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米津玄師『まちがいさがし』が映し出す新たな輝き

そこにあるのは、菅田将暉へのオマージュと、日本と海外のポップ・ミュージックの境界線上にある可能性

 これを書いている今は2020年9月5日土曜日。昨日、ついにドラマ『MIU404』が最終回を迎えた。1話ごとに、生きることのもの悲しさや人間の割り切れなさと、それでも小さな希望を見出しながら生きる人間の愛おしさや可笑しさを映し出すこのドラマにおいて、菅田将暉さん演じる久住のつかみどころのなさや不可解さは、異彩を放っていた。菅田さんの役者としての凄まじい演技力を見せつけられた。久住の「俺はお前たちの物語にはならない。」という最後のセリフに、どうしようもなく分からない余白と、一言では言い表せない奥深さのようなものを感じた。ものすごく極悪非道で紛れもなく悪役なのだけれど、それだけで片付けてしまうことのできない久住という理解不可能な存在が残した傷が、このドラマに奥行きを与えているのだと感じる。

 役者としての菅田さんの演技がそうであるように、菅田将暉さんという存在自身も、ものすごく多面的だ。菅田さんの持つその多面性が、様々な分野の表現者たちを惹きつけて止まないのではないだろうか。米津玄師さんも、菅田さんの魅力に惹きつけられた表現者のひとりだ。『灰色と青』にせよ『まちがいさがし』にせよ、菅田将暉さんでないと成り立たない音楽であり、菅田将暉さんという存在がいるからこそ創り出すことのできた曲であることは、米津さんも常々語っている。  

 2020年8月4日にオンエアされた『菅田将暉のオールナイトニッポン』に出演した際、米津さんは次のように語っていた。  

「やっぱまず最初に菅田君に提供した『まちがいさがし』その本家本元があって、やっぱもう俺の中ではこれは菅田君の曲なのよ。だから、少なくとも、さっきもちょっと言ったかも知んないけど、本家の邪魔はしたくない。で、俺がやるんだったら
(ここで菅田さんが「まあ僕も邪魔はしてほしくない」と発言し、みなさん笑う)
俺なりの『まちがいさがし』が、菅田君のはつらつとした声とか、まあ絶対出そうと思っても出ないから、だから、そういう意味で、ちょっと違った、オルタナティブな感じになってるかなあ、とは思いますね。」

 菅田将暉さんの歌声による『まちがいさがし』があまりにもすばらしくて胸を打つので、私には、『まちがいさがし』は菅田さん以外の人では想像ができなかった。だから、米津さんがセルフカバーすると知った時は、意外だったし、ちょっと違和感すら感じた。でも、米津さんが菅田さんのために作ったこの大切な曲を、あえて自分自身でアレンジして歌うとはどういうことなのか、じっくり聴いて考えてみたいと思った。

 まず、米津さんの『まちがいさがし』のイントロを聴いて真っ先に思い浮かんだのが、Bibio的なニュアンスだ。 Bibioはイギリスのミュージシャンで、彼の”À tout à l’heure”という曲が、米津さんの2019年のライブ「脊椎がオパールになる頃」の終わりで流れていたのが印象的だった。自分が行った横浜アリーナと幕張メッセの両会場でも、ライブのエンディングで、オーディエンスに向かって米津さんとバンドメンバーのみなさんがお辞儀をして去っていくタイミングで流れていたのを覚えている。曲の感じがライブの感動や高揚感とあまりにピッタリだったのと、フランス語で「またね」という意味のタイトルがとてもすてきだったので、自分にとって忘れられない曲となった。この曲だけでなく、Bibioの他の曲もいい曲過ぎたので、私は迷わずダウンロードした。米津さんの『まちがいさがし』イントロでの小鳥のさえずりと優しいギターの音色に、私はBibioの”Curls”という曲のニュアンスを感じた。この曲には、米津さんのBibioに対するオマージュが込められているのではないか、という気がする。

 米津さんの『まちがいさがし』では、プリズマイザーにより歌声にエフェクトがかけられていて、『灰色と青』や『海の幽霊』を想起させる。プリズマイザーとは何かについて、調べてみたことを要約すると、次のようになる。

 プリズマイザーは、ボーカルエフェクトの一種で、「デジタル・クワイア」とも呼ばれる、幾重にも重なる多層的な歌声を生み出す技術だ。アメリカのポップ・ミュージックにおいては、この革新的な技術が多用されている。米津さんがフェイバリットとして挙げていた、Francis and the LightsやFrank Ocean、Chance The Rapperといったミュージシャンたちもプリズマイザーを多用しており、米津さんが『BOOTLEG』以降に生み出した楽曲では、その影響が色濃く感じられる。

 米津さんバージョンの『まちがいさがし』では、自身の過去の曲たちや海外のポップ・ミュージックからの引用が、かけらのように散りばめられていて、それが美しい輝きとなっている。米津さんの音楽を聴いていると、米津さんは、日本や海外のポップ・ミュージックの文脈においてすでにあるニュアンスを、ただそのまま取り入れているのではないのだと感じる。それらと自分自身との関係性や距離感を客観的に見つめながら、ちゃんと咀嚼したうえで引用し、新しい文脈に置き換え、今までになかった新たな表現に至っている。

 米津さんは、アルバム『BOOTLEG』についての過去のインタビューで、「過剰なオリジナル信仰」についての自身の思いを語っている。以下は、ROCKIN’ON JAPAN 2017年11月号からの抜粋だ。

「オリジナリティとか、独創性っていう言葉の使われ方に対して違和感を感じるというか。ほんとに誰も見たことがないものじゃなければ許容しないみたいな。そうやって誰も聴いたことも見たこともないようなものを突き詰めて作っていけば、最終的に辿り着くのって、もう意味がわからないものにしかならないじゃないですか。」

「そういうのって、文脈じゃないですか。いろんな文脈、いろんな型があって。ロックだとかパンクだとかジャズだとか。その制約の中で、うちらは自由に泳いでみようよっていうことを、一生懸命やってるわけじゃないですか。でもそういうことを把握してない人が、自分の観測上ですけど、あまりにも多くって。例えば、『芸術は学ぶものじゃない』とか。センスや感性をなんとなくありがたがる人たち。俺はいろんな音楽を聴いてきて、マンガや映画、それ以外にも友達とか、そういうものから影響を受けて、自分の中で醸造して、再構築して、出してるわけですよ。それによって俺は、ものすごく美しい音楽を作っているっていう自負はあるんですけど。とにかく過剰なオリジナル信仰に対するファックの気持ちがすごく高まってたんですよ」

「俺はインターネットの中で音楽をずっと作ってきて、画面の中で完結する音楽をやってて、生じゃないから本物じゃない、みたいなことも言われがちじゃないですか。そういう意味で言うと、『じゃあ俺は、生まれた瞬間から偽物ですよ』と。あなたたちからすれば偽物の、いろんなものをコラージュしてできた、がらくたの塊みたいな自分だけれど、これだけ美しいアルバムを作ることができるんだって、いま一度証明したかった。」

 このオリジナリティの問題について考えていた時に、私の頭にたまたま浮かんできたのが、音楽とはジャンルが異なるが、19世紀のポスト印象派の画家・ゴッホだ。ゴッホには、日本の浮世絵を油絵により模写した作品が何点かある。ゴッホが模写した浮世絵は、ただ単純に元となった作品を真似しているわけではなく、色彩を変えたり、元の絵にはなかったモチーフを描き加えたりしている。例えば、花魁が描かれた浮世絵を模したゴッホの油絵には、睡蓮や蛙、鶴が描き加えられ、色使いも元の浮世絵より更にビビッドになっていて、単なる模倣ではなく、ゴッホによって新たな文脈に置き換えられている。ゴッホによる浮世絵の模写は、印象派におけるジャポニズムの影響という観点からも、とても重要な意味を持つ。その絵を見て、誰も「ゴッホが浮世絵をパクった」とは言わないし、言えないだろう。音楽にだって、同じことが言えるはずだ。絵画も、音楽も、映画も、ドラマも、文学も、ダンスも、その他にも、「表現」と呼べるあらゆるものは、すでにある他の様々な表現からの無数の引用によってできている。引用しているからと言って、それはそのまんまの模倣ではなく、そこには新たな意味づけがなされ、差異が生まれている。「似ているからパクリだ」、「同じモチーフや言葉、そっくりなイメージが出てくるから真似だ」、と決めつけるのはあまりに短絡的だ。どこが同じで似ているかだけではなく、どこが違っていて、どこに新しい意味合いが加えられているのか、ということこそが重要だと思う。

 米津さんのすごいところは、海外のポップ・ミュージックをただ模倣したりそのままの形で取り入れたりするのではなく、そこに新たな意味合いを与えて、米津さんにしか作れない米津さんの音楽にしているところだ。海外のポップ・ミュージックが持つニュアンスを、自身が創作する音楽に取り入れ、日本のポップ・ミュージックの文脈や定義を広げ続けていっている。日本のポップ・ミュージックと海外のポップ・ミュージックの間の絶妙なラインを行く米津さんは、ポップ・ミュージックの新たな可能性を提示してくれている。

 結論として、菅田将暉さんの『まちがいさがし』を超える『まちがいさがし』は存在しないだろう。きっと、米津さんがそれを一番分かっているのではないか。だからこそ、米津さんは、『まちがいさがし』を自分の曲として生まれ変わらせるのではなく、『まちがいさがし』に違う角度から光を当てて、新たな側面を映し出すことを選んだのではないだろうか。それが、菅田将暉さんと、菅田将暉さんの『まちがいさがし』に対する最良のオマージュなのではないかと。そして、ただのセルフカバーではなく、『灰色と青』や、今の海外のポップ・ミュージックと米津さん自身との関係性や距離感を踏まえたうえでの新たなアレンジを加え、今の、最新の米津さんの歌い方、歌声で歌い、自身の音楽の新たな可能性を更新していっている。『まちがいさがし』は、アルバム『STRAY SHEEP』における、新たな輝きの一つなのだ。

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