262 件掲載中 月間賞発表 毎月10日

2017年2月28日

Ammy (22歳)

流動体に触れる

『LIFE』と同い年、初めてオザケンさんのCDを買う

『今夜はブギー・バック』がリリースされた1カ月後に、私は生まれた。
当時の華やかな音楽シーンを、物心つくかどうかの私はテレビの前で無邪気に、ただ与えられるがまま楽しんでいた。2000年代はもうすぐ目の前にあった。
 

それから長い年月が経った。
職場から帰宅してネットを開くと、本人の口から驚きの告知がされ、それはすぐさまニュースになってネット中を駆け巡った。
”小沢健二 19年振りのシングルリリース” ”音楽番組に出演”
その言葉を目にした瞬間、胸が高鳴らずにはいられなかった。
 

私がオザケンこと小沢健二さんの音楽に出会ったのは高校時代。大好きなバンドであるフジファブリック、そして安藤裕子さんそれぞれがカバーした『ぼくらが旅に出る理由』を聴いたのがきっかけだった。それぞれカバーの色合いは違う。けれども聴けば聴くほど惹かれていって、どちらも大好きな曲になった。ならば原曲も聴いてみようと手に取ったのがアルバム『LIFE』。そこで私はオザケンさんの音楽と出会った。
 

初めてオザケンさんの音楽を聴いた印象は「歌詞が小難しい」「洒落てる」「偏差値高そうな音楽」etc…。とにかくロックバンドばかり聴いていた片田舎の高校生にはオザケンさんの音楽はきらびやかで眩しくて、背伸びして聴いている感じが否めなかった。例えるなら、クラスに突然都会からやってきた転校生。格好良くて成績優秀で教養があって。しかも音楽もやってるらしい。教室内は彼の話で持ちきりで、休み時間になると彼の机の周りにはクラスメイト(女子の比率高め)が集まって賑やか。だけど授業中ふと彼の机に目をやるとそこだけオーラが違う。話してみたい…けどなんだか近寄り難い…でもやっぱり気になる………という印象。
それでも、心なしか聴くとなんだハッピーな気持ちになるような気がした。
 

どれだけ”渋谷系”が盛り上がっていたとか、オザケンさんの王子様っぷりとか、オリーブ少女がどうだったとか、90年代当時の空気を私は知らない。親や周りの大人から話を聴いたり映像を観たりするだけで、直に肌に感じたことがない。大人になった今なら理解して楽しむことができるだろうけど、子供だった当時はそんなことなど知る由もないし考えることもない。ただ、『LIFE』を聴く度に楽しい時代だったんだろうなぁといつも思う。
 

それから進学の為に上京した。ある秋の日、用事で青山通りに向かって明治神宮外苑に続くいちょう並木に差し掛かった時、思わずはっとしてウォークマンを取り出した。再生したのは『いちょう並木のセレナーデ』。耳に流れ込む音楽と目の前に広がる黄色く色付いたいちょう並木の景色がひとつになって、まるで曲の世界の中にいるようは感覚になった。そしてその時気づいた。オザケンさんの音楽は”都市のBGM”なのだと。
 

またさらに時は流れ、東京で生活していた私は頑張り方のボタンをかけ違えたまま生活し、心身を病み、学校の卒業と同時に実家へ帰らざるを得なくなってしまった。
仲良くしていた東京の友達とは離ればなれ、地元の同級生も同じく進学や就職で上京したり地元から出たりして会う機会がめっきり減ってしまった。そんな中でもTwitterやFacebook上で話したりはしている。タイムラインに並ぶのは友達の生活の一部分、はたまた上澄みかもしれない。それを眺めながら笑ったり、羨ましく思い、目を伏せたくなる時には見なかった振りをして一瞬唇をぐっと結び仕事に集中するという毎日を過ごしていた。そんな折、飛び込んできたのが冒頭のニュースだった。
 

発表直後にアップされた新譜のティーザー広告動画を観ても買うかどうか決めきれず、数日後の音楽番組の生放送を観て決めることにした。今もまだ無意識に近寄り難いと思ってしまうらしい。
そしてやってきた生放送。パソコンの動画でしか観たことのなかったオザケンさんが、テレビの中で動いている。歌っている。歌声から緊張感が伝わってくる。テレビの前の視聴者に向けて「歌おう!」と呼びかけたオザケンさんと一緒に、私も『ぼくらが旅に出る理由』を口ずさんだ。
からの『流動体について』。曲が最初から最後まで披露される間、テレビから流れる歌声とメロディー、画面に映し出される歌詞を見逃さないよう噛み締めるように観ていた。
 

その次の日、私は近所のCDショップに行って、生まれて初めてオザケンさんのCDを買った。
テレビサイズではなく、これはちゃんと聴きたいやつだ、と直感的に思った。
 

パソコンに取り込んで、歌詞を見ながら曲を聴いてみる。
相変わらずの独特な歌詞の言い回し、自由自在に流れるメロディーとコード進行、曲の風景と場面、それぞれが思い思いに動き回って収集がつかなくなりそうなのに、それがちゃんとまとまっている。4分10秒の間にあれだけ沢山の言葉が敷き詰められているのに驚くけど、曲を聴けばあっという間に感じてしまう。
 

≪もしも 間違いに気がつくことがなかったのなら?/並行する世界の僕はどこらへんで暮らしてるのかな≫
 

その歌詞の一節を聴く度に、心がちくりと痛くなる。
もしも、頑張り方のボタンを掛け直すことができていたら?
あの時、想いを飲み込まずにちゃんと伝えられたら?
凝り固まった意地や考え方を捨ててもっと素直になれていたら?
ありもしないかもしれない並行する世界に生活する自分のことを思わず考えてしまう。
それでもメロディーは明るいミディアムテンポに乗って流れていく。止まることを知らない。
 
 
 
明るくて、少しだけ昔のことを思い出しては胸を締め付けられるように切なくなる。弦楽器の甘美な調べがそれをさらに掻き立てる。
この”明るい切なさ”はベクトルは違えど『ぼくらが旅に出る理由』に近いかもしれない。
だからなおのこと、この曲に惹かれたのだと思う。
 

オザケンさんの歌詞は一見小難しくて、曲の世界を理解するまでに時間がかかったり、時にはついていけなくなりそうになったけど、出会った頃より少しは理解できるようになったと思う。
それでもまだまだ人生経験は足りないけれど。
 
 
 
渋谷系の王子様は2児の父親になった。
無邪気だった子供はもうすぐ社会人になる。
 
 
 
この先いずれ「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?」と思うことが今よりもさらにやってくるはずだ。
その前にこの曲に出会えて良かったと思う。
 
 
 
2017年にしてやっと、あの頃の空気に触れられた気がした。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
音楽について書きたい、読みたい