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「痛み」の時代を生きる私たち

BiSHが語る生きることについて

いとこに勧められてBiSHを聴きはじめた。不格好で、でも、はまっていった。現在進行形で深くはまり込んでいっている。遠ざけていたような音楽だったのに、気付いたら近くにいた。

私たちが生きるこの時代は「痛み」(この文中では「痛み」と痛みを意識的に使い分けている)で満ちあふれてる。しかし、痛みは人間にとって、当たり前の現象ではないか。では、BiSHの曲中に登場する「痛み」とは何であるのか。例えば、「スパーク」を取り上げたい。

「新しい 何かが俺の中で目覚めた 時代が回る 世はあける また非は昇る 涙の訳が 世界を変えるよ ファニーさ」(BiSH 「スパーク」より)

こんな歌詞で始まる。掛け言葉のようなで面白い。聞いただけでは「日は昇る」のだが、昇るのは「非」なのである。そして、後半では「世は更け」、「非は沈」んでゆく。

まるで、「世」と「非」は共にあるように感じられる。確かに、世間には「非」で溢れている。非難、非情、非常識。であるならば、「痛み」とは、これらの「非」なのだろうか。

これらは、人間が生み出している。隠しようもない事実。痛みならいつだってあったはずである。骨を折れば悶絶するし、親知らずを抜けば腫れてしまう。人間でなくとも、感じられるかもしれない。多くの場合、痛みは気づけばなくなっているが、「痛み」はしつこい。寝ても覚めても、頭の片隅に居ついて、たまに偉そうに上座に居たりする。どうしようもなく、どうしたって居なくならない。そこでBiSHはこのように投げかける。

「痛みを痛みでこらえよう」(BiSH 「スパーク」より)

「痛み」をやり過ごすには「痛み」で、というこの歌詞からこの現代の厳しさを痛烈に感じる。しかし、先ほど挙げた「非」のつく言葉から考えると何だかおかしい。なぜなら、例えば非難されたら非難し返すみたいだから。これだと、まるで自分まで悪いみたいだ。悪いのは私じゃない誰かで、私は「痛み」に耐える可哀想な一人の人間、そう言いたくなる。じぶんの「痛み」や痛みはいつだって、リアルに迫ってくる。誹謗中傷だって、切り傷であっても、そこにあるものとして感じる。

だけれども、悪い「誰か」とはどこにいるのだろう。そして、悪い誰かは常に悪くて、自分は常に良き人なのだろうか。この問いについて考えるとき、私は回答を留保したくなる。確かに、目の前で悪口を言われれば目の前の人が悪いのだろうけど、やり返したところで「非」はまたどこかで登っていく。やり返したっていいかもしれない。これで満足するならば、やってしまえばいい。

再び、BiSH曰く。

「痛みを痛みでこらえたい」(BiSH 「スパーク」より)

実際には、こらえることはできないみたいだ。「こらえたい」けど、こらえられない。そんな単純なことではない。こんなことをしていては世は悪で、「非」で身動きを取れなくなる。現実はもう、そうなっているといっていいかもしれない。捉え所のない悪は、手のつけようがない。だからこそ、次の歌詞を聞いたとき、心が震えた。

「このまま消えてしまえ 愛のない罪のない言葉たち」「このまま消えてしまえ 愛のない罪のない言葉さえ」(BiSH 「スパーク」より)

この歌詞を聞いたとき、共感と戸惑いが同時に湧き上がった。「そんなつもりじゃなかった」というような言い訳を聞くことがある。それは、いじめを苦に亡くなった人に対して投げかけられることさえある。大抵そういった場合、一応善意を伴って接していたらしい。だからこんな言葉たちには、消えて欲しいと思う。しかし一方で、愛も罪もない言葉なんて世間にはたくさんある。もしかしたら愛のある言葉の方が少ないかもしれないから、消える必要なんてないと、思った。しかし、だからこそ、無邪気な言葉が私たちをかすめ、傷を残していく。そんな現代の難しさを「さえ」が表していると思える。

「スーパーヒーローミュージック」にも「痛み」についての歌詞が出てくる。

「痛みを痛みが上書いた」(BiSH 「スーパーヒーローミュージック」より)

「痛み」が次から次へと降りかかってくるような状況が思い浮かぶ。もはや「痛み」を忘れてしまうほどに、傷を負った自分はどうすれば良いのか。

これらの「痛み」に関する歌詞を自傷的な行為と捉えることも不可能ではない。痛みAに対して痛みBをもってして対抗するというのは、想像として、また人間の経験的事実として、間違っていないと思う。しかし、そんなことを続けていたらいつか力尽きるかもしれない。生きるための行為が、自分を喰ってしまう。こんな悲しいことはどこかで起こっていることだ。

BiSHはライブなどで度々私たちに「生きて」と投げかける。生きていなければ、「痛み」を感じるのはおろか、喜びを感じることすらできなくなってしまう。

フランスの詩人、ポール・ヴァレリーが「海辺の墓地」で「生きようと試みなければならない」と言っていたが、確かに人生は試練の連続だ。「生きる」ことを通して、またBiSHの音楽を通して、心を通わせ、「痛み」に立ち向かっていくことができたら、良いと思う。恋人としてより仲間として寄り添ってくれるのがBiSHの音楽だと思う。
 

(補足:作詞者を記載します。
「スパーク」:JxSxK
「スーパーヒーローミュージック」:アユニ・D)

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