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2017年11月9日

三浦智文 (21歳)
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エレカシの日比谷野音が聖地たる所以

2017年の日比谷野音でのライブを通して

 エレカシの日比谷野音が開催される際、しばしば「聖地」という言葉が付けられる。聖地は「なんらかの意味で聖なるものと特別な関係を有すると考えられ、そこをけがすことが禁じられ、またそこに近づくことによってなんらかの効験があるとされるような場所。(中略)ほとんどの宗教もしくはこれに類するものに共通してみられるものであり、仏教では霊場、霊地などと呼ばれる。」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)とあるように、宗教的な意味合いを持つものであるが、転じてサブカルチャーなどの特定の文化圏において重要な意味を持つ地域を指す場合も見受けられる。文化や音楽の括りだけでこのエレカシの聖地を定義しようとすれば後者であろうが、どうしても前者の本来的な意味の方にこのエレカシの聖地という言葉の方がうまくフィットするように思えてならない。
 
 ある宗教を開祖し、まとめあげるものには少なからず「カリスマ性」が存在する。そうでない宗教は淘汰されてしまう。これは音楽のアーティストにも同様のことが言えるだろう。例えば、最大瞬間風速は凄まじいものだったが、マンネリ化し低迷したバンド。スキャンダルで評価が下がったバンド。音楽性の違いで解散またはメンバーの入れ替えが起こったバンド。これらの存在はただの妄想ではなく、実際に巨万といるはずだ。一方エレカシは1988年のデビュー以来今日に至るまで、音楽界において確固たる地位を確立してきた。30年続いているバンドが今現在もこうして第一線で活躍しているのは非常に稀なことではないだろうか。それを支えているのが宮本の「カリスマ性」にあるとすれば、野音に付される「聖地」という言葉がよりリアリティを帯びるはずである。ユダヤ教は唯一神ヤハウェというカリスマ的存在を信じ今も信仰が続けられ、キリスト教も同様に唯一神ヤハウェの子であるイエス・キリストの圧倒的なカリスマ性を持って多数の信者を獲得し続けている。宮本は偉大な思想家ではあるかもしれないが、宗教者でも政治を行う者でもない。あくまで一人のアーティストである。そんな宮本の「カリスマ性」を、身をもって確信したのは2017年の日比谷野音でのライブだった―。

 9月18日、エレカシ28回目の日比谷野音のライブが開催された。チケットを取ることはできなかったが、せめて外から漏れてくる音だけでも聴こうと日比谷に赴いた―。駅のホームの階段を上り、地上に出るとすぐにリハーサルの音が信号の誘導音と混ざり合いながら聴こえてきた。野音の入り口のすぐ横の喫煙所やカフェが近くにある場所へ向かう。大きな木の根の周りを囲う、座るのにちょうどいい高さのコンクリートがあったのでそこに座った。ベンチから漂う煙草の煙が濃くなり、だんだんと人が増えてきたのが分かる。やがて空が薄暗くなり、スピーカーから聞こえてきていたSEが突如として止み、代わりに会場内から割れんばかりの歓声と拍手が聴こえてきた。開演の時間である。一足遅れて外で聴いている聴衆も拍手を送る。気が付けば自分のコンクリートは座る人で埋まり、カフェと喫煙所とコンクリートの囲い間のスペースにも人で溢れかえっていた。一瞬の静けさの後、野音から何かが爆発したような音が聞こえた。ライブが始まったのである。爆発音は衝撃波となって外で聴く自分にまで伝わり、鋭利なものがものすごい勢いで胸に刺さってくるような感覚を覚えた。野音の壁の向こうに確かに宮本はいる。圧倒的な存在感を誇示する姿が目に浮かんだ。爆発音は間髪を入れることなく続き、その度に衝撃波となって自分の身を圧倒してきた。ふと爆発音が収まった。さっきまで猛威を振るっていた音が今度はシャワーのように天に向かって放出され、外で聴く者にも霧雨のように降り注いできた。自分に刺さっていた鋭利なものは溶けるように流れ落ち、体がふわふわと気持ちの良い感覚に襲われた。そんな夢現な気分に浸っていると突然、ビンタのような衝撃を食らった。再び宮本が野音で牙を剝き始めたのである。自分の中にある悪いものが宮本の叫び声で押し出され、塊となって飛んでゆき、音に合わせて木端微塵に消えてゆくように見えた。ふと周りを見渡すと、野音の壁に対峙してじっとエレカシの演奏を聴いている人々の姿があった。涙を流す者もいる。それはエルサレムの「嘆きの壁」に対峙してひたすらに祈りを捧げる信者の姿に通ずるものがあった―。

 歓声と公演終了のアナウンスで急に現実の世界に引き戻された。人々を鼓舞し、癒しを与える宮本の姿は間違いなく「カリスマ」だった。それは時代が違えば人々を扇動する指導者にでもなっていたのではないかと思わせる程である。そんな「カリスマ」の宿った野音は神々しさを帯びており、開演前のそれとはもはや別物のように見えた。野音が「聖地」へと昇華してゆくのを目の当たりにした瞬間である。

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