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2017年10月11日

かなき (19歳)
220
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「何回だって言うよ 僕らはいつか死ぬから会おうよ」

LEGO BIG MORLが「心臓の居場所」とツアーで描き出した“全国宛て”の手紙

2017年3月28日
LEGO BIG MORLが結成11周年目を歩み始めた。未だ見ぬ先を行く彼らの手には美しく、強力な武器がしっかりと握られている。
その名を『心臓の居場所』という。

LEGO BIG MORLは、変化を恐れないバンドだった。
1stフルアルバム『Quartette Parade』は、4人が繰り出す初期衝動に駆られる、4人だけの荒削りなギターロック。
2ndフルアルバム『Mother Ship』では、ギター2本・ベース・ドラムの基本的な4ピース構成に加え、ピアノやホーン等の外部の音を取り入れ、音楽性を追求。歌詞も物語性が増した壮大なバンドサウンド。
3rdフルアルバム『Re:Union』では、レミオロメン 前田啓介氏をプロデューサーに迎え、彼らの持つポップさを最大限に引き出した。言うならばLEGO版J-POP。
4thフルアルバム『NEW WORLD』は、余計なものが削ぎ落とされたバンドサウンドに、ループ感のある歌が乗ったシンプルな構成に。音数が減ったことにより聴こえてくる“空間”を利用した引き算の音楽。

こうして見ると、アルバムごとに違う角度からアプローチしてきた彼らの10年間が浮き彫りになる。良く言えば振り幅が大きい。悪く言えば“らしさ”がない…色々な話を耳にするが、彼らはあえてバンドの“核”を決めずにいたと私は思う。 なぜなら(一度楽曲を聴けば分るのだが)、このバンド最大の“核”は紛れもなく“歌”だからだ。
カナタタケヒロ(Vo./Gt)の持つ、何にも染まらない透明さでどこまでも広がる歌声は、聴き手の心を瞬時に掴んで離さない。素人の私でさえ感じるのだから、本人たちはとっくの昔に気付いていたに違いない。

しかし遂に、彼らはその核の“居場所”を定めることを決めた。

5thフルアルバム『心臓の居場所』
これがLEGO BIG MORLというバンドが11年目にして定めた、彼らの核の“居場所”である。
タイトルの“心臓”は、私たち人間にとって1番大切なもの。無ければ生き続けることはできない。
つまり、彼らにとって心臓のように大切なものが“歌”であり、その“歌”が1番煌めく“居場所”となるよう、言葉を届ける音楽に正面から向き合う決意がこのアルバムには込められている。
言葉の全てを担うタナカヒロキ(Gt.)はこう言った。

『あなたをLEGOの音楽でドキドキさせて、心臓の居場所を再確認させたい』

このアルバムは彼らの音楽への決意であると同時に、私たち聴き手が生きていることを“実感”するためのものでもあるのだ。
目まぐるしい日々は身をすり減らすことの連続。気付けば息はしていても人間らしいときめきは減り、心と身体の矛盾から(変な日本語だが)人は生きていることをたまに忘れる。
『心臓の居場所』の楽曲はそんな時に最短距離で聴き手の心を揺さぶることができる。すると次第に鼓動は早くなり、ときめきを取り戻し“生きている”ことを思い出す。
それがきっと『心臓の居場所を再確認する』こと。
人間の心を動かすのは、いつだって同じ人間の“言葉”。だから『心臓の居場所』は彼ら自身が音楽シーンに“居場所”を切り開くための“武器”になるのだ。

2017年6月15日
『心臓の居場所』を携えた全国ツアーが始まった。
大作を生み出した彼らが、遂に生の音で全国各地の心拍数を上げて廻る3ヶ月間。
今ツアーでは各会場でソールドアウトが続出した。
一体何がそうさせたのだろうか。
7/21 下北沢公演で、タナカはこう語っている。

『セットリストという名の手紙を書いて、それを全国の皆に同じように伝えて廻っているような感じ』

これはただのツアーではなかった。
そこには確かに、オーディエンスへのメッセージが込められていたのだ。どれ1つとっても欠けてはならない存在の楽曲と、それを受け取る聴き手をも居てやっと完成するのがこの『心臓の居場所』ツアーなのだと。
彼らはアルバムで核の“居場所”を定めたように、私たちオーディエンスの“居場所”も定めてくれたように思う。LEGOのライブこそ、紛れもなく私たちが必要とされ生きていることを実感できる“居場所”なのだ。

【君がいないと始まんない/君じゃないと意味がない】
(“未来”)

2017年9月14日
ツアーファイナルは真っ直ぐに私たちを必要としてくれる歌詞が並ぶ『未来』から始まった。
1曲を通して感じるのは“君が必要”なこと。歌詞中の「螺旋階段」は踊り場がなく、ひたすら登り続けるしかない。それを彼ら自身と重ねているのだという。更にその階段には手すりがない。だから“君の支えが必要”なのだと、彼らはまず初めに私たちに伝えた。
その想いに答えるかのように、オーディエンスが一斉に手を挙げ賛同した矢先、始まったのは『君の涙を誰が笑えるだろうか』。
曲名からメッセージ性が強く、これがLEGOに触れるきっかけだった人も多くいたからだろうか。イントロが流れると会場は早くも大歓声に包まれた。

【悲し涙も 嬉し涙も ぬぐってあげるよ さぁ行こう】
(“君の涙を誰が笑えるだろうか”)

「誰かが君の涙を笑うなら、僕はその涙を肯定してあげる」そう言わんばかりに4人が「誰が笑えるだろうか」と前を見据えて歌う姿は、どんな人でも背中を押されるに違いない。一人一人の手をしっかりと握り、私たちはここに居ていいのだと教えてくれる。
2曲目にして既に彼らとオーディエンスの距離は肩を並べる程の近さだ。一体感が生まれたところで繰り出されたのは、タナカの不慮の事故によるバンド活動休止の末に生まれた『Wait?』だった。

【与えられた命は 明日あるかもなんて 限られた時間だ 笑って死ねるように!】
(“Wait?”)

勢い任せに演奏を進めていくのではなく、一度後ろを振り返って“自分たちを奮い立たせるもの”を確認するその様がLEGOらしい。
このバンドと応援してきた私たちにとって、あの事故は忘れてはいけない出来事だ。作詞を担うタナカ本人が、身をもって死の淵を体験して生まれた言葉の説得力。活動休止中に、「LEGOを止めてはいけない」の一心で音楽を作り続けた他3人の力強さ。その両方が今も彼らを突き動かす原動力だろう。
だからこそ、笑って終われるような今を過ごそうという気持ちになるのに時間はかからなかった。
『これが最後でもいいと思いながらツアーを廻ってきた』と語る彼らの言葉がその思いを一層強くさせる。
この曲は何よりもリアルに命の終わり伝えてきた。それをライブ序盤で演奏することの意味は重たいと私は思うのだ。

【真実は僕と君がいる それ以上はない】
(“worlds end traffic”)

終わりを意識した次に演奏されたのは『worlds end traffic』だ。
誰もいない夜の高速道路を2人きりで疾走するようなドキドキ感を匂わせるこの曲で、バンドはオーディエンスを現実世界から別世界へさらっていく。最後を笑って迎えるためには、僕と君が今ここにいるだけで十分だとでも言うように。
かなりライブに足を運んでいる私でさえも、まさかこのタイミングで聴けるとは思いもしない。とっさに小さな悲鳴をあげてしまうほど意外で嬉しい選曲だった。

続いて演奏された『end-end』は“決められた終わりにどう向かうか”がテーマになっている。
『Wait?』で命の終わりを歌い、『worlds end traffic』で君と僕だけの空間へ誘い、『end-end』で君とどう終わりに向かうかを歌う。楽曲に込められた意味がリンクし合う秀逸な繋ぎの箇所の多さも、このツアーの魅力の1つだ。

【歌ったり 踊ったり 君と恋したり 短い命をすり減らしても駆け抜けるよ】
(“end-end”)

鼓動の数が決められた世界で、走ったり恋をしない代わりに長く生きるか、君へのときめきに全てを尽くす代わりに短い命を受け入れるか…。
彼らは後者を選び歌い、こうして私たちとときめきを共有してくれている。
冒頭からアッパーな曲が続いたが、曲中で鳴り続ける鼓動音に似せたバスドラのゆったりとしたリズムが心地良さを誘う。一定して刻まれるそれと会場全体の心拍数が重なり、一同に“心臓の居場所を確かめる”かのような景色はとても美しかった。

【おやすみと言うよ
さよならが最後では淋しすぎるから】
(“fin.”)

会場は暗転し『fin.』『melt』が続けて演奏され、会場は一気に荘厳なムードに包まれた。
前者はタナカ自身の“別れ”の経験が元になっており、後者は前者が派生してできた曲だという。
二者に一貫しているのは“別れ”。
それも二度と会えない本当の別れだ。
この2曲は、残された故に感じてしまう“あなた”を歌っているように感じる。
あなたが隣にいた時よりも、いない今のほうがあなたを色濃く感じてしまう…そんな矛盾に朝も夜も心を乱される様子が痛いほど伝わる歌詞。切なく嘆くように歌うカナタの歌声。それらは同じような境遇にあった私の心を何度も抉って離さなかった。
個人的な話になるが、私は今 “遺された”立場にいる。
加えて“近いうちに戻ってくる”、という少しの希望を捨てられずにいる。小さな期待を持つことで、やりきれない気持ちを処理しているのかもしれない。
しかし不思議なことに、頭のどこかでは分かっているのだと思う。

【いつか笑って話せる そんな日は一生来ないさ】
(“melt”)

ということを。
だが少し遡ってみると、彼らは「出会いと別れは未来へ登っていくためにある」「終わりから次の終わりへ」ということも歌っている。
つまりこの別れは次の出会いのための貴重な機会であり、未来の自分の糧になるのだと彼らはいうのだ。

ステージにはヤマモトシンタロウ(Ba.)、アサカワヒロ(Dr.)のリズム隊2人だけが残り、パワフルなリズムセッションが始まった。この2人のどっしりした土台こそ、最低限の音数でも楽曲が成り立つ理由だろう。
それを痛感しているとギター組が合流し、若干はちゃめちゃなセッションが続く。会場がそんな彼らのお茶目な姿にじわじわと熱を取り戻したところで、ヤマモトがステージ前方に立ち、お馴染みのイントロを弾き始める。
エッジの効いたベースから始まる『真実の泉』だ。

【平凡だっていい それでも最高だったと笑いたい/
伝染し世界は悪くはない方向へ まずは君を笑顔にしてみようか】
(“真実の泉”)

過去が今を作り、今が未来を作る。道のりは人それぞれだが、最期に最高だったと笑えればそれは素晴らしい人生だったといえるのだろう。
終わりよければ全て良し、という言葉があるように、遠回りをしても目的地に着けばそれは正しい道になる。彼らはそんな最期を迎えるために、まずは目の前の私たちを笑顔にしようと歌った。
それを聴いた私たちが同じように誰かを笑顔にし、世界中に「笑顔の伝染」が起こると信じて。

【永遠の雨なんかない
show me rainbow after the rain】
(“RAINBOW”)

カナタの『みんな歌ってくれ!』の掛け声とともに始まったのは、バンドを大きく飛躍させた重要作品『RAINBOW』だ。
詞中の“rain”が“涙”だとすれば、“rainbow”は“笑顔”になる。つまり上記のサビの歌詞は「涙の後に笑顔を見せて」と歌っているのだと解釈して以来、私はいつも口ずさみながら笑ったり泣いたりするのに忙しい。
一度聴けばすぐに歌えてしまう耳馴染みの良さもあり、これまでは最後を飾ることが多かったこの曲。
今ツアーでは中盤に披露され、新しい曲がその後に続いた。それが「過去の上に今を積み上げる」ことを体現しているようで、いつも以上に感動してしまった。
早めに大きな虹がかかったところで、間髪入れずに繰り出されたのは真っ赤な照明が激しく点滅する演出が相応しい『Hybrid』だった。

【Higher Higher だれもかれも乗れ
連れて行こう ソウゾウの向こう】
(“Hybrid”)

ここまでは優しくオーディエンスの手を握り、ゆっくりと先導しているようだった。が、ここにきて握った手を一気に引き寄せ、身体の向きや視線、見る者の全てをステージ上の4人に向けさせる。
一段上で彼らが音を鳴らしている限り、それ以外の物を目に入れる必要はないのだとはっとする。
「聴くだけじゃ足りないなら君も歌えばいい」と挑発気味な彼らの瞳が私たちを更に煽る。激しく光るストロボと共に会場のボルテージは最高潮に達し、爆発的な上昇気流を産んだところで畳み掛けるように始まったのは『愛故に』

【真っ白な君を僕の色にしたんだ】
(“愛故に”)

人間は皆どこかに不完全を隠し持つ。
曲中の「僕」は、「君」の不完全さにそそられるイビツな愛を持つ。そしてそれは全て「愛故に」だから、こんな「僕」のことも愛してほしいと歌う。
今アルバムの中では唯一の歪んだ愛だ。しかし作品の美意識は崩れることはなく、むしろ際立っている。
なぜなら、比べられる何かがあるからこそ“美しさ”はより輝くからだ。
一緒に歌える点も含め、この曲の役割は実はとても大きなものだとライブを見て確信した。
「もちろん。たまに純粋な愛も見せるけど」
そう言って最後には歪みをあっけなく戻してしまうタナカらしい少し捻くれた歌詞もまた良い。
私のこの気持ちも、「愛故に」なのだろうか。

【誰もが何かを選んで生きてく 戻れない 最後に笑うか泣くのか】
(“問う今日”)

続くは人工的なサウンドが無機質さを感じさせる『問う今日』だった。
私たちは日々の食事決めのような小さな選択から、将来の道を決めるような大きな選択までの全てを自分で背負い、その選んだ結果が今に辿り着いている。
そんな「選んで行くこと」こそが「生きること」だとタナカはこの歌詞で伝えた。曲名はそこからきており、「東京」の意もかけてある遊び心は、クールなサウンドとのギャップで心をくすぐる。
何よりも、ライブでの演出が群を抜いていたこの曲。
2Aのドラムのリバーブがかかるタイミングに合わせ、ドラム後方の照明が光る細やかな演出。これには彼らを支えるスタッフ陣の愛を感じずにはいられなかった。

攻めたサウンドが続いたところで、会場は青い照明により水中を思わせる空間に包まれる。
ライブ終盤を告げるようなピアノの和音が鳴り響くと、見る者全てが直前まで挙げていた手をゆっくりと下ろし、食い入るように前方を見つめていた。

【おはよう世界 彼、彼女に勇気を少しだけ
どうしようもない その時にはこの手を差し伸べよう】
(“バランス”)

選ぶことが生きることならば、 選択に悩むことは不可避。その上個人が抱える問題は小さなもので、世界レベルの問題は大きなものと捉えられがちだ。
しかし彼らはその両者に「何の差があるの」と問う。
問題に大小はない。
なぜならそれは決まって“私たちを悩ませる”から。
そう言って惜しみない優しさを与えてくれる『バランス』には、私自身も幾度となく救われてきた。
思い返すは大学受験を控えていた2年前。
得体の知れない不安を抱えた私に、「大丈夫」を無責任に言い捨てる曲はたくさんあった。けれどこの曲だけは「この手を差し伸べよう」と、いつも側にいてくれた。その少しの優しさこそ、当時の私にとっては本物の優しさだったのだ。
このバンドは私の人生の辛い選択を見過ごさず、最後まで綺麗事ではない言葉をかけ続けてくれた。
この日も感謝とあの時の辛さが同時にこみ上げ、気付けばうずくまる勢いで号泣してしまった。
辛さをともに乗り越えた曲にはいつだって叶わない。
このツアーでこの曲が聴けたことを、私は誰よりも幸せに思う。

『音楽って、なくても生きていけるもので。飯の方が大事でしょ。でもここにいるみんなは、音楽を選んで、しかもただの音楽じゃなくて、LEGOの音楽を選んで来てくれた。』

『他のバンドに浮気してもいいけど、たまには、LEGOの居場所に戻ってきてね』

メンバー4人の気持ちを代弁するかのようなタナカのMCは、紛れもなく彼らの前で彼らの音楽を聴いている私たちに向けられた。
丁寧に言葉を選び自身の気持ちを伝えるその姿は、ここにいるLEGOの音楽を選んだ全ての人が、彼らにとって尊い存在なのだろうと感じさせる。
残すはわずか3曲。
目の前の尊い存在に向け、彼らは決定的な言葉を歌いかけた。

【何回だって言うよ 僕らはいつか死ぬから会おうよ】
(“最終回は透明”)

『心臓の居場所』は1曲目『最終回は透明』のこの歌詞から始まる。私はこの言葉こそ、彼らが音楽を続ける理由の1つではないかと思っている。

“次また会うためのきっかけの音楽”

この曲にはそう呼べる力があると思うのだ。
私たちの“次の待ち合わせ場所”への道を切り開くかのようなイントロ。
力強いドラムとともにに放たれる、圧倒的な眩い光に飲み込まれそうになるあの瞬間。
それらは何度体験しても慣れることのない凄みを持っていた。だからこそまた聴きたくて仕方がなくなる。
『音楽でみんなを圧倒させたい』
そう語ったタナカの言葉通り、目の前で鳴らされる音楽を一音足りとも聴き逃すまいとする会場の雰囲気は、とても美しかった。

【希望もなく光もない
それでもその明日にあなたがいればいいのに】
(“あなたがいればいいのに”)

「最後に会おう」と約束した後に鳴らされたのは、今のLEGOの代表曲である『あなたがいればいいのに』だった。
曲中の「僕」は大切な「あなた」をなくし、喪失感だけで日々を生きているが、曲が進むにつれその心境は変化していく。側にいない「あなた」の幸せを願えるよう、立ち止まらずに生きることを「僕」は決意するのだ。
ずっと昔から温めていたこの曲は、周囲から「なぜそんな大事な曲を早く出さないんだ」と言われたこともあったという。
それでも彼らはしかるべき時期を待ち続けた。
それが今だったのだ。
その理由は、この曲でLEGOに出会った人の多さを見れば一目瞭然だ。今だったからこそ、この曲は多くの人たちに大切にされる名曲になれたのだ。
忘れられないのは、ライブ中に涙を流している人が多かったこと。彼らが“核の居場所”を定めただけでこんなにもたくさんの人の心が動くのだ。
そんな音楽たちは、バンドがなくなってもなお遺り続ける。

【僕らの証を ここに突き刺して あなたの好きな歌を置いていくから たまに口ずさんで
記憶で会えるは 幸せなことでしょう】
(“美しい遺書”)

彼らは最後に、自分たちが“遺せる”ものは音楽だと告げた。
今ここで共に歌えば、僕らが生きた証になる。
いつか会えなくなった時、この歌さえあれば記憶で会うことができる。
だから歌おうと呼びかけ、マイクを客席に向けた。
アコギとバンドサウンドのキラキラした音の粒が会場に優しく降り注ぐような景色。
愛おしそうに客席を見つめ、これは僕らの証だと力強く歌う4人。
心から幸せそうな笑顔で口ずさむオーディエンス。
この瞬間こそ忘れられない“証”として、誰もが記憶に刻み込んだことだろう。本当に美しく、音楽の力を味方につけた素晴らしい空間だった。
そして何よりも、私自身がツアーを通して最も救われたのがこの曲だ。先日解散してしまったとあるバンドが私は大好きだった。前述した“遺された”立場とはそれが理由なのだが、解散直前に『記憶で会える』と教えてくれたのはLEGOだった。そのおかげで私は前よりも随分前向きに生きることができている。

『生きる途中であなたと会えた』
最後のフレーズで、4人はオーディエンスをまっすぐに見つめる。タナカに限っては一人一人を何度も指差し、『あなた』が私たちであることを示していた。

『でも向こうへ持っていけないな』
だからこそ、LEGO BIG MORLは生きた証に『美しい遺書』を残す。
歌という記憶ならずっとその人の中で生き続け、どこへでも持っていくことができるから。
最後の一音がゆっくりとアコギで締めくくられると、会場は彼らへの賞賛の拍手で満たされ、本編は幕を閉じた。それでもなお鳴り止まない拍手こそ、今日当たり前になりがちなアンコールの真の姿だった。
 

『アンコール、もらえるのが当たり前とか思ってないんで。嬉しいです。ありがとうございます。』

再びステージに現れると、タナカは開口一番にこう言った。 そしてツアーを振り返り、ソールド会場の多さが目に見えてまだ上を目指せる自信に繋がったと話す。その表情は恍惚としていた。
この3ヶ月間のツアーは終わりを迎えるが、11月には自主企画ライブの開催を発表し、彼らは次に会える“居場所”を約束した。

【Sunset また会えるように 昇っていく沈んでいく/
太陽 君は犠牲に 今日も僕を照らし出す】
(“Rise and Set”)

次のライブの存在を伝えた後に演奏された『Rise and Set』
太陽が自らを犠牲にし燃え続けるおかげで、世界には順に朝が来る。そんな太陽のように命を燃やしたいという意思が込められた曲だ。
毎日昇る陽の光は、明日が来たことを知らせてくれる。
同じくこうして次会える場を知らせてくれる彼らは、太陽のような存在だ。
ふとそんなことを思いながら前方を見つめる。
その先にいる夕焼けのような照明に照らされた4人の姿は、今でもはっきり思い出せるほど煌めいていた。
それはまるで太陽のように。
しかし、そんな彼らが告げるのは“明日”だけではないようだ。

【瞬きする瞬間を生きていく 過去も未来もすべて今があるからだろ/1秒ずつ今を刻め】
(“一秒のあいだ”)

初の映画主題歌として書き下ろした新曲『一秒のあいだ』が早くもフル尺で披露された。
そう。彼らは既に“未来”を掴み、一足先に次の行く末を提示したのだ。
遂に明らかになった曲の全貌は、ゾクゾクするほどLEGOらしいカッコよさと爽やかさに徹頭徹尾満たされていた。聴き取れたわずかな歌詞を並べただけでも、“いいとこ取り”の音楽なのがよく分かる。
彼らの音楽のカッコよさは、私たちが持つ共通認識のど真ん中を突いている。
これなら、今まで以上にシーンにおける彼らの“居場所”は広がっていくに違いない。
今の世界は少し、彼らを持て余しすぎだ。

【叫ぶような鼓動から 心臓の居場所を知るんだよ】
(“居場所”)

3ヶ月間に渡った手紙の最後を飾るのは『居場所』
彼らの綴った言葉の数々は、心臓の居場所を知らせるように私たちの鼓動を高鳴らせる。じんわりと“生きている”実感が身体中に伝わった瞬間こそ、私たちの居場所がLEGOの音楽であることを意味していた。
同時に彼らも「あなたの横なら僕の居場所を知ることができる」と歌う。
お互いがお互いの居場所。
だから何度でも会おうよ。
彼らが綴った“手紙”は最後まで美しいままだった。

居場所は心地が良く、何度でも探し求めてしまう。
LEGO BIG MORLからの“手紙”を受け取って以来、私はイヤホンから何度も居場所を確認している。
あの日から1ヶ月が経とうとする今、私は彼らからの手紙の最後に一文を付け加えたい。

【何回だって言うよ 僕らはいつか死ぬから 君を探してしまうよ だから最後に会おうよ】
(“最終回は透明”)

最終回はまだ見えない。
けれどきっと私は最後まで彼らの音楽と共にあるのだろう。この早まった鼓動が、何よりの証明だ。

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