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この世界を輝かせる、milet『eyes』の奇跡。

《違う色の息》、《different sound》の未来

天才肌の音楽センスと、するどい批評眼をあわせもった milet さんが、
すばらしいスタッフのみなさんに恵まれて、最高度のパフォーマンスで世に放った、
本当にいろいろな意味で、奇跡的な作品。

2020年6月3日、デビューから1年をへて、私たちが手にすることができたファーストアルバム『eyes』を、
発売からずっと、もう数えきれないほどリピートしてひたすら強まるのは、そういう確信です。

収録された全曲が、みな独自のプリズムを描いていて、
その声は、どこか乾いた獣の叫びみたいに寂しげで、
はたまた、張りつめた弦楽器みたいに力強く震えて、
いつも誠実で、痛切で、ときに凄絶ですらあるのですが、
いったいなぜなのか、どの歌にも、
この世の底にまで降りきったような、
どこまでも深いやさしさがあふれています。

ポップでライトな曲にも、ダークでクールな曲にも、
いつでも、かけがえのない誰かと対話やセッションを続けているような、
まっすぐな真剣さと、慎ましさを感じるのです。

感情の振幅が、きわめてダイナミックなのに、
それが声の身振りで繊細に制御され、完璧に演じられているからこそ、
なおさら心をわしづかみにされ、包み込まれてしまうのです。

驚くべきなのは、
こんなふうに、自律した内省的な表現と、
たくさんの商業的タイアップを含めた、音楽業界による資本主義的な要請とを、
ごく自然に、しかもいくぶん茶目っ気を含んだ佇まいでもって、
高い次元で両立させてしまっていることでしょう。

(たとえ外的な求めに応じて作られた曲でも、歌詞や声には一切、
媚びとか甘えとか、おもねりといったものが感じられないのです。)

これほど冷静で、自己を客観視した、知的な表現力をもった歌い手さんなんて、
たぶん数十年に一人、出るか出ないかです。
精神分析の世界では有名な、
人のアイデンティティ形成のはじまりを意味する「鏡像段階」理論のイメージを、
デビュー曲のPV冒頭に、自分の意志で取り入れてしまうような不穏な表現者なんて、
たぶん、これまで日本に現れたこともなかったでしょう。
(CINRA.NETさんの、2019年3月7日付インタビュー記事を参照ください。)

さらに、英語のフレーズが、
王道の日本語ポップスにおけるように、いわばキラキラなキャッチになっているのではなく、
もっぱら韻を踏んだり、「洋楽調」を演出する手段になっているのですらなく、
むしろ日本語の音節をあらかじめ微分し、解体し、foreignize してしまうくらいに、先在的なエレメントとして機能していることも、
じつは日本のポップス史上、相当に稀な事件ではないでしょうか。

(大げさにいえば、「日本の近代歌謡史上」、といってもよいくらいかもしれません。
彼女の場合、フレージングにおいて、日本語と英語の主従がついに逆転しているのです。
プロデューサーとの作曲プロセスにおいて、即興が基本になっていることも、
歌い手自身の素の言語感覚を殺すことなく、その個性を数倍ゆたかに引き出す要因になっているのでしょう。)

バイリンガリズムを、楽曲にとってここまで不可欠な場所にし、
あたかも言葉と音が、日本語の土着性や習慣を奪い去られて、ゼロ次元に戻されたような空間、
しかも、いわばフロイト的な意味で「不気味 unheimlich な」空間として響かせることができた例は、ほかに思い当たらないのです。

(最も at home な場所こそが、最も foreign で stranger なのだということが、
20世紀の精神分析や現代哲学が発見したことの核心であり、映画という幽霊的メディアがさらけ出した真実でした。
inside you から Dome まで、複数の曲で二重人格的、ドッペルゲンガー的なモチーフが反復されることが、そのしるしでしょう。
音楽においても、真のコスモポリタニズムが始まるのは、この地点からではないでしょうか。)

これは明らかに、レコード会社のプロモーションの勝利といったものではなくて、
歌い手自身が、長い時間をかけて研ぎ澄ませてきた感受性と作家性に、由来するものです。
とりわけ、milet さん自身が語っておられるように、
子どもの頃からのクラシック経験と、
留学による異郷体験の孤独と、
さらには、貪欲な映画的、あるいは文学的教養とが決定的なのでしょう。

(たとえば、収録曲 Until I Die の痛みは、
ビョークのあの Pagan poetry の戦慄にすら匹敵する、実存的で詩的な強度に達しています。
アイスランド人ビョークが、つねに外国語である英語で歌うことで、なま身の自己と公的世界とのある決定的なズレを、あの恐るべき〈異教の詩〉を見出したのと、どこか通底しています。
それはまた、どこまでも「女性であること」の痛みや経験に、根ざしているのでしょう。
外国語と母国語との不可能な〈結婚〉で、より多く血を流すのはやはり、女性なのでしょう。)

無粋なことを承知で、あえて深読みをするなら、
決して一つに溶け合うことのない、二つの言語の《はざまを辿って》(Drown)、
その綻びを縫い合わせたり、ほどいたりするかのように歌われているのはたぶん、
一見似たものどうしでも、いつでも別々の言語や性や歴史に引き裂かれている私たち自身の神秘、
〈翻訳〉を続けなければお互いを分かり合えないという、バベル的な条件であり
(《同じ色の目にうつる 違う色の息を吐く》、Drown)、
自己と世界、自分と自分のあいだに横たわる深い深い淵、
凍えそうな沈黙の海であるように感じます(航海前夜)。

《この線を越えてしまえば 戻れない》(us)、
《何も知らないまま戻れない》(Drown)ような、
致命的な境界線を前にしてのためらい、
絶対的な喪失の予感です。

ただひたすら、《最後の一瞬》(You & I)に、
《跡形もなく終わる最後》(Tell me)に、
命がけのジャンプで証明しなければならないエロスだけが、
執拗に強迫するタナトスを手なずけ、
喪われた名前を取り戻すための光をくれるからでしょう。

筆者自身、最後に好きなアーティストのCDを浴びるように聴いたのは、だいぶ昔のことでしたが、
ラジオからふと流れてきた milet さんの歌には、
表面上は普通に見えても、何か決定的に違う響き、
《The same face, different sound》(Dome)を感じ、
久しぶりに、強く打ちのめされたのでした。

なんて魅力的な詞、メロディ、アレンジ、声。
かぎりない励まし。

いまの時代は、誰であれ、容易には地上に自分の居場所なんて見つけられないし、
ふとしたことで、社会的承認を失ったりネグレクトの当事者になりえるし、
海辺に打ち上げられた《残骸》のように遺棄されたあげく(Until I Die)、
果ては《歪な愛》ゆえに、自他に刃を向けるワナに堕ちかねません。
(その映画史上の象徴的イメージこそ、miletさんの偏愛する『タクシードライバー』の、あの鏡の中のパラノイアでしょう。
あるいはそれは、私たちが日々ニュースで目にしてしまっている、悲劇の光景でもあるでしょう。)

でも、milet さんの選んだカードは、それとはまったく違います。

どこまでも、武器ではなく、言葉で戦いなさい(Fire Arrow)、
誰のことも、たとえ踏みはずした人間のことさえも、
どうしようもなく死に近しい人間でさえも、
歌は置きざりにしないし、その手を離さない、というのです(Prover)。

そんなふうに、音楽的崇高の魔法をかけられる歌い手が、
いま、たった独りでこのステージに立ってくれていることに、
どうして、深い敬意を抱かないでいられるでしょうか。
このまなざしを、信頼せずにいられるでしょうか。

どこからやって来たのかも知らないのに、
ずっと前から呼びかけてくれていたような声、
深い底から、ひと息で大空を駆け上がってゆける milet さんの羽ばたきは、
これからきっと、地球上のあらゆる場所で、
何度でも前を向こうとする lonely dreamer たちの、新しい鼓動になるでしょう。

つまずきながらのダンスでも、踏み外したステップでも、
伝えたい何かを、やまない夜のリズムにのせて、
私たちが棲む Wonderland の輝きを、その朝焼けの光を想い出させてくれる人、
この声がみちびく未来を、ずっと見守りたいと思うのです。
いつの日か、やさしすぎる彼女が、選ばれたことの悲しみに倒れてしまわないことだけを祈って。

追記
この文章を書いてみたのは、今年の7月でしたが、
ひとの目にさらす価値があるかどうか迷い、2ヶ月以上、放置していました。
昨日、「inside you」が主題歌であったドラマの主人公を演じていた、誰もが愛していた女優さんが亡くなられました。
生き延びることが今日、誰しもにとって闘いであることを、噛み締めずにはいられません。
どうか、milet さんが Prover や Tell me に込めておられる思いが、
私たちを、そして彼女自身を強く強く、護りますように。

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