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2017年3月1日

塚田 (18歳)
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開花の先

私がRADWIMPSに飽きることが出来ない理由

大好きなバンドの新譜が発売される日はドキドキする。それはもちろん、この日も例外ではなかった。オンラインで購入したアルバムをコンビニで受け取ってくれたのは母で、家に帰るとこたつの上に薄いダンボールが置かれていた。上着を脱ぐ時間も惜しく、慌ててダンボールを剥ぐと中から現れたピカピカのアルバム。思わず緩む頬を隠すこともせず、透明な袋を爪で破く。そんな私の様子をみながら、母も笑顔だった。

中学二年生の秋頃、私はRADWIMPSというバンドに出会った。それまで好きだったバンドの掲示板でたまたま見かけた「らっど」という文字が気になり調べたのがきっかけだ。私は夢中になった。ひたすらYouTubeで彼らの曲を聴いた。独特で哲学的な歌詞、頭に残るメロディ、激しく動き回るギター、ベース、ドラム。全てがかっこよくて仕方なかった。好きで好きで仕方がなかった。高校受験に向けての勉強で心が折れそうな時、RADWIMPSを聴いているそのときだけは全てを忘れられた。受験当日の朝もひたすら彼らの曲を聴いていた。

高校受験が終わった2014年3月8日。私は念願だったRADWIMPSのライブに行った。ライブ自体が2度目で、しかも1度目のライブは最寄り駅から3つ隣の町の小さな市民文化会館。中学三年生の私にとっては1人で横浜に降り立つこと自体が冒険で、私は不安でいっぱいだった。

ドキドキした。新横浜駅に着いた瞬間、そこらじゅうにRADWIMPSのTシャツを着た人が溢れていて、彼らに付いて行けば会場までたどり着けた。それでもやっぱり1人が怖くて、意味もなく友だちにメールをしたりした。我が家にお小遣い制はなく、お年玉をチケット代に叩いていた私はやっとの思いで購入したタオルだけを握りしめながら会場へと入った。席は2階の指定席だった。ステージが見えないかもしれないとか、そんな心配は全くなかった。ただ数十分後にはあそこにあのRADWIMPSがいるんだと思うと、それだけで泣き出しそうだった。

客席が暗転して、会場がどよめいた。指定席に座っていた周りの人たちが一斉に立ち上がるのに一瞬遅れて私も立ち上がる。ステージ上ではこのツアーのきっかけとなったアルバムのジャケット写真を模したような映像が流れ、音楽に合わせて客席が手拍子をする。
いよいよだ。
そう感じるにつれ上がる心拍数と血圧。首にかけたタオルを握りしめ、唇を噛み締めながらその時を待った。
今までの音楽とは圧倒的に違う音圧で聴こえた覚えのあるイントロと会場の割れんばかりの歓声、先程まで流れていた映像は消え、代わりに眩すぎるほどの照明。そして、RADWIMPSの4人。

腹の底から、胸の奥から、つま先から、指の爪から、何かが一気に吹き出る感覚がした。気を抜いたら絶叫しそうだった。必死に生唾を飲み込んだ。速すぎる心臓だけが胸を突き破ってこのまま走り出しそうだった。最初の1曲は、感じたことのない凄まじい興奮のやり過ごした方を模索するうちに終わってしまっていた。

あの時感じた凄まじい興奮を、私は未だに忘れることが出来ない。あんなに自分の感情をどうすればいいかわからなくなったのはあの時が最初で、最後だ。

ライブは最高だった。1人だったから誰にもこの興奮を伝えられずにうずうずした。耳に入ってくる知らない周りの人のライブの感想に心の中で頷いた。早く家に帰って母にめちゃくちゃに話そうと思って帰り道、緩んだ顔を隠しながらあの奇跡のような2時間を反芻していた。それなのに、家に帰るとすぐに寝てしまった。

それからずっと、私はRADWIMPSが大好きだった。しかし月日を重ねるうちに、他にもたくさんのバンドやアーティストを知って好きになった。アルバイトを始めてからはライブに行く回数も増えた。そんな中でどうしても私の中のRADWIMPSの存在は薄まってしまった。彼らはインディーズバンドのように頻繁にライブをする訳では無いし、新譜も気まぐれだ。他のバンドに夢中になるにつれ、あの興奮が嘘のように私の中でRADWIMPSへの気持ちが薄れていった。そんなある日、ドラムが病気のため、無期限の活動休止を発表した。

アルバイト終わりの電車の中でその発表を聞いて、泣いた。薄れていたと思われたRADWIMPSへの思いが一気に沸き立つきがした。彼はいつも笑顔でドラムを叩く。その姿が好きだった。

それからのRADWIMPSの躍進は凄まじかった。初めて映画音楽を担当し、その映画は大ヒット。街中でもテレビでもそこらじゅうから彼らの音楽が流れていた。映画を見た私の母親も、RADWIMPSを聴くようになった。妹も聴いた。家族で、あの曲が好きだあの曲はどうだという話をした。私の趣味にはなんの興味も示さなかった家族と、まさかこんな日が来るとは思ってもいなかった。すごく、嬉しかった。

この日はそんな彼らのアルバムの発売日だった。

RADWIMPSはアルバムごとに色が変わる。その印象はずっとあったし、そこが好きなところでもあった。そしてそれはアルバムごとだけではなく、曲ごとにも共通していると思う。口に出すのもはばかれるような恥ずかしい歌詞の曲もあるし、可愛らしい曲もある。どうしてそんなことを言うの?という刺々しい曲もあればとても優しい曲もある。こういう曲たちが混在して1枚のアルバムになっていて、それでいてアルバムごとに色が変わる。

人間開花、と名付けられたそのアルバムは、一貫して優しいと思った。刺々しい曲がほとんどない。まさに、新たなRADWIMPSが開花したような、そんな印象だった。

人間開花の4曲目に「トアルハルノヒ」という曲がある。

「時に忌み嫌い遠ざかり 音信不通の時を経てでも最後には 戻ってきたんだと」

完全に私の解釈だが、この曲はずっとRADWIMPSが好きだった人が初めてRADWIMPSのライブを見に来た、という曲だと思う。そして上に記した歌詞は、泣きそうなほど私に当てはまった。

私は魔性の飽き性だ。その自覚は痛いほどある。つい先週狂ったように聴いていた曲が、パタリと聴きたいと思わなくなるなんてことは日常茶飯事だ。そしてきっとそれはRADWIMPSも例外ではないのだと思う。私の中で彼らの存在が薄れていってしまう。それは私という人間上仕方の無いことなのかもしれない。

でもどうしてだろう。もう何年も彼らの新譜の発売日は胸が高鳴る。そしてその新譜は必ず、私の中のRADWIMPSを濃くする。そうして、魔性の飽き性であるわたしはRADWIMPSにだけは飽きることが出来ない。人間開花もまさにそれだった。「でも最後には戻ってきたんだと」まったく、その通りだ。

「ロックバンドなんてもんをやっていてよかった」

トアルハルノヒにはこんな歌詞がある。ドラムの活動休止、映画音楽の制作、新曲の大ヒット。それらを経た彼らが歌う、「やっていてよかった」という言葉。今までのRADWIMPSから果たしてこんな歌詞が出てきただろうか。

RADWIMPSは、アルバムごとに色が変わる。そしてその変化は、毎回進化である。未だかつて無いほどに優しすぎる今回のアルバムで、それを強く感じた。そして私はきっと、その進化から目が離せないのだ。だから私の中でいくら彼らの存在が薄れようとも、消えることは無い。ドラムのいないRADWIMPSはなんとツインドラムでライブをし、テレビ出演も果たした。私の想像を優に超えてくるこのバンドはこれから先どんな進化を続けるのだろう。開花したRADWIMPSの先には、一体何があるのだろう。

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