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2017年12月1日

長山香織 (43歳)
92
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堂々エブリバディー!!宣言

エレファントカシマシとの出会い、再会、そして未来

「いってみりゃ人生は/偶然の風の中/やさしさを求めさすらう/旅の途中」
(『旅の途中』)
…本当に、偶然の積み重ねで今がある。という事を実感することが、歳を重ねて増えて来た。
でも、偶然の積み重ねの結果、必然になることもまた事実だと思う。
断言できる。私にとってこの再会は、決して偶然なんかじゃない。
今年の6月16日、金曜日。あと1時間もすれば日付が変わろうという頃。
私はテレビの前でゴロゴロしていた。
…子供を寝かしつけた。その後、洗濯機を回した。上履きも洗った。あとは夫の帰宅を待つばかり。
早く帰ってこないかなあ…明日は土曜日、という解放感と心地よい疲れとで、ウトウトしながらリモコンをつかんでチャンネルを変えた。
『A-Studio』のゲスト、エレファントカシマシだ。わー懐かしい。…え~なんかカッコよくなってる…すごく楽しそうだなあ…鶴瓶さん、いきなりあだ名で呼ぶんだ、さすがだねぇ…大物は違うよ…懐に…飛び込むよねぇ…う~、眠い…。
前半のトーク部分は、見たいのに睡魔に勝てず、落ちてはハッと目覚め、また落ちては目覚め…の繰り返しで、内容がいまいちしっかり入ってこなかった。
ところが。
CMが明けて、演奏が始まった途端である。私は背筋を伸ばして画面を食い入るように見つめていた。
宮本さんのアップと共に、聴きなれたメロディーが流れてきた。
『悲しみの果て』だ。
…曲が始まってから終わるまで、まったく動けなかった。演奏後、宮本さんが「どうもありがとう」「ございます」と言い、2曲目の『今宵の月のように』が始まった途端、はあっと深いため息をついた。
何だったんだろう、今のは…。
寝起きでぼーっとしていたからだろうか。何が起きたのか、直後には分からなかった。が、2曲目の『今宵の月のように』を聴きながら、だんだん実感がわいてきた。
…すごく感動していた。昔『悲しみの果て』を聴いた時と全然違う。何か、曲の持つ核心部分みたいなものが、画面を飛び出し真っ直ぐ伝わってきて、そのボールをバシッと受け止めると、衝撃で手が痺れてしばらく次の態勢に入れないような…そんな感じだった。
ようやく痺れが取れてきた頃、突如、激しい後悔が襲ってきた。

「あーもう、何で録画しておかなかったんだろう!!!」

…それが、熱に浮かされたような私の数か月のはじまりだった。
私が『悲しみの果て』に出会ったのは、大学生の頃だ。
最初はCMだったと思う。その後、歌番組でフルコーラスを聴いて、衝撃を受けた。
何が衝撃だったかって、その曲の短さに。「えーもう終わり!?」と思ったくらい、あっけない終わり方。で、「もう一回」「もう一回」と繰り返し聴くうちに、詞のもつシンプルなメッセージと力強さ、そして根底にある温かさのようなものがじわじわ伝わってきて、私の中で忘れられない1曲となったのである。

もう一つ、『悲しみの果て』が私に強烈なインパクトを残した理由は、今までのどんな曲とも違う“悲しみ”を歌っているところだと思う。
幼い頃からテレビの歌番組やラジオが好きで、耳に入ってくる色々な曲をどんどん吸収して行く過程で、歌の表現方法は実にさまざまであることを、漠然とだが感じていた。
たとえば、『悲しみがとまらない』(杏里)、『悲しいね』(渡辺美里)のように、直接的な表現で悲しみを歌う曲もあれば、『悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)』(桑田佳祐)、『悲しみよこんにちは』(斉藤由貴)みたいに、明るい曲調がより悲しみを助長させるような、逆説的な表現方法もあるのだ…と、子供ながらに思っていたのだ。
でも、『悲しみの果て』は、そういうど素人の理論とか分析とかを超えた、暗いような明るいような…咆哮のような語りのような…、とにかく“何だかよく分からないけどガツンと殴られた感じ”だった。キーワードは多分“果て”なのだが…それが何なのかは結局、当時は分からずじまいだった。
6月16日の感動以来、『悲しみの果て』が頭から離れなくなってしまった私は、そこから今までの空白を埋めるかのように、エレファントカシマシ漬けの毎日を過ごし始めた。
今年がデビュー30周年だということ、ベストアルバム発売と、47都道府県コンサートツアーのプロモーションの一環で、メディアに多く出ていることを知った。
遅ればせながら、『All Time Best Album THE FIGHTING MAN』を購入し、聴いた。
知っている曲も、知らなかった曲も、すべての曲が30年という数字とともに、圧倒的な重みで迫ってきた。また、1曲1曲に添えられた宮本さんの短いコメントにジーンとしてしまい、それまではそこまで心が動かなかったというか、今の若い子っぽい言い方だと“ささらなかった”曲も、聴きこんでいくうちにすごく心に沁みた。
『DESTINY』に「うわー、大人っぽーい!」とうっとりしたかと思えば、『RAINBOW』に「やっぱり若いー、攻めてるー!」とワクワクしたり、『翳りゆく部屋』に「女性の心理も歌っているんだ…」と、ゾクゾクしたり…とにかく、私が知っていた今までのエレカシよりも、ずっとずっと彩り豊かな曲の数々に、心を揺り動かされっぱなしだった。

それだけでなく、YouTubeで過去映像を見たり、歌詞を検索したり…現代ならではのインターネットの恩恵も十二分に受け、エレカシにどっぷり浸っていった。
…それにしても、このネット時代は本当にすごい。私の子供時代なんて、テレビ、ラジオ、雑誌が情報源のほぼすべてだった。好きなアーティストが出ている雑誌が複数発売されると、お小遣いが限られているが為の苦肉の策として、友達と別々の雑誌を買い、お互いが好きなアーティストの記事を交換したりしたものだ。深夜の音楽番組をビデオタイマー録画し、翌日ウキウキして観ようとすると、録れていない。慌てて昨日のテレビ欄を確認すると、「何だよもう…野球中継延長じゃん!!」みたいな事がしょっ中だった。
それが今や、検索エンジンに「エレカシ」と入力するだけで、昔のバラエティ番組で『おやじの海』を熱唱する宮本さんや、若かりし頃の冨永さん、高緑さん、石くんの姿を見ることが出来るんだから。何ていい時代なんだろう…ありがたや、ありがたや。

そんな、いい歳して、中高生のようにワーキャー騒がしい私を、家族が若干冷ややかな目で眺めつつも、誰も制止しようとしなかった事が、何よりも一番ありがたいことである。
夫は「突然何なの?」と訝しがりつつも、車のハードディスクにエレカシの曲を入れてくれたし、娘はバラエティ番組で『俺たちの明日』がワンフレーズかかった時に、「これママが好きな曲」といち早く気づいてくれた。幼稚園の息子は、「えれふぇんとかしましってどういう意味?」「2DKってどういう意味?」と無邪気に尋ね、『はじめての僕デス』を完璧に歌えるようになった…そんな、家族をも巻き込んでの“エレカシ熱”は、いつまでも終わることのない祭のようである。
こんな楽しい日々を送りながらも、最初のうちは、「完全に出遅れだよなあ…」「エレカシの曲を聴かなかった期間、私は今までいったい何をしてたんだろう…」と、後悔の念が拭えなかった…本当に、不思議で仕方がないのだ。ずっと音楽は生活の一部だったし、それこそ、学生時代から社会人時代は、興味を持った音楽は、ジャンルを問わず片っ端から聴いていた。聴くだけでは飽き足らず、ほんの数年間だが楽器も弾いてみたりした。朝出社し、ベランダの使われていない掃除ロッカーに楽器を隠して一日仕事をし、帰社したその足でオールナイトのイベントに参加したこともあった…私の40年余りの人生で、一番イケイケだった時代である。
結婚後は、さすがに独身時代のようには行かず、CDを買う機会も減れば、ライブにも行かなくなってしまったが…それでも、それなりに音楽に触れてはいたつもりだった。やっぱり音楽好きなママ友と、情報交換したり、子連れでカラオケに行ったり…。

そんな、今までの音楽ヒストリアの中に、「エレファントカシマシ」の記憶の断片を必死に探ってみる…『悲しみの果て』以降、どうだったっけな?音楽番組で、トークが迷走して行く宮本さんの事は、はっきりと覚えている。『ガストロンジャー』に衝撃を受けた記憶も、うっすらと…で、弟と「エレカシってすごいね」みたいな会話をしたんだった。その時弟が、「昔のエレカシに、『珍奇男』っていう、今と全然違う歌があるんだよ」と言ってたことを思い出した。

そんな話を、今年の夏に弟と電話で話した時のこと。彼の口から信じられない言葉が飛び出した。

「え、だってお姉ちゃんエレカシのCD持ってたじゃん。」
「…嘘!?」
「ホントだよ。忘れてたの?」
「…忘れてた。何のCD?」
「『good morning』」
「………」
「ホントに覚えてないの?…じゃあ、ホラあれだよ、勤めてた頃、金に物を言わせて、ちょっと興味を持ったバンドのCDはすぐ買ってたじゃん。その中の1枚だったんじゃないの?」

…ビックリした。完全に忘れていた。何だかひどく恥ずかしかった。
そんな話を聞いてもまだ、自分がエレカシのCDを所有していたという記憶をはっきりと思い出せないなんて。だったら証拠は?証拠のCDがあるはず!!と思ってももう遅い…嫁入り前、「過去の自分を断ち切り、新たな生活を一から築くのだ!」と妙に肩に力が入っていた私は、それまで手元に大量にあった文庫本やCDなどを、あらかた手放してしまっていたのだ…後の祭りである。

でも。
その話をした時、自分を恥じ入るとともに、ちょっと嬉しかったのもまた事実だ。「出遅れた」「エレカシ聴いてこなかった自分が情けない」と思いこんでいたのに、少なくともその当時の私は、メディアで耳にしたエレカシの曲に惹かれ、CDを買って聴いてみようと、確実に心を動かされたわけだから(忘れてたけど)。
宮本さんがライブで呼びかける、「エブリバディー!!」の一員に、何とか間に合った、良かった、という前向きな気持ちになれた。
そんな日々が続き、8月も後半にさしかかろうとする頃の、とある平日。
私は子供たちと家にいた。
…なかなか宿題をやらない、部屋が片付かない、他愛もないことですぐケンカする…そんな子供たちへのイライラや不満が溜まり、爆発寸前だった時、YouTubeのマイミックスリストから、聴きなれないイントロが流れてきた。
…聴きなれないけど、絶対に聴いたことのある曲。何だ?何だっけこの曲…画面に近づき、タイトルを確認した途端、「ああぁー」と、叫びとも嗚咽ともつかないような、ヘンな声を出してしまった。涙がにじんで、ミュージックビデオがよく見えなくなった。
そして、今までモヤモヤしていた記憶が一気によみがえり、すべてが繋がったのである。
それは、『武蔵野』だった。『good morning』収録の1曲であり、何度も何度も繰り返し聴いていた、大好きな曲だったのだ。
…今までの偶然の重なり、そのすべては、『武蔵野』に再会するための布石だったんだ。
どうして、そんなにも『武蔵野』が好きだったんだろう。
もともと、16ビートでベースラインのうねる曲が好き、ということもあるにはあるのだが、やっぱり何と言っても歌詞なんだと思う。

「俺は空気だけで感じるのさ/東京はかつて木々と川の地平線/恋する人には 輝くビルも/傷ついた男の 背中に見えるよ」
「武蔵野の川の向こう 乾いた土/そう 幻 そんなこたねえか…」
「俺はただ 頭の中 イメージの中笑うだけ/俺はただ 笑うだけさ」
(『武蔵野』)

…乾いた土、乾いた空気。昔も今も変わらず流れ続ける川の水面。変わり果てた彼方に見えるビルの群れ。
無常観、虚無感、理想と現実、諦念…。
この歌の歌詞には、喜怒哀楽、その他の感情表現がはっきりと書かれていない。
あるのは、風景描写と、自分自身をどこか客観的に眺めている主人公の男性。
それでいて、曲の奥底に、通奏低音のように流れるイメージは、圧倒的に「悲しみ」である。
…『武蔵野』は、『悲しみの果て』の果て、だったんだ。
「悲しい気分じゃないけれど」とうそぶきながらも、全身で悲しんでいる。悲しみを湛えた主人公の視線を通して描かれた、乾いた景色。そんなことを、『武蔵野』を聴いて考えた。
そして、私事。
この曲が発売された2000年は、ミレニアム・イヤーと称し、世の中は全体的に浮足立っていたが、私自身は仕事や友人関係の変化に悩み、漠然と将来の事や自分の進むべき道などを考えていた頃だった。そして、そこから17年経った今、当時の私には考えもつかなかったような経験をし、日々を送っている。身近な人の死に直面し、体調の変化を実感し、自分の人生も後半戦であることを意識せざるを得ない年齢にさしかかっている。
そんな、人生の岐路というか、ターニングポイントの時期に、奇しくも同じ『武蔵野』を聴き、涙するなんて。
奇しくも、と言えば、『悲しみの果て』と『武蔵野』はどちらも、微かに希望の光が見えるような歌詞で締め括られている。

「悲しみの果ては/素晴らしい日々を/送っていこうぜ」(『悲しみの果て』)
「武蔵野の 川の向こう 乾いた土/俺達は 確かに生きている」(『武蔵野』)

…生きていく、ということは、それだけで大変なことである。
大変だから素晴らしい。悲しみを超えてこそ喜びがある。ペーソスあってこその、ユーモア。禍福は糾える縄のごとし…等々。そういった、二律背反の経験を積み重ねながら、人は生きていくものなのだろう。
そんなことを考えるきっかけをくれた。『悲しみの果て』と『武蔵野』は、今後の私の人生において、今度こそ間違いなく、大切な2曲になるはずである。
いや、この2曲だけではない。
6月にエレカシと再会し、「しまった、出遅れた!」と思い、その後「でも間に合った、気付いて良かった。これからは“エブリバディー!!”の一員として生きていく」と決心し、さらに「ていうか本当はもうとっくに、“エブリバディー!!”の一員だった」と思い出した現在、私にとってはすべてのエレカシの曲が、愛しくて大切なものとなっている。
その後、『good morning』を再購入し、『眠れない夜』も『ゴッドファーザー』も無事に思い出した。思い出して、「こんなテイストの曲もあったんだよなあエレカシには…」と懐かしく、愛しくなった。他にもいっぱい、『星の砂』も『遁世』も、『風に吹かれて』も『シグナル』も、『夜の道』も『東京からまんまで宇宙』も…全部好き。『RESTART』と『今を歌え』に至っては、ミュージックビデオ込みでもう、本当に大好き。
これからは、リアルタイムでエレカシの曲を追いかけながら、ゆっくりと過去のまだまだ知らない曲も聴いていけるのだ。楽しみである。ワクワクする。
いつかはライブに足を運ぶ日も来るだろう。生でエレカシの音に触れる時、自分はいったいどうなっちゃうんだろう…と想像しただけで、ニヤニヤが止まらない。
今年は最後の最後に、紅白歌合戦初出場という素敵なプレゼントまで届いた。本当に嬉しい限りである。
私のこの狂乱じみた、半年近くに及ぶ“エレカシ・フィーバー”も、この文章をもって一旦収束させようと思う。そして、来年からはフツーのオバサンに戻る。戻るけど、これからは普通に、当たり前に、日常の中にエレファントカシマシの曲が溶け込んでいるであろうことは、確かである。その未来はきっと、悲しくて、明るい。

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