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ライブとは空間の共有と同時代性だ

『Wordplay Vol.88』YouTube生配信レポートーー鈴木青、南雲健太、川野奏太

「弾き語り」と聞いたとき、どんなライブを想像するだろうか。人によってそのイメージに幅はある。それは人の語り口が様々であるという当たり前のことが歌においても当てはまるだけのことだが、忘れていた。

呟くように小声で話す人、相手の話をゆっくりと聞いて相槌を打つ人、質問を投げかける人、笑うように話す人、諭すように話す人。色々な語り口の人がいる。
2020年8月29日に渋谷 La.mamaで無観客開催、YouTubeで生配信された『Wordplay Vol.88』は、3人のあざやかな語り口で、監督の違うオムニバス映画を見ているようなライブだった。

第1章、鈴木青(すずきじょう)。始まった時間は20時を過ぎていたが、ハーモニカの爽やかな音は日中の晴れた青空を思い出させる。「Brand new day」の心地よいリズムでコーラが飲みたくなり、MCの間に準備する。

告知の後、披露された新曲「sing a song」の歌詞「理解して分かち合うこと それだけなのに」「何が正しい 何が苦しい 言葉にしなくたっていいからさ さらけ出していいよ」を聴いて、何かが腑に落ちた。肩の荷が降りた気がした。

弱音を吐くことは、大人になればなるほど難しくなる。言いたいことも、言わない理由の方が多くて言えなくなる。失敗の記憶が無意識に重なるから、それは仕方がないことだ。あまり多くを語らない日常に慣れていると、自分自身が本当はどう思っているのか分からなくなっていく。

鈴木青の歌を聞いていて、「あ、そうだ、自分はこう思っていたんだ」と気がついたことが一つではなかった。

理由が分かることは、人を救う。病気の名前が年々増えていることからもそれは分かる。理解は解決に繋がる可能性だからだ。

普遍の奥に個の深さを感じる彼の歌の説得力に励まされた。個人的な感情までを切り取らなくても、個の感情から出てきた視点を切り取り、伝えることが聴き手に気づきを与えるのだ。

例年より長い梅雨の果てに広がった今年の青空のように、ただそこにあるだけで誰かを救う力のある歌だった。鈴木青の歌をしっかりと聴いたのは初めてで、たまたま出会い、つい立ち止まって最後まで見た路上ライブのような時間だった。YouTubeの配信にも路上ライブのようなところがあるかもしれない。

第2章、南雲健太(なぐもけんた・MINAMIS)。

椅子に座って始まった南雲の弾き語りは、鈴木とは打って変わって、本人が言う通り「友達の家に飲みに行ったら置いてあったギターを誰かがつま弾き出した」ような時間だった。

2曲披露して乾杯した後、鈴木が最後に披露した曲「平成」を南雲がカバー。
同じ曲でも空気感が異なって聞こえるのは不思議だ、南雲が歌うと中島みゆきの「ファイト!」を聞いているような気分になる。南雲がリハで「平成」をカバーしたのを聞いて鈴木が本番のアレンジをしたのは、対バンならではのエピソードだ。

「GLORY」から、「ドラム篠原がデザインしたTシャツのモチーフとなった曲」というエピソードを挟み「BAD SINGER」に繋がる。

南雲の語り口はMCと歌が繋がっている。歌詞も話していることも、メロディに乗っているかどうかが異なるだけで、特に大切なことを何度も伝えるために歌にしている。そして、「何度も僕は歌うよ」と歌うのだ。南雲自身の言葉で、責任転嫁をしない一人称の歌が、頼もしい友人と話している時のようだから、真っ直ぐ届く。ギター一本と南雲の言葉の弾き語りで作られた時間は、MINAMISの歌詞がどうしてこんなに心に届くのか、改めて認識させられる端緒となった。

最後は「NO NAME」で締めくくる。前向きな歌を歌っているのに「BAD」や「NO」という否定の言葉がついている曲名は逆説的でずっと気になっていたが、そもそも「まぶしい暗闇」であるライブハウスが逆説的な場所なのだ。南雲の語り口から一言も聞き逃してはいけないと噛み締めて聞いていると、何度も繰り返し聴いた曲にも関わらず、目から鱗が落ちた。

「今が霞んで見えないなら 少し先で待ち合わせしよう」。沢山の公演が中止、先も見えず延期も難しく、いつライブが開催できるか分からない日々に一筋光を加えてくれるような歌だった。

最終章、川野奏太(the knowlus)。

1曲目「生命のプログラム」から「東京」の流れは、ここ数ヶ月の自分のモードに重なり、この人はどうして知っているんだ、と思うほどだった。悲しいけれど、生きることは大変だ。でも、大変なことが辛いこととは限らない。大変だから美しいこともある。そして、遠くへ移動できず近所に留まることで、引っ越したばかりの東京の好きなところを探そうと過ごしていた時間に生まれた沢山の感情を思い出した。3曲目「brilliant noise」は歌詞の通り闇を切り裂くような演奏だった。川野のギターは弾き語りでも鋭く魅せる。

MCで、「新しいことを何かやる時には、信念を曲げる必要があることがある」と語る。
配信ライブは、コロナ禍になるまでは考えもしなかったという。それでも配信ライブをして、伝えようとしてくれる。それを本人は「信念を曲げた」と表現していた。ただ、「信念を捨てたわけではない」とも。ステージでその話をすることにどれだけ勇気がいったのだろうか。誰にでもできることではない。

目の前の観客に伝えるという信念以上に、聴いてくれる人に伝えるという、さらに強い信念を持ったように見えた。川野が配信ライブをやってくれることで、やらなかった時よりも確実に届いている人がいる。地方のお客さんも然りだ。

「かつてのユートピア」の後、話をしてくれたのは、告知のDMを全国のお客さんに送っていることだった。そして、個人的なDMでの人生相談も、返しているという。それが曲にも少なからず影響しているという。音楽を通して毎日が螺旋に運ばれていく素晴らしさのが詰まったエピソードの後に披露された「蜃気楼の街」はすっと沁みた。

弾き語りでしかやっていないという曲「空耳」で終わりと思いきや、鈴木と南雲がステージに再登場し、三人でthe knowlusの「空中都市の夕暮れ」を歌い上げた。今日のライブが走馬灯のように流れる、素敵なエンドロールだった。

普段、弾き語りのライブはあまり見ないが、今回のライブを見て完全に取り憑かれた。そういえば元々、人の話を聞くのが内容にかかわらず、すごく好きだ。弾き語りのライブはアーティストの話を聞いているような魅力がある。新しい発見だった、嬉しい。

今、ライブハウスという「場所」に行くことはできないかもしれない。
でも、今回のライブを配信で見て、「生の体験」をしていないとは思わなかった。間違いなく、「生の体験」だった。その理由が2つある。「同じ空間の共有」と「同時代性」だ。

「寛いで聞いてほしい」という南雲の言葉から、どこまでも聴いている人に届けたいという強い気持ちを感じた。バンドサウンドの、ライブハウスの熱量を配信で実現するのは難しいと、MINAMISで配信ライブを重ねて肌で分かっているのだろう。La.mamaがホームのアーティスト3人が家にいるような空気で進むライブは、観客の家と彼らの家を繋ぐことで新しい空間を生み、実際に同じ場所にいるよりも言葉がすんなりと伝わる、配信ならではの特別な体験となった。

そもそも「家で聴いているように寛いだ」空間をライブ会場であえて作ろうとしていたイベントが、これまで沢山あった。ザ・ライブハウスと言える雰囲気を持ったLa.mamaでも「家で聴いている」寛ぎを作り出せたことはこの状況下ならではの発見ではないか。

川野のライブは「部屋の電気を消して、ヘッドホンとかイヤホンで聞いてください、そうしたら一緒にいる感じになるので」という言葉から始まった。自宅でライブを観る環境をアーティストが監督してくれることで生まれる空間は、同じ場所という前提から生まれる空間を共有するのとはまた違った喜びを生むのだ。

さて、ライブハウスの存在が日常であり当たり前だった多くの人が、この時期に「自分にとってライブハウスとは何だったのか」「バンドとは何だったのか」考えたと思う。そんな状況で今日披露された鈴木青の新曲のタイトルが「sing a song」なのも腑に落ちる。福山雅治がアルバム『SING A SONG』をリリースしたのは、2年間の音楽活動の休止明けだった。

ライブハウスがある日常でなくなったことは、確かに悲しいことかもしれない。だけど多くの人が「ライブハウスを好きだった理由」について考え、それを歌にしたり、言葉にしたり、何らかの形で発信しているのは、美しいと思う。多くの人が同じ強烈な事実を共有している稀有な状況だからこそだ。状況と感情が結びつく体験は必ず強い記憶に残る。

その同時代性の中でのコミュニケーションは、文化体験として尊い。そして同時代性は生の体験の中にこそあり、今を生きている人たちだけが共有できる特権的な体験だ。そういった意味で、今回の配信ライブも立派な生の体験だった。今を生きていて、体験しないのはもったいない。

ライブを見たバンドしか「好き」だと言わないようにしていた。その理由の一つは、音源を聴いても当時の状況が十分に共有できる訳ではなく、どうしても想像で補えない部分があるのが悲しいからだ。そのくらい自分にとって同じ時代に体験することは大切で、生の体験に勝るものはないのではないか、と思っている。

幸運なことに、ライブハウスが配信という新しい試みにより魅力的な空間を作ってくれ、同時代性に関しては配信であるか会場で見るかは本質的には関係がない。そして私が好きなアーティストは配信でも活動してくれている。配信でしかライブを見ることができない状況が続いたとしても、今を最大限、感情的に生きようと思える、とてもよいライブだった。

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