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986MBでKing Gnuと戦った結果彼らは電磁石でIHだった

刹那の中の煌めき

986MBでKing Gnuと何分戦えるのか、この世の誰も知らないと思うので私が体を張って実験した。
 

47分である。
 

「実験」だと言うことができればよかった。しかしあれは実験などではない。紛れもなくただの「事故」であり「戦い」だった。
 

2020年8月30日。その日に向け私は細心の注意を払い生活していた。諸般の事情があり、我が家は「ポケットWi-Fi」を使用している。お察しの通りのお察しである。「3日間で累計10GB以上使うと速度制限」という、江戸時代のどんな悪代官も恐れおののき震えあがるようなトンデモ条件を提示されそれに怯えながら日々暮らしていた。年貢の取り立てに怯え慎ましやかな生活を強いられていた江戸時代の農民たちもきっと同じような気持ちだったのだろう。「3日前からはYouTubeとアマプラを見ない」という誓いを立てた。それで大丈夫だと思っていた。今までそれで大丈夫でなかったことがなかった。どんな配信ライブもそれで乗り越えてきた。私はこの予期せぬ社会情勢により急激に加速度を増している情報通信化社会の荒波を幾度となく乗り越えてきた勇者なのだ。

2020年8月30日、19時30分。私は意気揚々とMacBook Airの前に鎮座した。とあるキッカケで軍資金を得たことで購入できた3万ウン千円のヘッドフォンを装着する。もちろんメーカーはSONYだ。この世のどこでも感じたことのない絶妙に柔らかな感触に耳が包まれ、それだけでもう違う世界へ飛んでいってしまったかのような感覚に陥る。そんなことを言おうものならどこからともなく「音質こだわりおじさん」が現れて『3万円台のヘッドフォンくらいデ~~』だの『ワイヤレスだとソモソモ~~』だの『音圧ガ~~』だの『本当の音質ハ~~』だのと大変有難いお言葉を頂戴できると思うのだが、私にとってはこのヘッドフォンで音楽を聴くことで牛丼屋に行って食券を店員に渡しカウンターに座ったら突然五つ星ホテルのフレンチのフルコースが振舞われた、くらいの圧倒的な満足感とサプライズ感を味わっているので少しの間引っ込んでおいてほしい。何はともあれメールを開き、祭りの会場へとアクセス。それだけでとてつもない高揚感が全身を襲う。これから何かとんでもないことが始まるという予感は緊張感や期待感へと変わり全身を所狭しと駆け巡る。それを体現するかのように意気揚々と回転し続ける丸印。
 

おかしい。
 

目が回ってしまうほど長い間回転し続けた丸印の後に画面に映ったのは、ピクセルが肉眼で分かるくらいの解像度で構成されたガッビガビの「井口であろう」謎の物体。そしてその下に表示されているこれまたガッビガビのテロップから読み取れるのは『ただいまMVが流れています。音声が正確か事前にご確認ください。※不具合を感じた場合はブラウザの再読み込みや、インターネット環境を再度ご確認ください』という文字。
 

先生、今ここに多大なる不具合があります。
 

『ただいまMVが流れています。』という文字すら疑った。フッ、何を言っているんだ。嘘だろう、嘘だと言ってくれ。「ただいまMVが流れていますと言いつつも実はMVなんて流していませ~ん!ちょっとみんなを驚かせたかっただけで~っす!ビックリした?ごめんなさ~~い!!実はこのMVというのは『まじで ヴィックリ』の略で~っす!!ビックリしたでしょ??ごめんね~~!!てへぺろ~~!!」と学年に一人はいる元気で明るく目がクリクリでショートカット、ちょっといたずら好きで平均身長より背が低くスカートは短めで天真爛漫を絵に描いたようなあの子のように言って欲しかった。あの子に騙されたかった。しかし目の前の画面はガッビガビの井口、通称ガビ井口を映したまま一寸たりとも動かない。『音声が正確か事前にご確認ください。』と言われても両耳を包んでいるそれからは何も聞こえてこない。電源ボタンを何度も押した。ビーッ『Power off.』ピーッ『Power on.』ピポッ『Bluetooth connected.』と無慈悲に繰り返されるお姉さんの美しく清らかな声と無機質な機械音の応酬。それは哀れで浅はかな私を天上から憐れむ女神の声のように思えた。音声が正確かどうかと問われてもそれ以前の問題なのである。回転寿司で皿だけ流しておいて客に「で、お寿司は美味しかったでしょうか?」と聴くようなものだ。すっとぼけるのもいい加減にしてほしい。もはや皿すら流れてきていない状況なのだ。皿を流すレーンすら動いていない状況なのだ。
 

焦った。
 

ものすごく焦った。今後広辞苑を改訂する際には「焦る」の例文として『King Gnuのストリーミングライブの配信30分前に一切画面が動かず音声も流れてこず――。』という一文をぜひ使っていただきたい。数分間ガビ井口を見つめているとついに画面が暗転し「ERROR」という5文字と無情なバツ印が映し出された。その瞬間、『待っていてもこの先には何もございませんよ』という絶望を突き付けられたような気がした。

これから数時間どっしりと鎮座し続けるはずだったそれから立ち上がり、ポケットWi-Fiが置いてある場所へと向かう。バッとそれを手に取り、画面をつける。
 

使用量15.8GB/3日間
 

数字を見てこれほど絶望したのは緊急事態宣言が解除された頃に久々に乗った体重計の数字を見た時以来だろう。割と最近じゃねぇかというツッコミは無粋なのでしないでおく。なぜだ。なぜこんなことになってしまった。わからない。何も分からない。私が知らなかっただけで、通信量というのはひび割れたガラスのコップにお茶を注いだ時のように知らぬ間にゆっくりと漏れていくものなのだろうか。でも今すべきは原因を探ることではなく、この状況を打破して祭りの会場へと到達することだ。残り20分弱。迷っている暇はない。突如脳内に24 -TWENTY FOUR-のカウントダウン音が流れ始めた。使い物にならないMac Book Airを即座に眠らせiPad Proに全てを託すことにした。AirとProだったらきっとProの方が強いに決まっている。自らプロと名乗っているくらいなのだからそこにはきっと明確な理由があるはずだ。細かい事は知らないが両者は野球で言ったら草野球とプロ野球くらい違うのではないだろうか。フッ、なぜそんな簡単なことに気づけなかったのだろう。意気揚々とiPad Proでログインし祭りの会場へと猛ダッシュする。
 

ERROR
 

嫌いだ。この英単語がこの世で一番嫌いだと思った。一縷の望みも、微かな光も、たった5文字で全て遮断してしまうこの言葉がこの世で一番嫌いだ。脳内でカウントダウン音が鳴り響く中、脳みそをフル回転させた。WI-Fiが機能しないのなら今この家で使える通信手段はなんだ。何がある。
 

今月残り986MB
 

スマホの画面の中に見えたその数字の名を今後は「希望」と呼ぼうと思った。荒れ狂っていた自分の心がスッと凪いだのを感じた。月末も月末だというのにこれだけのパケットをキープできていた自分を誇りに思った。しかし986MBで一体どれだけ動画が見られるのだろうか。「約1GB 動画 何分」と検索窓に打ち込む。検索結果の一番上にあったのは『一般的な動画なら約120分見られるのが目安です。』という一文。今まで生きてきて、何かを検索しこんなにも心の底から安堵したことがあっただろうか。テザリングしてiPadで見た方がいいか?という邪念も浮かんだがもうこの際見られればなんでもいいと思った。画面の大小などきっとどうだっていい。彼らの音楽に触れる時、画面の大小など何の意味も持たないことなどもうとっくに知っているだろう?そう自分の心に問いかけた。

悲しいくらい小さい画面の中で祭りの会場へと向かう。白と黄色と黒で構成されたイラストが動いた。両耳を包む柔らかいものから音が流れこんできた。『King Gnuが動いた!!King Gnuが聴こえた!!』と心の中でハイジの5億倍の声量で叫んだ。よかった、MVは「まじで ヴィックリ」の略ではなく「Music Video」の略だったのだ。ここでMVを視聴するのは通信量の消費に繋がってしまうだろう。画面を止め左上の時計をちらりと見る。5分前。目を閉じた。19時59分、三角のボタンを押す。
 

その瞬間、私と986MBとKing Gnuとの戦いの火蓋が切って落とされた。
 

画面が暗転した。祭りの会場へと向かうその堂々たる足音を聴きながら画面のありとあらゆる場所を連打し「画質」ボタンを血眼で探した。画質さえ下げられれば少しでも長い間視聴できるはずなのだ。ない。ない。そんなものはどこにもない。YouTubeにはあるのにここにはない。泣いた。泣けた。足掻く私を嘲笑うかのように暗闇から浮かび上がる王の印。それを見た瞬間、全てを受け入れるしかないと悟った。

一音目が聴こえた瞬間、反射的に両耳を塞ぐ柔らかいものに手を掛けた。半ば自暴自棄だった。足りない。まだ足りない。あの日床に倒れながら聴こえたのは、こんなもんだったか?そう自分に問いかける。あと一つボリュームをあげれば鼓膜が吹き飛ぶであろうという所まで音量をあげた。ヘッドフォンの中のお姉さんも『あなたこんなに音量をあげたら危険よ!!』とさぞ心配してくれていた事だろう。でももうそんなことはどうだってよかった。今までありがとうお姉さん。今、この音さえ聴ければもう私はどうだっていい。
 

音楽がカレーだとしたら。
 

私はこのヘッドフォンを手に入れたことで、「今までずっと、カレーをペースト状にしたものを食べていたのだ」と知った。スマホから、テレビから、イヤホンから聴こえるそれは全て「具もろともミキサーでペースト状にしたカレー」だと知ってしまった。形も味も全て混ざり合った一つの物体。音楽というのは歌声や様々な楽器から鳴る音が重なり合って構成されるものだと思っていた。でもそれは多分思い違いだった。このヘッドフォンは肉の、にんじんの、じゃがいもの、玉ねぎの、その形と味と食感の違いを確かに教えてくれた。音はそれぞれ異なり独立したものなのだと本当の意味で初めて知ったのだ。
 

両耳に流れ込んでくるそれによって手に取るようにわかった。
 

皮肉にも、家でヘッドフォンを使い聴くというこの状況だからこそ気づいたことなのかもしれない。あまりの音の姿の違いに愕然とした。これはCDの整った音ではない。音に、今この時しかない生きた「輪郭」を感じた。たとえこれが事前に収録したものだとしても、生の音にしかないあの「輪郭」を確かに感じた。

常田大希の持つピックがギターの弦に触れる瞬間、新井和輝の指がベースの弦に触れる瞬間、勢喜遊の持つスティックがシンバルに触れる瞬間、井口理の声が身体中を駆け巡り吐き出される瞬間。その「瞬間」は輪郭を持った「音」となり彼ら一人一人から解き放たれていく。ギターの弦を弾けば、ドラムのシンバルを叩けば、誰もが同じ「音」を出せるのかもしれない。でもその「音」に「輪郭」を持たせることができるのは圧倒的な情熱を内に秘めた一握りの者だけなのではないかと思った。

彼らの言動は時に批判的な意見を生むのかもしれない。ダルそう、失礼、偉そう、やる気がない。では逆に問いたいが、それを彼らの「音」から一瞬でも感じたことがあるだろうか。彼らの音は明確な情熱による輪郭を持つ。仮に、彼らが音を鳴らしていない時にその情熱を引きずった言動をしていたとしたら。想像してみてほしい。彼らがライブのMCで「有難いお話」をしたり「自身の心情を吐露」したり「楽曲の背景」を説明したり「自分が伝えたいこと」を喋ったりしていたら。きっと人々はここまで彼らに熱狂することがなかったのではないだろうか。正直あの日目の前で絵に描いたような将棋倒しが起こっているのにも関わらず何も見えていないかのように平然と音を鳴らし続ける彼らのことを一瞬「こいつらは鬼か」と当事者として思ったのは紛れもない事実だったが、終演後すぐ何よりも先に彼らはインスタのストーリーにて将棋倒しにあった人のことをそれはそれは大層に心配してくれた。そういう良い意味での落差だとかメリハリだとかギャップだとか丸ごと含めてKing Gnuの壮絶な魅力なのである。彼らは圧倒的にただの人間だ。どこまでも人間臭い人間だ。その人間臭さは音に命を吹き込む、伝えたいことは全て輪郭となり音に乗る、だからその音は人々と圧倒的に共鳴する。
 

彼らの音楽は、刹那だ。
 

まことしやかに囁かれる「アルバムを5枚出したら解散する」という都市伝説のようなもの。それが事実かどうかは本人たちのみぞ知ることだとは思うが、どう考えても彼らが「これから何十年もこのバンドを続けていきたい」というスタンスでいるとは到底思えない。そして今この時だって確実に終わる。しかも、今日の自分の場合は確実に人よりも早く終わる。最後まで見られずに終わる。1GBで120分見られますよと言っていたがきっとそれは嘘だ。この高画質、見れば分かる。もって1時間、いやもっと短いかもしれない。見逃し配信もあるし、明日になったら通信量が回復してすんなり見られるのかもしれない。でも違う、今は今しかない。今この瞬間は今しかないのだと感じることこそがライブであり生きるということなのだ。30歳を前にして何かに堂々とわがままを言えることも少なくなってきたが、今だけは堂々と言いたい。
 

King Gnuの音を一分一秒でも長く、今、聴かせてくれ。
 

画質が下げられないならもう音だけでも聴かせてくれと思った。映像を止めて音だけ流すボタンがないか探した。そんなものあるわけがない。きっと私以外にそんなことを思っている人はいないだろう。全てを受け入れた。今しか、刹那の中にしかない煌めきがある。どうせいつか止まるのなら、今その一瞬の煌めきを存分に食べ尽くしてやる。
 

刹那の中でふと、彼らを巨大な電磁石のようだと思った。
 

小学生の時に社会科見学で見たごみ収集場の様子を思い出す。それは電流を流さなければただの巨大な物体でしかないのに、電流が走った瞬間嘘のように凄まじい力を生み出しそこにある鉄くずの全てを強力に引き付ける。そして電流を止めた瞬間全てを忘れたかのようにその力を消し、鉄くずたちはものの見事に落ちていく。その凄まじいギャップに、子どもながらに引き付けられた。

その音が鳴り止んだ時、私たちは電流の止まった電磁石から一斉に解き放たれる鉄くずのようになる。それまでの強烈な磁力がまるで嘘だったかのような、夜中の寂れたラーメン屋で麺をすすりながら交わされるような、本当に他愛もない会話。何かを伝えようだとか、人の心に残ることを言おうだとか、かっこつけたことを言おうだとか、そんな打算や思惑が一切ないただの会話。それまで強烈な力を有していた電磁石が一瞬で何の力も持たないただの物体に戻るかのように、彼らもただの人間に戻る。そんな時それまでの圧倒的な共鳴は共感や親近感へと緩やかに変化する。

そして彼らの音が再び鳴り始めた時、一瞬にして全身の血が沸騰させられてしまうのはなぜだろう。彼らの音楽は、重なり合うだとか混ざり合うだとか、そんな生ぬるい現象ではない。それぞれから放たれる音の輪郭がぶつかり合うことでしか生まれない刹那的な火花のようなもの、それはうねりまとまってひとつの電流となる。それはステージという電磁調理器に惜しみなく注ぎ込まれ、すぐに確実な熱さと強烈な磁力を生み、聴く者の全身の血を瞬時に沸騰させる。配信ライブだからこそできたのだろうか、4人が向かい合い交差し合うど真ん中に燦然と王の印が鎮座しているステージセッティングはより一層その熱と磁力を増幅させているように思えた。時に激しく、時に緩やかに。その調べは異なれど、そこには確実な熱さと磁力が横たわっている。ひとたびそれに引き付けられ血を沸騰させられてしまった時、もはや人々はそこから自力で離れる術を持たない。
 

そうか、彼らはIHでもあったか。
 

『年をとったロリ顔』という一気に全身の気が抜けるようなワードが放たれ私はそれまで彼らに引き付けられ熱されていたことすら忘れてしまった。しかしその直後に儚い鍵盤の音が微かに聴こえ『そこで一曲聴いてください。”Hitman”』という常田大希の変にかしこまった前口上に4人でケラケラと笑った直後放たれたそれのあまりにも驚異的な熱と磁力に、そのギャップに圧倒された私はもう彼らを見るのをやめた。

カメラマンの方や照明の方や映像編集の方の仕事をないがしろにするわけではない。ただ、もう目など、視覚的情報など必要ないとすら思った。目を閉じて天を仰いだ。耳から流れ込むそれだけでもう十分だった。もう少しで終わってしまうこともわかっていた。最後は目ではなく耳が良かった。音の輪郭が静かに、でも確実にぶつかり合う。そんな摩擦熱のようなものから生まれる緩やかな電流は、また違った形でゆっくりと静かに私の血を沸かせていく。
 

そしてそれは止まった。
 

ここで終わったか・・・と目を開き時計を確認する。20時47分。患者の臨終を告げる医者の気持ちが少しだけわかったような気がした。死の間際まで残る感覚は聴覚であるということもなんとなく理解できたような気がした。986MBを携えた戦いは終わった。固まったまま動かない鍵盤の上の両手。アプリでパケットを買うこともできたのかもしれない。100MBで160円。でも、もうここで終わればいい気がした。どうせいつか必ず終わる。そしてそれは他の人よりも早く訪れた。だとしたら、ここまでに感じた刹那のようなものは私だけのもので、その他の誰も感じていないものなのではないかと思えた。災い転じて福となすだの、雨降って地固まるだの、怪我の功名だの、人生万事塞翁が馬だの、己を慰める様々な故事成語が頭の中に浮かんでは消えていった。それならばそれでいいのかもしれない。2秒動いては18秒止まる、そんな動きをし続けるガッビガビの画面をぼんやり眺めながらそう思った。
 

968MBしかない刹那の中だったからこそ、King GnuがKing Gnuたる所以を垣間見ることができた気がする。
 

ライブコメンタリーが配信されているであろうその間、ここ3日間の自分の挙動を思い返していた。そういえば金曜日は在宅勤務をしていて自宅から長時間のオンライン会議に参加した。土曜はTwitter上で仲の良いフォロワーさんたちの間で突然ツイキャスが流行りはじめツイキャスを何時間も視聴したし調子に乗って自分も配信した。ライブ当日の日曜は朝布団の中でインスタを見ていたら広告に出てきた漫画が気になってアプリをダウンロードし初回特典でポイントがたくさんもらえたので一気に45話くらいを読み切った。広告を視聴するとまた無料で読ませてくれるというので広告も大量に視聴した。午後は友人たちとあつまれなんとかの森でオンラインプレイをして遊んだ。
 

お察しの通りである。
 

全人類が簡単に到達できるであろう答えに頭を抱えた。YouTubeとアマプラという二大巨頭さえ封じればどうにかなると思っていた己の浅はかさを嘆いた。オンライン会議もツイキャスも電子書籍も動画広告もゲームのオンラインプレイも全て立派な「通信」である。King GnuがKing Gnuなら私はどう考えてもKing Bakaである。嘆いても嘆ききれない。快適な通信速度を生み出せる固定回線が契約できればそれに越したことはない。しかし、様々な事情によってどうにもできない場合もあるのだ。と同時に、最近ニュースで見た「オンライン授業が主流となっている欧米では、貧富の差によって自宅のネット環境に格差が生まれ貧困層の子ども達が満足に学校の授業を受けられない現状が生まれている」というトピックを思い出した。
 

子ども達が平等に教育を受けられる日が、3日間で15.8GB使ったとしても何の問題もなく目の前でライブを見られる日が、早く訪れることを祈るばかりである。

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