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00年代以降のトム・ヨークの世界。

指標も欲望もない00年代という戦場。

当時、大学生でありながら、精神科に通っていた。大学にろくに出席できないほど鬱と薬の副作用がひどかった。2006年当時、古い向精神薬がまだ普通に処方されていて、喉が渇く、便秘、体が痒い、眠れない、等、人生で最悪の時期を過ごしていたんじゃないかとすら、今でも思う。私は大学生活、けして辛いことばかりではなかったけど、この時期に関してはいい思い出があまりに少なかった。
2006年。レディオヘッドとして、アルバムは出さず、トム・ヨークはソロを発表。「ジ・イレイザー(消しゴム)」。
もとから暗く内省的なトム・ヨークは、さらに内に籠って、当時の世界で悩んでいるようだった。「きみが僕を消そうとするほど、僕はさらに目立ってしまう」という歌詞は、レディオヘッドでのそれより、さらに内向的になっていた。とても当時の最高峰のバンドの親玉の作品ではなかったが、我々ファンは、こういう作品こそトム・ヨークだな、と思っていた。
フィリップ・K・ディックの『暗闇のスキャナー』(『スキャナー・ダークリー』とは書きたくない)が、映画になったのはその年で、エンディングに「ブラック・スワン」が流れていた。済んだことは蒸し返せない、君は取り繕うとしているけど、うまくはいかないよ、と絶望的なことしか歌っていなかった。当時の私は、あまりにも心に来るものがあったので、何十回、何百回と聴いた。そのころ、大学卒業は絶望的になってはいたが、なんとか除籍扱いにならないようにことが運んではいた。その翌年に教育実習に行けるようにしてくれたのには、感謝しかない。私は、その感謝を仇で返すようなことしかしていなかった。病気は一向に治らず、年金は払っていたものの、奨学金を借りていた。将来に関しては、不安と絶望しかなかった。
「ジ・イレイザー」「アトムス・フォー・ピース」「ハロウダウン・ヒル」といった曲は、バンドの音楽ではなく、のちのアトムス・フォー・ピース活動のような、パソコンで作ったソロ。レディオヘッドでは辛うじてロックだったかもしれないが、これにはどこにもロックはない。トム・ヨークの捻くれた歌詞は、暗に、「それ見ろ、言ったこっちゃない」と告げていたように聞こえる。「キッドA」で歌っていたこの世界の終わりの始まりが、洒落にならないレベルで「そうなってしまった」のだから。サダム・フセインが捕まって、「正義の戦争」は意義のあったことにされそうだったが、それから10年以上経った現在を見ると、イラク戦争が始まる前の世界のほうが、今現在よりはるかに良かった。北海道の田舎でも、イラク戦争のあと、失業者は増加していたんじゃなかったか。物価は上がらないが、賃金もたいして上がっていない。消費税は上がったけど、それで良かったことが何かあっただろうか。
トム・ヨークは、世界が終わるのをこの目で見ていて、どう思っていただろう。『OKコンピューター』の頃から、トムは「間違っているのはお前たちだ」と言い続けてきた。それが本当のことだったから、トムは嬉しいだろうか。嬉しくないだろう。私が洋楽を聴き始めたのは、身の回りの曲が恋愛ソングばかりでつまらなかったからである。音楽番組をある時期からすっかり見ていない。どうでも良くなったのである。セックス・ピストルズやローリング・ストーンズを聴くようになった。その頃からうつ病は始まっていた。
トム・ヨークは、レディオヘッドよりはるかに内気で暗い「ジ・イレイザー」のあともソロを出した。2019年の『アニマ』の切実さは、『ジ・イレイザー』ほどではない。ふしぎだが、余裕をアルバムのどこかから読み取れる。私じしん、2006年時点ほどつらい状況ではない。職はあるし、ある程度余裕がある。『ジ・イレイザー』の時点でトム・ヨークには余裕があっただろうが、あの、00年代特有の生きにくさは、今の人たちにわかるだろうか。ストリーミングも、電子書籍もなかった時代である。youtubeすら、なかった時期なのだ。それらがある現代が最高というわけでは、もちろんない。00年代、いったい何を目標に生きればいいのか、分からなかったのである。
レディー・ガガが出て来る以前の話で、コールドプレイやアークティック・モンキーズの時代だった。指標というものがなかった。インターネットではブログ時代だったと思う。個人がなんでも発信できる時期だった。音楽がタダになりつつあった時代でもあったのでは。youtubeが出来て、いくらでもタダで聴けるのだから。
この頃から、トムは内向的で否定的だった過去から、抜け出した。『OKコンピューター』では時代の寵児だったが、『ジ・イレイザー』から、どこか変化していった。この翌年、レディオヘッドはアルバムをタダで配信。大物ミュージシャンだから出来たのだ、という批判は当然あるだろう。それも見越していたんじゃないだろうか。
レディオヘッドやその周辺は、00年代を境に、変わってしまった。モノを消費する、という行為に我々市民が飽きてしまったととることもできる。今では、定額で映画やビデオが見放題で、電子書籍も安いものだとどこまでも安い。youtubeでは映画や音楽をいくらでも見られる。聴ける。モノが安くなって、人間の欲望も減ったのだろうか。私が10代だった90年代は、辛うじてみんな欲望があった。90年代前後ににオウム事件が起こって、どこか風向きが変化した。欲望を持つのに後ろめたさを感じるようになってしまった。
「間違っているのはお前たちだ」とトム・ヨークは90年代に歌っていたが、00年代以降、何が正しくて何が間違っているのか、定義があやふやになり、10年代にはそれがさらに混沌としている。『OKコンピューター』はやや古臭いアルバムになり、世界は『KID A』『アムニージアック』で表現されたようになった。20年代以降、これは加速するのだろうか。そもそも20年代に新たなレディオヘッドは現れるのか。90年代と00年代に青春を迎えた人間としては、世の中がラブソングばかりで退屈に思え、パンクやテクノに逃避していた若い頃の自分が懐かしくて仕方がない。いったい、21世紀になって生まれた人たちは何を指標に生きるのだろうか。

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