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人は死んだらどこへ行くのか

藤井 風と私と友人の話

懐かしい夢を見た。
靴を脱いで、フェンスを越えて眺めた、大嫌いだった街の風景。
冬の凍てつく寒さで冷えた指先。
白い息は頬を伝った涙を一瞬だけ乾かし、宙に溶けていた。
 
 

小さいころから不思議だったことがある。
「人は死んだらどこへ行くのか」
おそらく誰も正解を知らないし、これからも分からないだろう。
「良いことをした人は天国に行く」だの、「みんな最後は星になる」だの、「生まれ変わる」だの、いろいろな予想がされているが、残念ながらどれも確証はない。
ただ、漠然と「死んでも終わりではない」という説をみんな持っている。

私は、上記のようなことを信じたことはない。
「死んだら燃やされて骨になるか土に還り、虚無になる」だと信じている。
もちろん、仮に死んだ後にも自我が残るならそうとは限らないが、「心」が脳のはたらきによるものだとしたら、脳の機能が停止したらもうそれ以上の展開はないだろうと思っている。

死んだら虚無になるのであれば、どんなにつらいことがあっても、無かったことになると信じている。
同時に、今のこの人生は大事にする価値もないのだろうと思っていた。
 
 

話は変わるが、藤井 風というアーティストがいる。
彼は学生時代からYouTubeに弾き語りの動画を載せていて、今年5月にデビューアルバムを出した。
『HELP EVER HURT NEVER』というタイトルのこのアルバムは彼の死生観がよく表れていると思っている。
1曲目の『何なんw』はハイヤーセルフのことが描かれているし、2曲目の『もうええわ』は執着を捨てることの大切さを語っている。
世界中にある悲しみや苦しみや切なさを受け入れるための彼なりの考え方なのだろう。

優しく深くワイルドな歌声と、超絶技巧のピアノ。シンプルなサウンドだが複雑なコード進行に乗せたR&B、ジャズ、クラシック、ポップスの良いとこ取りをした音楽はとても好みである。
しかし、最初は彼の死生観について理解できなかった。
私は目に見えないものは信じないし、消えてなくなる人生なら無くてもいいと思っている節まである。
 
 

アルバムを5月に買って、何十回も通して聴いた。
6年前から見て見ぬふりをし続けていた、友人からの置き土産を消化するため。
 
 

6年前の冬。会ったこともない友人が死んだ。
ネットで知り合って、一度も会ったことはなかったが連絡を取り合っていた。
お互いの本名も住んでいる場所も知らない。傍から見ればほぼ他人の関係。
ただ、共通の趣味があって、似たようなことで悩んでいて、同じ性別で、同じ年代で、同じ日本人で、同じ人間であるだけの、よくある条件の唯一無二の友人。

友人の死は、そのアカウントにご両親が書き込んだことで知った。
自分で人生を終わらせることを選んだ。
冬のとても晴れた日だった。
 
 

あの日から、よく夢を見るようになった。
靴を脱いで、フェンスを越えて眺めた、大嫌いだった街の風景。
冬の凍てつく寒さで冷えた指先。
白い息は頬を伝った涙を一瞬だけ乾かし、宙に溶けていた。

私の身勝手な想像であって、友人の最期は全く知らない。
ただ、夢の中で私は友人の最期を感じていた。
目が覚めたら涙がボロボロ出ていて、「生きていたってしょうがない」と吼えた。
 
 

それから6年経ち、大学生になったり、社会人になったりして、私の生活は目まぐるしく変化していき、新しい友人ができたり、授業やサークルや仕事に追われ、徐々に夢を見ることは少なくなっていき、友人の記憶も希薄になっていった。
しかし、一日一日生きていくことで、一日一日死ぬことをぼんやり考える日々が増えた。
あまりにも生きづらい私の性格。あまりにも忙しい毎日。
時々、線路にふらっと降りそうになったり、わりと深めに手首に刃を入れることもあった。
生きていく意味が分からなくて、もうこの意識を手放してしまいたいと願っていた。
 
 

アルバム購入時に聴いて、なぜだがずっと胸に残っていた曲が9月に入ってMVが出た。

『帰ろう』という曲である。

きれいなピアノとストリングス、2番に入ってからドラムやベースがリズムを刻む。
のびのびとした歌声とは裏腹にMVでは歌わない藤井 風。
子供や女子高生や老人やカップルやけが人や旅人や少しアウトローな人まで、さまざまな人が黙々と道を歩く映像。
私はこのMVに自分が出ていた気がした。もちろんそんなことはないのだが、あまりにも他人事には思えなかったのだ。

「わたしのいない世界を
上から眺めていても
何一つ 変わらず回るから
少し背中が軽くなった」

このフレーズを聞いてヒヤッとした。
私も友人も「必要とされないのは辛すぎるから死んでしまいたい」とこぼしていたのだ。
しかし、藤井 風は違うらしい。
「いなくていいなら自由になれる」と考えられる。
同じ条件でもここまで受け取り方が変わるのかと驚いた。
 

何度も何度もMVを見た。アルバムを聴いた。
友人を思い出しながら。
この言葉を6年前に伝えられたらと後悔しながら。

「ください ください ばっかで
何も あげられなかったね
生きてきた 意味なんか 分からないまま」
「ああ すべて与えて帰ろう
ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの
ありがとう、って胸をはろう」

誰かから必要とされたかった。誰でもいいから誰かの一番になりたかった。
そうでなければ存在意義なんてないと本気で信じていた。
死ぬことよりも、誰かから求められないほうが怖かった。
誰かから「愛」を与えられることしか考えていなかった。

しかし、私が友人に渡した「愛」は私が誰かから渡された「愛」であり、それをきちんと受け取れているかはわからないが、私は誰かに「愛」を渡せる人間だと藤井 風は教えてくれている。
それは、まぎれもなく藤井 風からの「愛」であった。

私はどうやら、いろいろな人からの「愛」でできているらしい。
 
 

「人は死んだらどこへ行くのか」
天国に行ったり、星になったり、生まれ変わったり、骨になったり、土に還ったり。
死んでも自我があったりなかったり。
神様や仏様がいたりいなかったり。
信じても信じなくてもいいのかもしれない。
少しでも生きやすいように誰かが作った希望だから、正解はないのかもしれない。
そこにたどり着くまでに「愛」を誰かに手渡すことができるなら。
それは、残された人が自分の「墓」になるのかもしれない。
私は友人の「墓」となれただろうか。
友人は私の「墓」だったのだろうか。
 
 

昨晩、懐かしい夢を見た。
靴を脱いで、フェンスを越えて眺めた、大嫌いだった街の風景。
冬の凍てつく寒さで冷えた指先。
白い息は頬を伝った涙を一瞬だけ乾かし、宙に溶けていた。

目が覚めたら、やはり泣いていた。
でももう「生きていたってしょうがない」とは思わない。
私は友人の「墓」だと思うから。
私は誰かの「墓」になりたいのだから。
 
 

「あぁ今日からどう生きてこう」

このフレーズで『帰ろう』は締めくくられる。
この文章を通じて、友人と藤井 風と読んでくれたあなたに「愛」を渡せますように。
私の「墓」になりますように。

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