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宮本浩次の「個人主義」

「化ケモノ青年」からP.S.I love youへ

2020年6月12日、宮本浩次はたった一人で、カメラの向こうにいる大勢の聴衆と対峙していた。
「2020 612 宮本浩次バースデイコンサートat作業場『宮本、独歩。』ひきがたり」
この長いライブタイトルが、コロナ渦の中にある現代の世相を如実に表している。
入念な準備と、バンドメンバーとのリハーサルを重ね、開催間近だった初ソロツアーは中止となった。
宮本はファーストソロアルバム『宮本、独歩。』の収録曲を、”ひきがたり”で披露することにしたのだ。
昨年に引き続き自身の誕生日当日のライブを、今年はホールで行う予定だったが、「できなかった」ことを彼は、途中のMCで明かしている。
だがその日、無観客のライブは生配信され、全国のファンの元に届けられた。
宮本は演奏前の口上で、「うれしい」とつぶやき、笑みを浮かべると、1曲目『夜明けのうた』を歌い始めた。

4曲目、『悲しみの果て』は、エレファントカシマシのコンサートでは、ほぼ毎回演奏されている。
1996年、一社目のレコード会社との契約終了後、ようやく移籍先のレコード会社が決まり、再起を果たした第一弾のシングル曲だ。
間奏のギターを弾きながら宮本は、「エブリバディ!」「ようこそ!」と、見えない観客に向かって声を掛けた。
 
  部屋を飾ろう
  コーヒーを飲もう
  花を飾ってくれよ
  いつもの部屋に
  
「いつもの部屋に」で、今回のライブ会場に選んだ「作業場」を指し示す。
宮本にとって「作業場」は、緊急事態宣言が発令されている間、「写真日記」と称しているインスタグラムで近況を発信し続けた縁のある場所だ。
ライブの間中、宮本はギターをかき鳴らし、声を張り上げながらも機敏にスタジオ中を縫って動き回り、渾身の演奏を届けた。
楽器や機材、椅子、ソファー、テーブルが設置されたスタジオ。
更にそこへカメラが25台と複数のマイクが配置されると、一見雑然としてしまう。
だが一曲毎に宮本の歌唱は熱を帯びていき、その剥き出しの場所が彼の新しい魅力を引き出していった。

  ああ涙ぢゃあなく 笑いとともにあれ
  幸あれ エブリバディ 

『ハレルヤ』の歌い終わりに、もうワンフレーズを付け足して演奏終了。
「どういう状況か、わかんない、このライブ。おもしろかったぜ、エブリバディ!」
宮本は晴れ晴れとした表情で、第一部の演奏を終えた。
その日披露されたのは、16曲。
後日のテレビ放映では、第二部で歌われた3曲が加えられていた。
「最後、みんなに捧げよう。『Do you remember?』」
時に激しく、時に優しく、歌い終えた宮本の表情はとても穏やかだった。
新曲、『P.S.I love you』の初回限定盤のDVDにはその日の模様が収められている。
曲目には、『Fight!Fight!Fight』と『今宵の月のように』が並んでいるので、宮本はこの日21曲も歌ったことになる。
彼は一つ年を重ねた日に、若返ってさえ見えた。
『化ケモノ青年』は、今なお健在だったのだ。
 

2000年の暮れに行われた「コンサートツアーRock!Rock!Rock!」が、私にとってのエレカシ初ライブだった。
知っていた曲は『今宵の月のように』だけで、それが収録されたアルバム『明日に向かって走れ-月夜の歌-』を一枚聴いて出掛けて行ったように記憶している。
そのアルバムにはメロディアスな曲ばかりが収められていたので、「Rock!」と銘打たれているツアータイトルに違和感を覚えていたのが正直なところだった。

  お前正直な話 率直に言って日本の現状をどう思う?
  俺はこれは憂うべき状況とは全然考えないけれども
  かといって素晴らしいとは絶対思わねえな俺は
  
私はこのライブで初めて『ガストロンジャー』を聴き、会場全体が一瞬にしてロックの渦に巻き込まれて行く様を、後方座席から呆然と眺めることになる。
歌詞は聴き取れなかったが、力強く訴えかけてくる宮本のパワーに圧倒された。
私はロックの凄さを思い知らされた。

当時の私は、一歳になったばかりの娘に手が掛かり、自分の好きな音楽を聴く時間はあまりなかったが、少しずつエレファントカシマシの音楽を聴き始めた。
私が初めて買ったエレファントカシマシのCDはベスト盤の『sweet memory』だった。
「~エレカシ青春セレクション~」とサブタイトルが付されたそのアルバムに収録されていた『四月の風』に、私はいっぺんで魅了された。

  風が誘いにきたようだ
  少し乾いた町の風が
  俺達を誘いにきたようだ

  このまま全てが叶うようなそんな気がしてた

春の始まりに相応しい軽やかなメロディと、新しい出会いを待ち望む心境を綴った歌詞に誘われて、思わず空を見上げたくなる一曲だ。
私がこの曲に強く惹かれた理由は、もう一つあった。
曲毎に書かれたライナーノーツの短い文章から、エレファントカシマシというバンドと宮本浩次に対する愛情と信頼が伝わってきたからなのだ。

  ・「四月の風」
  バンドマンとして危機的状況にあったときに生まれたせいか、まるで自分
  を励ますように歌われる。こんな人肌感覚の「普通の歌」が宮本から出て
  きたのが当時の僕には不思議でならなかった。
  ・「孤独な旅人」
  これも同じ時期の曲。所属事務所が解散しレコード会社との契約も切れ
  た。この曲が入ったデモテープを宮本から預かり、いくつか事務所を回っ
  た。エレファントカシマシの新しい世界が詰まったテープをポケットに入
  れ、自信満々で都内を回ったときの気持ちを思い出す。
                   山崎洋一郎(rockin’on)
 
逆境の時でも、真っ直ぐに前向きな曲が歌える強さを、私はうらやましいと思った。
その時私は、この曲に出会えたことで、大切なことを見失わずに生きていけると確信した。
あれから二十年が経ち、私は自分の直感が間違いでなかったことを実感している。
 

2019年7月6日、三十回目を迎えた恒例のエレカシ野音は、『シグナル』から始まった。
スローなテンポのしっとりとした歌い出しから、終盤に向かって抑えきれない激情が徐々にあふれ出てくる。
この曲には、様々な心情が表現されているように感じる。

  なくなよ、男よなくな。子供ら帰りし公園
  さうだろ?今さらどこへにげるのさ?

  どの道俺は道半ばに命燃やし尽くす
  その日まで咲きつづける花となれ。

エレファントカシマシは、この曲が収録されたアルバム『町を見下ろす丘』を最後に、三社目のレコード会社との契約が終了している。
宮本が四十代を迎える年のことで、同じ状況でも、『四月の風』の時の様な軽やかさは感じられない。
縦書きに綴られた歌詞には句読点が打たれ、宮本自身の内省がそのまま読み取れる。
中年にさしかかっている自分を認めつつも、どこまでも突き進んでいく覚悟と執念が同時に歌われている様に思える。
その後、レコード会社を移籍したエレファントカシマシは、三年ぶりのシングル曲『俺たちの明日』を発表以来、目覚ましい活躍を見せてくれた。

三十回目の野音は、進行と共にバンドの歴史を振り返るような時間だった。
『四月の風』では、プロデューサーの土方隆之さんがゲストプレイヤーとして招かれた。
宮本は当時の苦境を笑顔で語った。

  ああ 何処へ行くのやら
  明日は何があるのやら
  ああ 教えてくれ
  風がささやく気がした

夕暮れ時、今にも雨が降り出しそうな空の下、明るく軽やかな演奏が響いていた。
この日の『俺たちの明日』はとても力強かった。
歌詞をすべて歌いきった後、宮本が語りかける。
「さあ そろそろやってやろうぜ エブリバディ
 やるしかねえよな よっしゃ 行くぞ エブリバディ がんばろうぜ」 
『四月の風』で再起を果たし、『シグナル』で不屈を誓い、その後の成功を勝ち取った宮本からのエールだった。
それは、五十歳の誕生日を迎えたばかりの私の胸に、強く響いた。
 

1989年、夏。
私は米国ワシントン州にいた。
短大の語学研修に参加するため、私は約四週間を現地のカレッジで過ごしていた。

アメリカは何もかもが大きかった。
果てしなく広がる青空、広大なキャンパスには鮮やかなグリーンの芝が植わり、足元ではスプリンクラーが水をまき散らしていた。
てっぺんが見えないくらいに高いパインツリーの幹を、野生のリスが這いずり上がり、根元には頭に直撃したら怪我をしそうなくらい大きな松ぼっくりが転がっていた。
”This is a pinecone.”(これは松ぼっくりです。)
ピアアシスタントに続いて、大きな声でリピートするグループの声がキャンパスに賑やかに響いていた。
私達にはピアアシスタントいう学生が付いてくれて、キャンパスの案内や課外活動に同行してくれていた。
広大で開放的なキャンパスには様々な国籍の学生や、地域の人達が行き交い、アルバイト学生のガードマンが巡回をしていた。
「彼女は私のママ。ママもここの学生なのよ」
ピアアシスタントのアンが、キャンパスをジョギングしている女性を呼び止めて私達に紹介してくれた。
日焼けした肌と日々のエクササイズで鍛え上げられた体軀のアンのママは、いわゆる若作りとは異なる若々しさがあった。
降り注ぐ太陽に目を細めながら、私達に笑顔でこたえると、長い脚でさっそうと駆け出して行った。
彼女は私にとっての新しい女性像となった。

母校はその当時女子短大だったので、履修科目に「女性学」があり、研修中には「女性の生き方について」のディスカッションをする機会があった。
現地の女性をゲストに招き、私達はそのスピーチを聴いた。
各人が、仕事やボランティア、趣味などで生き甲斐を見出していて、充実した表情をしていた。
“break through the stereotype”(既成概念に囚われることはないのですよ)
「年齢を重ねることは、getting better(よりよくなること!)」
彼女達のスピーチを、私は夢中でノートに書き留めた。
キャンパスを去る最後の日、私はスーツケースの中に巨大なパインコーンを二つ入れて持ち帰ってきた。
年齢に囚われることなく、大学生として学んでいたアンのママの姿と共に、これらのメッセージをずっと忘れずにいたかったからだ。
 

2018年、エレファントカシマシの三十周年ツアーを終えた宮本は、ソロアーティストとしての活動を始めた。
「宮本、散歩中。」。
当初は、全国ツアー終了後のリフレッシュ期間とも取れるネーミングだったソロ活動は、瞬く間の快進撃と共に、「宮本、独歩。」と変更されることになる。
ドラマや映画の主題歌、コラボレーション、楽曲提供など、全12曲が収められた『宮本、独歩。』は、わずか一年半余りのソロ活動の充実ぶりを物語っている。
一方、私は野音のライブ以降、ずっと自問自答の日々を送っていた。

  しばられるな!
  解き放て、理想像
  胸の奥の宝物
  ぶっ! ぶっ! ぶっとばせ!
  ゆけ! 解き放て! 我が心の新時代

宮本が自ら出演したCMソング『解き放て、我らが新時代』は、そんな私にもう一度夢に向かって努力する為のきっかけをくれた。

子どもの頃から本を読むのが好きだった私は、いつかしか小説家を志すようになっていた。
作品を仕上げて投稿をし、何度か予選を通過したことはあったものの、その先へ進んでいくための努力が足りていなかった。
それを自覚しながら、無為に時間だけが過ぎていく毎日。
出来ない理由を年齢や、環境のせいにして、自分に言い訳ばかりしていた。
現状を変えることができないのなら、さっさと諦めればいいのに、夢に対する執着だけがしつこくて、手に負えなかった。
私は、小説についてきちんと理解するため、初心に立返り文学の勉強をすることを決意した。
そして現在、私は大学の通信教育部の三年生に編入し、毎日レポート課題に追われる日々を送っている。

編入はできたものの、二年間で卒業に必要な単位数を修得し、卒論を仕上げるのは結構大変だ。
同じ大学の通学部に在籍している娘と一緒に卒業することが、目下の目標だ。
だが、卒業後も更に新しい目標を設定し、努力を続けていかねばならないのだから、自ら厳しい道へと足を踏み入れてしまったのかもしれない。
志願書と共に提出する小論文に苦心していた頃、『ハレルヤ』が配信された。

  やっぱ目指すしかねぇなbaby この先にある世界
  やっぱがんばらざるを得まいな らしく生きていくってだけでも
  大人になった俺たちゃあ夢なんて口にするも野暮だけど
  今だからこそ追いかけられる夢もあるのさ
 
宮本が歌う、大人への応援歌だった。
肯定されていると、思えた。
自分らしく生きていきたい。
そういう大人に憧れながらも、しんどいことは後回しにしていくうちに、年ばかり取ってしまった。
私は夢が実現できないことに悩んでいたのではなく、努力をしない自分に嫌気がさしていたのだ。
三十年前、パインコーンを拾ってから、ずっと手を付けてこなかった宿題。
やるべきことに向き合えたことで、ようやく私は焦燥感から自分を解放することができた。
二十年前、『四月の風』に出会った時、私は応援歌が見つかったと思った。
この曲があれば、いつかは自分で一歩を踏み出す事が出来るはずだと信じることができたのだ。
 

私の大学生生活は、コロナウィルスのパンデミックと共に始まった。
三月下旬、送られてきたシラバス(講義要項)や学習のしおりを見ながら、手探りで”ひとりガイダンス”を始める。
課題図書や参考文献をかなり揃えなくてはならない。
まずは本棚の整理を始めて、手持ちの本から取り掛かれそうな課題を探していく。
現代文学は大庭みな子の『三匹の蟹』、そして吉田修一の『悪人』。
近代文学は夏目漱石の『こころ』と森鷗外の『舞姫』。

世間ではステイホームムードが漂う中、私は部屋に籠もって読書に専念した。
その内、緊急事態宣言が出され、東京のアパートで一人暮らしをしている娘の事が気に掛かる。
大学三年生、この二年間は派遣留学のエントリーを目指して勉強に取り組んできた。
春休みは、留学に先駆けての米国でのインターンシップを予定していたが、渡航前日に中止となった。
新学期の開始日は決まっていたが、キャンパスへは通えそうにない。
サークルの新歓活動は中止。バイトもない。
一人で寂しくないだろうかと慮りながらも、簿記二級とIELTSの勉強をするようにと、つい発破を掛けてしまう。
しかし、これまで娘の成績表をチェックしていた自分が、評価を受ける立場になってしまったのだ。
レポートノートの評価欄には、「S」から「C⁻」までの採点と「再提出」なる欄が設けてある。
「全レポート『S』評価を目指して挑みます!」
お互い頑張ろう、という意味を込めて、体言壮語な宣言をLINEで送った。

いざ、レポートの作成に取り掛かる段になり、地元の図書館が長期の休館になっていたことに気が付いた。
本棚に買ったきり読んでいなかった『太宰治論』があったので、それを参考文献にしてひとまず『お伽草紙』について書くことにした。
「積ん読」もたまには役に立つものだなと思いつつ、どうして私は、『太宰治論』を持っていたのだろうかと考えたところ、思い当たるふしがあった。

  俺はモノを書くという行為をいつの日からか神聖視して生活してきた男 
  なのだ。
  見よ!!
  森鷗外、夏目漱石、永井荷風、芥川龍之介、太宰治。
  こうして日本の偉大な小説家の名前を挙げるだけで、俺にはどこか懐かし
  く、あくまで小説家として人生を全うしようとしたこの人たちの、恐らく
  は必死の闘争の日々を心に思って、ああ俺もなんとか偉くなりたいもの
  だ、と思わず虚空を見つめてしまうのである。
  
宮本の初エッセイ集『明日に向かって歩け!』の序文で、彼は小説家に対する憧れを熱く語っている。
この本は、約一年間にわたる週刊誌の連載をまとめたもので、執筆期間中に、宮本はアルバム『ライフ』のレコーディングの為にニューヨークを訪れていた。
 
  俺の両腕いまだ勝利無く
  されどこれという敗北も無く
  豊かな国の流浪の民よ
  
『ライフ』に収められた『暑中見舞-憂鬱な午後-』で、宮本は「勝利」と「敗北」を歌っている。
宮本は「勝利」の意味を考え続けていたのだろう。           
『ライフ』から約二年を経て、アルバム『扉』が完成した。
1曲目は、森鷗外をモチーフにした楽曲『歴史』だ。
宮本は文豪の生涯から、何かを見出そうとしているようだった。

  歴史 それは男の当然の生き様であるが
  晩年のわずか五年間 鷗外 栄達が
  のぞめなくなると 急に肩の荷が降りたのだろうか?
  小説家 森鷗外が俄然輝きを増す
  彼は負けたのだらうか?
  男の生涯 ただの男になって死に様を見つけた

江戸時代末期に生まれた夏目漱石と森鷗外。
共に留学経験のあるこの二人の小説家は、明治以降の新しい時代を生きる日本人が向き合わねばならない問題を、小説に表現した。
夏目漱石が『こころ』の執筆後におこなった講演のタイトルから、「個人主義」というキーワードを得て、私はリポートの作成に取りかかることにした。
すると、不思議なことに頭の中でエレファントカシマシの歌が鳴り出したのだ。
 
  アノ19世紀以来 今日に至るまで
  この国の男の魂は いつだって右往左往
  アノ19世紀以来 化ケモノ青年よ この国の男は 化ケモノ青年 
  
『扉』の2曲目、『化ケモノ青年』だ。
私は久し振りに『化ケモノ青年』のMVが収められているドキュメンタリーフィルム『扉の向こう』を観た。
始まりは、2003年のROCK IN JAPAN FES.で、そこには歌詞が付いていない『歴史』を演奏するエレファントカシマシの姿があった。
そのライブ音源は『歴史前夜』とタイトルが付けられ、2013年発売の『日本 夏』というCDに収録されている。
『扉の向こう』は、アルバム『扉』が完成するまでの宮本の苦悩の姿を追ったものだ。
自分の中に浮かんでいるイメージを、聴き手に伝えるための言葉に換えて、ノートに書き込む宮本。
だが歌詞としてまとめることが出来ず、延々と悩み続けている。
フィルムには、自宅や移動中に本を読む宮本の姿が収められていた。
 
  歴史の末裔たる僕ら
  残された時間の中で
  僕ら死に場所を見つけるんだ
  僕ら死に場所を見つけるんだ。
  それが僕らの、それが僕らの未来だ。

その夏、言葉にならない思いのまま披露された『歴史』は、その後、未来への歌となり完成したのだ。

『扉』からわずか半年後、アルバム『風』がリリースされた。
8曲目『勝利を目指すもの』には、『歴史』で見出した答えの続きが歌われている。

  その生き様が まだ見ぬ友へ
  未来の人の ”笑い”となるように
  行かなきゃなるまい 行かなきゃなるまい
  行かなきゃなるまい

内省的だった宮本の歌は、意識的に他者へと向けられた歌になっていった。
9曲目『今だ!テイク・ア・チャンス』で、宮本は私が未だに考えあぐねている「個人主義」を歌詞に入れている。

  平成時代の男なら everytime
ああ、個人主義で決めに行け!
  見せてくれよ 見せてくれ ド根性

「個人主義」という概念を、言葉で説明することはとても難しい。
宮本にとっての「個人主義」とは、一体なんだろうか?

  オレは今日をゆく オレは今日を生きる さらば昨日の夢
  オレよオレを笑え どうやったってオレは“らしく”生きるしかねえ
  時として涙 クライ

『オレを生きる』はアルバム『Wake Up』に収録されている。
三十周年ツアーの大成功から、再び平常心へと戻っていく心境が静かに伝わってくる。
その後、ソロ活動を始めた宮本は、旺盛に曲を発表し続けていった。
 

「みんなに捧げます。きっとこんなもんだろうけど、こんなもんじゃねえぞ。というそんな歌です」
去年の野音の第二部フィナーレでは、その日のゲストプレーヤー総出演による、ダイナミックな『ズレてる方がいい』で締め括られた。

  ああ 仮初の夢でもないよりはましさ
  どうせ流す涙ならお前と流したい

夢は、ないよりもあったほうがいい。
手に負えないほどの大きな夢を持つことで、私は目先の些末な悩みをやり過ごすことが出来た。
実現するため、世界にアンテナを張れば、大切なものにきっと出会える。
難しいことばかりに挑まなくてもいい。
本に書いてあった気になるフレーズ。心を揺さぶる音楽。忘れられない映画のワンシーン。
そういうものが溜まっていって、いつか一歩が踏み出せる時をきっと迎えられると信じていればいい。

8月になり、春学期のレポート課題を全て出し終えた娘は、デジタルアートにはまっていた。
きっかけは、私が送っておいた一冊の「じゆうちょう」。
勉強を始めるために、娘のお古の文房具を漁っていたらでてきた、使い差しのノートだ。
娘は紙と鉛筆があれば、好きなだけ絵をかいていられる子だった。
時々インスタグラムにアップされるイラストのキャラクター達の表情は、とても生き生きしている。
好きな音楽を聴きながら、時間を忘れて絵をかくことが、大学生としての日常を奪われた娘の支えとなっていた。
その時に一番必要な手段を選ぶことが、娘にとっての「個人主義」なのかもしれない。

1990年9月1日、いまから三十年前に発表されたアルバム『生活』には、二十代だった宮本の心情がストレートに表現されている。

  ああ俺には何か足りないと
  何が足りぬやらこの俺には
  弱き人のその肩に
  やさしき言葉もかけられず
  人を思ううちが花よと
  わずかに己れをなぐさめた

『偶成』には、バブル経済に沸く東京にいながら、時代に取り残されたかのような宮本の姿が描かれている。
「ひとりベンチに腰かけて」、宮本は人々の往来を静かに眺めている。

  雨の日傘をさすように 歩いてゆこう
  ゆこう ゆこう 大人の本気で さあ 立ち上がろう

  I love you I love you 悲しみの向こう
  立ち上がれ がんばろぜ バカらしくも愛しき ああこの世界

いまだ収束の見通しが立っていないコロナ渦、人生の応援歌になるようにという思いで作られた『P.S.I love you』を、宮本は優しくも力強く歌い上げている。
それは、世を厭おうと、逆境であろうと、混迷の最中でも、歌を届け続けてきた宮本にとっての「個人主義」の姿なのかもしれない。

久し振りに、「歴史前夜」を聴いた。
詞にならないのだが浮かんでくるイメージを、どうしても目の前の大観衆に伝えなくてはならない。
そんな宮本の思いは、エレファントカシマシのバンドメンバーの力強い演奏と共に届けられた。
10月4日、エレファントカシマシ「日比谷野外大音楽堂 2020」が開催される。

時代がどうであれ、宮本はそのままを受け入れて、私達に歌を届けてくれることだろう。

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