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2017年11月28日

はすみ (21歳)
19
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結んだ円

鳴ル銅鑼『汎神論』リリースツアー

鳴ル銅鑼というバンドが鳴らすのはどこまでも愛、それも様々な形の愛である。一夜限りの恋や巧妙な駆け引きを描いたかと思えば愛することの脆さ、頼りなさをまるで一本のショートムービーのように歌う。そのいずれもが正解であり、それぞれに替えの利きようがない美しさがある。
しかし今秋にリリースされた『汎神論』というアルバムは少し様子が違った。<俺は泣き喚いて 吐き散らして 今日を生きてるんだ …なぁ?(劣等感)><頭がヲカシく成りそうだ 半分位は死んでるな(露命)>といったVo./Gt.三輪和也自身の言葉と取れる歌詞が多かったのである。不平不満をぶつけたような曲は初期の頃から一定数ある。あるにはあるのだが、『汎神論』はどちらかといえば感情の吐露のようだった。理由はよくわからないまま、そんな本人の要素が色濃い音楽を掲げてのツアーだった。

ツアータイトルは地方ワンマンの「縁ト遠」、対バン形式の「艶ト宴」、ファイナルツアーの「点ト線」を経て最後が「円」(2017.11.24 渋谷WWW)だった。いわく各ライブが段落の一部で、途中に読点を打ちながら文章という線が連なり、次の段落にいくためには句読点をつける。その小さいながら大きな意味を持つ円、つまり「。」に渋谷WWWを選んだらしい(セミファイナル岐阜公演での談である)
それを印象付けるものとしてファイナルでは“溺れる魚”という曲が披露された。曲そのものは以前から三輪が弾き語りソロで歌っていたが、バンド編成での演奏はこの夜一度きり、そして二度目はないという。理由は【四人の未来にあってはいけない曲】だから。 “溺れる魚”は地元から上京後、必死にもがき苦しんでいる時の歌だ。どこにも救いがなく、聴いている方が息をするのを忘れてしまう重苦しさがある。また前述したように鳴ル銅鑼としての曲ではない。その深い憂鬱をあえて『汎神論』と共にメンバーと会場に集まった人々で分かちあった意味。私はこのときようやく『汎神論』は三輪和也の意志であり、ツアーは確かに物語だったのだと悟った。
様々な感情をこの終章に落とし込みながらライブはクライマックスの“DUNE”へと続いた。

“DUNE”、究極の芸術となるはずだったホドロフスキー監督による未完の作の名である。完全などなくても永遠を目指したい、繋がったものでありたいという決意表明のような曲だ。
ともすれば倒錯的にも思える曲だが、だからこそ迷いがなく、強い。三輪がここまであらゆるものを鳴ル銅鑼に、音楽というものに捧げてたどり着いた境地なのだと思う。

<終わる事の無い夢を 私に見せて欲しい 恥ずかしい程の愛を 受け止めていて欲しい もっと もっと ずっと>

MCでも「終わらない夢を一緒に見ましょう」という言葉を度々聞いた。「目指したいところがある」とも言っていた。
大団円の「。」こそ打たれたが、きっとこの夢はまだ続く。

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