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2017年11月17日

まめ大福 (33歳)
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いつか終わる魔法と、消えない光

BUMP OF CHICKENの音楽と私

私がBUMP OF CHICKENの音楽にちゃんと出会ったのは、まだつい最近のことだ。
2016年のスタジアムツアー「BFLY」に友人が誘ってくれたことがきっかけなので、リスナーとしてはまだ一年半にも満たない。
だけれど彼らの音楽に沢山沢山すくわれて、今やすっかり、彼らの音楽がそこにあることが当たり前になった。

私はいわゆる、「ごく平凡な大人」だ。
社会人生活も10年を超えた会社員で、多くの人と同じように、企業に属して組織の中で働いて、生活をしている。
なりたいものはいくつもあった。描いていた理想の大人になれたか、と言われると、残念ながらそれは否定せざるを得ない。
思えば小さい頃から、何かしら表現すること・創ることに憧れていて、たとえば漫画家や小説家になりたいと思ったこともあったし、将来の夢に「役者」と書いた記憶もある。けれど実際はそのどれからも縁遠い、一般企業の会社員として毎日を生きている。

彼らの「才悩人応援歌」という歌の中に、こんな歌詞がある。

『得意な事があった事 今じゃもう忘れてるのは
それを自分より 得意な誰かが居たから』

思い返してみればまさしくこれだ。
自分よりも得意な誰かは、もちろん素養とかセンスとか、そういうものもあるのだろうけれど、少なからず時間や熱量や、いろんなものをかけて沢山努力をしてきたはず。
同じだけ、否、それ以上の努力が自分には必要で、それには一体どれだけの時間とモチベーションが必要なのか。
時間は待ってくれず、大人になるのはあっという間だ。大人になったら、できる限りに自分の力で生きていかなければと思っていた。憧れるものは途方もなく遠くて、誰にも寄りかからずにたどり着ける自信がなかった。
だけれど、世に溢れる色んなものは、やっぱり夢を追い続けることの素晴らしさを謳っていて。そうできなかった自分を、今でもその勇気がない自分を、長いことどこかで後ろめたく思っていた。
(正直に言えば、この文を書きながら、我ながら大分情けない話だと思っていたりもする)

そんなある日。
ライブに行く予習に、と友人が聴かせてくれた「魔法の料理〜君から君へ〜」で、目から鱗が落ちた。それはもうボロボロと落ちた。
上手に話せるようになること、本気で喧嘩ができる仲間に出会うこと、色んなことが分かるようになること。
何にもない大人になってしまった気がしていたけれど、出来るようになったことだって沢山ある。
特別でなくたって華やかでなくたって、大人になるって良いもんなんだぞって言ってもらえた気がして、それでいいじゃないのと思えるようになった。
もう一つ具体例を挙げると、「(please)forgive」。
アルバム「RAY」に収録されている歌で、こんな歌詞がある。

『最近は別に元気じゃない それが平常で不満もない
生活に変化は求めない 現実とマンガは重ねない』
『自分で選んできたのに 選ばされたと思いたい
一歩も動いちゃいないのに ここがどこかさえ怪しい』

それなりに大変なこともあるけれど、生活は安定している。
憧れているものはあれど、今の平穏さを捨ててまで飛び込んで行けない、行かない。それを選んだのは自分だから、それこそマンガや映画のような、ドラマチックな何かを望む資格はない。そう思っていた。
ところがこの歌は、後半にこう続く。

『求めない 重ねない 望まない 筈がない
生きているから 生きているなら』

またしても目から鱗だった。
私はこのフレーズで、勝手に、
「ああ同じことを思っている人がいて、こうして歌ってくれている」
「望むことに、無理に蓋をする必要などない」
と思うことができたのだ。
こんな風に、私は彼らの色んな音楽に、自分の中の正体不明のもやもやに形を与えて、受け入れる力をもらっている。知らない間に奥の方に追いやって、忘れたふりをしていた気持ちに気づかせてもらっている。
自分で気がつくから、きちんと噛み砕いて飲み込んで、ちゃんと前を向ける。
私にとってBUMP OF CHICKENの音楽は、そういうものだ。

もう一つ、私がとても心地よいと思っているのは、彼らの歌はずっと「自分が主体である」ことだ。
世界がどんな色をしているのか、どんな風に見えるのか、どんな風に向き合って歩いていくのか。
「オンリーロンリーグローリー」や「虹を待つ人」で、それは自分次第だと歌われる。
理不尽なことは沢山あるし、自分だけではどうにもならないこともあるけれど、それをどう受け取るかは自分で決める。自分で決めるから、気が楽なのだ。
そうして選んだ道を歩く途中で、ひとりぼっちで流した涙があれば、それをそっと拾ってくれる音楽もある。

最初に書いた通り、私が彼らの音楽にちゃんと出会えたのは、まだ去年のことだ。
私は何度も何度も、社会人になったばかりの、仕事も上手くできなくて、苦しかった時に出会えていたらと、後悔に似た気持ちになった。
「メーデー」、「プレゼント」、あの頃の自分が聞いたらどれだけ救われたろう、と思う。でも、実際のところは本当に救われたかはわからない。
今の私だから彼らの音楽が好きになったのだろうし、何か一つでも違う道を選んでいたら、今の私にはなれなかったかもしれないのだ。

遅かったけれど、出会えた。
遅かったからこそ、出会えた。
新旧問わず、音の作りや言葉の選び方が、こんなにも好みど真ん中の音楽に出会えたことは、それこそ魔法のような、人生最大級の幸運だ。
音楽を好きになって、その音楽と真摯に向き合い、届けてくれようとする人たちのことも好きになった。
これがいつか終わる魔法なのだとしても、手を貸してもらって見つけた光は、この先もきっと私を照らしてくれる。

ありがとうの言葉だけではちっとも足りないけれど、心からの感謝を。

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