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「RIDE ON TIME」と僕(ら)

山下達郎が作り出した「いま、ここ」には無い何か

このような媒体に、作品についての文章を書く場合には、その音楽の歴史的、あるいは作者の作品群の文脈を意識した上で、論を展開することが求められる。

しかし、多くの音楽体験は無文脈的に、突如として聞き手の前に現れてくる。テレビ、ラジオ、SNSと現代に音楽は満ち満ちている。

その意味で、僕にとっての山下達郎の「RIDE ON TIME」は今日的音楽体験の範疇のうちにとどまる出会いであった。

こうした経緯の一方で、この作品との出会いは僕にとって特別なものであった。この理由について考え始めると、僕の個人史の範囲内で、この作品はある種のノスタルジーを引き起こしているのではないかと、浅はかに、しかし強固な確信が生まれた。

僕の個人史なんて、全人類にとってどうでもいいと断言できるのだけど、このどうでも良さが、ありきたりさが、普遍的な何かをもたらすことだってある。

「RIDE ON TIME」を初めて聞いた時、とてもワクワクした。まさに、どこかに連れて行ってくれるような、そしてどこか懐かしい。しかし、体験したこともない事柄に懐かしさなど覚えるのだろうか。この現象はいわゆる「デジャブ」なのだろうけど、既視感と同時に、新しさを強く感じた点では、説明しきれない。

既視感について言及すると、僕が長らく通っていた床屋では、山下達郎のルーツであろう音楽がずっとかかっていた。つまり、似た音楽を多く聴いていたのである。だから、懐かしさを感じるのは当然である。

しかし、新しさを感じたのはなぜか。それは、この作品がオリジナルな作品であったからである。一方で、音楽史的定点でありながら、個人史的定点ともなる作品が、オリジナルと呼ばれるのではないか。客観的にも主観的にも参照されつつ、受け継がれている、そんな作品が「RIDE ON TIME」なのである。

知らないふりをしてきたが、最近はシティ・ポップがブームである。その潮流のなかで僕にもこういった音楽がもたらされたのである。こうやって考えると、だんだん「RIDE ON TIME」に愛着が持てなくなってくる。

僕だけの音楽がみんなの音楽と知りつつ、愛する道はないのであろうか。恐らく、それは共有すること、である。個人的体験を共有するなかで、別の形で作品を愛することができる。

しかし、肝心なのは、作品への愛とは、一人の人間の恥ずかしい勘違い、「一目惚れ」から始まるのである。

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