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桑田佳祐、 宮本浩次がカバーする沢田研二は元祖ロックシンガー

ロックシンガー沢田研二は、テレビでロックを歌い、ビジュアル系を演じ、故志村けんの代役を引き受けた

現在、最も影響力のあるミュージシャンの1人である 宮本浩次さんが沢田研二の歌を取り上げている。これを機会に沢田研二再評価ブームがおきないだろうか、なんて思いでこの文章を書きだした。

志村けんさんが急逝した。ドリフ世代の僕は非常にショックだ。志村けんさんは、デビューしてから、逝去までコメディアンであることを貫いた「芸人」だった。コント番組が少なくなっても数多くの冠番組をヒットさせたが、MCという立場には決してならない人だった。常に演じるコメディアンだった。役者として多数の出演をしていると勝手に思い込んでいたが、それも数えるほど。映画初主演は、逝去で叶わなかった。映画マニアの志村けんさんが、自分の芸人人生に映画という繰り返し観られるメディアで普遍的な笑いを追求しようとしたのではないかと勝手に思っているので、思いが叶わなかったことは哀しい。

代役は沢田研二と発表された。

個人的には、代役はコメディアンか、ベテラン役者(沢田研二もベテラン役者ではあるが)だと思っていたので、驚いたが、故志村けんさんの初主演、そして最後の主演である映画の代役という大役を引き受けるのは非常に沢田研二らしいと思った。決まっても本人は全くコメントしない。それも沢田研二らしい。

今は、テレビに出演せず、昭和のヒット曲特番で沢田研二の映像、歌が流れることは殆どない。昭和最大のシンガー、大スターである。数えきれないヒット曲があるのにレコード大賞ぐらいしか映像が流れないのは不自然だ。
これは完全な僕の予想で、事実はわからないが、沢田研二自身が当時の映像の使用を認めないのであろう。
当時、最大のスターであるのに、歌番組と並行して、ドタバタバラエティに[こだわりなく]出演していた。志村けんさんとも多数共演している。スーパースターであったから、そのような番組への出演を拒否してもいいと思うのだが、ジュリーは[ごだわりなく]淡々と当時の自分の役割を果たすというスタンスを貫いた。

志村さん逝去の一年前には、ライバルであり、同志であった萩原健一:ショーケンが逝去した。
ジュリーとショーケン:萩原健一の接点といえば、GSのスターであり、日本で最初で最後であろうスーパーグループPYGのツインボーカルであったこと。古今東西、スーパーグループと言われたグループは短命である。スーパーグループというのはファンの期待は集めるが、一方金の匂いがしてしまうし、音楽性もバラバラ。GSという金の匂いがするムーブメントから出来上がったPYGも当時のロックに心酔してた自称《本格的ロックファン》から罵倒され、音楽性云々ではなく活動が頓挫した。
因みに金儲けでロックバンドを結成するというのは、僕は大好きだ。ジミー・ペイジはツェッペリンを結成するにあたり「金儲けをしよう」とメンバーにもちかけたということを読んだことがある。清志郎さんもよく歌っていた「もうけようぜ~」痛快だ。

PYGに集まった錚々たる沢田研二、メンバーは、純粋にロックを追求したかった。孤独なイメージがあるが、タイガース、PYGとグループに拘ったのは沢田研二である。だからタイガースは度々、同窓会、再結成をするのだ。仲間で、純粋にロックを追求したいという想いが沢田研二は強いし、他のメンバーも同じだったのだ。実際PYGは解散したという発表はしていない。PYGの挫折というのは、沢田研二に大きく影響している。

沢田研二のキャリアは大きく4段階に分かれる
第1期
デビュー期(ジュリー:多数派ロック路線)
タイガースでデビューし、トップGSバンドへ
第2期
本格ロックへの挑戦期(沢田研二:少数派ロック路線)
タイガースの不本意な解散後に、本格的なロックへの転身を図り、メッセージと力量を兼ね備えたスーパーバンドPYGを結成するが、商業主義と完全に否定され1年余りで活動は頓挫。
第3期
ヒットメイカー過激な商業主義追求期(ジュリー:多数派ロック路線)
事務所の意向でソロに転じ、それを受け入れたあとは、誰よりも商業主義に拘り、頂点へ
第4期
ステージ期(沢田研二:少数派ロック路線)
テレビからステージ中心、メッセージソングを発表する生身ロッカー沢田研二への転身。

一昨年、ジュリー≒沢田研二のステージを2回観た。
50周年記念LIVE 2017~2018NHKホール最終日
そして、70YEARS LIVE『OLD GUYS ROCK』2018.07武道館初日

両ステージとも、【振り返れば、素晴らしいステージ】だった。
全く対極の方法論のステージで、ジュリー≒沢田研二の【圧倒的な力量を示すステージ】であった。

50周年記念LIVE 2017~2018 。
沢田研二は近年のステージではヒット曲をそれほど演奏しなかったそうだが、このツアーは、第1期、第3期の多数派ロック路線全開のジュリーのヒット曲満載のステージであることを知り、そのステージを観た。50前後以上の僕の世代は第3期商業路線の徹底追求(ジュリー:多数派ロック路線)期に大いに影響を受けている。

まさにThe 50周年アニバーサリーの構成で長年のファンへの感謝を込めたステージは、ヒットメイカー過激な商業主義多数派ロックンローラー=ジュリーの凄みを凝縮して魅せる素晴らしいステージだった。
往年のヒット曲をワンコーラスであるが、約3時間強、50曲以上、アンコールの長めのMCを除いて一気に唄いきった。
豪華なステージセットがあるわけではない。バンドもシンプルな構成
現在の小太り、髭面、白髪頭の沢田研二が、かつての中性的で美しかった頃の大ヒット曲を中心に凝った演出もなく商業主義ロックシンガー ジュリーとしてその“歌”だけで勝負したステージだ
ルックスの話ばかりになってしまうが、現在のルックスの衰えからは考えられない体力、声。決して、沢田研二の魅力が当時の中性的な妖艶なルックスだけでなかったことを改めて確信できた。

そんな、ジュリーは、ステージでは長いMCはしない
“太ったとか自嘲気味のギャグぐらい”
「ありがとう、サンキュー、ありがとうね」とステージで左右前方にお辞儀を繰り返す。この[律儀さ][素っ気無さ]が沢田研二らしいのだ。歌を聴いてくれという姿勢、沢田研二の[誠実さ]がより伝わる。
アンコールではTVに出演しなくなり、コンサートの動員が増えるまでの苦悩を長めに話した。それは、非常に説得力のあるものだった。
50曲以上といっても、ヒット曲をすべて網羅しているわけではない。足りないのだ。もっと聴きたいナンバーがあるというのがファンの想い。それほどジュリーにはヒット曲があるのだ。

第3期の時代、商業主義を極めたジュリーのロックの功績を一言でいえば、【J-POPの元祖は沢田研二】であると個人的には思っている。

J-POPという言葉の登場で、それまで僕達世代が使っていたロック、ニューミュージック、歌謡曲というカテゴライズの意味をなくしてしまった。
が、そのカテゴライズの壁を言葉の登場の前にぶち壊したのは沢田研二である。以下、私見であるが、その根拠である。そして、J-POPという言葉の登場とともに沢田研二が低迷期に入ってしまうのは皮肉な事実だ。しかし、振り返ってみると、低迷期に入ったのではなく、意識的にそのステージから降りたのだと思う。

【J-POPの元祖は沢田研二】
という勝手な思い込みを3つの事実で証明してみたい。
1.国民的ミュージシャン、今、日本で最も影響力のあるミュージシャン桑田佳祐さん、 宮本浩次さんは沢田研二をリスペクトしている
桑田さんが、昨年で幕を閉じた、ひとり紅白歌合戦の歌唱曲を調べたら、全てのライブで 沢田研二を取り上げている。沢田研二がリードボーカルのタイガースも別に取り上げている。今年、最新のひとり紅白を観ることができたのだが、『時の過ぎゆくままに』だった。過去2回は、『勝手にしやがれ』 と『TOKIO』。『勝手にしやがれ』がサザンオールスターズのデビュー曲『勝手にシンドバッド』の由来になっているのは有名な話だ。 また、 宮本浩次さんは最近頻繁に沢田研二をカバーしている

2.ビジュアル系の元祖は沢田研二
化粧をしてお茶の間に登場し、男の化粧と派手な衣装を当たり前にしたのは沢田研二だ。当時、美しいルックスであった沢田研二の化粧とド派手な衣装は、妖艶な雰囲気なオーラを発し、そのルックスで非常に衝撃を与えた。
 が、それは、中性的であり、性的な印象を与えることはなかった。その後のビジュアル系の化粧、派手な衣装の元祖といえる。

3.日本のロックミュージックの数多くの若い才能を数多く取り上げ、ロックと歌謡曲の垣根を取り払ったイノベーターである。
現在の邦楽ロックのサウンド、歌詞のスタイルを作り上げた偉大なイノベーターの1人は間違いなく佐野元春である。佐野元春がブレイクする前に沢田研二は佐野元春の楽曲を取り上げ、シングルも発売している。佐野元春の初期の代表作 『彼女はデリケート』は沢田研二に書いた曲であるし、吉川晃司が現在でも頻繁にステージで取り上げる『すべてはこの夜に』はやはり沢田研二に提供したナンバーだ。
 沢田研二は、当時の【新進気鋭の多くのロックミュージシャンとの過激なコラボレーションをロックと歌謡曲の狭間:ハザマ】で繰り広げた。沢田研二は時代を読む嗅覚を持ち、次世代の優れたミュージシャンを発掘し、彼等の作品と自分の歌で激しいバトルを展開したのだ

故にJ-POPの元祖は沢田研二である。
特に、この時代第3期ヒットメイカー過激な商業主義追求期に僕たち世代はロックを感じていた。TVで毎日観ることができるロックだった。

沢田研二は一貫してスターであったが、その活動の振れ幅というのは、非常に大きい。それは、第2期本格ロックへの挑戦期のPYGによる本格ロックへの挑戦 の挫折への執念ではないだろうか?
PYGの失敗という沢田研二最大の挫折は、レコードセールス、売れてるという実績がなければ、自分のやりたい事が出来ないことを沢田研二に骨の髄まで知らしめた。
タイガース、PYGとグループに拘り続けた沢田研二は、最初は不本意ながら、ソロ歌手に転じたが、徐々に徹底した商業主義を追及する姿勢を強め、バラエティでドタバタギャグを演じることも厭わず、その後、何事もなかったかのように、自分のバンドで、全くの別世界の過激なロック歌謡曲を演奏するようになる。
根底に熱いロックへの想いを秘めながらも、今やるべきこと、役割を淡々とこなす、不思議なほどの[こだわりのなさ]を貫き通し、トップを極めた。
トップを極めると商業主義、売れることに徹底してこだわることに軸足を置きながら、その表現はさらにロック的になり、過激な最先端のロックの音とパフォーマンスをテレビという媒体を中心に発信する。

この沢田研二の地均しがあったからこそ、当時、ヒットへの近道だったテレビというメディアにロックミュージシャンが出演し、多くのミュージシャンが、テレビでインパクトあるパフォーマンスを繰り広げ、メジャーなミュージシャンになっていくことができたと思うのだ。
この第3期ヒットメイカー過激な商業主義追求期を凝縮したステージが50周年記念LIVEである。50曲以上歌ったのだが、あれもこれも聴きたかったという気持ちが正直なところである。

そんなファンの気持ちを察したかのように、最終日の場で、沢田研二は次のツアーの予定をぶち上げた。武道館初日、ヨコハマアリーナ、さいたまスーパーアリーナ、最後は武道館で締めくくる60数回のツアーを開催するという。
これは凄い。勝負にでたと思った。第4期ステージ期で過去最大の大規模なツアーである。
僕は勝手に今回のステージをグレードアップしたステージに違いない。必ず超満員だ。バンドも解散するという。メンバーも豪華ゲストミュージシャンで固めるはずだという妄想を膨らませた。これはいかなければならない。

その日のうちに友人3人ほどに
【正月明けに武道館に沢田研二を観に行こうぜ。絶対、凄いからさ】
と連絡した。
が、待ちきれず、フライングで次のステージを1人で観に行った
70YEARS LIVE『OLD GUYS ROCK』初日武道館である。
友人と行こうと約束したが、【待ちきれないし、何度観てもいいのだ】

70YEARS LIVE『OLD GUYS ROCK』2018.07武道館初日。

武道館はステージ後方まで超満員。何度も武道館には足を運んでいるが、ここまでの満員はなかなかお目にかかれない。熱気もすごい。これほど観客を動員するのかと改めて沢田研二の偉大さを感じる。
周囲から、50周年ライブの素晴らしさに魅了され、更にド派手なステージを期待した僕と同じ心境のファンの話し声が聞こえる。
ステージは今時の武道館の大がかりなステージセットにしては、違和感があるほど殺風景である。黒い板だけのステージ上にギターのアンプとマイクスタンドしかない。
武道館の広いステージがいつも観る以上に大きくみえる。
【きっとこれは、徐々にバンドが競りあがって来るに違いない】と期待が逆に膨らんだ。

開演時間ほぼ定刻時間に、ギタリストと沢田研二が登場。
ラウドなギターリフ。前回のステージでは演奏しなかった『カサブランカ・ダンディ』。お決まりの霧を吹くパフォーマンス。カッコよすぎるぜ。続いて、これも前回演奏しなかった佐野元春作の『彼女はデリケート』。前回演奏しなかった曲でオープニングとはさすがだ。ラウドなギターのアレンジもいい。
ここからどんなド派手なステージなるのだろうか?僕のテンションもマックスだ。
が、途中のMCで明らかになったが、ステージは、ギターと沢田研二 のボーカルのみで、短めに終了してしまった。

なぜ、今、この構成のツアーをするのか直後は全くわからなかった。正直に言うと、
このステージ直後の僕の感想は、このツアーは途中で軌道修正するのではないかと思ったのである。正直、客が入らないのではないかと思った。実際、ステージが終わると沢田研二のコアなファンである中高年の女性達の、これで終わりなの?と疑問が漏れ聴こえた。
50周年記念ライブのグレードアップをはかれば、ジュリー復活は、大々的に話題になり、コアなファンが、子ども、孫を連れて満杯になったであろう。沢田研二にとっては、そのスタイルでライブを実践することは、難しくはないはずだ。が、沢田研二は、全く違うアプローチでステージを展開したのである。なぜ、成功の法則ではなく、ある意味、挑戦的なステージング、そしてメジャーなナンバーは最小限にし、メッセージ性の強いナンバーのライブにしたのか答えがなかった。
テレビをほぼ引退し、ままならない集客のステージを淡々とこなし(沢田研二は人気絶頂のときからステージは続けている)、徐々に観客動員を増やしてきた。およそ20年。そして、このCDの売れない時代に、ミニアルバムが多いが、政治的メッセージ性の強い、新曲を発表し、ステージで演奏する。このステージでも最新のミニアルバムを全曲演奏した。アルバム発売とステージというロックの基本的なフォーマットを繰り返し、ツアーの規模を拡大してきた。

それはきっと、現役ロッカーにこだわり続けた沢田研二の矜持である。
そう振り返ってみるとこのステージは後述する沢田研二の【挫折への執念と生身の熱いロッカーとしての想いを凝縮したステージ】だった

デビュー当時から、完全に別格のシンガーとしての才能と美しいルックスで、スーパースターであった沢田研二は常に商業主義の象徴であったが、テレビというメディアを降りたときに、商業主義ではない生身の団塊の世代の沢田研二として、反体制少数派ロックロックンローラーとして大きなステージに立つことを目標にしたのだと思う。

沢田研二は、“天賦の才”に恵まれた天才。常に大スターである。
それは歌謡曲、芸能界というフィールドで語られることが多いが、沢田研二の本質はロックへの熱い思いを持ち続けたロックシンガーである。
PYGの否定という事実は、ロックシンガー沢田研二にとっての自己否定に近い最大の挫折であったと同時に、その後の沢田研二の活動のエネルギーであった。第3期ヒットメイカー過激な商業主義追求期という華々しい舞台を自ら降り、第4期ステージロッカー期への移行の決意を促したのもこの挫折の要素が大きいと思う。
そこには、沢田研二のリベンジしてやるという執念のようなものを感じる。

その執念を、2つの全く異なるステージで沢田研二≒ジュリーは表現したのだ
多数派ロックを表現した50周年記念LIVE 2017~2018。少数派ロックを表現した70YEARS LIVE『OLD GUYS ROCK』。

沢田研二も70歳。ステージへの観客動員が復活した今こそ、2面性を大観衆の前で表現する時間(とき)である。それほど時間はないのだ

PYGはその音楽性を評価されることなく、当時のロック界から商業主義と否定された。少数派であることがロックなのか、そうだとすると沢田研二がファンだと公言するスタジアムバンド、ローリング・ストーンズはロックバンドではないのか?商業主義でしかないのか?否定するのがロックなのか、ロックとは多様性を認める音楽ではないのか、沢田研二はその葛藤を抱え、ロックとはなんなのかと常にこの答えを探して葛藤してきた。

ロックとはなんなのか?

PYGの挫折を経て、沢田研二はジュリーになり、商業主義の頂点を極めた。そこにはなりふり構わず、自分に与えられた使命を淡々とこなす[律儀]さと同居した[反骨]がある。歌謡曲というフィールドを嫌う少数派ロックファンに対して、売れることで回答し続けた。ロックを追求するという挑戦をやめないために、テレビという媒体がヒットに結び付く時代だからこそ、淡々とテレビの要求に応え、イチバンを獲得し続けた。

そこには、ロックンローラーであるということを声高々に訴えない沢田研二の自己保身はしないという覚悟を感じずにはいられない。

沢田研二は、僕の記憶だと、かつて、「自分は暗い性格で、芸能界にいなければ、青白い顔をして家に閉じこもっているような人間」だと、インタビューで答えている。実際、ソロ初期の名盤『今 僕は倖せです』というすべて自作曲のアルバムは、非常に内省的なおよそアイドルらしくない暗いトーンのアルバムだ。その自分の資質を知っていたからこそソングライターとして、多数派ロッカージュリーは、自分の書いたナンバーは殆ど歌わなかった。

沢田研二は同時に短気で激情型の人でもあり、数々の事件も起こしている。感情が瞬間的に爆発してしまうということ度々あった。その発言は、度々メディアを賑わせる。そんな気質を制御できないのだ。
しかし、激情の末のトラブル時の対応は、彼らしい〔潔さ〕がある。かつては自ら自粛をし、そして、近年の一連の騒動の際には、大騒ぎになったが、沢田研二の〔潔い〕コメントで騒動は終わってしまった。
沢田研二は自らマスコミのインタビューにたった一人で答え、「自分の実力不足」であると認めた。約束を守らなかったイベンターへの怒りはあったであろうにそれを大きく訴えることなかった。
これが沢田研二の[潔さ][純粋さ][状況を受け入れる][多様性を認めると]という価値観【生きざま】なのだ。
何もかも引き受ける、最後は自分が責任をとるという彼の〔潔さ〕が「自分の実力不足」というコメントになり、その〔潔い〕対応で騒動は消えてしまった。

因みに、僕は外国人の大物ミュージシャンのドタキャンを3回経験している。そのうち1度は、会場に入場してからだ。酷い話だが、体調不良では仕方がない。
体調不良であるが故に、観客も世間は大騒ぎもしなかった。
沢田研二も体調不良で入院としておけば大騒ぎにもなっていなかったろうが、それをしないのが沢田研二である。そんな沢田研二の[潔さ]に憧れとささやかなシンパシーを感じるのだ。

沢田研二は、自己制御を第4期に開放し、自作曲を多数発表し、団塊の世代としての沢田研二の感情を爆発させた。だから、反原発を掲げ、『わが窮状』を彼の本能に従って、自ら作り、歌うのだ。それが今の沢田研二のロックなのだ。
そこには、ザ・芸能界を極めた沢田研二だからこその説得力がある。自己制御を解放したステージの集大成が70YEARS LIVE『OLD GUYS ROCK』だったのだ。

沢田研二は今年はツアーはないであろう。しかし、この事態が収束し、志村けんさんの映画がクランクアップ後の沢田研二の音楽活動に注目している。次のステージの沢田研二を観てみたいのだ。

次の沢田研二を観たいが、是非、沢田研二にはお願いしたいことがある。それは、僕たちを熱狂させたかつてのジュリーのように、若いファンと向き合って欲しいという想いだ。

現在の沢田研二のステージは、平日でも開演時間が15時~17時である場合が多い。それは働き盛り?の僕の世代から、若い音楽ファンへアプローチする時間ではない。リタイアも近い、すでにリタイアした沢田研二のコアのファン層への配慮だと思う。ビジネスであるかぎりこの選択は正しいと思う。

しかし、沢田研二が自らのロックを赤裸々にさらけ出した70YEARS LIVE『OLD GUYS ROCK』2018を終えた今こそ、自身のロックを問うべきは、これからの時代を担う若いファンだと思うのだ。過激に時代と渡り合い、若いシンガー、若いファンに戦いを挑んだ沢田研二をもう一度みてみたい。
かつて、イチバン≒売れること に固執し、ジュリーが切り開いたロックはJ-POPとしてメジャーになり巨大マーケットになった。そんな時代に、時代を歌ってきたイノベーター沢田研二の凄みを若い音楽ファンに魅せつけてほしいのだ。

それにふさわしい場は、ロックフェスのステージだ。
 

多くの大御所といわれるミュージシャンがフェスに集まる若いファンに対峙し、その熱気を肌で感じ、若いファンを増やしている。若いファンも新しい音楽として大御所ミュージシャンの音楽に触れる場でファンになるという好循環がうまれている。
幸か不幸か、近年の騒動で、沢田研二が世間の注目を浴びることは確かだ。素人の僕が考えると観客動員も問題ない気がする。

沢田研二の 生きざま≒ロック は常に真正面から沢田研二の戦いを挑み、[卑屈][保身]を嫌い、[潔さ]を信条にしてきた。 だからこそこのタイミングを逃さず、その開放的なステージで自分のロックを魅せてほしい。

余計なお世話だと沢田研二は言うかもしれない。

小さなフェスに1度しか行ったことがない僕だが、2回目のフェスは沢田研二の出演するフェスにしたいと思っている。かつて、沢田研二に楽曲を提供して注目された佐野元春は、「僕はティーネイジャーのためのナンバーを歌いたいんだ」とMCで度々いう。
それは、かつてのジュリーが常に若いアイドルと渡り合い、自分のロックを問い続けてきた姿勢と同じである。

若いファン対峙するロックフェスという場で沢田研二が観客と向かい合ったとき、商業性、エンターテイメントの極致≒ジュリー 政治的メッセージ性≒沢田研二 が融合した理想的なロックになるはずだ。

それは、第5期フェス期 沢田研二≒ジュリーのロックの始まりである

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