521 件掲載中 月間賞発表 毎月10日

2017年10月11日

noise-13D (20歳)
78
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

眩しい「僕だけの世界」へ

plentyと僕の話

plentyというバンドの音楽のなかにはいつも “僕” がいた、と思う。
はじめてplentyを聴いたころからずっと、僕はあの”僕”に憧れていた。

<明日こそきっと 諦めきれず手を伸ばす> “その叙情に”

<儚いこんな命でも / このぼくが捨てるまで / ぼくはいきたい> “ぼくがヒトであるなら”

<愚かしくも愛せはしないだろうか / 容易いようで難解な / 身悶えること僕の心を> “シャララ”

“僕”はいつも特別なところじゃなく、なんでもない日常のなかにいた。光を放ってくれるでもなく、手を引っ張っていくでもなく、ただ僕と同じような足取りですこし前を歩いていた。 よく周りから暗いとか言われて。 でも彼には自分自身と向き合うつよさがあって、それがすごくかっこよかった。
 

ラストアルバムとなった『life』をはじめて聴いたとき、plentyと自分の歩調がずれていくのを感じた。plentyの音楽に嘘はないと知っていたから、余計に不安になった。 歌詞カードを眺めてみても何故かしっくりこなくて、結局あまり聴けなかった。遅くなる前に、と初めてplentyのライブに行ったけれど、やっぱりひとりで聴くほうが自分には合うのかもしれないと思ったりもした。もう聴きつづけて5,6年は経っているんだ、たまにはそんなこともあるよね。 つぎのアルバムを待ってみよう。
でもそれから程なくしてplentyは解散を発表した。悲しいとかわからないとかいうより、こんなに悔しい別れがあってたまるかと思った。
 

僕にはいろいろな問題があった。
それに蓋をするように、その問題解決の術を阻む欠陥があった。
自分だけで片付けなくちゃならない。めんどくさいな。苦しい。他人に迷惑をかけなければいっか。
毎日を生き永らえることだけに執着して日々を過ごし、明日を恐れながらも未来を望んだ。
時が経てば世界か自分かどちらかが変わると思ったけれどそんなことはなくて、人生の初歩でコケたまま、ただまわりが大人になってゆくのをぼんやり眺めるだけだった。上手く取り繕ってなんとなくでもやりすごせていたらどんなに楽だっただろう。
自分の歩くスピードがわからなくなったとき、決まって聴くのはplentyで、そこにはいつも “僕” がいた。
いま思えば自分はplentyに “僕”を求めすぎていて、その存在を感じられなくなったことに勝手に失望していたんだと思う。 ひとりで聴いているとき、この音楽は僕のためだけに在ったから。 それだけを信頼して勝手に憧れを抱いた存在を見失って、言葉の力を感じられなくなって。
不安定なままチケット一般発売日まで迷って、それでもラストツアー『蒼き日々』へ行こうと決心したのは、lifeツアーでみた “枠” が忘れられなかったからだ。

きっとあの日がなかったら、僕はいまでもplentyを薄闇のなかでしか聴けなかったと思う。はじめてみる景色のなかで、自分がいままで体内で爆発させるしかなかった感情がエネルギーになって、空間に溶けていった。
慣れない自分では、やっぱりどんなに身体を歪めても腕をあげることができなかった。でもあのサビでフロアの腕が突き上げられる光景は眩しくて、力強くて、美しかった。言葉にならないけれど、音楽ってこういうものなんだと思った。自分のためのplentyがあって、それぞれのplentyがある、当然のことなのに初めて触れるものがあって、そこは思っていたよりも居心地が良い。アルバム『life』に自分がついていくようになったのは、ラストツアーも終わったあとだった。
 

9月16日、僕にとっては江沼さんの口から放たれた「さよなら」ということばよりも、さいごに演ってくれるだろうと確信していた”蒼き日々”よりも、 止まない拍手のなかで流れるImogen Heapの “hide and seek” がなによりも苦しいplentyとの別れだった。 なんでもないロードムービーのエンドロールみたいだな、いつもそんなことを思いながら聴く曲だった。 きっと、日本中、世界中のどこかでみんながplentyのことを想う一日だったはずだ。そんな日に空の見える場所を選んでくれたことが嬉しかったし、音が溶けていって世界だって変わる気がした。 街を歩く人みんながこの声に足を止めたらいいのに。 あれは五ヶ月間この日を待ちつづけた人みんなが、plentyからの「さよなら」を受けとる日だったように思う。
 

だからいつか自分のなかで、自分のために、感謝しきれない分もすべて込めてお別れしたい。いくつか好きなバンドの解散は経験したけれど、「解散発表」から「最後の日」までを見届けさせてもらえるのは初めてだったな。 バンドという生き物が消えるその意味を苦しいほどに理解した。すこし肌寒くなってきて、なんとなく実感も湧いてきた。
このさき僕がいきづまることがあったとして、きっといつかの君はまだそこにいるんだろう。plentyを聴いてきたおかげで、plentyが解散しても大丈夫だと思う。 でも、おなじ時を過ごしながら、僕が大人になるのを見届けてほしかった。そんなこと言ったらキリがないのもわかっているけれど、もっともっと続きが見たかった。
plentyが大好きです。
いままで傍にいてくれてありがとう。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい