄りくささがどこにもない。それはストーンズが常に貪欲に、勤勉に、自分たちの音楽にアップデートにアップデートを重ねているからだろう。昔のアメリカの映画によくある、古臭いカントリー&ウエスタンを頑なにやめない人間にある、「頑固さ」がない。
現在の若い人たちには、ストーンズよりもレッド・ホット・チリ・ペッパーズがピンとくるかもしれない。メンバーチェンジを繰り返しながら、アンソニー・キーディスとフリーが、今でも活動を続けている、ということのほうが、リアリティがあるだろう。レッチリには最近、ジョン・フルシアンテが復帰している。本文の趣旨とはズレるけど、レッチリももうすぐ活動40周年が迫っている。
高校時代にストーンズと出会い、札幌ドームで彼らを目撃して、2020年の新曲を聴いた人間が思うのは、ローリング・ストーンズは生き方だということだ。今までどれだけの人が「ストーンズはもう終わった」などとふざけたことを口走っただろう。「ロックは死んだ」とも「終わった」とも言っただろう。ストーンズじしんが「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」というアルバムを作ったが、ロックは死なない。ストーンズも死なない。確固たる根拠があるわけでもないが、私のストーンズは、永遠である。あの日聴いた「マーシー・マーシー」を、絶対に忘れない。「クモとハエ」も忘れない。「ラスト・タイム」も忘れない。「ストーンズのどこがいいのか」という問いどうよう、明確な答えはない。
ストーンズは人生である。会社や学校の授業のように「定時」はない。明確な「答え」もない。ひたすら、生き続けることだ。死ねば、そこで終わりかもしれないが、私たちの人生は、私たちだけのものではない。生きることには、他者にとっても意味があるのだ。命をおろそかにすることは、許されない。ストーンズの音楽は、ストーンズだけのものではない。ロックはもう死んだかもしれないが、ストーンズは生きている。20年ストーンズを聴いてきて、それだけは、私の中で確かなのだ。

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