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当たり前かもしれない何かへ

flumpool「Real」とライブから

5thアルバム「Real」には、活動休止、再開後ツアーを経たflumpoolの等身大の姿がある。焦点を絞っていき鮮明になるように、個人的なリアリティを元にして一歩踏み込む。
個人的であるが、どこか広がりがある。背景に人々がいてさまざまな思いをのせているようで、ひらかれた印象になっている。
誰もが重ねてきた日々の確かさにふれ日々を照らしだす。過ぎていっても、何か残り積もっていく。ひとつひとつの経験、記憶、思い、感情などの総体。普段通り過ぎているそれらが、再び通り抜けていく。わたしの中にあるのだと思えることが、生きている実感となって跳ね返る。誰かと分かち合える。ライブはそういった場所だった。

ライブはシンプルに音を浴びるためにいる、いられるのがいい。忙しさや虚しさ、乏しさに埋もれてしまうまえに思い出せればいい。増幅され、空間を震わせて直に届く、音を遮りながら揺れている。わたしという自我や自意識を手放していき軽くなる。いつしか透過していく。音楽の一部になれることが心地良い。一方で、取り残されたように俯瞰するときがある。どちらも行き来しながら、汗と熱と感情と何かにまみれて、流され彼方へ消える――同時に水の中にいるようだ。息を継ぎ、時に心を奪われる。全身へやわらかな抵抗を受けながら潜っていく、集中してゆく。
他にもある実感といえるものがライブから生活から失われかけている。普段スマホなどを見る時間が増え、メディアを通して何かを感じ思う、少し実感から離れたところで過ごすときが増えた。コロナ禍以前にそうした時代になっていて、実感を求めてライブなどが重視されてきたのだと思う。実際に会うことが価値をもつようになり、求めるものが時代とともに変わってゆくとしても、ライブというあの空間は変わらずにあってほしい。

痛みや毒気、本音などに思うリアリティと、もっとそのままの、当たり前にあって時に表現しがたいリアル。前の方だけでなく、後の方を見つめる視線があることで、ここにある現実、常に夢を見ていられないけれど、酷とも言いきれない現実に届くのだろう。生々しいからリアルだとは限らない。実感することが多くなければ、それを超えた生々しさはある意味でフィクションに近いのかもしれない。
曲のどこかしらに出会うことのよろこびや、信じるものへの眼差しがあり、現実に着地する。自分たちにとってのリアルを、温かみや純度をもって、生の心情とともに曲にのせていく。
非日常を日常にしてゆくちからがあるとして、肯定してゆくちからが、日常を日常たらしめているように現在が続く。日常を知るように「いま」を知り、現実の変わらない、揺るぎないところを思い出す。余韻のようなうるおいで包み込む。そのうるおいをいつでも、覚えている。「Real」の中にあるリアルにするなにか、実感を探していたのかもしれない。
10月からツアーが始まる。「Real」として躍動するときを思う。

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