3911 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

あいみょんを愛する少女との、一瞬の交歓

雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」と私

持病の悪化に、夏バテが重なって、すっかり体力が落ちてしまった。近所の図書館くらいしか、出かけたい場所を思い付かない。つい先ごろ、そこで雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」の2020年9月号(表紙は米津玄師さん)に読みふけっていると、小学校1~2年生と思しき女の子が、ちょこちょこと走り寄ってきた。

彼女は「このオジサンは何を読んでいるのかなあ」というような視線をよこしたあと、私の手元をのぞきこんで「あいみょん!」と叫んだ(ちょうど、あいみょんの写真が載った頁を開いていたのだ)。そして「このオジサンも、あいみょんの曲を聴くんだな~」というような目で私を見て、しばらく何かしらの返答を期待するように立ち止まったあと、ちょこちょこと何処かへ走り去っていった。

***

「ロッキング・オン・ジャパン」を読んだあとにアーティストの新譜を聴くか、聴いたあとで読むか、あるいは読まずにおくかは、私にとって長年の問題である。「ロッキング・オン・ジャパン」のインタビュー記事は、アーティストの本音を知れるという意味で、じつに興味深いものだ。楽曲の生み出された背景や、アルバムのコンセプトなどを知った上で新譜を聴くと、ガイダンスつきの豪華な旅行をしているような気分になれる。

ただ「この作品は、何の予備知識も持たずに聴きたいな」と思う時もあるので、そういう時は失礼ながら、事前に「ロッキング・オン・ジャパン」を読みはしない(ほかの音楽誌も読まない)。聴き終えたあとで(自分なりの感想を整理したあとで)あたかも「答え合わせ」をするかのように読む、そういうことは多々あるのだ。9月号について言えば、米津玄師さんのアルバム収録曲を無心に聴きたかったので「こういったタイミングでの、図書館でのバックナンバー閲覧」という方法をとったわけである。

***

あいみょんのニューアルバムがリリースされると聞いてから、だいぶ時が過ぎたような気がする。実際には別段、早いタイミングでの告知ではなかったのかもしれない。それだけ私が「おいしいパスタがあると聞いて」の発表を待ち遠しく思っている、ということなのだろう。

「ロッキング・オン・ジャパン」を読むことだけを(意識的に)避けても、現代社会においては「情報」というものが、四方から押し寄せてくるものだ。アルバムのラストを飾る曲の題は「そんな風に生きている」だという。

聴く前から期待感をそそられるタイトルだ。いまや国民的なスーパースターとなったあいみょんは、どんな風に生きているのだと、ご自分のことを鳥瞰しているのだろうか(あるいは本作は「現代を生きる人々の姿」を描き出すものなのかもしれないけど)。そういうわけで私は、ひとつの謎を持ったまま新譜を待つために、今のところ「ロッキング・オン・ジャパン」10月号を読んでいない(申し訳ありません)。

そう、まさに私は「そんな風に生きている」のだ。得ようと思えば得られる情報を忌避し、静かに、静かに、心身の回復を望みつつ、新譜を待ち焦がれている。

***

それにしても彼女は(図書館で私をじっと見た女の子は)何を言ってほしかったのだろうか、私は何かを言うべきだったのだろうか。

「あいみょん、カッコいいよね」くらいのことは、言ってあげるべきだったのかもしれない。もっとシンプルに「きみも、あいみょんが好き?」と問いかけてみるべきだったのかもしれない。図書館というのは、なにかを話し合うには不適当な場所だし、いまは不要な接近を避けるべき情勢であるし、そこで私が「何かを口にすること」を選んでいたとしても、それは相当に短い会話でしかありえなかっただろう。

だから、私が黙って「ロッキング・オン・ジャパン」を読んでいたのは、そういう姿を幼子に見せたのは、もしかすると「正解」だったのかもしれない。その場で発せられた言葉が、彼女の「あいみょん!」、それだけだったというのは、実のところ望ましいことだったのかもしれない。私たちは過不足のない交歓を果たしたことになるのかもしれないのだ。

恐らく私は、あいみょんの新作を聴いたあとで、「ロッキング・オン・ジャパン」10月号を、やはり図書館で読むことになるかと思う。その時に、何かの縁で、あの女の子と再び会えるのだとしたら「聴いた?」くらいのことは口にしてみるかもしれない。恐らく彼女は「うん」くらいのことは言ってくれるだろう。

そんな風に、どこか遠い場所で、恐らくは30以上も年の離れたふたりが言葉を交わしたことを知ったとしたら、あいみょんは喜んでくれるだろうか。ああ、そんな風に生きている人たちがいるんだろうなと、しみじみ思ってくれるだろうか。

***

私が「ロッキング・オン・ジャパン」を読み始めたのは17歳である、表紙はMr.Childrenの桜井和寿さん、その満面の笑みである(書棚に残してある)。今にして思えば「遅すぎるスタート」だった。「ロッキング・オン・ジャパン」の記事は、難解な言葉ばかりで編まれているわけではないので(ときどき私には耳慣れないカタカナ語が用いられはするけど)、辞書を引きながらであれば、中学生でも読めるだろう。

若者の活字離れが嘆かれるようになって久しい。私自身は本や雑誌を読むことが好きだけど、明日を担う少年少女に、無理に「それ」を勧めるような大人ではありたくないと思っている。それでも十代の半ばという、音楽が胸に深く染みわたる時節に、それに関する文字情報を得ることができたなら、それは素敵な読書体験になるのではないだろうか。「国語」に辟易している若者も、「音楽」の一環として雑誌を読むのなら、それを通して語彙を獲得できるような気がする。

などと書くと、まるで「ロッキング・オン・ジャパン」の推薦文のようになってしまうけど、かくいう私は9月号・10月号とつづけて買ってはいないわけで、偉そうなことを言える立場ではない。ただ思うのは、子どもたちに読書感想文の提出などを課す時、いわゆる「純文学」を読むことばかりを勧めるのではなく、「好きなアーティストについての記事を読むこと」も認めてあげたなら、作文ぎらいの子が減るのではないかということである。

「ロッキング・オン・ジャパン」が「音楽の専門誌」であると同時に、「学問への入門書」としても広く認知される、そういう時代が来るといいな、もう来つつあるのかもしれないな、そんなことを思ったりする。

私が出会った少女は、国語が(読書が、そして感想文を書くことが)はたして好きだろうか、それとも嫌いなのだろうか。いずれにせよ彼女が「あいみょんを好きだ」という気持ちを原動力に、豊かな学びの十代を過ごせるといいなと、この記事を書きつつ思う。

何かを好きになれるということは、とても大きな財産だ。それが大事にされる時代がめぐりつづけること、そのなかで少年少女が健やかに育っていくことを、いい歳になってしまった人間として切に願う。

私は「そんな風に生きている」。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい