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2019年と2020年のカニエ・ウェスト。

『Jesus Is King』とCOVID-19、そしてBlack Lives Matter。

近年、数ある音楽フェスの中でもその文化的影響力の高さから“世界一”の呼び声も高いアメリカ最大の音楽フェス「コーチェラ・フェスティバル」。その影響力ゆえ、ヘッドライナーに求められる期待も年々上昇している。音楽史上初めてラップの売上がロックを超えた2017年のケンドリック・ラマーのステージ――派手な装飾は一切なく、楽曲のライブアレンジを担当するメンバーの姿も見えない、巨大なLEDスクリーンの明かりが照らすだだっ広いシンプルなステージは、身体性が伴う(ある種ダンス的と言ってもいい)ラップという歌唱法と、それを扱うシンガーとして超一流のケンドリック・ラマーの一挙手一投足の美しさを簡潔に伝えるとともに、『To Pimp A Butterfly』や『DAMN.』にあった“王者の孤独”を象徴的に視覚化していた。

翌年2018年、同フェス初の黒人女性ヘッドライナーとなるビヨンセのステージ(通称“Beychella”)――ピラミッドを彷彿とさせる階段状にそびえるステージにびっしりと並ぶ総勢200名の出演者(マーチングバンド&ダンサー)と、その中心に圧倒的な説得力で立つビヨンセ。彼女のルーツであるニューオリンズのセカンドラインから最新のトラップまで、アメリカのポップミュージックの歴史は様々な国と文化のレファレンスによって成り立っているという優れた批評を最高のエンターテイメントとして提示する音楽史に残るステージとなった。

そして、2019年――ケンドリック・ラマーのミニマルさ、ビヨンセの圧倒的物量と2年連続で対象的な“王者のステージ”が披露された後で、チャイルディッシュ・ガンビーノは全く違うアプローチでエポックなステージを披露した。それは「ライブ配信をカメラワークと編集によりリアルタイムで映像作品にする」というもの。ライブ前日にAmazon Primeで自身主演の短編映画『Guava Island』(ヒロ・ムライ監督)を公開したのも含め、俳優としても活躍する彼は「表情や動きの微妙なニュアンスで物語を語る力」で、音楽と映像の現場をクロスオーバーさせた。この「音楽と映像」の時代の予感は2020年に待ち受けているCOVID-19という“点”に向かっていくのだが、その予感を2019年のコーチェラで共有していたもう一人の人物がカニエ・ウェストだった。

2019年1月からカニエ・ウェスト主催で開催されていた「サンデー・サービス(日曜礼拝)」をコーチェラで開催するにあたり、普通のステージとは異なる場所に一から小高い「丘」が作られるなど、ヘッドライナーではないにも関わらず、その準備段階から特別なステージになるのは明白だった――ライブ当日の4月21日(イースター)、紫の衣装に身を包んだ約100名ほどのゴスペル・クワイアが丘に円を組み、カニエ自身の楽曲をはじめ、往年のソウルやファンクのナンバーをこの編成ならではのアレンジでプレイ、新曲“Water”も初披露した。

大人数の編成、ゴスペル経由でのルーツ回帰など、一見すればビヨンセの「Beychella」的とも言えるパフォーマンスだが、「Beychella」がれっきとした“ショー”だったのに対して、「サンデー・サービス」は(名前のとおりだが)通常のライブとは異なる即興的なラフさがあり、それはまるでアルバムの制作風景、1曲に複数のソングライターやプロデューサーが参加してヒットソングを生み出す、現在のポップミュージックシーンの主流「コーライティング方式」のライブ映像を見ているようだった。2010年代において、カニエ・ウェストは自身を神格化するような壮大な演出、設計のステージだったのに対して、「サンデー・サービス」の主役はあくまでステージ全体で、自身は大勢の演者の中の1人としてあまり前に出てこなかったのも「コーライティング方式」のイメージと重なり、“神”から“神に見られる立場”に変わったこともよくわかる。

アパレルブランド「Yeezy」の立ち上げなど、カニエ・ウェストは広い意味での現代アートを体現、あらゆる角度で(音楽の流行りも含め)「デザインを更新」してきた人物だ。そこにはもちろんライブパフォーマンスにおけるデザインも含まれるのだが、今回の「サンデー・サービス」は“空間設計”の側面が強く、その“空間”の範囲はライブ配信を通して世界中にまで及ぶ。配信画面を瞳(神の視点)のような円形に切り取ることで、現代の私たちの世界に通じる窓であるディスプレイのデザインを四角から丸に変えた。そんなカニエ・ウェストのデザインへの探求は国家を新しくデザインすることへ向かい、アメリカ大統領への出馬はそのための“ツール”で(そんなヤツに政治を任せていいワケがない)、その変化の“はじまり”を克明に記録した作品が9thアルバム『Jesus Is King』だった。

チャイルディッシュ・ガンビーノの『Guava Island』のように、アルバム発表当日の2019年10月25日にIMAXシアターで短編映画『ジーザス・イズ・キング』(ニック・ナイト監督)が公開される。ジェームズ・タレル作の『ローデン・クレーター』を撮影地にしたビジュアルと、宗教をテーマにしている点でホドロフスキー監督の『ホーリー・マウンテン』(1973年)を彷彿とさせる本作は、画面を円形にカットし、その円を長回しのショットの中で徐々に広げていく編集から「サンデー・サービス」のライブ配信と同じ“空間設計”が目的にあり、ゴスペルをIMAXの音響で鳴らすことで、映画館を「暗闇の中で映写機の光を通して芸術に祈りを捧げる教会」として再定義してみせた。アルバム『Jesus Is King』の特異なミックスも、この“空間設計”の延長線上にあると思われる。

R&B/ヒップホップアルバム、ラップアルバムチャートに留まらず、クリスチャンアルバム、ゴスペルアルバムチャートでも首位を獲得した『Jesus Is King』は、1stアルバム『The Collage Dropout』(2004年)の頃からあったカニエ・ウェストのクリスチャニティが本格的にゴスペルに接近した作品である。しかし、そんな「ゴスペルアルバム」という前提は、前半の1曲目から6曲目にかけての僅か13分で吹っ飛んでしまう。

ゴスペル・クワイアの歌声がまるでサンプリング感覚の暴力性でループされて突然終わる1曲目“Every Hour”から、クワイアによるハレルヤのチャントとカニエ・ウェストの声のミックスが歪なバランスで同居している2曲目“Selah”、ゼロ年代前期カニエを彷彿とさせるサンプリングループと強靭なドラムミックスに驚かされる3曲目“Follow God”、かと思えばドラムはもう十分だろと言わんばかりにドラムレスになり、これまた特殊なボーカルミックスを施されたカニエが「日曜日は定休にしよう/君は俺のチックフィレイだから」と提案する4曲目“Closed on Sunday”、ゼロ年代後期カニエを彷彿とさせるシンセ使いの5曲目“On God”、そして、タイ・ダラー・サインとアント・クレモンズを招集し、ハイハットの刻みに僅かにトラップシーンとの繋がりを感じさせる6曲目“Everything We Need”ーーこの次々と展開していく怒涛の前半13分だけで、全11曲27分のタイトな構成ながらアルバムという単位の有効性を示そうとしていること、さらに全体のミックスが整頓とは違う方向の歪さで統一されていることがわかる。とくにボーカルミックスの違和感は、まるでカニエ・ウェストの声を無理やり“説教”に変えようとしているようだ。

そんな歪な本作において“Use This Gospel”は実に象徴的な1曲である。重要なのは――まるで踏切のように忙しなく鳴り響く単音も、久しぶりに集結したプシャ・Tとノー・マリスによるラップも、スムーズなケニー・Gがワンポイント遅れて、まるでMPCのパッドを叩いて始まるかのようなソプラノサックスソロも、2分目以降カニエ・ウェストは登場せず、デジタル・クワイアの歌声がさらに厚く空間を支配し、その不在を埋めるかのようにビートが鳴って大団円を迎えるのも――すべてはカニエ・ウェストの鼻歌から始まっている点である。カニエのアカペラ(アイデア)を元に複数のプロデューサーたちが曲を作っていく様子がこれほどわかる曲もないだろう。それは本作の魅力が「ゴスペル」ではなく、あくまでゴスペルを“Use”するカニエ・ウェストの歪さに貫かれていることを証明している。『Jesus Is King』のミックスやゴスペルの歪さから聴こえてくるのは、芸術と政治をデザインで横断しようとする天才の狂気と傲慢だ。アルバムの最後を飾る“Jesus Is Lord”のあまりに唐突な幕切れは新たな始まりを予感させるが、その先に見える風景に私は恐怖しか感じない。しかし、真に恐ろしいのは、それでもなお、本作にふたたび耳を傾けてしまうことだろう。

Every knee shall bow
Every tongue confess
Jesus is Lord
Jesus is Lord

すべての人は跪き
すべての舌が懺悔する
イエス様こそが神
イエス様こそが神

“Jesus Is Lord”より引用。

2019年は――フランス『ル・ポワン』誌に「これは連続ドラマではなく、惑星的なミサだ」と評された『ゲーム・オブ・スローンズ』が終わり、インフィニティ・サーガの最終作『アベンジャーズ/エンドゲーム』が全世界歴代興行収入1位を記録した年で、言うなれば「人々が集まり熱狂を生んでいくアートフォーム」に一区切りついた年だった。その点で「サンデー・サービス」を経由して完成した『Jesus Is King』も実に2019年的な作品だったワケだが、その“一区切り”はCOVID-19で決定的になる。

2020年のコーチェラ・フェスティバルはCOVID-19により中止、ヘッドライナーを務める予定だったトラヴィス・スコットのステージはオンラインへと場所を移す――2020年4月24日、オンラインゲーム『フォートナイト』内で開催されたバーチャルライブ『Astronomical』は同時接続数1230万という数字を叩き出し、“大規模コンサートイベント”となる。今回の『Astronomical』が今までのバーチャルライブと一線を画していたのは、プレイヤーの視点の移動や、アクションによる浮遊感の演出で、現実では実現不可能な形の“熱狂の場”を生み出した点だ。実際のツアーでもステージにローラーコースターを設置するなどして観客を驚かせてきたトラヴィス・スコットだが、アルバム『ASTROWORLD』のコンセプトのひとつである“遊園地”、そしてサイケデリックアルバムとしての側面をライブ化するのに『フォートナイト』はもっともふさわしい会場だった。結果的にはなるが、2019年にチャイルディッシュ・ガンビーノのステージが示した「音楽と映像」の時代の先に待っていたのは『フォートナイト』だったのだ。

COVID-19が加速させた新しい“熱狂の場”の裏で、“映画館”は文化としての役割を終える瀬戸際、それを食い止めようと劇場公開に踏み切った『テネット』(クリストファー・ノーラン監督)にも、トラヴィス・スコットは楽曲提供で参加している。一方、開催出来なくなったカニエ・ウェストの「サンデー・サービス」を【 I’m just tryna put the spirit in your Yeezy Boosts / Every day is Sunday mornin’, woo, you hella late 】(“53.49”より引用)と言って引き継いだのはチャイルディッシュ・ガンビーノだった。2020年3月15日(日曜日)に限定12時間で急遽発表され、後に正式リリースされた『3.15.20』はCOVID-19の初期の混乱をパッケージするのと同時に、その混乱の中で苦しんでいる人々を勇気づける意思に溢れていた――2020年代初期の混乱において、世界は「慌ただしい沈黙」に包まれていたが、その沈黙は“8分46秒”の映像で破られる。

“Black Lives Matter”というスローガンは2012年のトレイボン・マーティン射殺事件をキッカケに生まれた。アメリカの長い黒人差別、人種主義の歴史(システム)に対抗するスローガンがまた新たに更新されても、悲惨な事件は止まらなかった。2020年5月25日、ジョージ・フロイドは警官に8分46秒間、首を押さえつけられて殺害された。COVID-19による死者も増え続けている中、アメリカの沈黙は破られ、人々は部屋からストリートへ飛び出し、“Black Lives Matter”を掲げた。

COVID-19初期において目立った行動がなかったカニエ・ウェストもここで動き出す。2020年6月30日に発表された“Wash Us In The Blood”のMV(アーサー・ジャファ監督)は、分割された画面の比率が慌ただしく変わりながら、“Black Lives Matter”の争点になった事件、デモの様子、CG、過去のライブ映像など、あらゆる映像素材が等価にコラージュされていて全体像が全く掴めない。これは兵器としてのテレビが最大の結果を残した9/11以降、私たち一人一人がカメラと発信できるメディアを手に入れた時代のリテラシーをコラージュ形式で再現した結果だろうが、MVである以上、当然この「全体像の掴めなさ」は楽曲の要請によるところが大きい。

ミックスが異常だった『Jesus Is King』に対して、“Wash Us In The Blood”はとにかく構成が異常である。サウンドモチーフの微妙な組み合わせの変化で、次から次へと驚くべき速さで展開が変わっていくのだが、全体としては恐ろしいほどに統一感があり、かなり注意深く聴かないと、この曲がどう展開しているか気付けない。例えばトラヴィス・スコットとカニエ・ウェストがヴァースの最後の小節で割り込んできてから次の展開へ移行する場面(1分50秒と2分4秒地点)はこの曲において比較的わかりやすい“陽動”だが、2分6秒 – 2分20秒で初登場した荘厳なSEが、2分34秒に再び現れたと思ったら2分42秒でしれっとフェードアウトする展開など、ホントに無秩序極まりないのだ。

この「全体像の掴めなさ」、「驚くべき速さで変わる展開」、そして「その展開の速さについて行けない(気付けない)」のは、まさに2020年上半期そのものであり、カニエ・ウェストの混沌そのものだ。世界情勢もカニエ・ウェストも、この先どこへ行くかまったくわからないし、そのことについて考えること自体どうかしているのかもしれない。2020年代の始まりはあまりにどうかしている。唯一の救いがあるとしたら、この時代から生まれる新しい表現だけだろう。それが“Come down”することを願うしかない。

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