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2017年11月22日

ひかる (23歳)
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胸張っていけ 自信持っていけ

ポルノグラフィティという素敵な仲間と共に

私は転勤族だ。
3年ごとに引っ越しを繰り返しながら暮らしてきた。
小学校も3回転校したし、中学入学までに関東、関西、九州に移り住んだ。

だからかもしれないが、家族だけが変わらない仲間というような意識が幼少期からずっとあった。

しかし私にはポルノグラフィティという仲間もいたんだと、二人に出会ってから気付いた。

私がポルノグラフィティの音楽と出会ったのは、母親が運転する車の中だった。

しかし、母親がこれはポルノグラフィティって言うのよ、なんて特に紹介する訳でもなかったから、あまり関心もなかった。

あの時流れていたのはポルノグラフィティだったんだと知ったのは、これから7年も先の話になる。

この時、小学1年生。
初めての運動会でアゲハ蝶が準備体操のテーマ曲に選ばれていて、印象に残っていたことは覚えている。

小学2年生になっても、3年生になっても、母親はポルノグラフィティを車で流し続けていた。
この時ようやく、私は母親がこのアーティストが好きなんだということに気付く。

私は何を歌っているのか純粋に気になって、歌詞を聞くようになっていた。
衝撃だったのはアゲハ蝶の歌詞だ。

『そう…じゃあ お気をつけてと見送ったのはずっと前で
ここに未だ還らない
彼が僕自身だと気付いたのは
今更になってだった』

どういうこと?なんで自分が二人いるの?
小学3年生だった私には、意味を理解することが出来なかった。

ただ、歌詞から曲調から、楽しい歌ではないんだということだけは分かった。

当時は小学校で楽しい歌ばかりを歌っていたことや、元々歌うことが好きだった私は、悲しい歌もあるということにショックを受けた記憶がある。
けれど、なんでこんなに頭に残るんだろう?と不思議にも感じていた。

しかし、ここでも名前を覚えることはなかった。

それから月日は流れ、私は小学6年生になった。

その頃には、私はポルノグラフィティの音楽を車で聴くことはなくなった。
車に付いていたCDプレーヤーの調子が悪くなって、ラジオしか流れなくなっていたからだ。

しかしある日。
ラジオから、アポロが流れてきたのだ。
今でも覚えている。
普段よく行っていたスーパーからの帰り道。休日の夕方、混雑した道を母親が運転する車の中。

この声。
聞いたことがある。
誰だ、誰の歌なんだ?

ようやく、母親に名前を聞いた。
ポルノグラフィティ。
ここでやっと名前を知った。
でも、なんで声を知っているのかまでは分からなかった。

なんか好き、くらいの理由から聞いたんだと思う。

その年の小学校最後の文芸会で、クラスで大縄跳びをした。
その時のテーマ曲は、ハネウマライダー。
今思えば、人生の至るところにポルノグラフィティがいたんだと気付く。

中学生になって、私は本格的に音楽に興味を持つようになった。
しかし、CDを買うお金なんてない。
お小遣い制でもなかったから、とりあえず母親が持っているCDを勝手に漁って片っ端から聞いてみることにした。

とりあえず、名前を知っているポルノグラフィティから。
そう思って、CDプレーヤーで再生を始めた瞬間。

これだ!!!

と、頭の中は探していた音楽を見つけられたという喜びで満ち溢れていた。

興奮しながら母親が持っていたアルバム、「foo?」「雲をも掴む民」を聴いた。

聴きながら、私は泣きそうになっていた。

曲を聴いただけで、小学校で楽しく歌を歌った思い出や、もう会えなくなった友達、もう行くこともないであろう家族で行ったスーパーの帰り道の風景を思い出したからだ。

当時、私達家族は九州に移り住んでいた。
中学から転校して入ってきた私は、学校に馴染むことが出来ず、毎日が憂鬱だった。
小学校からすでにグループが出来ていたし、何より私は標準語しか話せなかった上に、方言が分からなかったから、避けられていたのだと思う。

もう嫌だ、転校ばかりしているから、こんなに苦しいんだ…。
私はここにいるべき人間じゃないんだ。
そんな風に思っていた。

けれど、この日ポルノグラフィティを聴いた時に、私の心は救われた。
過去の思い出達が、私の心を軽くしてくれたんだと思う。
ポルノグラフィティが、今の私と過去の私を繋げてくれた。

それから間も無く、同じ部活でポルノグラフィティを好きな友人が出来た。
彼女は今でも一緒にポルノグラフィティのライブに行くかけがえのない友人だ。
それからは高校生になっても、専門学校生になっても、ずっとポルノグラフィティがそばにいてくれた。

転校を繰り返し、居場所がないと思っていた私の居場所を思い出させてくれた存在。
毎日聴いた。

しかし、今年。
社会人3年目の夏。
私はストレスで体調を崩し、仕事を辞めることになった。
片耳の聴力が半分以下に落ちていた。

私はどうすれば良いのか分からなくなった。
耳が聞こえづらくなったことで、ポルノの音楽を聴くことも少なくなってしまった。

けれど、私がまだ仕事をしていた頃、ストレスから解放されたい一心でロックインジャパンフェスのチケットを取っていた。

チケットを買っているからには行かなくては。
本当は仕事もしていない状態でフェスに行くなんてどうなんだと心が騒いでいたが、その声を無視してロッキンへ向かった。

スタンディングエリアには人が溢れていた。
私はなんとかステージが見える場所を確保。
そうして、大画面にポルノグラフィティと大きく書かれた文字を見た途端、知らぬ間に泣いていた。

ロッキンに出ることが出来たポルノグラフィティの二人の嬉しそうな笑顔。
アゲハ蝶の会場みんなの大合唱。

ラララ、で昭仁さんの声が聞こえなかったのは初めてだった。
みんなでアゲハ蝶を歌えることが嬉しくてたまらなかった。

私は知らぬ間に、ポルノグラフィティと自分の人生を重ね合わせていたんだ。
こんなにポルノグラフィティも頑張っているんだし、頑張ろう。

ロッキンが終わった後には、頭の中はすっきりしていた。

そして10月24日。
新たな職場での仕事を終えた私に、プレゼントが舞い込んできた。

ポルノグラフィティの新橋でのゲリラライブだ。

職場から新橋までそんなに離れていなかったこともあって、見に行くことが出来た。

『自分のため働いている 誰かのため捧げている
重なってゆけ その想いよ 先の時代 作るほどに
目立たぬ場所で踏ん張っている Working men blues』

歌ってくれた、Working men blues。
心にすっと染みた。
この歌も、私の思い出を包んでくれる歌になるだろう。
私は今、ポルノグラフィティという素敵な仲間と共に生きている。
何も心配する必要はないのだ。

最後に昭仁さんがライブで私達ファンに言ってくれる言葉を紹介しておきたい。

「お前たちは最高じゃ!胸張っていけ!自信持っていけ!」

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