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変わり続けることは変わらないフルシアンテとレッチリ。

7連作を追いかけていた。

2004年の春ごろだっただろうか。もはや正確な記憶はないのだが、レッチリのギタリスト、ジョン・フルシアンテが一年に7枚、ソロをリリースするとアナウンスされたとき、私は既にジョンの三枚目のソロ『トゥ・レコード・オンリー・ウォーター・フォー・テン・デイズ』を履修済みだったと思う。それからだ、『シャドウズ・コライド・ウィズ・ピープル』のCDを旭川の玉光堂で買って、聴いた。もう全19曲、すべてが素晴らしく、その後の6枚も追いかけて聴くと決めたのだった。
レッチリを聴き始めたのは、2001年ごろ『カリフォルニケイション』を聴いたのがはじまりだった。MDにコピーして、ボーナストラック含め繰り返し聴き、すっかりはまってしまった。ジョンの前任ギタリストのヒレル・スロヴァクについては、無礼なことにまったく詳しくない(全レッチリファンから袋叩きにされそうだ)。後追いで『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ』『フリーキー・スタイリー』『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』を聴き、フルシアンテ以前のレッチリの音楽の豊かさを知った。大学一年のことだった。
『ザ・ウィル・トゥ・デス』を聴き、そのサウンドの憂鬱さに、うっとりしてしまった。当時人気絶頂のバンドのギタリストのソロには、聞こえない。物憂げなのだ。内向的で、人見知りしそうな青年がつくる音楽、という印象を受けた。もともと、ジョンの三枚目の『トゥ~』を聴いたときから、かれは内気で寂しがり屋なんだろうな、とは思っていた。あえて比較するけど、エアロスミスのジョー・ペリーの2005年に出たソロ作品は、エアロのギタリストらしい、ハードロックだった。これはどちらが優れてどちらが劣っている、というものではない。ジョンの『ザ・ウィル・トゥ・デス』の次のアタクシア名義の『オートマティック・ライティング』、初期PiLのごとき、ベース、ギターの尖った演奏が特徴的で、『ザ・ウィル~』とはやや違う内容だった。その次の『DC EP』『インサイド・オブ・エンプティネス』は、純粋なロックンロール。友人たちとのセッションを楽しんでいるようだった。
一枚一枚に心が籠っている。同じものは作りたくなかったのだろう。レッチリのメンバーとの共同作業での、役割分担意識はなく、個人で(オマー・ロドリゲスとの作業はあったが)個人の限界を探っているようだった。ジョンがのちに『レター・レファー』で試したようなシンセ・ポップを2004年にやったのが、ジョシュ・クリングホッファーとの『ア・スフィア・イン・ザ・ハート・オブ・サイレンス』だと思う。ジョンがポップ寄りになった分岐点にあたるかもしれない。彼は基本的にギタリストだと思うけど、のちのトリックフィンガー作品や、ブラックナイツとの作業では、ジョンの違う面を垣間見ることができる。『カーテンズ』、リリースは2005年になったが、物静かなジョンがいた。彼自身の知性と知識が籠った、7連作の最後に相応しい作品だった。
ジョンは2009年の『ザ・エンピリアン』以降、あまりギタリストとしての主張をしていないようだ。近年、彼はレッチリに復帰した。見失っていた自身を取り戻したかったわけではなく、あくまで原点回帰ではないだろうか。ジョンの2014年の『エンクロージャー』、2016年の『フォアグロウ』の二枚は、ジョンらしい作品には聞こえない。『エンピリアン』で極めて高い音楽を作ってしまい、自身の限界、いや頂点を彼は見てしまった。その後のソロはあくまで試行錯誤の最中の作品だったのではないか。
ジャンルは違うが、リチャード・D・ジェイムス及びマイルス・デイヴィスを考えた。エイフェックス・ツインはドリルンビートだけでなく、アンビエント作品その他、作品群でリチャードを定義できないほど、多彩な作品群を誇っている。マイルス・デイヴィスはオーソドックスなジャズ作品だけではなく、アダレイ、ビル・エヴァンス、コルトレーン達と常に違う自分を表そうとしていた。どちらも、才能があるゆえに、ひとつだけのことにこだわれない。コルトレーンはけして多才ではなかったが、彼自身の限界を追求し、後世に残る数多くの録音を残した。反対にマイルスやリチャードのように才能があると、常に違うことを試みようとするのだと思う。両者は後世に残る録音をたくさん残したことについては同じだが、あまりに才能があると、一つだけのことには没頭できないのだと思う。
フルシアンテも、幼少期からギターを触っており、溢れるほどに才能があった。常に新しいことをやろうとしているのだと思う。レッチリはジョンが一時辞めたあとに、ジョシュと組んで二枚作品を出した。レッチリの背骨と頭脳にはアンソニー・キーディスとフリーがおり、彼らはロック・ポップス界で常に変わろうとしてきた。イングランドにもローリング・ストーンズがいる。どちらも、ロックでありながら、ポップ性と無縁なバンドではない。レッチリに2019年に、ジョンが復帰した。今後、どう動いていくかはわからないが、常に変わろうとする姿勢は、忘れないのではないか。ミクスチャーロックから始まった彼らは、90年代、00年代において、いつでも新しくあろうとしてきた。彼らは変化を恐れていない。その姿勢とイデアは忘れて欲しくない。
ジョンは10年代、試行錯誤中だったのではないか。その彼が、レッチリに復帰した。私のようなファンには嬉しい。ジョシュ・クリングホッファー時期のレッチリは彼らにとって、通過点ではなく、貴重な財産だと思う。誰がギタリストでもレッチリは動くわけではないが、彼らには進化をやめて欲しくない。ジョン・フルシアンテ自身も、今までの7連作もシンセ・ポップ時期も含めてが彼自身の財産であり重要なキャリアである。彼らの次なる挑戦を、我々ファンは待っている。そしてライブではやはり「ギヴ・イット・アウェイ」や「アンダー・ザ・ブリッジ」が演奏されることと思う。いつでも音楽に対して勤勉で貪欲。それが私にとってのレッチリで、ジョン・フルシアンテである。

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