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音楽泥棒と私

ヨルシカ「盗作」を聴いて

ヨルシカを聴くと、心が苦しい。

 まるで心臓を素手でぎゅっと掴まれたかのような、そんな感覚がする。
でも、最新アルバム『盗作』を聴いたときの感覚は、今までの”それ”と少し変わっていた。胸騒ぎがするのだ。懐かしさや切なさにふわっと包まれるようなあの感覚とはまるで違う。

 1曲目の『音楽泥棒の自白』ではベートーヴェンの「月光」が怪しく奏でられ、続く『昼鶯』ではイントロから印象的なギターとベースのスラップが脳裏を叩く。何より驚いたのはボーカルsuisの声の太さである。これまでの美しく柔らかいその歌は影を潜め、芯の強い響きが歌を支配する。だからこそ、彼女がふっと力を抜いたとき、言葉が強く刺さる。

”つまらないものだけが観たいのさ
他人の全部を馬鹿にして
忘れたいのに胸が痛い
ただ何も無いから僕は欲しい    『昼鶯』”
 

 このアルバムでヨルシカは、今までとは違う様々な“表情”を我々に見せてくれた。『春ひさぎ』ではピアノがジャズのメロディーをたどり、ベースが怪しくスウィングする。電子音や効果音が多く取り入れられ、シティポップの響きを持つ『青年期、空き巣』。『逃亡』では軽やかなアコギにずっしりとしたピアノが絡む。
 そしてミニアルバム『負け犬にアンコールはいらない』からの再録曲である『爆弾魔』も、再レコーディングを経て、また新たな顔を表に出してきた。2年前の『爆弾魔』は非常に軽やかで、切ない響きがあった。しかし、今回の『爆弾魔』には不思議と貫禄や落ち着きがある。例えるとするならば、今作の方が「常習の確信犯」のように感じられるのだ。ギターとドラムの小気味いいリズムが安定的な縦の軸を作り、唐突に入ってくるピアノが、一気に緊張感を掻き立てる。「さよならだ 吹き飛んじまえ」曲終わりにそう吐き捨てる爆弾魔は、いっそ清々しいほどにほくそ笑んでいるのだろう。きっと、そんな気がする。
 

 アルバム9曲目の『盗作』では、suis(vo.)の歌に乗せて、音楽泥棒の言葉が聞こえてくる。

“この歌が僕の物になれば、
 この穴は埋まるだろうか。
 だから、僕は盗んだ

嗚呼、まだ足りない。全部足りない。
何一つも満たされない。
 (中略)
 この心を満たすくらい美しいものを知りたい。 『盗作』”

 ただただ繰り返される「足りない」という歌詞。心の底を吐き出すような、そんな言葉。この歌の中の「僕」はずっと満たされない。今までのヨルシカが持っていた「喪失感」がぴたりとハマるようなそんな感覚があった。

 続く『思想犯』の冒頭にはこのような歌詞がある。

“他人に優しいあんたにこの心がわかるものか
 人を呪うのが心地良い、だから詩を書いていた   『思想犯』“

 まるで鈍く輝く凶器のように、どんな罵倒よりも、どんな暴言よりも鋭いフレーズ。私はそのフレーズに刺されてしまったのだろう。その日から、この歌詞が頭から離れない。
 今回のアルバムの初回限定盤に添えられた小説には「魔力」という言葉が度々登場した。美しいメロディは「魔力」を持つものであると。『思想犯』の冒頭のフレーズには完全に「魔力」があった。圧倒的に人を惹きつけて離さない、そんな力がある。
私は文章を書くのが好きだ。でも、ヨルシカについて書いていると、「言葉にできない感情」に駆られることが多々ある。知らず知らずのうちにこみ上げる涙、ぎゅっと締め付けられる心の内、これをどう表現すればいいのか、私には分からない。圧倒的な衝動を目の前にして、言葉は実に無力だ。でも、音楽泥棒の言葉を盗むとするならば、これがきっと音楽の持つ「魔力」なのだと思う。私はずっとヨルシカの「魔力」に捉われ続けている。2年前初めてヨルシカを聴いたあの日から、ずっと。

「綺麗なものは壊したくなる。」と、ヨルシカコンポーザーのn-bunaは特設サイトのインタビューで語っていた。この『盗作』というアルバムはヨルシカへの破壊衝動からできたものであると。
 爽やかで、儚くて、美しい。
 そんな今までのヨルシカのイメージを全て壊し、覆すものがこの『盗作』である。心地よい違和感と、漂う緊張感に背徳感。それがきっと私が抱いた胸騒ぎの感覚なのだろう。
 今まで私はたくさんの音楽を聴いてきた。生きる力を得ようと音楽にすがった中学時代、未来への手がかりを音楽に求めた高校時代、そして自らもプレイヤー側へと回った今まで、この10年弱私の側にはいつだって音楽があった。その中で、作風を大きく変えたアーティストも多くみてきた。その変化を「変わってしまった」「前の方が良かった」とマイナスに捉えたのも1度や2度ではない。自分が好きであったものを否定された気がして、どこか受け入れられない自分がいた。
しかし、今回のヨルシカの「破壊行動」は私に大きな驚きを与えた。これだけ作風を変えておきながら、「ヨルシカ」らしさも残し、アーティストとしての余裕や今後の可能性さえ伺えた。ヨルシカというバンドの表現と演奏の幅の広さに驚愕したのである。

 華麗なる「破壊行動」の末に作られたアルバム『盗作』。結局このアルバムが伝えようとしたことはなんだったのだろうか。アルバムを聴く中で私は、主人公である音楽泥棒の中にバンドのコンポーザーであるn-bunaが見え、自分の姿が見えた。

”ある時に、街を流れる歌が僕の曲だってことに気が付いた。
売れたなんて当たり前さ。
名作を盗んだものだからさぁ!         『盗作』”

私はこの歌詞はn-buna自身のことを歌っているのだと思う。彼はボカロPとして成功し、その後もヨルシカのコンポーザーとして多くの曲を書いてきた。彼の音楽は多くの人に知られ、若者から絶大な支持を集めている。
 小説の主人公は「オリジナリティなんて俺は信じていなかった」と嘯く。確かにそうなのかもしれない。私たちが生まれるずっとずっと前から音楽はあって、無数の曲が生み出されてきた。音楽のベースとなるのはリズムとメロディ。そこにアレンジが加わって曲ができる。全く新しい曲なんてこの世には存在しないのかもしれない。
 しかし、実際ヨルシカの音楽は「盗作」なのだろうか?私にはそうは思えない。
 今までの夏を感じさせるミニアルバム2作とも、スウェーデンを舞台にしたコンセプトアルバム2作とも、今作はまるで違っていた。しかし、コンセプトや作風ががらっと変わっても、不思議と「ヨルシカ」は「ヨルシカ」のままだ。その歌も音も、言葉も。高い演奏力に裏付けられた、幅広く、深い表現こそがヨルシカだけの「魅力」であり、「魔力」であると私は思う。心を揺さぶるその表現は他のどのアーティストにもできっこない。その「色」があるのが私はひどく、ひどく羨ましい。
 
 

私は、泥棒だ。
 
 

 こうして書いている文章にだって、たったの一つとして私が作った言葉はないのだから。ヨルシカの音楽を借りて、そこらに溢れる言葉を選びとって「表現」をしている。結局文章なんて誰にだって書けるのだ。皆がSNSを利用し、自分の言葉を表現するようになったこの時代、誰だって言葉で表現ができる。ペン一本、スマホ一つ、パソコン一台。必要なのはたったそれだけ。私がこの文章を書く必要は、どこにもない。私の選んだ言葉を並べる意味なんて、どこにもない。自分らしさ、個性、独自性。そんなものどこにあるのか私にはわからない。
 でも、私は書くと決めた。

 ヨルシカを聴くと、心が苦しい。

胸がぎゅっとなるメロディ。強くて、優しい歌声。自分の弱いところを抉ってくる鋭い言葉。逃げ出したいような、でも浸っていたいようなそんな感覚を彼らの音楽には抱く。何度聴いても、何度聴いても、苦しい。

”嗚呼、まだ足りない。もっと書きたい。
こんな詩じゃ満たされない。    『盗作』”

それでも私はヨルシカを聴く。この胸に抱く感情を言葉にすると決めて。

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