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雨神と雷神が作り出した催涙雨

米津玄師やいろんな物に『感電』し合おう

2020年、日本が五輪をきっかけに大きく注目される時代になるはずだった。
記念すべき祭典に人生をかけるスポーツ選手が多くいたに違いない。
また、スポーツだけに限らず様々な分野で活動している人も、根拠がなくても周りを盛り上げようと考えている人もいただろう。
活躍する選手が光り輝く瞬間を、テレビを通して見たい私もその1人だ。
そんな期待を渦巻く日本に、コロナウイルスという未知の病が現れる。
詳細がわからない未知の病に、世界中の人が感染し続けて苦しむ。
日本も例外でなく、感染者は増え続けて止まる所を知らない。
危険な状況を脱せない結果、「五輪延期」という歴史上初めての出来事に書き換えられた。
追い打ちをかけるように未知の病は、世界中の人に異変を起こし続けて、非日常の閉鎖的な世界を創造していく。
世界中が都市封鎖する流れに投じて日本も「緊急事態宣言」を起こすと、人の波が消えたかのように閑散とした街へと変貌した。
「誰かと歩きながら話す音」・「おいしい食事を作る音」・「道路に車や自転車が走る音」
多くの人や物が作り出す様々な音で彩ってきた街は、出歩く人が少なくなるにつれて静寂な空間へと変える。
多種多様な行事の中止や延期、臨時休業など荒れ狂う日々に、多くの人がやり場のない現状に振り回された。
静寂な街の中を目の当たりした私は、自粛中の過ごし方を家で考え続ける日々が続く。
唐突にやってきた見えない現実に頭がついていかない。
本格的な自粛の期間が迫ってくる前日になっても、何か思い浮かぶことはなかった。
閉塞感いっぱいの頭で気分転換しようと、街から滑走路近くの海へ自転車で移動する。
汗を拭いながらも30分後には到着し、ベンチに座って黄昏の海を眺めていた。
海の静かな音で少しずつ落ち着いた後、音楽を聴こうとiPodを取り出す。
Bluetoothイヤホンを接続して耳に装着しながら、何の曲を聴こうかと考えていると、米津玄師の『でしょましょ』が閃いた。

『異常な世界で凡に生きるのがとても難しい
令月にして風和らぎ まあまあ踊りましょ
非常にやるせないことばかりで全部嫌になっちゃうな
今日はいい日だ死んじゃう前に なあなあで行きましょ
るるらったったったった』 (米津玄師/でしょましょ)

苦悶に苦しんでいた私を、米津玄師が励ますように聞こえる。
立て続けに起こる気持ち良くない出来事に目が追いすぎて、いつの間にか狂気的な渦に飲み込まれて正気を失っていた。
混乱していた時に『でしょましょ』を聴いたせいか、聴き終えてから頭が綺麗に冴える。
正常に見えることもあれば、不規則な出来事が起きるのも当たり前のこと。
無暗に難しいことをしようと考えず、自分がやりたいと思うことを徹底的にやりきる。
やりきった数だけ前向きになれることを肯定するために、消極的な自分を変えたい。

自粛期間中、私は家に閉じこもりながらも連日机周りの掃除をしていた。
主に机の上を覆い尽くす段ボール箱の中身を整理すると、埋もれていた書類が次々と出てくる。
例えるなら、大量の落ち葉で中身を埋め尽くしたゴミ箱だ。
最初は不必要な用紙やごみを捨てるのは簡単だが、途中から大事な書類や物も見つかっていく。
過去に何度か掃除してきたものの、必要な物や思い出の品が溢れている私の段ボール箱は、掃除より仕分けに膨大な時間が掛かる。
誰だって何処だって、大きな空間がなければ物は多く置けない。
やっとの思いで段ボール箱の中身を整理し終えても、1ヶ月後には新しい書類や物が入っていく。
様々な物が剥き出しで放置している段ボール箱のおかげで、必要な物がすぐに引き出せずに、慌てて行動することもしばしば起きってしまう。
「余裕がない」・「冷静になれない」・「機能しない」
段ボール箱の重苦しい存在感に、掃除をする度に茫然と立ち尽くす。
進んでいるようで変わらない現状に、私の頭は同じ作業で飽きていくように疲弊していた。
疲弊しながらも手を動かし続けると、古い読書ノートを見つける。
懐かしい読書ノートのページを開くと、「整理整頓は、人生の半分である」というドイツのことわざが書き記されていた。
日ごろから整理整頓を心がけていれば、私生活や様々な場所で規律や秩序をもたらす。
今の私にとってこのことわざは、明日への希望を灯す「おまもり」のようなもの。
大切な物を見つけると自然と綺麗にしたい気持ちが強くなった。
段ボール箱を手っ取り早く撤去するために、中身の物は見た目の直感で仕分けしていく。
掃除の方向性が定まったが、集中していたあまりに夜だったことに気付いていなかった。外の薄暗い光を遮るためにカーテンを閉め、部屋の明かりは机のデスクライトだけ点灯させる。
その光景にした瞬間、米津玄師の「アンビリーバーズ」の歌詞が頭の中に一部思い浮かんだ。

『誰のせいにもできないんだ 終わりにしようよ後悔の歌は
遠くで光る街明かりに さよならをして前を向こう』 (米津玄師/アンビリーバーズ)

大切な思い出の品に触れると、時間の重さや思い出との距離など不可逆なものを心が追い求める。
心が満たされない限り意味がないとわかっていても、心にも引力があるように現実へ引っ張り出す。
悪い思い出はこれ以上に失敗したくない思いが強いから、脳裏に焼き付くように覚えていることが多い。
その反面、良い思い出は誰かと会話する時や、印象ある出来事に触れないとなかなか思い浮かばないもの。
暗い世の中で窮屈だけど、普段の日常で良いことがいつでも振り替えられるように、根気強く様々な物と向き合う。
外の天気がどんな薄暗くても、雲の上はいつも青空だ。
雲を突き抜けることはできなくても、時間が経てば流れていって晴れの日が訪れるはず。
多くの時間を過ごしてきた紆余曲折を経て今の私がある。
段ボール箱を撤去したからといって、幸せになる未来が約束されるわけではない。
それでも乗り越えた後は、きっと明るい未来が待っていると信じて。

『今は信じない 残酷な結末なんて
僕らアンビリーバーズ 何度でも這い上がっていく
風が吹くんだ どこへいこうと 繋いだ足跡の向こうへと
まだ終わらない旅が 無事であるように』 (米津玄師/アンビリーバーズ)

私が思う理想とは程遠いが、段ボール箱を中心に多くの物を撤去できたおかげで、椅子に座って机の上で作業ができるまでに戻った。
机の引き出しも空きが増え、全国各地の神社で参拝してきた4冊の「御朱印帳」を綺麗に収めていく。
2016年1年の運勢が「その他の大厄」に当てはまり、厄払いの変わりとして御朱印集めを始めたのがきっかけ。
最初は今まで出向いた神社を振り返るために行っていたが、時間が経つにつれて全国の地域にも足を運んできた。
書き記した御朱印の数だけ、お守りやお札と同様にご神体やご本尊の分身になり、神とご縁を結ばれた証となるのが「御朱印帳」の本来の姿である。
気付いたら5年間、32都道府県で約140社も駆け巡るなんて考えもしなかった。
時間が経つにつれて御朱印に対する価値観も変わっていき、温泉や郷土料理、全国の人との触れ合いなどに重きを置く。
私にとって「御朱印帳」は、目に見えないけど積み重ねてきた尊き修行の証でもある。
全国制覇しようとまで考えていないが、私自身の目で旅を通じて様々な出来事や、綺麗な景色を発見し続けたい。
元の日常には戻れないかもしれないけど、希望を持って生きることまで否定する必要はないだろう。
多くの人は人生を変化させてしまった悪い出来事を恨むけど、人生を変えるのは出来事ではなく行動することだ。

2018年、梅雨の小雨が降り続く中、車に乗って帰ろうとiPodを取り出す。
目的地へ向かうために車を運転している時間は、私にとって音楽を楽しめる有意義な時間でもある。
年数を重ねて集めた曲が集約されている古いiPodから、その時の気分に合わせて聴きたい曲を選ぶ。
「季節」= 春・夏・秋・冬
「時間」= 朝・昼・夕・夜
「天気」= 晴・曇・雨・雪
それだけに限らず、悪天候の日に乗り込むバスや電車の騒音による移動中でも、音楽はぐずぐずした心を浄化させてくれる。
私は音楽を聴くことで気分を一新して、喜怒哀楽な感情を私なりに抑えながら、様々な日々を乗り越えてきた。
車に乗って何を聴こうか考えながらiPodを取り出すと、電池が切れていて動かせない。
私は時折、車の中で音楽が聴けない時はラジオに切り替えて、適当に周波数を合わして流す。
その日のラジオは人生に関するテーマに対して、番組に届いたリスナーのメッセージが読まれていた。
悲しい人生から前を向くメッセージが紹介された後、米津玄師の『Lemon』が流れる。
最初はリスナーの思いに沿うような形で、ひたすら悲しい思いを連想させる歌のイメージが強かった。
ただ暗い流れに乗ったままサビに入ると、跳ねて踊っているように聴こえてしまう。
悲しい言葉が続くにも限らず、心の傷を埋めるために音と言葉で引っ張る不思議な感覚。
初めての『Lemon』を聴き終えると、リスナーの想いに共感できたせいか朗らかな気持ちになった。
それ以降、街の至るところに『Lemon』が響き渡るおかげか、レモンに関する出来事や物に無意識で反応していく。
多くの飲食店が積極的にレモンを使った商品を販売していたことをきっかけに、私が住んでいる広島はレモンの生産が一番だということを初めて知った。
おばあちゃんが住んでいた尾道は、国産レモン発祥の地であったこと。
季節が冬になると、尾道では魚介類や野菜にレモンをふんだんに使った「レモン鍋」を食べる習慣がある。
子どもの頃は何度もお盆や正月に出向いていたのに、みかんを食べてはヤクルトばかり飲んでいたこともあり、レモンの存在すら全く知らない。
どうせならおばあちゃんや家族と一緒に「レモン鍋」を食べたかった後悔はあったけど、おばあちゃんに会えた感じがして嬉しかった。
私にとっての『Lemon』は新しいことを知ると同時に、過去の思い出に触れるきっかけを繋げた魔法なのだろう。
黄色の果実が映像や街のあらゆるところに出てくる社会現象は、大晦日の「第69回NHK紅白歌合戦」で『Lemon』を披露する米津玄師が、大きな存在として世の中に発信されていく予感だった気がしてならない。
街の至るところで流れていた『Lemon』を、私はテレビでの生歌唱映像を通して米津玄師を見ていた。
静かな礼拝堂で目を瞑りながら祈りを込めて歌う姿は、多くの人の心を優しく包みながら美しい映像の世界に引き込んでいく。
歌が進むにつれて1人の踊り子が加わり、ステップを踏むように踊る姿は、亡くなった人の「送り火」として表現している。
お互いが同じ空間で掛け合う姿が交信しているかのように、祈りと踊りがすごく近い感じがしてならない。
最後のサビに入ると踊り子は正面に座り、多くの群衆が天に向けてキャンドルを掲げる。
群衆の中央から最後に米津玄師は解き放つように歌った。

『切り分けた果実の片方の様に 今でもあなたはわたしの光』 (米津玄師/Lemon)

彼の声は心の奥底に響いた。
私に限らず生映像見ていた多くの人が、同じ想いで感動したに違いない。
5分という時間の中では語り尽くせない、様々な想いを凝縮した美しい光景だった。
これまで昔の人に生きる希望と勇気を与えてくれたのは、何よりもラジオ歌謡をはじめとする音楽だろう。
新しい時代に変わっても、音楽は「好き」や「楽しい」という枠を超えて見えたりする瞬間がある。
それに加えて米津玄師は、目に見えない不思議な音を駆使して、美しい瞬間を作り上げた。
米津玄師は何者なのか、私は興味を持ち始める。

2020年5月下旬、日本でのコロナ渦が収まりつつある状況を見て、「緊急事態宣言」は解除される。
多くの人があらゆる対策を施したが、コロナは国民の期待を裏切るかのように、東京を中心に改善した街を悪い方向へと覆す。
解除した時は落ち着いていた広島でさえも、東京の情報が入る度に安心して外出もしづらい。
過剰な世界が脳裏に焼き付くような歯がゆい現状にしぶとく、自分の心を蝕む感覚が長く続いた。
春をまともに迎えることすら感じないまま、知らぬ間に梅雨を迎えると、例年に比べて小雨が長く降り続く。
私はこの逆境を前向きに捉えようと、中国地方のコロナが落ち着いている中で、何処か新しい場所へ冒険しようと考える。
そこで自由に動ける時間があるうちに、七夕の日に島根の美保神社へ日帰りで行くことを決断した。
周りからしたら不要不急だと思われるけど、大切なことは今をどれだけ全力で楽しく生きられるかが大事だと思う。
自分にとって必要か不必要かは、最終的には自分が決めること。
行く前日まで目的地の流れを頭へ叩き込み、集めた情報の確認を怠らずに準備して就眠する。
いざ七夕を迎えると、外はとてつもない豪雨だ。
連日雨が降り続いていた広島では、「大雨特別警報」に入っている。
自分が住んでいる地域は、避難する必要まではないものの、異常な豪雨の光景に戸惑うのはしかたない。
朝8時に1人で車に乗り込んで出発したが、通勤や仕事・避難を主体とした移動の影響もあり、あらゆる道路が大渋滞している。
下道で多くの車が立ち往生し、出発して1時間半後に高速道路の入口に入ることで精一杯だ。
森林や川が周辺にある場所も薄暗い風景で遮られている。
途中で事故車両に合うたび、高速道路に入ったばかりなのに引き返すべきなのかと、頭に後悔がよぎってしまう。
後ろめたい気持ちをいつも支えてきた音楽は、手の中にあるにも関わらず、想像以上の情景を目の当たりにして音楽を聴く余裕がなかった。
島根に行くために何度も通ってきた道なはずなのに、異常な状況に胸が震えてしかたない。
荒れ狂う豪雨から避けるために、必死に暗い洞窟を目指して潜り続けた。
洞窟に入れば襲い掛かる豪雨から守ってくれる屋根となり、不快な情景から黒光る情景へと変わる。
目の前で走る車を見つけると適度な距離間を保ち、自分の感性と運転する車に頼りながら、光を追いかけるように運転していた。
北上し続けて3時間、車内の密室で体の緊張が続きながらも島根に辿り着く。
隣県に移動しただけで豪雨から小雨へと変わり、小さい日差しが所々出ていて凄く心地良い。
近くのサービスエリアに駐車して、事前に買っていた瀬戸内レモンクリームパンと水を飲んで一息つき、美保神社へ向かうために美保関に向けて再出発した。
順調に進んで高速道路から下道に降りると、中海という島根と鳥取にまたがる広大な湖を背景に歴史ある港町に入る。
豊かな海に囲まれて美しい海岸線で咲き誇るアジサイに、全体の風景を彩る風光明媚な景観が、抱えていた恐怖から快感な気持ちへと変えていく。
サービスエリアからの1時間半があっという間に過ぎ、ようやく美保関に到着した。
「日本海」・「中海」・「美保湾」
島根半島の東端にある3つの海に囲まれた美保関は、漁業と海の玄関口として栄えた町として有名で聖なる岬と呼ばれている。
江戸時代には米や魚を運ぶ北前船の風待ち港として賑わい、一日1000隻もの船が出入りしていた。
宿屋を兼ねた廻船問屋が軒を連ねて積み荷を運ぶために、海から切り出した青石を敷き詰めた石畳も整備されることから、港町は自然と大きく発展していく。
自然の地形を生かした漁港で住む人は海を愛し、海に愛されて生きてきたのだろう。
のちに多くの文人が歩いたその路は、未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に選ばれ、「青石畳通り」として往時の面影を今に伝えている。
小雨の中で通りの入口に近づくと、石畳がうっすらと青色に変化していることから、その名が付いたのだろう。
そんな「青石畳通り」の入口前にある鳥居こそ、念願だった美保神社への入口だ。
鳥居を潜れば港町とは違った神秘的な空気が漂い、回廊を歩いて神門を潜った先には、聳え立つ拝殿が出迎える。
豪雨による悪天候を何度も潜り抜け、えびす様の総本宮に辿り着くと、心から安心して感慨深いものが込み上げた。
無事に参拝させて頂けるえびす様に感謝の思いを伝え、聳え立つ拝殿をじっくり目に焼き付けながら社務所へ向かう。
毎月7日はえびす祭が行われており、その日に参拝すると特別な御朱印が手に入る。
「緑」・「赤」・「紫」
3種類の用紙の中から1種類に「金」字で揮毫し、「銀」印を押印してある御朱印は、庶民派の私にとって欲望の的そのもの。
対面する宮司から白い封筒を受け取り、封筒の中身から「金字の御朱印」を取り出す。
「紫」の用紙に書かれた「金字の御朱印」は、美保関で見た紫のアジサイを想起させるような美しさに、緊張や不安を癒してくれる。
1つの夢をやり遂げた後はベンチに座って、鞄の中を整理するために中身を全て取り出すと、『米津玄師2020アリーナツアー「HYPE」』で掴み取った銀テープが1枚残っていた。

2020年2月22日、私は広島グリーンアリーナに向かい、米津玄師のライブを見に行った。
去年の暑苦しい日々が続く夏の中で、広島でライブすることを知り、生の声を聴いて堪能したいと思い応募する。
多数の人が応募している中、私にはありがたいことにご縁があって会場に入るチケットを手に入れた。
ライブの日が近づくにつれて期待するものの、コロナの情報もあって不安もあった日々が経っていく。
期待と不安が入り混じっていたが、無事にライブが開催されることになり、待ちに待った時間がついにやってきた。
米津玄師が出てきて歌い始めた瞬間、会場の熱気が急激に上がる。
序盤の曲で心を掴まれ、屋台船の中にいるような感覚に陥り、一緒に晩酌を楽しむように気持ち良く酔っていく。
心地のいいテンポや独特なリズム、臨場感溢れる綺麗な演出などが彩り、私の想像を超えていく表現力に胸が躍る。
可愛い子どものように扱う曲たちを歌い終えた後、合間のタイミングで米津玄師は「今から大事な曲を歌います」と言い、『海の幽霊』を披露していく。
当時の私が、生歌で一番聴きたかった曲で嬉しかった。
墓参りを終えてからのドライブで欠かさず流している。
帰りの道中で大きい橋に差し掛かると、広大な海を背景に流れる『海の幽霊』は、私を癒してくれる珠玉の一曲だ。
米津玄師は、鼓動を響かせるように歌い始め、曲が主役だと思わせる物語を描いていく。
目に見えない幻想の幽霊を想起させるように絵描き、静粛で壮大な海の世界へ引き込む。
描いた物語が溢れていくように最高潮に達すると、あらゆる映像が宝石のように輝きはじめ、神秘的な世界の前で生き物がそこに実在しているかのように驚かしていく。

『星が降る夜にあなたにあえた
あの夜を忘れはしない
大切なことは言葉にならない
夏の日に起きた全て
思いがけず光るのは 海の幽霊』 (米津玄師/海の幽霊)

米津玄師が歌い終わるまで、心の鐘が鳴り響いて涙が止まらなかった。
「魂」という目に見えない物が触れた気がしてならない。
米津玄師と同じ時代で生き、同じ空間にいられたことが、最高の贈り物だと強く思った。
時間が経つにつれて途中からMCも入り、米津玄師はみんなに話しかける。
「日々が変わっていく中で新しい出会いがある」と言われると、日々の生活だけでもきりがない出来事が思い浮かんで、自然とこれまでのことを振り返っていた。
「新しいところに連れて行ってもらっている気がする」と言った時には、一曲の歌詞に自分の思いがリンクして、物語が広がっていくことに動力を注いでいるのだろう。
作詞作曲している曲の壮大な世界観を共感することで、「そいつが生きていく糧になりたい」という思いが分かりやすく伝わる。
限られた中で新しい景色を探すというより、新しい出来事や物を自分の目で見て、新しい発見があるのだろう。
楽しい時間はあっという間に過ぎていき、終盤に差し掛かると会場に放たれた銀テープを掴み、楽しかった思いを胸に込めて会場を後にした。
帰る道中に滑走路の海を通って夜空の星を眺めながら、

『風薫る砂浜で また会いましょう』 (米津玄師/海の幽霊)

根拠のない期待を抱いて家路につく。

楽しい思い出が詰まっている銀テープを丸めて、御朱印を包んだ白い封筒とともに鞄に入れた後、拝殿前に2人の宮司がやって来た。
私も含めて参拝しに来た約200人に、数字が書かれたおみくじが渡される。
その後も神社周辺や港町を散策していた30分後、社務所前で当選番号の用紙が貼り出されていた。
持っているおみくじの番号が載っている20人だけ、「金色の鯛守」という貴重なお守りが購入できる。
元々はコロナの影響で「金色の鯛守」の配布は中止していたはずが、一時的に再開されていたことに驚く。
私はありがたいことに、おみくじの番号が当選しており、「金色の鯛守」を手に入れた。
困難な道を乗り越えた報いがえびす様に伝わり、ご褒美として導いてくれたのだろう。
改めてえびす様に感謝の思いを伝えて、美保神社を後にしようとした瞬間、体に稲妻が落ちたようにホーンセクションが頭の中で流れる。
美保神社のえびす様は、歌舞音曲(音楽)を司る神様でもあり、「幸運を祈る」と伝えたかのように聴こえた。
美保神社を後にした私は港町を見渡してから車に乗り、迷うことなく米津玄師の『感電』を流し、美保関を見渡しながら広島へ帰っていく。
行きで苦しんでいた時の気持ちとは違い、帰りは『感電』の軽快なリズムを活かして、
稲妻のよう走る車を操って進む。
島根から広島に戻ると同時に、小雨から豪雨に逆戻りしていき、多くの川が増水しているのが目に見えてわかる。
弱まる気配のない七夕の豪雨を見続けると、織姫と彦星が催涙雨を流す姿を想像し、天の川が増水して再会できないと思えてならない。

『肺に睡蓮 遠くのサイレン
響き合う境界線
愛し合う様に 喧嘩しようぜ
遣る瀬無さ引っさげて』 (米津玄師/感電)

コロナの時世が示すように、織姫と彦星が響き合うように話し合って、お互いが会えば感染を流行らせると思い断念したのかもしれない。
悪いことをしたわけでもないのに、世界的恐慌な状況によって罪悪感が出てくるのだろう。
1年に1回しか出会えない運命を境遇する人にとっては、残酷な結末なのかもしれない。
そんな苦難があって簡単に会えないからこそ、次に出会えた時の格別な喜びを味わうために、日々の生活を守ろうと頑張るのだろう。
未曾有な出来事に何もかも正しい判断を下すことが重要でなく、いろんな人と一定の距離を保ちながら、自分の意志は人には委ねないことが大切だと考えさせられる。
相手が動くことを決断した話があれば、頭から批判せずに尊重してあげるべき。
「悩」・「考」・「決」=「報」・「連」・「相」
何気ないことを誰かと話すだけでも、ちょっとしたきっかけで感電し合うような会話が生まれることだってある。
確固たる意志を崩さないよう強く持つことで、新しい困難があっても楽しんで生きられるはずだ。
『感電』し合う輝かしい未来が待っていることを願って、夕方の5時に家路についた。

『たった一瞬の このきらめきを 
食べ尽くそう二人で くたばるまで
そして幸運を 僕らに祈りを
まだ行こう 誰も追いつけない くらいのスピードで

それは心臓を 刹那に揺らすもの
追いかけた途端に 見失っちゃうの
きっと永遠が どっかにあるんだと
明後日を 探し回るのも 悪くはないでしょう

稲妻の様に生きていたいだけ
お前はどうしたい? 返事はいらない』 (米津玄師/感電)

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音楽について書きたい、読みたい