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2017年10月31日

mifune (22歳)
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仲間と共に愛を知る

ブライアンフェス・大阪編にたどり着いたなら

大阪・なんばHatch。天井の高い近未来的なライブハウス。いつもは地下鉄のホームから巨大迷路のような難波駅構内をスタスタと歩いた先にあるエスカレーターがするすると私を運んでくれていた。でも今回は心斎橋駅からアメリカ村を通って、川沿いのテラス席で食事をするという何とも都会的な光景を横目に見ながら果てしなく続きそうな階段を一歩、一歩上った。これは2017年10月1日、私が一番好きなバンドが初めてなんばHatchのステージに立つ日、一面の空を厚い雲が覆う昼間の出来事である。

Brian the Sunの結成10周年を記念して初めて開催されたブライアンフェス・大阪編は彼らの他、HAPPY、アルカラ、04 Limited Sazabysという顔ぶれ。出演バンドがアナウンスされたときは“ラッキー!好きなバンドばっかりだ!”くらいにしか思っていなかった。もちろん、フォーリミやHAPPYは共に列伝ツアーという青春の中にいたかけがえのない同志であり、アルカラは同じ関西のライブハウスシーンにおいて絶対的な地位に君臨する先輩であるということは重々承知していた。けれど、それ以上のことは何も考えていなかった。私はただ、Brian the SunというバンドがあのなんばHatchのステージに立つ、ただそれだけのことがたまらなく嬉しかった。そんな幸福と緊張感の中でライブを観終わったとき、私の中で彼らが今日ここに集った意味のようなものが浮き彫りになった。

一番手のHAPPYは相変わらずの飾らない奔放さで、機材トラブルさえも楽しんでいるような彼らの姿に自然と頬が緩み、心が軽くなった。彼らは音楽を意味付けするようなツールとして用いるのではなく、同じ空間に集った人々と共に自然と体を揺らして身を任せる、なんなら音が鳴っているだけでオールオッケー!といったような「自由さ」で音楽を浮遊させていたのである。そんな姿を見て、列伝ツアー中に誰かが“この4バンドの中で一番音楽が好きなのはHAPPYだと思う”と言っていたことをふと思い出した。きっと彼らは生活の中に音楽を組み込んでいるのではなく、音楽の存在そのものが生活になっているのだろう。ごくごく自然な成り行きで。
二番手のアルカラは、彼らの凄さなんてとっくに知っているはずなのに圧倒されてしまう、そんな衝撃性を孕んだステージだった。MCになると途端に稲村太佑(Vo.&Gt.)は関西の奇人と化してしまうし、赤いタンバリンを首からはめるというギャグみたいな装いをしているけれど、音を奏で始めればその本物感は圧倒的なものである。特にこの日のライブ終盤、『銀河と斜塔』を演奏し始めた瞬間の会場の空気の変わり方は異様なスピード感であった。アルカラのライブを見て “今日もバッチバチやな!流石!”という感想が何よりも先に必ず漏れてしまうのは、彼らがバンドとしてステージに立ってきた、そしてこれからもアルカラというバンドであり続ける「覚悟」が滲み出ているからだろう。
三番手の04 Limited Sazabysは新旧揃い踏みの、愛が詰まった素晴らしいセットリストだった。たった2年半、されど2年半。1000日にも満たない間に、2015年の列伝ツアーに出演していたバンドそれぞれが、それぞれのスピードで己の道を歩んできた。あの頃、とっておきのキラーチューンとして小さなライブハウスに投下されていた曲も今ではいわゆる滅多にやらないレア曲となり、代わりにという言葉が適切かどうかはわからないが、どのバンドもあの頃の定番曲に代わって素晴らしい楽曲たちを数多く世に送り出している。例えば、『hello』は2015年当時の記憶を呼び起こしてくれるような楽曲であり、このブライアンフェスというステージで演奏された意味というのは非常に感慨深いものがある。一方でこのような懐かしさで幕締めをするのではなく『Squall』という自身の最新であり、最高傑作とも言うべき一曲でステージを去ったその姿勢からは、彼らがこのライブをどれだけ待ち望んでいたのかという想いと、着実に「変化」・成長していることを証明しているような彼らの手腕をハッキリと感じ取ることができた。フォーリミは自らがバンドマンでありながら、バンドマンが生みだす音を心の底から大切にしている、愛情の深いバンドであると再認識した。

そして、Brian the Sunの時間がやってきた。
≪誰だお前は、知ったような顔をして。≫と森良太(Vo.&Gt.)がアカペラで歌い始める。突然歌い始めた彼の歌声であの寒い冬の朝のように会場の空気がピンと張りつめたのを感じる。彼らのライブが始まって早々、持論を展開するような形になってしまい申し訳ないが、言魂(霊)の力というものは本当に存在していると思う。スピリチュアルなことを安易に信じてしまうような従順な性格でもないけれど、自分が発した言葉には命が吹き込まれて自らを助けてくれることもあるし、場合によっては言葉だけが独り歩きをしてしまうなんてこともあると感じている。そんなことを考えている私にとって、初めてのブライアンフェスが『ロックンロールポップギャング』という曲で幕を開けたということは、≪気に入らない事ばっかりだ。腑に落ちない事ばっかりだ。≫と叫びたくなるような世界をぶち壊すという意義があるように思えた。二度と訪れない初年度のスタート地点へ立った4人の表情はいつもより緊張気味だったり、はにかんでいる表情が多幸感を感じさせてくれたりで様々だった。
続く『しゅがーでいず』はパンッと割れた風船から色とりどりの金平糖が降ってくるようなポップな一曲である。目に浮かんでくるのは、目元のピースサインで圧倒的な無敵感を携えた可愛い少女だ。楽曲はライブのみで生きるものではなく、創り手が生みだしたその瞬間からリスナーとなる人の物語が付随し、それぞれの場所で生きている。ライブ会場では、生きてここに集ったそれぞれの人間の物語が結集することによって、とんでもないパワーが生まれているのだと思う。私にとっての『しゅがーでいず』は、シャッフルにしていても何故か出勤前に必ず渡る横断歩道へ続く一本道で聴くことが多く、その度にまだ起こってもいないトラブルへの不安をかき消すかの如く、上述したような架空の少女に自己を投影し、最後の現実逃避をする、そんな一曲だ。後に演奏された『HEROES』でも同じ光景が頭に浮かんでくるが、一本道がより相応しいのはこちらの方かもしれない。この日、森良太は『HEROES』のことを“まさに自分たちの曲だ”と言っていた。メジャーデビューから1年以上経ってやっとぽろりと零れた本音に出会えた気がして、心が温かくなった。『HEROES』は間違いなく≪僕は僕でしかないから≫と腹をくくっている彼らの曲である。

大人と言われる年齢になっても楽しみなものは小学生の頃の無邪気さに負けないくらいの楽しみだし、授業の間にあった僅か10分間の休み時間のようにすぐ過ぎていく。すぐだ。けれど、その中に必ずあるのだ。一瞬のうちに起こる一生の宝物が。
“約束は苦手だ”と森は言っていた。続けて、“今日出てくれたのは約束なんかしなくても集まってくれる「仲間」だ”と語った。この間、怒りの感情は人の口を軽くする、と専門家が話しているのをテレビで見て、私はそれに妙に納得してしまったのだが、喜びや幸福に満ちた感情も同じようなことが言えるのではないかと初めて思った。普段は吐露しないような実直な言葉の羅列は、彼だけでなく共にこれまでの10年を歩んできた白山治輝(Ba.)、小川真司(Gt.)、田中駿汰(Dr.)、さらにスタッフや共演者、彼らのことを大切に想っているすべての人々に通ずるものであっただろう。≪それから君はそっと 続きを話しだした≫。そうして、『白い部屋』に愛だけを残して静かに去っていった。部屋には人間の手と手が合わさることによってのみ生み出される拍手の音がこだましていた。

彼らのワンマンライブなら、これから演奏する曲が決まってないなんてことも普通にあり得てしまうアンコール。森がコードを弾き、すぐに“あぁ、あれね”と言ったような顔をする小川、ふたりのギターの音を聞いて何かを閃いたように演奏態勢に入る白山、そしてフロント3人の後ろで自分がこれから何を叩けばよいのか全く見当がつかず戸惑っている田中。アッと驚く選曲に一喜一憂するのと共に、このような4人の姿を見るのも密かな楽しみだったりする。けれど、今日はしっかり決まっていた。“まぁ、笑いながら聞いてやってください”と始まったのは初披露の新曲、その名も『the Sun』だった。文章を書いている今、もはやその具体的なメロディは一音も覚えていない。歌詞だってかなり断片的な記憶である。今の時点で、私の中の『the Sun』はひとつの楽曲というより、あの日のハイライトのような立ち位置にいる。それは初めて聴いたのがライブという場であったことや、あまりにも予想外の出来事だったからという理由からであるが、そもそもこの楽曲を、例えば先ほど挙げたような職場へ向かう一本道で聴いたところで、あの日のような猛烈な感動というものはなく、ただの感動くらいのものだったと思う。これまでのバンドとしての歩みを森良太だけでなく、楽器隊の3人もボーカルとして歌った『the Sun』は、10周年を記念したお祝いの場で私たちに贈られたからこそ楽曲として生きたものとなったように感じている。まさか4人全員が歌いだすとは予想だにしておらず、正直、思わずクスッともなった。けれど、森のパートにあった“たまたま出会って―勘違いの果てにここまでやってきた―”というようなフレーズでは、どうしてか笑いながら泣けてきてしまった。なんかもう、Brian the Sunのライブが始まった瞬間から蓋を閉めておかなければならないはずのキャップは何処かへ行ってしまっていたようだった。たまたま出会った彼らが紡いだ音楽に私はたまたま出会って、今日もこうしてライブハウスに足を運んでいる。必然だ、とか運命だ、とかいう言葉は使いたくないし、これがそれらの類に分類されるものだとは思わない。けれど、偶然が重なると、人生たまにいいこともあるもんだなと思う。

いつの日かに描いていた“未来”が今日となった。今日となった時点で、彼らはまた新たな“未来”を描いているだろう。それは未来が見えているということではない。けれど、それでもBrian the Sunというバンドは音楽を生み出し続けるだろう。今日集った「仲間」がステージで証明したように、いつも通り「自由」に、自分自身でさえも予測できない「変化」を厭わず、音楽家としての「覚悟」を持って。

≪今はまだ 未来など 見えちゃいないけど 僕はまだ歌うだろう ずっとずっとずっと/これからも 未来など 見えやしないだろうけど 君の手を離さない ずっとずっとそれだけはずっと≫

彼らがこの日、最後に鳴らしたのは『神曲』だった。
Brian the Sunの10周年に心からの祝福を。そして彼らの未来に有り余るほどの愛を。

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