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2017年3月2日

ぴょん (17歳)

19年ぶりのLIFE IS COMIN’ BACK!

〜小沢健二が私たちにくれたもの〜

2017年2月22日。

「彼らしい」といえば彼らしく、
新しく彼の世界に触れる人にとっては、
実に「衝撃」であろう。
そんな1日が、始まった。

小沢健二が。あのオザケンが。
突如として、実に19年ぶりの
シングルCDを発表した。
曲名は、「流動体について」。

ここで、今初めて「小沢健二」、
または「オザケン」という
アーティスト(この言い方は苦手だが)
の名前を聞いた方のために、
彼の音楽の歴史について少しだけ、
話しておこうと思う。

とはいえ、こんな偉そうな文章を
書いておいてなんだが、私はまだ17歳。
高校生の拙い文章であるが、
どうか、どうか、そこのあなた。
彼の歴史を聞いていただきたい。
一人でも多くの人に彼の魅力が
伝わったなら、とてもうれしい。

時は、1989年。
後の「渋谷系」ジャンルの先駆けとなる、
おしゃれでポップでちょっと意地悪、
そしてとびきりキュートなバンドが、
彗星の如く現れた。
その名は「フリッパーズ・ギター」。
いまでは、小山田圭吾と小沢健二の
二人組バンドとして広く人々に
知られているが、元々は小山田圭吾と、
井上由紀子の二人で結成したバンド
「Pee Wee 60’s」だった。
二人以外のメンバーが脱退したことを機に、
「ロリポップ・ソニック(Lollipop Sonic)」へと
バンド名を改名し、ライブハウスなどで活動をしていた。
二人でのライブを数回行なった後に
吉田秀作、荒川康伸が加入。
そしてそして、最後に今回の主役。
小沢健二が加わり、五人編成となる。
そして彼らはメジャーデビューの際、
バンド名を「フリッパーズ・ギター」へと
改名したのである。
小沢が作詞を担当した、全編英語詞の1stアルバム『three cheers for out side〜海へ行くつもりじゃなかった〜』でデビュー。
その直後、小沢の求める音楽性の違いから、
荒川、井上、吉田が脱退することとなり、
小山田と小沢の2人編成となる。

そして1990年。
初めての全編日本語による、
2ndアルバム『CAMERA TALK』をリリース。
テレビ番組や雑誌などで見せるキザで
キュートな振る舞いも相まって、
彼らの人気は急上昇していった。
しかし、人気絶頂だった1991年。
3rdアルバム『ヘッド博士の世界塔』
をリリース後、彼らは、突然、解散した。
その後、いくつかの再編集盤を残すも、
彼らはそれぞれ「コーネリアス」と
「小沢健二」としてソロ活動を開始する。

フリッパーズ・ギター解散後、
1stシングル『天気読み』で
小沢健二は鮮烈なデビューを飾った。
彼の名前を世に知らしめたのは、
1994年に発表されたスチャダラパーとの
共演シングル『今夜はブギー・バック』。
日本のヒップホップの先駆けとも言える
この曲は50万枚を超えるヒットだった。
同年、あのアルバムが、彼に
「渋谷系の王子様」
というあだ名をもたらす。
そう。『LIFE』である。
ここから彼の王子様キャラが爆発するのだ。
堂々と彼女のことを「仔猫ちゃん」と呼び、
街にはいかにも「仔猫ちゃん」ルックな
女のコたちがわんさかいたらしい。
東大出身で知的、余裕のある振る舞い。
みんなを置いて、一人だけぐんぐん
進んでしまうタイプ。
そんな男の子がいたら誰だって
すぐにファンになる。なってしまうよ。
この表現はあんまり好きではないのだが、
今で言う「星野源」的な位置付けだった。
その後も、『さよならなんて云えないよ』、
『球体の奏でる音楽』など名曲名盤を
世に送り出し、渋谷系の一時代を
築いていった。
そして、シングル『春にして君を想う』を最後に、
彼はニューヨークへ拠点を移す。
『Eclectic』や『刹那』『毎日の環境学:Ecology Of Everyday Life』などのアルバムをリリースするも、大々的に表舞台に立つことは少なかった。

その傍らで、2010年よりライブを再開。
公式サイト「ひふみよ」を立ち上げた。
2014年。あのお昼の伝説的番組、「笑っていいとも!」に出演し、4曲を披露。弾き語りでギターを弾く彼の表情と、隣で優しく見守るタモリさんの、あの2人だけの空間が、小沢健二を奮い立たせていくきっかけのように私には見えてならなかった。
そして2016年。「魔法的」ツアーの開催を、渋谷クアトロで突如発表した。思えば小沢健二は、このツアーでたくさんたくさん「みんなのこと」を考えていたのかもしれない。
結婚して夫となり、そして父となった彼は、以前とは違う「やさしさ」や「父性」「力強さ」を携えて、私たちの前に現れた。

「魔法的」ツアーが終わった後も、私はどこかワクワクした気持ちでいた。何か、彼がまた新たなことをやってくれるかもしれない。夜、眠る前の絵本をワクワクしながら読んでとせがむ子供のような気持ちで、毎日を過ごしていた。その間、小沢健二には第二子が誕生する。名前は「天縫(あまぬ)」くん。ツアーのリズムをたくさん吸い込んで、ツアーで披露された新曲の歌詞を元に名付けられたというそのニュースを聞いて、私は何か喜びとも嬉しさとも違う、特別な感情が湧き上がってきた。

そして、2017年2月20日。
小沢健二は、あるチャットイベントを
開催する。(それもまた突然に)

「こんにちは、小沢健二です。」

その文章を見た途端、私の体内を、
熱い熱い何かが巡った。
そこで彼はさらりと、
「シングルを明日発売すること」を発表。
さらにさらに、「金曜のミュージックステーションで2曲やります」と、さらに爆弾を投下して行く。
なんだ、なんなんだ小沢健二。本来の目的は、「小沢健二が質問に答える」のはずだったのに。ツイッターと連動してみていた私は、「はぁっ」と息を飲んだ。
まさか、まさかまさか、生で初めて小沢健二のシングル買える…?リアルタイムで歌番組の小沢健二見られるの…????
心の揺れと混乱と嬉しさのあまり、
もう意味がわからなかった。
彼は淡々とシングルや番組の説明をし終わったあとで、「質問ください」と本来のイベントに戻った。ツイッターも小沢健二も、もうカオスだった。カオスが過ぎていた。
大熱狂の中、イベントは幕を閉じた。

そして、2月22日。
平日のため学校だった私は、放課後、ダッシュでタワレコのある商業施設へと繰り出した。タワレコへ通ずるエスカレーターを上る。おなじみの黄色い店内が少し見えると、私ははやる気持ちを抑えきれなかった。目の前にあった「おかえりなさい!オザケン!」のPOPに食らいつくように、CDを手に取った。『小沢健二 流動体について c/w神秘的』と書かれたそのCDは、海で小さな男の子の後ろ姿を撮影したものだった。私はそれを見て熱い感動を覚えた。『球体の奏でる音楽』のジャケットと繋がっていたからだ。きっと『流動体について』は、息子の凛音くんの後ろ姿だろう。親子二代でCDのジャケットを飾る。なんて粋なんだ、小沢健二!!
大好きな人の待ちに待った19年ぶりのシングルを手に家路を急ぐ私は、まさに『痛快ウキウキ通り』そのものだった。早く家に帰ってこの喜びを誰かと分かち合いたい!今それだけが、この世の中を熱くしているはず!と。

自分のiPhoneに急いで取り込むため、いよいよシングルとご対面だ。おお、中身もかなり凝ってる!なんだこの新しいCDの入れ方!裏には「魔法的」の文字!おお!ジャズマスター貸したのセカオワなの?私に取って家宝のようなシングルだなぁ!感動がありすぎて、涙が流れっぱなしだった。無事取り込みを終え、19年ぶりの楽曲に触れる。ラジカセを用意し、CDを再生する。

曲たちは、言うまでもなく素晴らしかった。
疾走感のあるメロディ。
渾身のギターソロ。美しいストリングス。
王子期のほんの少し前の、あの頃の彼が
手に取るように見えた気がした。
彼らしい深い深い意味を持った歌詞。
『もしも 間違いに気がつくことがなかったのなら?』
まるで、昔の自分の間違いに気づいたような一文だった。彼はどこで「間違い」に気づき、世界のことや文学や言葉を勉強しようと思ったのか。
考えさせられる楽曲だった。
購入してからは、通学途中はもちろん帰るときだって、ずっと聴いていた。何しろ20年ぶりにミュージックステーションに出演する。しかも『僕らが旅に出る理由』と『流動体について』のメドレーなのだ。今は90年代なのだろうか。そんな錯覚を覚えるくらい、小沢健二の19年ぶりのシングルが世間に与える影響は計り知れないものだった。
2月24日。PM8:00。
ミュージックステーションが始まる。
出演者紹介の瞬間、全オザケンファンが目を点にしただろうと思う。なんと彼は、一番手であのおなじみの階段を降りてきたのだ。少し緊張した面持ちで。
「前世に戻ってきたみたいです。」と照れた顔で言う彼は、確かにそこにいた。番組中もワイプの中で笑っていた。出番になり、VTRで自分の曲がながれると口ずさんだり。とてもパワフルだった。
曲前のトークは、私も緊張しすぎてよく覚えていない。ただ、あたたかな空気を感じることができた。スタンバイを促され、CMになる。その間もドキドキが止まらなかった。自分が歌うわけでもないのに。ツイッターを覗くと、この日初めて小沢健二を知った人も、長い長い時間待ち続けた人も、みんなが成功を祈ったり緊張したりしていた。ああ、みんな同じなんだなあと安心した。
CMが開け、『僕らが旅に出る理由』が始まる。少し緊張しているのかな、そんな風に見て取れた。しかし曲が進むにつれ、だんだんとリラックスしてくる。喉が温まる。「歌おうー!」と高らかにテレビの向こうに呼びかけて、最高にキラキラしながら一曲目を終えた。
そして、『流動体について』。
爆発していた。彼のこれまでのインプットの全てを、この曲に、このパフォーマンスにぶつけていた。強く強くギターを弾きながら、物語のような歌詞を噛みしめるように歌っていた。ギターソロに差し掛かると、魂を込めて、それでいて優しく、音を奏でていた。
曲が終わると、彼は深い深いお辞儀をした。これまでにはあまりなかった光景だった。それは、彼の進化と気づきと愛がもたらしたことだと、私は気づいた。
番組のエンディングで、彼は言った。
「この番組が20年間音楽の灯を
灯し続けていてくれたことに感動します。」
その目は、感極まったように潤んでいた。
 

私は、小沢健二を希望と言う。
昔も今も、音楽シーンを変えてゆく。
日本に疑問を投げかけてくれる。
愛や言葉や文学や世界のこと。
彼は言う。「言葉は都市を変えてゆく」と。

これからの未来にも、
小沢健二の音楽がありますように。
ともに同じ時代を
生きていけますように。

私はそう願ってやまない。

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