3911 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

BBHF尾崎雄貴が描く、美しき「生活」

人間の不安定さ

 2020年9月2日に発売されたBBHFのニューアルバム「BBHF1 -南下する青年-」。
このアルバムは二枚組の全17曲からなり、ひたすら北から南へ進み続ける青年をモチーフにしたコンセプチュアルな作品となっている。シングル曲は一曲もなく、すべての曲がアルバムの世界観を構成しており、全体の曲順を通して温度感の変化が伝わってくる。アルバムで聴くことに大きな意味を持たせることに成功している作品は、最近では非常に珍しいのではないか。

 BBHFの最大の魅力といえば、尾崎雄貴の歌詞だと思う。実体験や自分の思いを語ったり、リスナーに共感を求めたりするようなよくある歌詞とは違って、ただ、誰かの生活について、私たちにそれを垣間見せて、何かを問いかけてくれるような、そんな歌詞だ。これをすべての曲において実現しているのは、意外とすごいことだと思う。自分で歌詞を書き、歌う人の歌を聴くと、どうしてもその人の物語として聴いてしまうことが多いし、実際、作品と実体験とを結びつけたり、自分の思いをストレートに歌詞にのせて共感を誘ったりする曲は多いと思う。だが、尾崎雄貴が書いて歌う曲には、不思議と「尾崎雄貴」の存在は感じられない。これは極めて小説的なことだと思う。
 小説(フィクション)の物語の裏には作者の存在があるが、その存在は一般的には読者に意識させるべきではない。読者は作られたものだと分かりながらも、読んでいるうちにそんなことを忘れ、小説世界にのめりこんでいく。よくできた文学作品ほど、読者に作者の存在を意識させない。尾崎雄貴の歌には、このような小説的な特徴があると思う。「BBHF1 -南下する青年-」でも、DISC1とDISC2をあえて「上・下」と呼び、小説を意識しているとのことだが、このような特徴は、彼らがBBHFになる前のGalileo Galileiの頃から彼らの音楽の根底に横たわっている。
 
   自分や誰かの体験や想いを
   そのまま曲にはしない
   歌詞は心の箱庭で
   僕と君は人形あそび
   (尾崎雄貴Twitter 2020/06/21)

 体験や想いをそのまま曲にしていないからこそ、私たちに考える余地が与えられるのだと思う。尾崎雄貴の歌は、説教でも聖歌でも自己啓発のためのものでもなく、ただそこにあり、静かに私に問いかけ、胸を打つ。

 そんな尾崎雄貴の歌詞だが、私が最新アルバムを聴いて感じたこと、考えたことは、「人間の不安定さ」だった。
 人の想いは一つじゃない。自分が本当にやりたいこと、生活のためにやらなければならないこと、一緒にいたい人、一緒にいたいはずなのに、鬱陶しく感じてしまう人。繰り返される生活の中で、絶対に変わらない想いなんてない。それらのいくつもの想いを持って、絶妙なバランスを保ち、みんな生きている。ただ、それは、精神状態や体調によって、簡単にバランスを崩し、崩壊してしまうことがある。このアルバムを聴いて、そんな不安定な想いや人生に対する考え方、愛する人との向き合い方について考えさせられた。以下に、特に印象深かった歌詞を引用する。

   金がなくなっても しぼりだすものはある
   切り売りするんだ 人生を 拳銃を頭に向け
   そして病むまで飲め 愛そのもの何杯でも
   (「BBHF1 -南下する青年-」 1988)

   うつくしき僕らの生活 子供たち
   認め合って 慰めあって 喜びを分かち合える
   いとしいひと カラオケにいこう! 穴埋めにいこう
   あんまりにも優しすぎて どうなのかもわからんままで
   走る 走る
   (「BBHF1 -南下する青年-」 僕らの生活)

   自分自身の心を どうにか一色にとどめてる
   優しい君が好きだった
   君といる自分自身のことも
   でもすべてが変化していく
   それ自体 僕だって気づいていたんだ
   (「BBHF1 -南下する青年-」 疲れてく)

   君の隣で目覚める時
   ああどうか終わらないで
   ずっとこうやって生きていたいって
   そんな気に 君はさせてくれる
   (「BBHF1 -南下する青年-」 君はさせてくれる)

   笑うだけで心臓が飛び跳ねてた
   さぁ明日は何をしよう
   いつしか君と話せなくなった 悲しかった
   そして今日も朝から 僕は君と喧嘩して
   Yo Ho Hi Ho言い合って
   複雑にからみあったダイヤ製の留め金を
   Yo Ho Hi Ho砕いて
   君に 君に 君に謝って面と向かって言わなくちゃ
   僕はベイビー 僕はベイビー
   変わる時がきたのかも
   (「BBBHF1 -南下する青年-」 Yo Ho Hi Ho)

 突然話は変わるが、私の兄は1年前に結婚し、父親になった。いわゆる「できちゃった結婚」だった。二年前の春、建築系の専門学校を卒業した兄は、大手住宅メーカーに就職したが、半年で退社。理由は「設計事務所で建築士として働きたいから」だった。それからは実家に戻り、夜に何やら怪しい仕事に出かけ、昼は一級建築士の試験を受けるための勉強に励んでいた。そんな生活の中で出会ったのが今の奥さんだった。
 「できちゃった婚やけど、子どもは望んでつくったから」兄はこう言っていたが、私には理解できなかった。結婚し、子どもをつくるということは、自分だけではない、守るべきものができるということだ。自分のやりたいことよりも家族の生活を優先させなければならないということだ。とにもかくにも、まずは一級建築士の試験に合格するために、それだけのために生きているといっても過言ではないと思っていたのに、家族を持ち、お金が必要になって、やりたくもない仕事を始めた兄を見て、「なんて一貫性のない男なんだ!こいつは!」と、私は怒りにも似た失望の感情を抱いた。
 そして予想通り、自分の勉強に割ける時間や、自分のために使えるお金が激減した兄は、そのやりきれなさや焦りの感情を、奥さんにぶつけた。自分が選んだ道なのに、選んだ相手なのに、それを否定するような言葉を放った。
 それを聞いたとき、私はこいつは本当にばかだ、とおもった。後悔するくらいなら結婚なんかしなければいいし、子どもなんか作らなければいいのに、と思った。計画性もなしに結婚してしまうくらいなんだから、どうせ建築士になりたいという思いも本気じゃなかったんだとも思った。しかし、このアルバムを聴いたとき、そんな兄のことを思い出し、人の想いは一つではないということを考えた。
 兄はきっと、建築士になることも、今の奥さんと家族になるということも、本気だったんだと思う。自分が本当にやりたいことと、生活のためにやらなければならないことのバランスを、一時崩してしまっただけで、どちらの想いも本物だったんだと思った。絶対に変わらない信念なんてない。みんな弱さを抱えながらも、一緒にいたい人や自分の夢と向き合っているんだ。兄も、奥さんや子どもと一緒にいるとき「ああどうか終わらないで ずっとこうやって生きていたい」と思うことがあるのかもしれない。その一瞬にすがりながら、一緒に生きていくのかもしれない。現在兄は、仕事をしながら一級建築士の試験の勉強をし、いつか自分で設計事務所を経営するという遠い夢に向かって、生活を繰り返しながらすこしずつ前進している。
 
 そんな兄のことを、人間らしくて、美しいと思えた。それは、尾崎雄貴が小説のように描く、いろんな「生活」が、あまりにも不安定で、一生懸命で、祈りのようで、それを愛しく思えたからだ。わたしも、誰かと弱さを補い合いながら、ともに美しい生活を営んでいけるような人と巡り合いたい。このアルバムを通して、強く、強くそう思った。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい