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2017年10月11日

夢野つづく (23歳)
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混ざり合っている場所

サカナクションと制服を着た人たち

 人通りもまばらな駅前の広場で待ち合わせをしていた。目を落としていたスマートフォンからふと顔を上げると、徐々に制服を着た人たちが増えていることに気がついた。さっきまでそんなことはなかったのにどうしてだろうと考えていると、下校時間になったからであるということに思い当たった。
 元気よく友達数人で駆けて行く者もいれば、電話をしながら足早に歩いて行くものもいる。その地域の人ではない僕にとって、彼らが中学生なのか、高校生なのかはわからないが、一様に着られた制服から、その年代の人たちであるのだろうと察しがついた。

***

 山口一郎はアルバム「kikUUiki」について、このように語った。
”淡水と海水が混ざり合う場所を汽水域っていうんですけど、その汽水の「水」を「空」に変えて「kikUUiki」。混ざり合わないものが混ざり合ってる場所。”
(音楽ナタリー サカナクション 2010年代を貫く名盤「kikUUiki」誕生)

 本来混ざり合うことのないものが混ざり合う。文章だけで見ると全く矛盾しているように感じるが、人間が関わる事象においてこのようなことはよく起こる。制服を着ている彼らがまさにそうだ。制服を着ている人の多くは「思春期」と呼ばれる時期の真っ只中にいると思われるが、その思春期は「子ども」と「大人」が混ざり合っているのである。

 「kikUUiki」の中でも代表曲である「目が明く藍色」では、”制服”という言葉から歌詞が紡がれている。先ほど述べたような観点から考えていくと、制服を着ている彼らと、サカナクションの「kikUUiki」というアルバムはリンクしてくるのである。ここではkikUUikiという名盤を理解するために、彼らーー制服を着た人たちーーという視点からスポットライトを当てて見たいと思う。

 さて、「混ざり合っている」と言葉で言うのは簡単だが、実際にそこに身を置くとなると話は違ってくる。何かと何かの間に位置し、白黒はっきりしない時期と言うものはとても辛く、苦しい時期であるのだ。例えば制服を着た人たちは、それまで所属していた「子ども」というアイデンティティを突如奪われてしまう。かと言って彼らはそれで「大人」になれるわけではない。拠り所となるものが何もない状態で、新たに自分自身を構築しなければならないという非常にしんどい境遇に置かれているといえるだろう。
 サカナクションが「kikUUiki」というタイトルをつけたのも、それに非常に近い感覚を持って制作していたからだということが考えられる。「アルクアラウンド」がヒットし、それが幸か不幸か、サカナクションのアイデンティティを大きく揺さぶることになった。(サカナクションというバンドが、思春期に入ったとも言えるかもしれない)今までのサカナクションのままではいられない。生まれ変わらなければならない。その生まれ変わりの時期に作られたアルバムが、この「kikUUiki」というものだったのではないだろうか。
 
 
 
 
 

サカナクションの置かれた状況を思わせる歌詞が、「kikUUiki」内には散見される。

”荒れる波際 浮かぶ木が泳いでた
つまり僕らはそれらと変わらないってこと”
(潮)

”曖昧な若さを 無理だと丸め ゴミだとした
どうか僕が僕のままあり続けられますように”
(シーラカンスと僕)

”僕らは流されてゆくよ 「明日から」って何もかも捨てて
追いかけることさえ出来なくて”
(明日から)

 変化の中に佇むとき、その先を予想することは誰にもできないのである。その中で人は荒れる波際に浮かぶ木のようにどうしようもなく無力であり、ただただ祈るしかできない。おそらく制服を着た人たちもこの歌詞のように、自分が自分であることも保証されないような時期の中で、祈るような気持ちになったことも少なくないのではないだろうか。
 
 

***
 ではどのようにしてサカナクションは「kikUUiki」を完成させ、いわば思春期とも言える時期を受け入れて行ったのだろう。

「kikUUiki」の中核を成す曲に「目が明く藍色」という曲がある。そこでは様々なギミックが歌詞の中に用いられている。その一つを紹介しよう。

目が明く藍色 megaakuaiiro から
君=U(you) がいなくなると
目が赤い色 megaakaiiro になる
目が赤い、つまりは泣いてしまうということなのだろう。

”君”とは一体誰のことを指すのか。おそらく、これは特定の人物を指すのではないのだろう。(そうだと信じたい)制服を着た人たちは、「自分以外の重要な他者」を獲得し、思春期を荒波を乗り越えると言われている。ずっとつるんでいた友人であったり、思いがけず出会った見知らぬ人であったり、はたまたこれまでに出会ってきたさまざま人たちであったりなど、とにかく自分より外の世界からやってきた他者と、改めて出会うのだ。その人たちとの関わりを通じ、自分の中に「自分とは違う他人」を住まわせていく。それは特定の一人ではなく、いろんな人のイメージの結晶と言っても良いだろう。獲得するというのは、常にそばにいてくれる人を得るのではなく、そのような人たちのイメージを得ていくことを指す。歌詞になぞらえて言うならば自分ではない”君”を見つける、と言っても良いだろう。
 

「目が明く藍色」の歌詞では、サカナクションは”メガアカイイロ”のように、”君”を失うことで泣いてしまう弱さ、未熟さを示唆しているが、アルバム全体を通して見ると、その”君”が現実にはいなくても大丈夫であるということを明示しているのだ。

kikUUiki から
君=U(you) がいなくなっても
kikiki ”き”が3つ ”きみ” が残る

ということなのである。揺らがない”君”のイメージを自身の中に残すという作業を行うことで、サカナクションはこのアルバムを完成させることができたのだろう。
 
 

こんな妄想を頭の中で一通り繰り広げ、ふと気づけばあれほどいた制服を着た人たちもまばらな数に戻っていた。自分が制服を着ていた頃はどうだっただろうかーー少し考えて見たが、やめた。それは、これから向かう同窓会でじっくりと思いを馳せてみようと思った。

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