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そろそろ、吉井和哉のソロを

THE YELLOW MONKEY〜YOSHII LOVINSON〜ソロ期を私的に回顧する

クラシック音楽の事務所でアーティストマネージャーをやっている。
日本におけるクラシックのマーケットは、明治以降潜在的に備わってきた西洋文化への敬意と学習に基づいた歴史によって手厚く支えられていると言って過言ではなく、受け手も送り手も造り手も歴史を紐解き現在的な表現を求める謙虚さがあり、この文化をどう延命させていくかというゆるやかなコンセンサスがある。ような気がする。要するに、マーケットとしてはこれ以上広がらないだろうが、なくなりそうで絶対になくならないだろうという淡い期待があった。この2月までは。
自分が担当するアーティストたちのスケジュールがバタバタと消えていくのに呆然としている内に春が終わってしまった。聴衆はコンサートホールでの演奏に飢えているはずだと夏にはコンサートを開催したが青ざめるような現実に直面しただけだった。秋を迎えていろいろなことと折り合いをつけながらもコンサートの準備に明け暮れる日々が戻ってきた。
こんな状況に身を置きながらも今、改めて考えても、どう先細ろうがクラシックがなくなることはないだろう。年に一度もオーケストラなんか聴かないよという人はザラにいるだろうが芸術文化とはそう簡単に衰退しないものだ。だけど10年後に自分の居場所はここにあるだろうか?ブラックホールにいる気分だ。

5年ぶりに吉井和哉のソロ作品を漁る日々を過ごしている。コロナ禍でなければこんなに早く配信されなかったであろうイエモンの名古屋ドーム公演に圧倒され、衝撃の芸能ニュースにファン魂を掻き立てられたのが直接的な契機だが、本当に凄いアーティストだ、という前世紀から語り尽くされてきたことを自分なりに考えたくなった。

再集結したイエモンからは、解散前にはなかった明確なムードが感じ取れる。ロックバンドとしての物語を追求することに以前よりも重きが置かれているのだ。物語を完結させないことによって、そして不完全な存在であり続けることによってロックバンドとして完全に存在し続けることを目指しているように見える。
あの再結成がなぜあそこまでの熱狂を生んだかといえば、身も蓋もなく言えば20世紀のイエモンが築き上げた”伝説”があったからだ。その伝説を求めていたはずの僕たちは、彼らが新たに創るステージや音源に触れる度にそこには既に伝説などなかったことに気づく。そこにいたのは平均年齢50を越えたなんだか凄まじい、これまで何度も聴いて観てきたのに初めて触れるような錯覚を起こすほどにフレッシュなロックバンドだった。思うに、イエモンの伝説は1989年12月28日(ファンにはお馴染みのイエモンの誕生日だ)に始まって、吉井和哉の2013年のツアー「TOUR 2013 GOOD BY YOSHII KAZUYA」で一度終わっているのだ。

吉井和哉にとってデヴィッド・ボウイの存在がどれだけ影響を与えてきたのかは自身も含め至るところで語られてきた。イエモンが再結成を果たすのを見届けるかのようなタイミングでボウイは世を去ったが(訃報を車中で聴いた吉井は車を停めて3時間動くことができなかったという)、運命を強く信じる吉井にとってこのことは現在バンドを続けていく重要な動機になっているはずだ。
吉井がボウイから受けた影響、それはジギー・スターダスト時代のグラムロックスタイルだけではなく、自身を実験台として時代に提供し続けるという表現者としての本質的なアティテュードにあった。グラムロックのファースト、日本歌謡とアングラ文化のセカンド、ハードロックオペラのサード…というように一枚として似たようなアルバムを作ってこなかったのがイエモンのユニークなところだが、まさにボウイのキャリアの歩み方にも重なる。自分に新しい薬品を混ぜ合わせると何に変身するのか?そこにしか興味がないとすら感じるほど、その変化は激しい。但し、それはボウイが醸し出す知的アプローチというよりも日毎に増大/成長するかのような吉井の音楽性に引っ張られるかたちで変奏を重ねていった印象だ。すごいなと思うのは、ひとりの人間の表現がファンや世間をどんどん取り込んでいきながらかくも巨大な媒介を作り上げてしまったことだ。
そして、現在のイエモンには吉井個人の強烈な自我は突出して表に出てきていない。徹頭徹尾、この4人が集まった理由と意義と可能性を追求している印象で、昨年のアルバム『9999』で辿り着いた余分を削ぎ落とすだけ削ぎ落とし、磨けるだけ磨き上げた彫刻のように美しい旋律とグルーヴは再結成後のひとつの到達点と言えるだろう。4人で在り続けるために再び集まったという強い姿勢が見える。

そうなると聴く側というのは勝手なもので、吉井和哉のエゴ丸出しだった季節を懐かしくも思ってしまう。その先に待つ再結成という一先ずのエンディングへと向かう道のり。夜な夜なそんなプレイリストを作っては通勤する毎日だ。

YOSHII LOVINSON名義による2003年のソロデビュー曲「TALI」。ヒンディー語?と思いきや、韻というか駄洒落をライムの域にまで昇華させた歌詞が見事な新型のロックソングだった。「プライマル。」から2年以上。飢餓状態もここに極まるといった頃に出たこのシングルは本当によく聴いた。
しかし、翌年のソロデビューアルバム『at the BLACK HOLE』には愕然とした。メロディ、歌唱、演奏のどれを取ってもイエモンの記号性は見当たらなかった。本当にこの人はイエモンを、バンドを失ってしまったんだとここで初めて気づかされた。そんな極北の景色をCDとして世に出す吉井の現在に戦慄すると同時に、ここが出発点なんだという確かな手応えもアルバムのそこかしこに聴くことができた。そして、その年の夏に吉井はイエモンを解散させる。
ファーストと対になるタイトルのセカンド『WHITE ROOM』。ファーストのローファイなグルーヴをそのままバンドサウンドで展開したような異形のロックアルバムだ。解散した途端、骨格の作りからしてイエモンにはなかった新しいメロディが溢れ出てきたのが嬉しかった。
名義を吉井和哉に変えてからの3作『39108』(2006)『Hummingbird in Forest of Space』(2007)『VOLT』(2009)で、吉井が目指す方向がはっきりと定まった。ジョシュ・フリーズ(Dr.)らアメリカのトッププレイヤーを擁した作品群は、とにかくハイクオリティの一言に尽きたし、アートファームのひとつとして自分はロックをどこまで持っていけるのか、そんな視線が見えた。アートとしてのロックを追求する姿もまた、ボウイと重なるところと言える。
『Hummingbird』リリース後の2008年にはジョシュとギターのジュリアン・コリエルを招聘してのライブハウスツアーを敢行。ライブアルバム『Dragon head Miracle』を聴くと、吉井ですら付いていくのがやっとというほどにジョシュの放つグルーヴの迫力に圧倒される。作品だけでなく、プレゼンテーションの場も完璧に仕上げようとする態度は真摯そのもので、イエモン時代の傍若無人キャラとは違う横顔が窺えた。
『VOLT』リリース時の吉井の発言によると、この頃一度イエモンの再結成を試みたそうだ。そちらに踏み出さずに『VOLT』を完成させた意味は大きかったように思う。洋楽CDを思い切り意識したブックレット(山崎さんと井上さんというファン納得の人選による傑作ライナーノーツ掲載)を作るユーモアや、「フロリダ」で「アメリカで本当のロックが鳴っちゃったんだよ」と叫ぶ無邪気さもイエモン時代から失われなかった吉井の持ち味であり、鳴らすサウンドもイエモンとは全く違う音作りながらも『PUNCH DRUNKARD』以前の自然体な魅力を思い起こさせたし、今の吉井の体現するしなやかでタイトなグルーヴとかつてのイエモンのそれは最早重ならないようにさえ思えた。
次作『The Apples』は何よりもレコーディング方法に驚かされる。それまではアメリカで録音するのが常だった吉井が、自身のハウススタジオですべて自分の演奏で録音したという。更にドラムに至ってはあらゆる打楽器を自身で演奏したデータによって組み立てられているという!ファーストの姉妹作のようなプロダクションだが、果たして出来上がった作品はというとファーストに比肩するほどのオリジナリティに満ちた一枚となった。
リリース直前に東日本大震災と福島で原発の事故が起こる。ちょうど一週間後の3月18日、ミュージックステーションに出演した吉井はアルバム収録曲の「FLOWER」を歌った。もろオアシス節のバラードだが、その世界観は世相とリンクし、状況を背負って立とうする姿には大きなインパクトがあった。この時の録画はとにかく何度も観た。僕はと言えば大切なアーティストが来日する前日に地震が起こってしまい、ドイツのエージェントに「東京は無事だからとにかく来日できないか」と今思うとバカな交渉をしていた(ただ、この時はアートに出来ることはあった。目に見える恐怖と違って、目に見えない恐怖は人を疑心暗鬼にさせる。そうなるとアートへの関心はどんどん低くなっていく)。
それから2年後、ソロデビューから10年の区切りでベストアルバム『18』リリース。ツアー「TOUR 2013 GOOD BY YOSHII KAZUYA」開催。
同じ年の夏、吉井に再結成を決意させたロンドンでのストーンズのライブがあったり(という種明かしは再結成後であったが)、デビュー20周年ということでファン投票のベストアルバムやら映画「パンドラ」やらイエモンの音楽を再び追いかけていくのだが、何かというと僕の意識は春まで続いた「GOOD BY」ツアーに戻された。まず、ファン投票の一位が「バラ色の日々」だったこと。リリース時から大切な曲だったはずだが、活動休止を前にしてバンド時代には十分な舞台を用意してもらえたとは言えなかったこの曲を、吉井はソロ時代をかけて歌い続けており、これはその成果だとも言える。「GOOD BY」ツアーでもセットリストのクライマックスに配されていた。次に映画「パンドラ」。113本に渡るツアーのファイナル、その開演前の楽屋風景。吉井がラジカセを操作して静かに流れるジプシー・キングスの「A Mi Manera(マイ・ウェイ)」。『18』に収録された新曲「血潮」がなぜラテン風だったのか、なぜあんなに切ない気分にさせられたのか、このタイミングで発表されたのか、分かった気がした。

その後、日本コロムビアに復帰した吉井はソロ活動を再開させ、2015年に『STARLIGHT』を発表。ほとんど「太陽が燃えている」状態のリードトラック「(Everybody is) Like a Starlight」は予感を覚えるには十分だったが、アルバム自体はというとそれまでのソロ作にはなかった風通しの良さが感じられるばかりで、初めて捉えどころのなさを感じる一枚でもあった。

そうして後から思い起こすに、2013年までの吉井のソロとはアートとしてのロックを探求する10年でもあり、一度は全てを失った吉井がイエモンを取り戻すまでの10年だったと気づく。そしてその旅路はツアーファイナル、福島でラストに「JAM」を歌い終わったことで幕を閉じたのである。

ロックにしろクラシックにしろ、文化である以上過去を引き継ぎ自分たちの成果は未来への糧となるという流れの中を生きることになる。クラシックだったら江戸時代の頃にドイツで書かれたバッハの室内楽曲は現代まで忘れ去られなかったし、僕たちはバッハ自身が知り得なかった未来のバッハ作品の演奏を知っているのだと思うとおもしろいし、自分のように演奏をしない立場でも作品を失ってはならないと少し責任を感じたりする。バッハの霊感を得たいという理由で図書館からバッハの自筆譜を探してきてそれを使って演奏したりするヴァイオリン奏者もいて、そのアティテュードには敬意を覚える。僕からすると、自分が影響を受けたアーティスト、文化、プライベートも含めた人生体験が作品の中で彩りも鮮やかに混在している吉井和哉に魅力を感じるのは案外そのヴァイオリン奏者と似たような理由で、過去のロックや歌謡曲からの夥しいほど引用すら自身の表現の糧としているその姿は文化の担い手として信じられる。
不安に侵された2020年もあと3ヶ月。そろそろ吉井和哉のソロが聴きたくなってきた。

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