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2017年10月20日

かやれん (21歳)
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人生の主人公であることを諦めた時

「祐介」から読み解く尾崎世界観

尾崎世界観の著書である「祐介」を読んでいる。
 昼下がりの冷房が効いた電車のなか、蛍光ピンクのカバーはあまりにも浮いていた。まるでクラスに馴染めない転校生のようにひっそりと佇み、それでいて確かな存在感を放っていた。がらんと空いた座席には、ちらほらと人が腰を下ろしている。
 つり革が左右するリズムに合わせてゆさゆさ揺れるイヤフォンからはクリープハイプの“蜂蜜と風呂場”が流れる。

「蜂蜜みたいな味がするなんて 嘘ついて嘘ついて 嘘ついてくれてありがとうね」
「こうしてカバみたいに歯医者で 口開けてると君の気持ちがわかる」

 尾崎さんの書く詞には説明がない。余計なものを削ぎ落とした歌詞の裏側には、どんな得体の知れない感情が潜んでいるのかを僕らは到底理解できない。シンプルなまでに簡潔かつ比喩を詰め込んだ1フレーズには、そこにディスが含まれているのかさえ本人以外分からず、何となく独創的だと評価されているように思える。尾崎さんは「世界観がいいね」という曖昧な表現に嫌気がさし、その反発から自らの名前につけたというが、それまでは尾崎世界観でもなく、クリープハイプでもなく、祐介という少年だった。

 この「祐介」には他の著名人のわけない自伝小説とは一風違った存在感がある。それは主に2つ、ひとつは多彩なる比喩表現によって垣間見える妄想世界と主観の間でどこか他人事という第三者的視線を徹底して貫く姿勢である。
 僕も小説を書くことがあるのだが、尾崎さんの観察眼には思わず記憶違いを疑うような細かい描写が散見される。またときどき途中で心理描写が暴走して空間軸をも歪めてしまうような場面もあったりする。物語の構成が統一されたひと続きのストーリーというわけではなく、きわめて日記調であるため伏線といった人物は登場しないし出来事の前後もつながらないことが多い。それでもできるだけたくさんの比喩や出来事の描写を用いて、かつ間接的に誰かを揶揄するような文章に惹きつけられてしまう。
 今までクリープハイプの楽曲だけでは見えてこなかった尾崎さんが「祐介」という本の中で、どしんと腰を下ろしていた。

-「誰かが言ってたんだけどね、比喩って古くなるんだって。どんなに優れたものでも必ず。時代の中で古くなっていくんだって。あなたの詞は比喩が多いでしょ?一度聴いただけですぐわかる程に。だから古くなるんだって。素直にまっすぐに、っていうのは基本じゃない?何をするにしても。だからね、どうしてもそうしたいなら、ある程度音楽でやってから、小説でも書けばいいじゃない。どこかの編集者にそそのかされて勘違いして、好きなだけ比喩を使って、小説でも書けばいいのよ」(116ページより)

 京都のライブハウスで知り合ったどうでもいい女のセリフだが、これがまさにこの物語の核心をついていると思った。尾崎さんは自分の半生を大っぴらに語ろうとしているのではない、ただ書くことを楽しんでいるように見える。安っぽい言葉で自分を語るのではなく、極めて客観的に出来事を俯瞰しているのに読者は彼の「世界観」に溶かされてしまうのだから不思議なものだ。

 ふたつめは主人公である自身のことを決して美化することなく晒け出しているという点である。ふつう自伝要素の強い小説というのは自分の挫折や成功に抑揚をつけてストーリーを展開していくと思うが、この物語には成功体験というものがほとんど出てこない。さらに加えると起承転結の「起」もどこからなのか判らない。
 それもそのはずだった。ふつうの人間の人生に特別なストーリーなんてものはハナから存在しないことのほうが多い。大きな挫折を経験して、その後成功を掴み取るなんてのは選ばれた人間の努力の賜物であり、所詮は結果論でしかない。挫折をしたまま立ち上がれないほうが親身に感じるし、そもそも挫折というのは挑戦した人間だけが与えられるものだ。まして20年かそこらしか生きていない主人公・祐介少年のストーリーには転の字も転がっているはずがなかった。
 「祐介」では、些細な不運や恥ずかしい出来事を一切美化することなく実に惨めに描いている。ライブハウスに納めるノルマのために水道代も払えない状況だったり、ライブをやっても客席はガラガラ、数少ないファンの子を抱いては、ピンサロ嬢に恋をしたり、とても人間味のある生々しい現実をこれでもかと晒け出している。そうした描写の中には殴り書きのように見えない怒りが端々に散りばめられ、やりきれない思いが文字に起こされている。
 
 尾崎さんは以前なにかのインタビューで、曲を作る原動力は「怒り」だと語ったことがある。クリープハイプの音楽がそうした感情から生まれたものだとしたら、この小説はまさに「怒り」で満ちていると思った。
 
-サンドウィッチの透明なフィルムに親指の爪が食い込んで、勢いよくフィルムの内側に広がった白い物がレタスとハムを汚していく。やわらかな食パンが千切れていく感触を左手の親指で確かめながら、そのほかの商品をレジに通していった。この店で働きはじめてからずいぶん経って、こうやって感じの悪い客のサンドウィッチに爪を立てる余裕も出てきた。(31ページより)

-壁に貼ってあるポスターやフライヤーを眺めながら、用もないのに用を足す。そのなかで、「本気でプロを目指せる仲間を募集」と書かれた手書きの汚い文字が目についた。太いマジックの線はところどころにじんで、紙焼けして茶色くなっている。他人の夢はこんなにもうす汚く見える。(72ページより)

僕らの毎日は、怠惰でうまくいかないことの連続だ。ただ生きるために寝て、起きたらご飯を食べて、学校に行ったり働いたりして、家に帰ってまた次の朝を迎える。そんな生産性のない生活のなかで失敗して、落ち込んで、まぁいいかと自分を慰めて、いつの間にか社会に溶け込まれていく。その窓から眺める自分は情けなくて、それでも生きるために今日もこうして電車に揺られている。

僕は就職活動を控える身として説明会やセミナーに参加せざるをえない日々を送っていた。「学生生活のなかで一番頑張ったことは何ですか?」と聞かれても何にも答えられない自分が惨めで、必死に今あるものにすがりつきたくて、行きたかった企業には2回もインターンに落ちた。

ふと視線を上げると、電車の乗客は皆疲れたような目をしていた。一つずつ座席のスペースを空けて、スマートフォンの画面や中吊り広告をぼんやりと見つめている。きっと誰にも見えない悩みを抱えて、でもどうすることもできなくて、いつか自分の日常に「転」が訪れないかと手をこまねて待っている。

“いつかはきっと報われる いつでもないいつかを待った
もういつでもいいから決めてよ そうだよなだから「いつか」か
誰かがきっと見てるから 誰でもない誰かがいった
もうあんたでいいから見ててよ そうだよなだから「誰か」か”
(二十九、三十)

尾崎さんは「祐介」のなかで夢物語のサクセスストーリーを描こうとしているのではなかった。かといって売れないバンドマン時代の先に今の活躍があるということを示したいわけでもなさそうだった。物語のラストに向かうにつれて現実か幻想かわからなくなっていく描写のなかで、彼は舞台の上で踊らされている自分をつまらなさそうに見つめていた。

まるでお前の苦しみなんて、一銭の価値もないから捨てちまえよと言われたような気がした。

ふぅ、というため息とともに閉じられた蛍光ピンクのカバーは役目を終えたかのように僕の膝の上でちょこんと佇んでいた。それでも確かな存在感を放って、まるで目に見えない怒りを溜め続けているみたいだった。

耳のなかで永遠と流れるクリープハイプの音楽から電車の到着アナウンスに切り替わると、鞄の大半を占めていた今日の就活ガイダンスの資料がいとも簡単に現実に引き戻した。ホームに降りると人身事故による運転見合わせの文字が電子掲示板に映し出されて、僕は重い鞄を肩にかけ直して改札に向かって歩き出した。

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