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奇跡の軌跡

tacicaに彼らは其処に居た。

奇跡の軌跡。
上から読んでも下から読んでも「キセキのキセキ」
2015年に発表されたアルバム『LOCUS』
その意味は後者の「軌跡」の方だ。

数学は得意だった。
苦手とする人も多い「軌跡と領域」にも蹟かなかった。
でも文系に進むという友達に合わせて文系に進んだ。
理系に進んでいれば今頃科学者にでもなっていただろうか。

田舎の進学校だから盲目的な国公立信仰。
旧帝大は古典が壊滅的で落ちた。
後期で公立大学に滑り込んだ。
試験が数学だけだったから。

人生の夏休み。
居場所に選んだのは大学祭実行委員会。
高校時代の部活は怪我をしてもう出来ない。
好きなアーティストを呼びませんか?という勧誘に飛びついた。
 
 
 

その年、彼等は10周年イヤーだった。
公式HPのライブ情報には“バンド史上初”の文字が並ぶ。
初のホールライブ、『結成10周年記念公演 烏兎』
初の2daysで行われた『三大博物館2016〜太陽と月〜』

そして、初の学園祭ライブ『LOCUS to ALASKA』

当時の彼等の心持ちはもはや伺い知ることはできない。
遥か昔の1時間にも満たない一本のライブ。
その存在自体忘れられていてもおかしくはないだろう。
ならば、そのバンド史に、一頁と言うには烏滸がましいが、
一行を書き加えさせた一人のファンの回顧を。
 
 
 

それは3度目の挑戦だった。

我ら大学祭実行委員の寿命は3年。
しかしながら、3年と言いつつアーティスト選考会議は年に一度しかない。
実質3日だ。

各校によって多少の差異はあるかもしれないが、
学園祭ライブ運営はおおよそ、
選考→ブッキング→当日運営 という流れで進んでいく。

第一に選考段階では、我ら学生、ドーム規模のライブをするものから
ストリートミュージシャンまで好き勝手に案を募っていく。
そしてそれらの案の中から、自分たちの学祭にふさわしい、
真に出演してほしいアーティストを選んでいく。
当校は伝統的に
“ロックバンドによるツーマン”
これを軸としていた。
軸があるのならそこに寄せて案を出せばいいだろうという意見ももっともだが、
若者らしい慣習に流されない自由な発想だとして許してほしい。

選考によって多数決等で優先順位がついたら続いてブッキング。
ここで課題になってくるのが、予算・日程・主義の三つ。
まずは予算。出演料等、明確な数字は世に出ていないが、
ワールドツアーを回るようなバンドが有名私立校にしか来ないのにはそれなりの理由があることぐらいは察しがつくだろう。
続いては日程。当然ながら当日または近辺でツアーを回っている場合などは
オファーを出したところで断られてしまう。

ここまでは、いってしまえば大人の都合だが、
はなから学園祭への出演NGとしているバンドもあれば、
11月だけは外のライブに出ないと決めているバンドなどアーティスト自身が
持つ主義によって断られるケースもある。

運営などはNO LIVE,NO LIFEの諸兄姉の方がよくご存知だろう。
もぎったり整備をしたりするアレだ。
 
 

1年目。
ステージに立ったのは、共に過去『REAL』という名で活動していた2バンド。
地元岐阜県出身、近隣大学の軽音サークルで結成された残響の雄と、
ライブ翌週にビクターからのメジャーデビューを控えた新鋭だった。
流石は以前から交流のあった両バンド、当日はそれぞれのリアルをまざまざと見せつけ、
アンコールでは双方入り乱れての大団円であった。

2年目。
Jack In The Boxと題したライブに出演したのは偶然か必然か、
またもや残響勢。
対バンは地元インディーシーンで活躍する名古屋が生んだ暴れ馬。
それぞれの活動の中では巡り会うことがまずないであろうバンド同士の共演が観られるのも学園祭ライブの醍醐味だ。
 

この過去2度の挑戦は、投票による上位のバンドのオファー快諾、秋ツアーの日程被り(HOMELAND 18 blues、発光する独走性)などで憂き目に遭ってきた。
 

さりとて、石の上にも三年、三度目の正直。

もちろん一筋縄ではいかなかった。
相変わらず投票ではその年にヒットした話題のアーティストや、
選考メンバーの独断と偏見により評価されたアーティストが上位を占める。
この時点で半ば諦め。
初夏、上位に挙げられたアーティストへのオファーが悉く断られたため、
とうとう順番が回ってくる。が、アルバムツアー『LOCUS』の最中ということもあり
なかなか回答を得られず。

やはり今年も。
いや、今年こそは。
感情は渦巻く。
この時点での選択肢は二つ。
回答を待つか、見切りをつけ次点へオファーを送るか。
組織で活動する以上、一個人の我儘を通すわけにはいかない。
広報用の資料の入稿期限だってある。
まだまだ他の選択肢も並んでいる。
冷静な周りから見たら、そこに固執する意味は、ない。

希望は口にすれど、腹の中には諦念を抱えていた。
過去の四バンドを含め、どんなアーティストに決まろうと、
かけがえのない思い出となることに疑いの余地はない。
齢ハタチ、成人式も終え、それも我が人生と
納得させることができる程度には大人になった。
“涙を売り、冷静を買う”こともいささか悪くはない。
 

・・・これは建前。

何のためにここまで二年間我慢してきた?
自分の愛するバンドのために企画を練り、共にライブを作った友人を見て
羨ましいと思わないわけがあるか?
今年が最後なんだぞ?後悔するならとことんやってからでいいじゃないか!

“脇目も振らずに只管 アクセルを”踏むことしか考えない、
いつまでも子供なエゴが舞い散る。

そこで我々はせめてもの譲歩として、ギリギリまで回答を待ちつつ、
並行して他アーティストへオファーを送るという選択をした。
勿論、方々に迷惑がかかることは承知の上。
それでも、正解のない理論と感情の闘争の中で、
互いに最低限の自制心と最大限のリスペクトを持ってのことだった。

“描けない夢なんてない”
“叶わない夢なんてない”
そう思っていたのは間違いなくひとりだけだろう。
“奇跡なんてモノは何時になっても来ない”と誰しもが思っていた筈だ。
それでも、こんな“飽くなき身勝手”に最後まで付き合ってくれた仲間には
今でも頭が上がらない。

8月中旬。ついに回答が届いた。
例年なら出演アーティストを発表している時期だが、
ここまで他のアーティストからも思うような回答が得られなかったのも、
思えば「LUCKY」だけではない何かが働いていたのではないだろうか。

そこに書かれた一文は私の“鼓膜を揺らす唯一の音楽隊”との、
“奇跡と呼ぶに相応しい その邂逅”を現実のものとした。
 
 

当日がどうだったかって?

“最高だよ 今日は言わずもがな お察しの通り”
 
 

今でも思い出す度に、現実だったのだろうかと疑いたくなるほどによくできた奇跡の軌跡だった。

友達について文系に進んだこと。
第一志望に合格せず、得意科目だけで滑り込んだこと。
怪我をして部活を続けられなかったこと。
かけがえのない居場所を見つけられたこと。
私を許してくれる仲間がいたこと。
他にも数え切れないほどの偶然の分岐を辿った軌跡。
まさしくそれは誰に依ることもなく導かれた奇跡。

ただ一つだけ私が誇れるものがあるとすれば、彼等との邂逅を信じて疑わず、
「冷静になって声を殺すのなら 月に向け鳴いては如何?」と背中を押され
声を上げ続けることを諦めなかった胆力だけだ。
 

今年彼等は15周年イヤーだそうだ。
もうあれから5年も経つのかと思うと寒気がする。
確かに、いつのまにかスーツを着て営業回りをするのにも慣れてきた。
“理想と違う自分にも さぁ 精一杯笑って”、“命辛々 逃げ惑う”日々は、
想像以上に大変。
それでもなんとか繰り返し踊っていられるのは、あれ以来、
想い続ければ、行動し続ければいつかは報われる、なんていう、
“妙に+な思考”を持つようになってしまったから。
“どれだけ今日に疲れても まだ観ぬ今日は美しいんだ”って知ってしまったから。
 

彼らもまた、新たな軌跡を描き進んでいる。4人になったり、一人になったり。

その一瞬一瞬のハイライトを目に映すことができる私たちはどれだけ幸せなのだろうか。
“観た事のない景色を観たくて 走り出す”ための準備はもうできている。
さあ、“残り全部の命を使って”、どこまでもついていこう。

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