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2017年11月16日

津葉軌 (22歳)
210
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rebirthday

死ぬまで歌うために、伊東歌詞太郎をもう一度始めるということ

「死ぬまで歌が歌いたいんです」
口癖のように何度もそう言うのは、私の大好きなアーテイスト、伊東歌詞太郎だ。
彼はとにかく歌うことが好きで、世界一音楽が好きな人間になりたいと夢見ている。

始まりの場所は路上。スポットライトもない、駅前の片隅。
ライブハウスに人が来ないならば、知らない人にこちらから届ければいいのだと、外へ飛び出したのだという。足から血が滲んでくるほど、何時間も、何度も、歌った。
それでも届くことのなかった彼の音楽に価値を付けたのは、インターネットの世界だった。
数えきれないほどの人が彼の歌を聴くようになり、認められるようになった。

そうなった今の彼の中にも、昔の彼は存在する。
歌を聴いてもらうことが奇跡のようなことなのだと誰よりも知っている彼は、ライブハウスじゃない場所で多く歌を歌う。
ショッピングモール、野外ステージ、公園。どこでだって、歌を歌う。
「ありがとう」を届けるために。
そして、「知ってほしい」という気持ちを胸に持ちながら。

聞いてもらっている人にこちらから会いたいと、全国どこへでも足を運び、自分で電話をかけ許可取りをすることも何度もある。
大げさな表現ではなく、毎日どこかの地で、彼は歌をうたっている。
「音楽が好きだ」という言葉で収まらないほどの音楽好き。

「歌っているときが一番自分らしい。それ以外は嫌い」
そんなMCを聴いたとき、歌詞太郎さんらしいなとみんなが笑った。
伊東歌詞太郎はそれほどまでに音楽で構成されている。

だから私達は、当たり前のように思ってしまっていた。
彼がこれから先もずっと変わらず歌ってくれるのだと。

今日会えなくても、次どこかで変わらず会えるのだろう、と。

2017年10月25日から11月10日にかけて、ワンマンツアーが行われた。
ツアータイトルは「火鳥風月」。
10月4日に発売された「二天一流」というアルバムをひっさげたツアーなのだと思われたが、歌詞太郎さんにとってもこちら側にとっても、ずっと忘れることのできない、大事なツアーとなった。

ただアルバムをひっさげたツアーじゃないことは、セットリストからも感じることが出来た。
今回のアルバムの収録曲だけでなく、過去のアルバムからも曲が選ばれ、構成されていた。
数年前のライブで定番だというくらい歌われていた曲、初めてのアルバムに収録されていた曲、インターネットで伊東歌詞太郎という名が広まったきっかけになった曲などで、私達はそれらを聞きながら、心の中にいる今までの彼を思い出し、笑ったり泣いたりした。

ワンマンツアーのタイトルの意味、そしてこのセットリストの意味を、私達は、ライブの最後に知ることとなった。

アンコールで呼ばれ、いつもはバンドメンバーが先に出てくるところだが、歌詞太郎さんが先に出てきた。そして、一つお知らせがありますと、話し出した。

「喉に歌いづらくなってしまうものが出来てしまって、来年の半ばに手術をします。」

毎日歌い続けた彼を待っていたのは、声帯結節という病気だった。
休むことなく駆け抜けてきたことにより、大きな壁となって彼の前に現れた。
声を出すことが出来ない期間が三か月、リハビリをする期間はそこからさらに三か月。
それは、半年間歌えなくなることを意味していた。

「前向くのが得意なんです。喉が治ったら、心と体が万全になって、最高の歌が歌える」と、ステージの上の彼は笑っていた。

でもその報告は、大きな棘として、私達の心に刺さった。
彼はこの報告をするために、今の伊東歌詞太郎を一度終わらせるために、全てを用意していたのだと思ってしまったからだ。

ツアータイトルの「火鳥風月」。花ではなく火。永遠の命を纏う火の鳥。
なにがあっても、この歌声が消えないことを決意表明するタイトル。

今までの伊東歌詞太郎がつまったセットリスト。
今までの声を、伊東歌詞太郎を、忘れないように、選ばれた曲たち。

そして、喉の不調を抱えたまま作られた、オリジナル曲で構成されたアルバム、二天一流は伊東歌詞太郎の心の叫びそのものだった。

そしてそんなツアーのファイナルの舞台として用意されていたのは、中野サンプラザ。
伊東歌詞太郎が伊東歌詞太郎になる前から憧れていたステージで、見にいくこちら側からしても、足を踏み入れるのに緊張するほど、特別な場所なのだという実感があった。
そしてもう一つあったのは、怖さ。ここで伊東歌詞太郎を一度終わらせてしまうのだろうかという不安が、ずっと心の中にあった。

始まったライブは、言葉にならないほど最高で、ずっと涙が止まらなくなった。
「泣くことが出来ない」と昔言っていた彼の眼も何度も潤んでいた。

ソールドアウトして超満員の客席を見ながら「ホールが似合う男になりました」と笑う姿、昔からの音楽仲間のギターリストと「ここまで来たね」と笑いあう姿。スポットライトに照らされる姿、ステージの上に寝転んで笑う姿、どの部分を切り取っても最高だった。
喉の手術を来年に控えているとは思えないくらい、喉の調子も最高だった。

そしてライブ中に1つ約束をした。
「約束をさせてほしい。約束というより願望です。死ぬまで歌が歌いたい。自由自在に歌が歌いたいんだ」。

そして、アンコールで、他の会場でしてきたように、喉についての話があった。
約束を叶えるために、強い目を持って笑いながら話す彼を見ながら、私は泣きながら拍手という形で声援を送った。

東京公演、ファイナルで用意された曲は、他の会場とは違うものだった。
歌われたのは、「ピエロ」。

『大丈夫 大丈夫 痛くも痒くもないんだよ 君が笑ってくれるなら』

そんな歌詞があるこの曲は、私達が不安にならないようにと選んだものだったのだろう。
でも、大丈夫 って言葉は、誰よりも私達が言いたい。

歌うことが大好きな彼は、未来のために、歌えなくなる期間を作ることを選んだ。
上手く歌えなくなった時の辛さは、想像を絶するものだろう。

ファイナルの日だった。でも、伊東歌詞太郎が終わる日ではなかった。
この日は彼のrebirthdayだった。

今日という日を経て、彼は生まれ変わる。
伊東歌詞太郎を終わらせるのではなく、もう一度始めるために歩きはじめるのだ。

「こころ」と「からだ」を万全にしたとき、もう一度彼は帰ってくる。
彼が彼らしくいられるあのステージに。

私の心に不安はもうない。
今まで聴いた彼の歌声が、今日も絶えず心の中で響き、輝いている。

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