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堂本剛・平安神宮奉納演奏に込めた祈り

人類は争うことをやめられるだろうか

「その昔、コロナという疫病が流行った頃の話じゃ。自由気ままに外出する事も、遠く離れた家族の元へ帰ることも許されず、人々は苦しんでいた。
ある者は、感染した者を責め、またある者は感染した事に自責の念を感じ、混沌とした世の中だったという。
そんな時、ある一人の男が平安神宮の地を訪れた。彼は、炎や水、光をも操り、世の平安を祈り、彼の歌声に呼応するかのように集まった仲間と共に音楽を奏でた。
その音楽を聴き、彼の祈りを受け取った人々は、心の平穏を取り戻すことが出来たそうじゃ。」

2020年9月26日。堂本剛・平安神宮奉納演奏の模様が配信された。

その映像を観た私は、古来から伝わる伝承とは、このように何かを見て心を強く動かされた人々が語り継いでいかなければいけないと感じた想いが残した物語なのかも知れないと感じた。
 

豪華絢爛、圧倒的映像美。そしてそれに勝るとも劣らない音楽。込められた強い想い。
観客のいない平安神宮で行われた奉納演奏。まるで、一篇の映画を観ているようでもあり、平安神宮に集った神々の現世に生きる人々への想いを具現化した祭事を覗き見しているようでもあった。
勿論、彼らは神ではなく、私達と同じ人間である。だけれど、そう感じてしまうほどに神秘的な空間だった。
同じ空の下で彼らの奏でる音楽を聴きたかったけれど、観客がいないからこそ出来たステージングなのが見て取れる。堂本剛とその仲間だけで執り行われる奉納演奏。その舞台の力を借りて届けられる私達へのメッセージ。
例年の観客を入れた平安神宮奉納演奏とは違い、物理的に離れた場所で、時には上空から時にはステージを駆け巡るように映し出される映像を観る事で、映画を鑑賞するかのように観る事が出来たからこそ、放たれたメッセージを正面から受け取ることが出来たのかも知れないと思うと、皮肉な話だ。

人類は経験したことのない今を生きている。

新型コロナウィルスが流行してから、攻撃的な言葉が増えた。攻撃的な行動も増えた。
正義感という名の元、それらを糾弾する人々も、攻撃的になっていた。

「人はいつ死ぬかわからない。だからこそ、会いたい人には出来る限り会っておくべきだ。」
コロナが流行する前なら、正しかったであろうこの言葉。
今では、会いに行けば大切な人を危険に晒す可能性もある世の中になってしまった。では、会いに行かなければ万事解決なのだろうか?
違う。コロナに罹る可能性を低くすることは出来ても、不慮の事故に巻き込まれて会えなくなる可能性は変わらない。
では、どうしろっていうのだろう。わからない。
感染を防ぐために或るいは感染させないために、手洗いうがいを続け、マスクを着け続け、熱中症になりそうになりながらなんとか夏を乗り越えた。
未だ、新型コロナウィルスとの闘いは終わりそうもない。

そんな毎日の中、堂本剛はラジオの中で時にはファンクラブ会員向けのサイトの中で、「こんな時だからこそ、争う事をやめて一つにならなきゃいけないのにな」というような主旨の発言をしていた。

その想いが、今回の平安神宮奉納演奏では色濃く表れていた。
 
 

「命として生まれ、そしてその命が消えていく、天に昇っていくというこの物語は皆本当同じなんだよっていう、一つなんだよっていうメッセージを今回投げたかったんですよね。」
冒頭、京都の空、風に揺れる木々などの風景を映しながら、堂本剛の言葉が流れる。

その言葉の後、映像は平安神宮の境内に場所を移す。
陽が落ちる頃、静寂に包まれる空間。遠くから微かに聞こえるのはツクツクボウシの鳴き声。そこにカツ、カツと本殿にゆっくり歩みを進める足音が聞こえてくる。
丁寧に二礼二拍一礼を行う堂本剛の姿を、遠くから映し出す。参拝を終えた彼は、本殿を後にして、数メートル歩みを進めると、本殿に向かい合うように佇む。
 

どこからともなく、雅楽のような音と共に、声明(しょうみょう)のような堂本剛とコーラス陣の歌声が聞こえてくる。天高く昇っていく、祈りにも似た歌声と共に、奉納演奏の幕が開ける。
 

最初に歌われたのはピアノの旋律が美しいバラード「ヒ ト ツ」

”誰か 生まれた…美しい日を 生きているよ
 誰か 旅立った…美しい日を 生きているよ

 戦う事で 消えてしまうのに…どうしてだろう
 戦わなくとも消えてしまうのに…どうしてだろう

 ぼくらは 傷つけ合うばかりさ…どうしてだろう”

”いつならばぼくら
 いつならばぼくら ひとつへ…
 辿り着くのだろう…辿り着けるだろう…

 出会いと…別れを…幾つ繰り返せば 逢えるのだろう

 ひとつ へ…”

繰り返される”どうしてだろう”の問いかけに、彼が普段から感じている人と人とが争うことへの静かな憤り、哀しみが伝わってくる。
最後の”ひとつ へ…”というフレーズで展開された伸びやかなロングトーンは、堂本剛の歌声が一筋の光となって、空へと突き刺すような心地さえした。
まるで祈祷するかのように丁寧に歌い上げられた「ヒ ト ツ」の後、ライトアップされた平安神宮の全貌が映し出される。

一時の静寂を間に挟み、堂本剛が本殿を背に向けて、歩みを進める。
砂で描かれた円陣の中央に立ち、彼が片腕を空へと掲げると、周囲に松明が六つ灯る。妖しげなベースラインが始まり、その音に身を任せ踊り始める堂本剛の姿は、フェイスベールと和装も相まって儀式を始める呪術師のようだった。

そこから始まったのは「HYBRID FUNK」
元々、アルバム「HYBRID FUNK」の中でもリード曲として、強いメッセージを放っている。リリース時、”誰かのあたしを生きる明日 目指すのは 勇者のようで勇者じゃない 虐められてること 気づいてみない?”という歌詞が頭にこびりついて離れなかった。
他人の為に生きるのではなく、自分を大切にして、自分のための人生を生きよう。そう歌っていた曲が今回の奉納演奏では聞き取れる限りでは以下のように歌詞変更されていた。
 

”ひとがひとであることを悔やむような
 悲しい現在(イマ)をねひとは止められないでばっか
 これじゃ死をいきそう 死を見そう
 いずれ 死ぬ 道中にも関わらず
 右往左往はすんなよ 魂を魅よう
 誰かも私も生きる一度きりなのさ
 泣き産声で始まった我らは同じだって気づいてみない?”
 

今回の平安神宮奉納演奏の為だけの歌詞だ。

堂本剛の音楽は、即興性が強い。CD音源をそのまま披露するよりも、アレンジをどんどん施し、その場限りでの音楽を鳴らす。それに対応できるバンドメンバーのスキルはさることながら、その時代に合わせて発信するべきメッセージを見極める堂本剛の感性にも驚かされる。
HYBRID FUNKをリリースした当時に発信した「自分のための人生を生きよう」という考えは今もきっと心に持っているであろう。
だけれど、今、伝えたいメッセージはそこではない。そこで紡がれた歌詞が前述した言葉たちだ。

HYBRID FUNKだけでなく、その他の曲でも歌詞変更が見受けられた。
 

”集中した 幾つもの感情が 君を0まで追い込み 飽きたら眠る”
”傷はつかない… 傷はつけない… 傷がいらない… 愛から逃げなさんな!”(愛 get 暴動 世界!!!)

”勇者を待つな!”というフレーズがインパクトの強い「愛 get 暴動 世界!!!」では連呼される「嘘」が「傷」に変更され、SNSを彷彿とさせる「集中した 幾つもの感情」が追い込む先は「人」ではなく「君」だった。
結局、人を傷つけるのは人で、飽きたら眠るような人たちの為に傷はつかない。自分もそういう連鎖に巻き込まれず、傷はつけない。そもそも傷なんていらない。
自分を守ってくれる勇者を待たず、自分が自分を、そして周りの人を助けてあげよう。

HYBRID FUNK歌唱後、堂本剛が立っていた六芒星をモチーフにしたであろう巨大な六角形のステージは、力強い音楽に込められたメッセージに呼応するかのように、赤、青、緑と様々な色彩を放ち、平安神宮本殿にもプロジェクションマッピングで映像が投影される。

その後のAGE DRUNKERでは軽快なリズムに乗せ
”君 救う為に 生まれてきたんだよ”
”愛す僕だけを 救えたら良いんだよ…じゃ駄目なのよ”

と歌い、White DRAGONでは

”僕らはいつになってもさ ひとつになれないんだ それにもう飽き飽きだ”
と、メッセージを放つ。

煌びやかなレーザービームや、ステージを這うような臨場感溢れるカメラ割などの演出、幾重にも重なる分厚いバンドの音を操るかのように、指先で指示出しをする堂本剛の姿と歌唱力に圧倒されながらも、耳はしっかりとその言葉を受け取る。
歌詞変更された部分も、されていない部分も、全てが今2020年のこの時代に生きる人々へ、自身の生き方・在り方を問いかけるようなメッセージに聴こえてくる。諦観の域に達しているような気さえするけれど、だからと言って見放したりはしない優しさを感じるのは、平安神宮奉納演奏という場だからだろうか。

続くバラードナンバー「Believe in intuition…」では、堂本剛はベースを演奏し、ボーカルをバンドメンバーに託す。メインボーカルと、コーラスを担うメンバーの周りには松明が再び登場し、彼らと堂本剛らバンドメンバーを更に大きく取り巻くように、六角形のステージの端には沢山の水柱が上がる。和風アレンジされた曲に合わせて上下する水柱は、楽曲に水の音をもたらし、揺れる松明の炎と共に、神秘的な雰囲気を醸し出す。

“Believe in intuition… Believe in intuition…
Be re born… We can be re born…” (Believe in intuition…)

「自分の直感を信じよう さすれば生まれ変われる」そんな風に繰り返し歌われるこの曲では、現れた水柱は、規則的に天へ向かって上がったり下がったりを繰り返しているかと思えば、ボーカルのリズムに合わせてリズミカルに跳ね上がる。
White DRAGONまでの曲で、人々へ願いを込めた堂本剛の祈りに神さまが応えて、ステージに参加したかのような、水や炎、光の精が現れたかのような幻想的な空間となる。
時折、平安神宮を遠くから覗くかのようなカメラ割が、何者かがその儀式を眺めているような気分にさせる。

Believe in intuition…が終わった後、空へと真っ直ぐ上がっていた水柱は、蒼い光を纏いながら弧を描き、堂本剛のピアノ演奏を見守る。
静かなピアノソロが終わり、ギターやパーカッションなど他の楽器も絡み合うように演奏に加わると、弧を描いていた水に炎が伝う。水と炎の融合。
どうやら、フレームファウンテンというらしいその演出は、まるで魔法のようで、弧を描く水の上を炎が伝うため、炎もアーチを描く。
上空からそのステージの全貌が映し出された時は、音楽に合わせて炎が舞を踊っているかのようだった。

勿論、現実的な話をしてしまうと、これは現代のテクノロジーと技術スタッフが成せた技ではあるけれど、時が古(いにしえ)ならば、怪しい呪術を行う者として訝しがられてひっ捕らえられたか、神の言葉を伝えるシャーマンとして敬われたかのどちらかであろう。

最後の歌唱曲では、そんな人間を超越した存在であるかのような佇まいは消え、一人の人間「堂本剛」として、静かに、だけれど力強く決意を込めるかのように「命のことづけ」を丁寧に歌い上げる。

世界はひとつになれないと歌いながらも、そんな中、音楽を鳴らす事で、虹をかけるよと空へ向かって歌う。

”傷つけあう 心を忘れるために 誰かが託した 欠片を楽器で鳴らすよ
 争うことが 止まない雨だとしても 誰かが託した 愛をいま鳴らすよ
 必ず 信じてみせるよ 必ず 命の虹を
 
 叶わず 砕けた想いを 叶わず 昇った想いを
 必ず かけてみせるよ 必ず 命の虹を
 必ず 命の虹を 必ず 命のことづけを”(命のことづけ)

その想いに呼応するように、再び現れた水柱は天高く伸び、「虹」という単語が出てきた瞬間、瞬く間に虹色に変わる。
六角形のステージの一辺一辺に14本の水柱がそれぞれ配置されていたのは、この虹色のグラデーションの為だろうか、と思う。
虹色の水柱に合わせて、平安神宮の空も虹色にライティングされる。
上空から映し出されるその光景は、もはやテーマパークのようでもあり、美しい堂本剛の歌声に心奪われながらも、豪華さに圧倒され、そのステージのあまりのかっこよさに笑いさえこみあげてきてしまうほどだった。

奉納演奏の最後を締めくくるのは、バンドメンバーのソロ回しがかっこいいセッションだ。
これまでの楽曲で言葉を尽くしてメッセージを伝えた奉納演奏の最後は、言葉なんか要らないとでも言うかのように、堂本剛はギターをかき鳴らし、バンドメンバーが音を重ねていく。
その曲調は、時にはラテン調、時には中華風、そして日本らしい和太鼓など、世界各地の音楽を奏でているようだった。
まるで思うように旅行すらままならない今、聴いている者を世界旅行に連れて行ってくれているようだった。
だけれど、やはり奉納演奏という性質上、音楽で世界を表現し、世界の平安を祈念する時間だったのかも知れない。
 

ここでもセッションの終盤の盛り上がりに合わせて、アーチ状の水を炎が伝い、派手な舞台が演出されるのだが、堂本剛のギターが鳴りやんだ瞬間、水のアーチは水柱へと変化し、水の音だけを残し、そして静かに消えていく。
さきほどまで、豪華にアップライトされていたステージは夜の闇へと消え、奉納演奏は幕を閉じる。

そして、数秒の静寂の後、夜になった平安神宮本殿に再び、堂本剛が参拝する。
祭りを終えた静かな境内に、堂本剛の参拝時の手を叩く音が響き、配信が終了した。
 

参拝に始まり、参拝に終わる。
 

あまりにも映像作品としても完璧である。映像に圧倒されすぎて、私は正しく彼のメッセージを受け取れただろうか。

だけれど、力強く歌われた彼の音楽に感動したのも事実である。
事前収録であったのも、映像美へのこだわりよりも、当日演奏の生配信だとファンが集まってしまうことへの配慮だろうと思う。
そう思えるだけでも、私なりに、今回の平安神宮奉納演奏に込められたメッセージを受け取れたのだと思いたい。
 

そして、迷ったり、苛立ったりしてしまいそうになった時は、この日限りの特別な音楽を思い出して、心穏やかに生きていきたい。
 

そうすれば、私がおばあさんになった頃、この話も案外、中らずと雖も遠からずな話になっているかも知れない。

「その昔、コロナという疫病が流行った頃の話じゃ。自由気ままに外出する事も、遠く離れた家族の元へ帰ることも許されず、人々は苦しんでいた。
ある者は、感染した者を責め、またある者は感染した事に自責の念を感じ、混沌とした世の中だったという。
そんな時、ある一人の男が平安神宮の地を訪れた。彼は、炎や水、光をも操り、世の平安を祈り、彼の歌声に呼応するかのように集まった仲間と共に音楽を奏でた。
その音楽を聴き、彼の祈りを受け取った人々は、心の平穏を取り戻すことが出来たそうじゃ。」
 
 
 

(※文中、””内は堂本剛の曲中より引用。歌詞変更により、書き起こし部分あり)

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