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ネズミの着ぐるみをまとったアーティスト「ドクターFukase」

ファンタジーテーマパークでリアルの傷を癒してくれるバンド「SEKAI NO OWARI」

リアルのネズミは忌み嫌われがちで、厄介者扱いされたり、実験用ラットとしても命を軽視される不遇な存在なのに、どうして絵本やテーマパークのネズミは愛されキャラが多いんだろう…なんてぼんやり考えていた頃、ROCKIN’ON JAPANのセカオワインタビュー記事などを収めた単行本『SEKAI NO OWARI 世界の終わり』を購入した。その中で私が求めていた答えをFukaseが偶然、語っていた。これから随時、この本を参照していく。

〈要するに、僕はミッキーマウスみたいになりたいんだと思うんですよ。ミッキーマウスって、ネズミじゃないですか。で、あの当時、ネズミっていうのは、そんなにきれいなものじゃないんですよね。まあ今で言う、ゴキブリほどではないかもしれないですけど、あまり好かれる動物ではなかった。あれをシンボルとして続けていき、エンターテインメントとか幻想的なもので固めていくことで、ミッキーマウスってものができたと思うんですよ。〉(P80)

続けてSEKAI NO OWARIも“終わり”だからネガティブでネズミ寄りな存在だとも言っていた。なるほどなと思った。嫌われ者のリアルネズミをそのまま表現しようとしても大衆に受け入れてはもらえないから、幻想の力を借りて、夢の国の人気キャラクターに仕立て上げてしまえば、リアルではぱっとしないネズミも主役級ヒーローになれるんだと教えられ、Fukaseの言葉で妙に納得してしまった。

ネズミが肯定的に歌われている歌の代表格として、THE BLUE HEARTS 「リンダ リンダ」が挙げられる。

《ドブネズミみたいに美しくなりたい》

《ドブネズミみたいに誰よりもやさしい》

《ドブネズミみたいに何よりもあたたかく》

ドブネズミというネズミよりも汚らわしい表現で《美しく、やさしく、あたたかく》とポジティブな言葉を並べた甲本ヒロトはさすがパンク・ロック界の英雄的異端児である。この曲からは生々しいネズミの姿とえぐられた人間の心を容易に想像できる。

一方、セカオワのネズミ(色)曲「イルミネーション」の場合、さすがファンタジーが得意なだけあって、生々しさは緩和されている。

《どんな炎に焼かれても ただ一つ残る色だ》

《汚れたような色だねって そんなに拗ねるなよ》

《全部を混ぜあわせて ただ一つ出来る色だ》

《それ、鼠色だよねって 顔をしかめるなよ》

《強いようで弱い でも弱いようで強い君へ贈る色 グレー》

こんなにも鼠色が美しく思える物語調の歌を私は他に知らない。イルミネーションをモチーフにする場合、普通は“赤、青、黄色、緑”などを主役にしがちだけれど、セカオワは光り輝くイルミネーションよりも、“汚れたような色である鼠色”を主役に抜擢して、本来なら輝くことのないグレー色に光を与えてくれた。セカオワを好きな理由はここにある。

ネズミみたいな厄介者や、《汚れた荷物、笑えるくらいゴミみたい》「Hey Ho」の中で描かれたゴミみたいな汚れた荷物も彼らが歌えば不思議なことに美しく輝きを放つ。今年発表された「umbrella」だってそう。ビニール傘が主役になってしまうなんて、他に誰が考えるだろうか。歌えるだろうか。なぜセカオワは《ぼろぼろの思い出とか ばらばらに壊れた気持ち》「Hey Ho」というネガティブにしか捉えられないような屑みたいな存在のものをハッピーなメロディに乗せてFukaseのやさしい歌声で明るく奏でることができるのだろうかと不思議に思えた。その答えはすべてFukaseが歩んできた人生にあった。

Fukaseは過去に精神病院の閉鎖病棟に入院したことがあることも単行本には書かれていた。もちろんそれはすでに知っていた話だったけれど、今回、真剣に読んだことによって、より深く詳しく知ることができた。夢も希望も失って、何もない状況で彼は以下のように自身のことを振り返っている。

〈僕の原動力っていうのは、マイナスの要素が大きいんですよ。『苦しい』『悲しい』『どうしたらいいのかわからない』『怒り』『憎しみ』っていうものを、原動力に変えるというか〉(P55)

誰でもマイナス要素やコンプレックスを抱えて生きているけれど、みんながそれを原動力に変えることができるわけではない。むしろそういう負の面を原動力にして生きられる人は少ないだろう。だから私はFukaseが病気を抱えながらも老若男女を楽しませることのできるエンターテイナー目指してセカオワというバンド活動を続けていると知った時、すごい人だと頭が上がらなくなった。

Fukaseのことを語りたいのには理由がある。

12年前、私の妹はとっくに患っていた精神疾患が悪化して、たった数日間だけ閉鎖病棟の鍵のかかる牢屋みたいな隔離部屋に入院した。それをきっかけに私の家族は苦しめられ続けることになるとはその時は思いもしなかった。あの日から私の家だけ時間が止まった。

家族に対して攻撃的になったため、身の危険を感じて家族が緊急入院の手続きをしたものの、閉鎖病棟の知識がなく、いざ入院させてみれば面会もできないし、どうやら拘束されている様子だしと、妹のことを不憫に思った父があっと言う間に退院させてしまったのだ。「生きたまま棺に入れるようなことはしたくない」と。(拘束され、自由を奪われるような治療が父から見ればそう感じたらしい。)
退院させる際、母も同伴し、「なんで退院させようとするんだろう」というような看護師から送られた冷たい視線をいまだに忘れられないと言っている。

妹はたった数日間の入院がトラウマとなり、その後ますます病状は悪化した。被害妄想、恐怖や不安を緩和させるための浪費、迎えに行った母に対する依存、それから再入院させられたくない一心で、外来には通い続け、薬も拒否することなくむしろ積極的に服用し、副作用で手がこわばったり、歩行困難になったりもした。薬を変えてみる度に希死念慮や過食などの症状にも苦しめられた。不安、恐怖が強く、本人があまりにも頻繁に様々な所に1日中電話をかけまくるものだから、何度か措置(強制)入院の手続きもとられた。けれど入院に懲りている妹は入院が必要か判断する医師の前では冷静を装い、まともになって、入院の必要なしと判断されすぐに家に帰されるということを繰り返している。通販やネットゲームや母に依存する生活がいまだに続いており、本人はもちろん家族も疲弊している。

当初は精神病と診断されたものの、どうやらそもそも発達障害の自閉症スペクトラム(ASD)が主で、二次障害として様々な精神疾患が現れているらしい。つまりどんなに薬を服用し続けたところで、生まれつきの脳の問題なので、完治することはないのだ。薬では治せないけれど、主治医も訪問看護師も保健師もみんな「薬の服用が大切」と口を揃えて言う。だからその呪文みたいな言葉にすがるしかなくて、家族も本人も薬に頼りきってなんとか生活しているけれど、正直最近は元々の病気の症状なのか薬の相互作用なのか分からないような言動の偏り、妄想へのこだわりがひどくてうちの生活は荒んでいる。

こういうことは当事者でないと分からないことが多い。世間は「また騒いでいる、早く入院させればいいのに」とうんざり思うか、「かわいそうに」と気の毒に思うか、威圧か同情、それしかない。もはや助けてもらいたいとは考えていない。私も12年前はまだ若くて、病気の知識も何もなかったから、親戚に助けを求めたこともあったけれど、切羽詰まって涙を見せたところで「泣くなんて甘い」と諭されるだけで助けてはもらえなかった。もちろんやさしい言葉をかけてくれる親族もいたけれど、根本的に問題を解決してくれる人は誰もいなかった。だから頼るのは諦めた。うちのことは自分の家でなんとかするしかないんだと。

こんな暮らしを続けているせいか、閉鎖病棟に入院した経験を持ちつつ、しかも自らの力で薬を減らす努力をし(P283)(精神科の薬は増やすのは比較的簡単でも断薬は相当難しいことを知っているので本当に尊敬する)、決して良い思い出とは言えないような過去の経験も前向きに捉えて、すべてを失った状態で“終わりから始まり”を見出したFukaseが英雄に思えて仕方ないのである。

以下、「銀河街の悪夢」から引用する。

《精神を安定させるアイツの魔術は 苦しみだけじゃなく楽しみも消してく》

《憂鬱を抑えてくれるアノ子の呪いは 絶望だけじゃなく希望も無くしていく》

《「いいかい君は病気だから」とお医者さんがくれた この薬を飲んだなら深い眠りに堕ちるんだ》

この歌詞は壮絶なリアルの実体験を描いているはずなのに、《魔術》や《呪い》という抽象的なファンタジー表現を駆使することによって、暗さや重さが緩和されている。ここに苦しみや絶望を希望に変えたFukaseの手腕が垣間見える。

《そうさ誰のせいでもなくて僕の問題だから 僕のことは僕でしか変えることができないんだ》

《明日を夢見るから今日が変わらないんだ 僕らを動かせるのは自分だけだろう そんなことわかってるんだろう 強くなれ僕の同志よ》

マイナス要素を原動力に変える魔法を手に入れたFukaseは絶望的な歌も希望の歌に変えた。自分自身を奮い立たせるだけでなく、同じような病気で悩んでいる《同志》に勇気を与える歌を作ってくれた。歌詞だけなぞったら暗いし重いし、タイトルからして怖い。なのにこの曲もやっぱりセカオワマジックで、《PopでCuteなセカオワ「Melody」》「インスタントラジオ」だから、悪夢さえも希望に変えてくれるようなポップなメロディに救われる。もしも歌詞を知らずにメロディだけ聞いたら、どんなやさしく温かい歌詞が紡がれているんだろうと想像してしまうだろう。

この曲に限らず、セカオワの楽曲はそういう歌詞とメロディの対比構造が魅力でもある。「虹色の戦争」だって、先程引用した「Hey Ho」だって歌詞を知らずにインストでメロディだけ聞いたらなんてポップでキュートな歌なんだと錯覚してしまうだろう。その錯覚こそがセカオワの醍醐味である。

「RPG」がヒットして以降、一般的にセカオワは“ファンタジー”なイメージが定着しているものの、単に幻想的で夢見心地な楽曲を得意としているわけではないのである。最初に触れたネズミの話に戻るが、実はリアルでドブネズミのような辛辣な歌詞を紡ぎつつも、ポップでキャッチーなメロディとそれからセカオワというバンドメンバーのそれぞれの個性もファンタジー要素を加えたキャラクターに仕上げている点で、もしかしたら本当はパンク・ロックになるかもしれない社会風刺的な楽曲も“ファンタジー”要素の強い楽曲に変えてしまっているのである。

《「世間」という悪魔に惑わされないで 自分だけが決めた「答」を思い出して》「RPG」

《人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない だけど僕の「正義」がきっと彼を傷付けていたんだね》「Dragon Night」

どちらもファンタジーなエンターテインメントバンド・セカオワを象徴するヒット曲であるけれど、歌詞をよく読めば幻想的な楽曲と一言では言い切れないだろう。

そんな不思議な音楽性を手に入れることができたのはやはりFukaseの過酷な過去があってのことだと思う。努力して断薬も進めて、医者になりたいという夢をみつけて、また努力を重ねて勉強し続けていたのに、ある日突然勉強したはずのものをすべて忘れてしまう。(P283)せっかく閉鎖病棟や薬から抜け出して、夢もみつけたのに、努力したばすのことをきれいに忘れてしまうなんて、本当に酷な話だ。私がそういう立場になったら、おそらく立ち直れない。もう努力なんて二度とするかと投げやりになってしまう気がする。けれどFukaseは

〈もう何も持っていない、世界の終わりから始めることが俺にとって最高のポジティヴたったんですよ。〉

〈もはや『人より劣ってるって長所じゃん』って思ってたんですよ(笑)。そりゃあ脳のどこかが発達してないんだったら、他にどこかが発達してんだろみたいな。〉

〈悲観に思うことってすごく簡単なことですけど、それをポジティヴにいかに変換するかっていうことが、俺は必要なことだと思うから、今はもう俺、無敵だと思ってますね(笑)〉(P283-285)

ネガティブな経験さえ、ポジティブに変えて、前向きに捉えて、鍵のかかった薄暗い部屋に閉じこもっていたネズミのような自分を、華やかな夢の国にいるミッキーマウスへ自身を昇華させたのである。
すべてを失ったネズミにもう怖い物なんてない。音楽で生きていくと決めて努力し、猛進したネズミはいつの間にか本当にミッキーマウスのように誰からも愛されるファンタジーバンドの化身に生まれ変わっていた。
セカオワは日本のみならず、“End of the World”名義で海外にも進出しているし、こうなると本当にFukase、Nakajin、Saori、DJ LOVEという四人で作り上げたミッキーたちが暮らすファンタジーランドのようなバンドじゃないかと思ってしまう。

〈オリジナリティをもっと追及して深く深くしていきたい。そして子どもから大人まで楽しめる音楽を作りたいという気持ち。だから僕からしたら、ディズニーランドは最高の芸術ですよね〉(P165)

有言実行を果たしたFukaseは次のような発言もしている。

〈五味太郎先生っていう絵本作家の人がいて、その人が『主人公っていうのは、その対象を書くっていうよりも、その周りを描くことによってそれが主人公になっていく』っていうのを聞いて。だから俺っていうのは、周りでもあり、周りというのは俺なんだなと思ってるので。〉(P287)

まさにこの発言の通りで、Fukaseは音楽界におけるミッキーのような地位にいるかもしれないけれど、それは周囲の存在、他三人のメンバーがミニーやドナルドやグーフィーなど名脇役キャラを務めてくれているから、主人公ミッキーが際立つのだと思う。ファンタジーワールドの象徴として君臨できるのは、周りを固めてくれるキャラクターの存在が大きいのである。もちろん夢の国は魅力的なキャラクターだけでなく、それぞれのキャラを応援し、その場を訪れるファンがいてこそ成り立つのであって、セカオワの世界観はメンバーが作り上げる渾身の音楽をファンも楽しみながら何かを感じながら聞いてこそ、成立すると思う。四人と共にファンも一緒に楽しんでこそ、あのテーマパークのようなセカオワのライブが実現しているのだろうと思う。

Fukaseは苦しんだ時期が短くなかったかもしれないし、完治する病気ではなく、病気と〈一生付き合っていくんだ〉(P284)と医者からも言われているから、いまだに苦しくなる時だってあるかもしれない。けれどそんな素振りは見せずに夢心地のセカオワワールドのヒーローとして《同志》のような私たちを希望溢れる世界へ引き連れて行ってくれる。ミッキーマウスの着ぐるみみたいな身に着けるとなぜか力が湧いて、人々に勇気を振りまきたくなるセカオワミュージックを手に入れたネズミみたいだったFukaseはもはやネズミでもミッキーマウスでもなく、“Fukase”というキャラそのもので全世界のファンから愛されている。
愛くるしい着ぐるみをまとっていたとしても、実は永遠に伸び続ける牙のような歯を持つリアルネズミ(ネズミの歯はずっと伸び続けるらしい)みたいなFukaseもまだいて、着ぐるみの中では《「世間」という悪魔》に舌を出しているブラックFukaseも存在するかもしれない。けれどそれってとてつもなくすごいことなのではないか。まさにファンタジーマジックというか魔法の力としか考えられない。

私はそんなFukaseを筆頭とするセカオワメンバーから希望や勇気をもらいながら生きているので、本当は妹にもセカオワの音楽を勧めたい。勧められるものなら「聞いてみて」ととっくに教えている。でもそれはできない。今の妹にはすべての情報はたとえ音楽であっても、妄想の材料になってしまうから、関係妄想がひどくなるから、何も教えることはできないのである。精神科に行ったことがある人なら分かっていただけると思うが、待合室にテレビなどは設置されていないことが多い。ふいに見た情報によって病状が悪化してしまう人が少なくないからだと思う。もちろん音楽も流れていない。「耳障りだ」と言われることが多いため、リビングではボリュームを高くしてテレビを見ることも困難だ。特に長時間音楽番組はいろんなアーティストが出演しているから妄想がひどくなって見ていられないと本人から言われたこともある。だから一緒にいる時はテレビ等も控えざるを得ないのだけれど、家族は我慢すればいいからそれで良いとしても、よく考えれば本人は気の毒だなと思う。

だって普通なら、特に音楽文を書いたり読んだりしている人なら音楽が好きなことが前提で、様々な楽曲を聞けて当たり前で、大多数の人たちが純粋に音楽を楽しめているのに、病気によってそれさえできない人もいるんだから、精神疾患って残酷な病気だと改めて思う。きっと妹だけじゃなくて、同じような病気の人なら音楽さえ煩わしくて、脳が疲れると感じる人も世の中にはいるだろうから、音楽を楽しめるくらいの精神状態で暮らせる私たちは恵まれているんだと思う。

本当は音楽が好きな母も妹に依存されているせいで、堂々と音楽を聞けないから、看護している家族もやっぱりたいへんだなと思う。だからこれは当事者じゃないと分からないだろうけど、毎日気軽に音楽を楽しめている家庭はかなり平和で幸せな家庭だと私は思う。例えば恋人同士や家族同士で共通の音楽を楽しめている人たちはどんなに幸せなことか気付いてほしいと願う。音楽を楽しめることは当たり前のことではないから。

先程も述べた通り、別に同情してほしいとか、助けてほしいわけではなくて、こんな風に抑圧された環境下で生活し、世間から煙たがられるネズミみたいにひっそり暮らしている家族も存在することを知ってほしくて綴ってみた。

妹を救うことはできないかもしれないけれど、でも私はこんな不幸な家庭にいても、逆境の中にいても、失うことの方が多い人生だけど、セカオワの音楽を聞きながら、Fukaseと同じようにネガティブもポジティブに変えて、生き抜いてやろうって目論んでいる。マイナス要素が多い分、Fukaseくんに近付ける気がしている。さすがに世界的人気者のミッキーマウスにはなれそうもないけど、物書きとして地元ご当地キャラくらいにはなれるんじゃないかなと密かに夢見ている。

“ユマニチュード”という言葉をご存知だろうか。フランス語で“人間らしさ”を意味する。主に認知症患者などケアを必要とする人たちに向けた知覚・感覚・言語による包括的コミュニケーションに基づいたケア技法である。これは閉鎖病棟の隔離療法とは真逆というか、孤独にして拘束するのではなく、人間らしさを尊重して、相手を見たり、相手と話したり、相手に触れたりすることによって病状を和らげる技法である。夢みたいな話だけれど、もしもそんな精神病院があったら、拘束がかわいそうだと妹を連れ戻した父も納得して治療を受けさせることができるのになと思ったりする。投薬治療が主となっている精神医療の現状を変えられたらとも願ってしまう。

つまり何を言いたいのかと言うと、SEKAI NO OWARIというバンドは音楽でユマニチュードさえ実現してくれている気がするのである。ミッキーたちがいるテーマパークもそう言えば、見て触れ合うという知覚・感覚・言語による包括的コミュニケーションを実現させている。(残念ながら今はコロナで制限されていることも多いけど。)
セカオワのライブだってユマニチュードだ。みんなで見て、歌い合って、時にはメンバーと触れ合って、日常で精神的に傷付くこともあるファンたちは非日常のテーマパークみたいな楽しいその会場で、ケアされ、癒される。

そっか、Fukaseくんは医者を目指して勉強していて、でもせっかく勉強したことを全部忘れてしまって、悲しんだ過去もあるけれど、ファンにとっては音楽で心を癒してくれるお医者さんになったに違いないよ。夢の国の人気者だけじゃなくて、いつの間にかドクターにもなっていたよ。そのことをFukaseくんは気付いているのかな。勉強したことをひとつも忘れないで単純に普通の医者になるより、すべて忘れて無になった状態で一から音楽作り上げて、ミッキーマウスになって、ファンの心も癒せるドクターになった方がよっぽどすごい人生だと思う。

何もかも失っても、どんな状況になっても支え続けてくれる幼馴染メンバー三人という周りの人たちにも恵まれていたから、ミッキーにもドクターにもなれたわけだけれど、周囲に恵まれるってことはやはりFukaseが他者を惹きつける天性の人柄を持っているからだと思う。発達障害で脳の一部が未発達だとしても、Fukaseの持論の通り、やっぱり他に発達している部分はあるんだと確信できる。

他者から愛される性格、そして中学生の頃はコンプレックスだったという高い地声が実は美しい高音ボイスというボーカリストにとっては魅力的な武器となり、ますます他者を引き寄せ、努力だけではどうにもならない生まれ持っての障害を抱えている分、他の部分で天性の力を持っていると感じた。閉鎖病棟に閉じ込められるネズミなんかじゃなくて、ミッキーマウスやユマニチュードを施す医者になる素質は元々あったんだと。

まるで映画の主人公にもなったリアル“パッチ・アダムス”だ。医師である彼はホスピタルクラウン(臨床道化師)を始めた人である。精神病院に入院し、退院後、“問題から逃げるのではなく、社会改革を起こして立ち向かおうと決心”(Wikipediaから引用)したエピソードなんてまるでFukaseそのものだ。

セカオワにはDJ LOVEというクラウン(ピエロ)もいる。《どんな悲しいときも笑って 皆を笑わせようとする》「ピエロ」という楽曲もある。素顔を見せない道化師は笑っているようで、本当は涙を流しているのかもしれない。パッチ・アダムスみたいなネズミの道化師に扮したFukaseは自分の病気と綱渡り状態ながらも、ケアを必要とするファンのために必死でやさしい歌声を振りまいているのかもしれない。

障害者を英語では“Challenged(チャレンジド)=挑戦するチャンスを与えられた人”と呼称することが提唱されているらしい。ネガティブな存在から脱却し、ポジティブに生きようという思いが込められているらしいが、Fukaseはまさにチャレンジドでもある。
その言葉の通り、ネガティブな経験をポジティブという原動力に変えて、SEKAI NO OWARIという気付けばホスピタルでありテーマパークみたいなバンドを作ってしまって、周りのキャラクターに支えられながら、自身は世界的エンターテイナー兼クラウンドクターのような唯一無二のボーカリストとしての地位を築き上げた。すべてを失った彼の挑戦は見事に成功したのである。障害がある人はもちろん、障害はなくても何かに挑戦し続けているすべてのチャレンジドにとって、Fukaseは希望の光だ。

我が家の時が止まった年は子年だった。あれから12年。また子年の今年、ドブネズミみたいな自分が長々書いたところで我が家は何も変わらないかもしれない。でももしかしたら変えることができるかもしれないという僅かな希望を捨てずに、今日もまたSEKAI NO OWARIという遊んでいるうちに心癒される病院みたいなテーマパークで音楽を楽しんでいる。リアルの病院で処方されるどんな薬より、ドクターFukaseの歌声は心と体をケアしてくれる特効薬だと世界中の疲れている人々に広めたい。

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