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燃え尽きた線香花火、そして、それでも残るもの

aiko『Love Like Aloha Memories 砂浜に持って行かれた足』を視聴して

aiko『Love Like Aloha Memories 砂浜に持って行かれた足』を試聴したところだ。1時間強という、決して長くはない尺のなかで、これまでの歩みを振り返るような、それでいて「ひとつの新しいライブ」を生み出すかのような、そういう粋な試みをしてくれたaikoさんとご関係者に、とても感謝している。

あくまで「私にとっては」ということなのだけど、このたびの配信映像は「しみじみと懐かしい」というよりは、「目の前で何かが始まっている」と錯覚してしまう、そういう魅力的なものだった。

もちろん曲ごとに、あるいは1曲のなかでさえも、aikoさんの髪形や服装はチェンジしているし、そうした部分に意識を向ければ、これが「何回ものライブを繋ぎ合わせた『作品』である」ことは分かる。それでも、編集のなせる業だろうか、それともaikoさんが変わらぬ輝きを放ちつづけてきたゆえだろうか、継ぎ目を感じさせないライブに「参加」することも許された、そんな気がしている。

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まだ首都圏は暑いけど、もう暦の上では夏は過ぎ去った。そして、この貴重な映像を見終わってしまった今、「私のなかの夏」も終わったように感じられる。aikoさんに「持っていかれた」心が、秋の気配が溶け始める空を漂っているような、季節の移ろいを受け入れられずに彷徨っているような、そんな2020.8.30.の夜である。

でも、この映像を鑑賞しなかったら、そうやって感傷にひたること、夏を名残惜しく感じること、それさえも今年は果たせなかったのではないかと考える。不要不急の外出が推奨されない、イベントの開催が難しい、大勢で集まるのが望ましくない、そういう情勢下、私たちは「区切り」というものさえも奪われかけていたのではないか。

「区切り」は尊いものだと思う、それが切なさを感じさせるものであっても。花火が鳴り響いたあとの余韻、波打ち際で遊んだあと足の裏についた砂、大声を張り上げたあとのノドの痛み。その全てを詰め込んだような、いくぶんビターなギフトを届けてくれたaikoさんは、紛れもない「夏女」なのではないだろうか。aikoさんは今日、ライブを催したわけではないけど、私の目に浮かぶのは「心地よい疲れ」を味わっている、そのお姿である。「aiko」という季語があってもいいような気さえする。

ユーチューブやTwitter上には、ファンの感謝を表すコメントが、今も残されているようだ。そのひとつひとつが、最後の一瞬まで夏を感じ、出すべきエネルギーを出し尽くし、そしてポトリを落ちた、言うなれば線香花火である。私たちは「aikoさんの楽曲が好きである」という共通項で結ばれ、一箇所に集まり、架空の花火大会を催したことになるかもしれない。

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aikoさんは変わらない、いつの日も輝いている、そんな意見を聴くことが多い。たしかにaikoさんの胸には、つねに「初心」が宿っているのだろう、そう私も感じることはある。そして当然、それが素晴らしい達成だとは思う。

ただ、それを素直に喜べるほどに、自分は変わらずに生きてこられたのかと、ふと悲しくなることもあるのだ。容姿が老け込んでいくのは、致し方ないことだと思う(そう思うことにしている)。そして「変えなければならない部分」を、若き日の自分は持っていたようにも思う。それでも、aikoさんのように誇り高く「自分は、こうやって生きてきたんだ、一貫性をもって歩んできたんだ」と全身で表せるような「何か」を、はたして私はひとつでも、持っているだろうか。

そんなことを考えてしまうのは、やはり夏が終わったせいもあるかもしれない。

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aikoさんの作品には「花火」という題のものがあり、それを私は好きなのだけど、文字通りの「花火」というのは、いくぶん悲しい「人類の生み出してしまったもの」なのではないかと、考えることがある。

たしかに花火は奇麗だ、それでも、その「命」は、あまりに短い。打ち上げ花火も、手持ちの花火も、束の間、鮮やかに光り、そして消えてしまう。かといって、花火を写真に撮って壁にかけておいたりすることは、個人的に好まない。私たちは案外、儚さというものが好きで、その残酷な嗜好に応えてくれるのが、そのためだけに生きてくれるのが、花火という「もの」なのではないだろうか。

aikoさんが短い時間に、そのキャリアを詰め込んだ芸術作品『Love Like Aloha Memories 砂浜に持って行かれた足』も、ある種の「花火」だったのかもしれない。私たちは一回性の煌めきを求めて、ユーチューブに集ったのかもしれない。何度も観返せる映像が残されていってほしいとは思うけど、何度も聴き返せるCDを手元に置きたいとも思うけど、ライブ後の「ああ、終わってしまった…」という悲しみを、これまでに私たちは求めてきたし、これからも求めていくことになるのではないだろうか。

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aikoさんがご自身のことを、ライブを終えるたびに「まるで花火のようだ」とお感じになっているのかは分からない。それでも一度、一度のパフォーマンスのなかに、きっとaikoさんは潔いほどに熱を込めてきてくれたのではないだろうか。ある意味、何度となく「燃え尽きて」きたのが、aikoさんというシンガーソングライターなのではないだろうか。だからこそ「次なる一発」を、私たちは息を殺して、目を輝かせて、見上げることになるのだと思う。

2020年の夏は終わった、そしてaikoさんの、このたびの催しも終わった。その「束の間の静寂」のなかで、私たちは「観ることのできた奇跡的な一夜」を、各々の心に刻み付けたいものだ。

ありがとうございます、aikoさん。
そしてお元気で、一緒に視聴していた、各地で何とか生きている皆さん。

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