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コニー・プランクの70年代。

ブライアン・イーノとクラスターがいた。

その人が青春期に体験した音楽や読書は、その人に付きまとうものだと思っている。私も、ローリング・ストーンズを聴くことはやめられないし、太宰治や芥川龍之介は生涯、読み続けると思う。今の若い人たちでも、あいみょんや米津玄師を聴いている人たちは、やはりポップスターとして単純に消費せずに、聴き続けるのではあるまいか。
太古の昔、ドイツにクラスター(KLUSTER)というバンドがいた。メンバーは、コンラッド・シュニッツラー、ディーター・メビウス、ハンス・ヨアヒム・レデリウスの三人。ドイツの前衛バンドで、ライブ盤や音響派の実験的アルバムを残している。音楽自体は、何やら奇妙なノイズに満ちた、やや分かりにくいもの。
その後、シュニッツラーが抜け、ハンスとディーターは名プロデューサーのコニー・プランクと共に傑作を作り続ける。
最初期の『ツッカーツァイト』は、アンビエント風の、軽めのポップスだ。ドイツ人が作る音楽は大概がセンスがない。カンを聴けばわかるが、武骨なロックで、マニアウケしかしない。クラスターは違う。ポップで、聴きやすい。広く受け入れられるだろう。
ノイ!のミヒャエル・ローターやカンのホルガ―・シューカイ、そしてブライアン・イーノともコラボした70年代は、ハンスとディーターの全盛期だろう。この頃はクラフトワークの全盛期でもあった。デヴィッド・ボウイは彼らクラウトロックを自らのロックに取り入れ、ベルリン三部作を作った。
クラスターは、ただ聴きやすいだけではない。彼らの音楽は、ある種のポップアートだと思う。アルバムのジャケを見ても、同時代のクラウトロックのジャケのセンスが無いのに対し、90年代の英米のポップアルバムのジャケとして通用するほど、アートである。中身の音楽も、アートでありながら、しっかりとポップで聴きやすい。ストリーミングにクラスター(CLUSTER)のアルバムは、KLUSTER時代のものも含めて聴けるので、是非聴いて欲しい。
そのクラスターのディーターと、コニー・プランクにグルグルのマニ・ノイマイヤーがこしらえたのが、1983年の『ゼロ・セット』だ。1983年当時、まだクラスターは活動していて、コニー・プランクもまだ現役だった。そこにマニの狂ったドラムスが加わり、クラウト・ロックの究極の実験が行われた。狂ったドラムスに珍妙な電子音にエフェクトは、この世のいかなるレコードにも似ていない。この独特の感性には、クラウス・ディンガーもマニュエル・ゲッチングも敵わないだろう。全6曲、40分弱のこの演奏には、PiLのジョン・ライドンも敵わない。はっきり言って『フラワーズ・オブ・ロマンス』の水準ではない(これはライドン及びPiLへの侮辱ではないことをお断りしておく)。
なぜドイツのミュージシャンが、このような個性的なレコードを残せたのだろうか。単にドラッグの力ではなく、敗戦国であるドイツが、指標を失い、ひたすら実験に実験を重ね、戦後数十年経って、誰にも真似できないレコードを作ってしまった。日本でも、黒澤明は『七人の侍』『隠し砦の三悪人』等、名作を残した。敗戦国で被爆国でなければ『ゴジラ』はありえなかった。ドイツの若者たちは、指標を持たなかったがゆえ、誰にも指示を受けず、やりたいことをやった。
私は、青年期に、クラスターやカン、ノイ及び『ゼロ・セット』を聴けたことを感謝しているし、今も聴いている。もう、当事者の半数以上が鬼籍に入っている。私のスマホで『ゼロ・セット』がかかっている。もう今のドイツにクラウトロックを聴く人などいないだろうが、私の青春期の貴重な体験は、一生ものである。私の脳髄に、かすかに沁み込み、離れない。今の若人には、自身の青春期の体験を大切にして欲しい。あなたたちの音楽は、あなたたちの一生ものの財産なのだ。

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