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緩やかに編んでゆきたい

スピッツと新しく出逢う

それは回顧してしまう様な昔の事、母親からかぎ針編みを教わった事がある。
かぎ針、という先がフックの様になった針を糸に絡めながら編む手法だ。
母親の作る編み目の揃ったそれとは違い、初めて編む私の編み目は拙い、
ところどころにぼこりとした穴があり、きつく締めすぎてしまった箇所は周囲がぴんと張っている。やがて不協和音だらけの様な小さなコースターが出来上がった。

教わっていた最中「初めてだから」と微笑みながら、時々母親はこぶが出来たり糸が絡む箇所をいとも簡単に直した。
するすると糸を解いてすんなりと編み直し、出来上がった箇所はさっきまであったこぶは既になかったことの様になっていた。
初めて自分だけで作った時、私は修正の仕方も分からず、糸を全部解いたり、仕方ないとそのまま進めたりした。力技で最後まで完成させても躓いた部分は目立ち、取り繕った言い訳だらけの話を図解化させたみたいで、ちっとも気に入らなかった。

あのコースターが出来上がってから何年経ったのだろうか、
不器用な不器用な編み目のコースター。
白い糸で編まれたそれが初めて出来上がった時、達成感よりもぼんやりと自分の性格みたいだな、と思ったのを今でも覚えている。
きつく締められた糸は融通が利かず、固定概念に捕らわれて自分を締め付ける糸の様だ。小さな事にすぐに傷つき何度も躓いてしまう精神性の弱さは所々に開いた穴がそれを物語っていた。
あれから何年も経った今、私はまた躓いてしまった。

小さな職場だった、小さな誤解だった。それは水面の波紋の様に広がっていつの間にか、私の手を離れ知らない物語となって人の手のひら手のひらへと渡っていた。何も言えなかった、ただただ絡む糸に縛られながらも私は足を会社へ向け続けた。
やがてその糸は私を激しく締め付け言葉の棘はますます鋭く私を刺す様になり、私はその場を去った。気づいた時には全てが遅すぎた。

よくある数行の物語だ。けれどそれはささやかな悲しみの数行だ。
帰り道の車内でぽろぽろと零れる涙もありがちで、ぼやける視界と知らない内に出るえづく様な涙の声と、こうすれば良かったのに、出来なかったのはなんでだ、と責める心も凡庸だ。生き方が下手だ。どうしてこんなに下手なんだ、心は弱くそこに逃げ込む狡猾さも自分の中に潜んでいる。
下手なんだ、どうしてこんなに下手なんだ。空っぽだ。こうして責めてしまう自分の自意識も苦手だ。自分を否定する言葉ばかり泡のように次から次へと浮かんでくる、大人ってもうちょっと立派なものじゃなかったの。情けなくて笑ってしまう。暖房を入れる事も忘れた車内は冷えていき涙が頬を伝う、頼りないその涙の道筋は弱々しい自分の精神をそのまま表している。こんな涙はちっとも嬉しくない。
悔しさをハンドルにぶつけ力を入れぎゅっと握ってみても、指先の白さが夜の風景に浮かび上がるだけだった。

スピッツに出逢ったのはその後の事だ。

始まりは「歌ウサギ」だった。ぼんやりと枯れた日常を過ごしていた私に、翻るスカートのように、それはふわりと現れた。
いい歌だな。スピッツ、昔聴いたな。そうだ、あるだろうか。車の中を探す、ーあった。スピッツは車の中で眠っていた。
懐かしい。そんな第一印象だ。思わず自分が持っていたもの以外にも手が伸びる。
とろりとした優しい歌声に身を任せる、呼吸をするのに合わせるかの様にゆったりとスピッツの歌が流れる。深呼吸をすると空気と一緒に彼らの歌が器官に入っていくようだ。大げさだけれど、生命の息吹が少しずつ新緑の様に生き返っていくような感覚がした。小さくしぼんでしまった心にスピッツの歌は染み込んでいって、新しい何かが自分の中で生まれた感覚があった。スピッツを改めて聴いた時の衝撃はずっと忘れられない、スピッツの音と歌声に載せた風景たちはなんて美しい、そして美しいだけではない、手のひらで私の心を直接撫でられているかの様な感覚があった。好きなんて言葉じゃない。私がこれからの人生にずっとずっと抱いていくものを、今手に抱いている。そう確信した。スピッツに新しく出逢ったその瞬間だった。ドラマチックに鮮やかな旗が目の前に躍り出た。

ルキンフォーという歌を何度も何度も聴いた。

「めずらしい生き方でもいいよ 誰にもまねできないような」

私はこの歌詞を聴いた時、ありがとう、という言葉が即座に浮かんだ。ああ彼らは、人生の淵を踏み外した瞬間を無下にはしない。人生の美しい所ばかりを描かない、手に汚れがついたその瞬間も、躓いて視点が下がったその瞬間も、書き連ねていく。
私はこのルキンフォーの言葉の視点に本当に驚いたし価値観をひっくり返された様な気がした。躓いて上手くゆかない、何か人と数ミリずれてしまう様な気がする自分のコミュニケーションの拙さや、輝かしく描くんだと希望に溢れていたのにピントがずれてぼやけた様な軌跡を描き始めた人生も、いとも簡単に違う視点で手のひらですくってくれたのだ。
励ます、励まされるという概念ではなく、作詞に表れる人生観・ものの捉え方そしてその表現の仕方に驚いたといっていい。滲んでしまった水彩画が、視点を変えて見ればそれも絵になっていた様な、口を開けてぽかんとしてしまうような手品のような歌詞だと思った。そうしてスピッツに夢中に、それこそ夢の中にいる様に彼らの音と歌詞に酔いしれているうちに、悲しみは彼らの歌と音の流れの中で少しずつ穏やかな気持ちに変わっていた。

―会いたい。

悲しみを穏やかな道へと導くスピッツという源泉を確かめたいと、私は武道館のチケットを手にしていた。

注釈付きの席は完全に右端の隅だった、捕まえたチケットを手にし始まる10分前に駆け込む。自分でも信じられない行動力が芽生えていたのだが、欲していたという言葉だけでつき動かされていた。切れそうなくらいに細くなり擦り切れていた自分の心の糸が、会いたいという太い糸に生かされていた。
音は鳴らされた、歌が、草野マサムネの口から生まれ出る。コーラスが響く。
彼らの奏でる全てが、照明にさらされ染まる自分の肌のように、全身にぐん、ぐん、と染み入っていた。ゆったりと流れていた様に感じていたスピッツの音は実際に聴いてみるとその音の熱さと確かさに驚く、それは突然ぎゅっと手を強く握られた様な感覚。遠くから眺める彼らの、確かな体温を手のひらにしっかりと感じるようだった。
悲しみと寂しさを抱えた私の渇きに、スピッツという熱い水分が体中を駆け巡っていった。

彼らは柔らかな入口を持っている。聴きやすく誰もが手にとれる様なメロディアスな旋律。その柔らかな入口に手をかけて一歩入り込むと、ほの暗い中に、灯火の様に光る蛍たちのような言葉の光源の世界と音が待っている。

スピカという曲、「幸せは途切れながらも 続くのです」
永続する様に感じてしまう幸せを、少しふっつりと消えた瞬間人は終わったと感じてしまいやすい。この言葉の持つ力は幸せというものを端的に捉えてしまいやすい人の価値観を覆すものの様に思う。
シロクマ「ビンの底の方に 残った力で」
何もない、失望し空虚を感じた時には力なんて言葉は聴き手からは生まれてこないものだ。それでもこの言葉を聴くと、例えばジャムの底をかき集めていた日常の自分の姿を思い出し、同時に自分の心の底に残る憔悴の下に隠れたものを、覗きたくなる。
砂漠の花「終わりと思ってた壁も 新しい扉だった」
聴いた瞬間、勢い良くカーテンが開き、鮮やかな光彩が目の前に現れた様な感覚がした。思いこむその全てを暗く染めているのは自分の思考なのかもしれない。考え方ひとつ、という調味料のさじ加減で人生は変わってゆくのかもしれない。その言葉たちは、咲き始めた花のように、小さく輝く宝石の原石のように、私の心の中で息づいてゆく。
ぼろぼろの布になった様な、血を流している様な心が、めちゃめちゃな編み目の様な私の歩む道が、スピッツの歌でひとつ芯を持ってゆく。あなたの道はまだそこにあるじゃないか。躓いたのは、そこに道がある証拠なのに。
まだ続きがあるんだよ。目の前の事にすぐ染まってしまい心を閉めてしまいがちな私にしっかりと力強く、気づきなさいと言ってくれている様だった。真っ暗な暗い海が、光を差し込んだ柔らかな海へと変わってゆく、終わったと思ったページはまだめくれる事に気づく。そして私は気づかなかった。何年も何年も。スピッツはこんなにも、人生の暗澹たる瞬間も、美しく歌い上げてくれていることを。

彼らは30周年を迎えた。30年。どれだけの道のりであっただろうか。様々な事があったと思う。しかし続けていてくれたからこそ、私は今出逢う事が出来た。最新曲の「1987→」にもそれは表れていて、「それは今も続いてる」と彼らは高らかに歌う。一歩一歩、彼ららしさを失う事無く30年という月日を石を打つ水滴の様に彼らは歩んできたのだろう。その水滴はささやかでありながらも力強く、石を削る強さをもある事、水滴が打つ一音一音はしなやかに美しく響き心を打つ事を、私は知った。
スピッツは時に力強くしかし心地よい風のように軽やかに歌い上げ多くの聴き手の悲しみを知らぬまに軽くする。そして今でも彼らは私の様に長く長く時代を共にしながらも新しく出逢った者たちも作り上げてゆく。
いぶし銀の魅力もある、抜群の透明感の中にも、少し渋みが感じられる草野マサムネの声にも年数の魅力を感じる。
しかし、武道館は野原の様だった。風が吹く、草木が揺れる、私たちはその野原で全てを沈静化し、悲しみを嘆きを苦しみを、その野原に開放する事が出来た。

30年という月日が流れても、そこにはスピッツという野原が存在していた。

武道館の後も、私はスピッツを聴いている。わたしの耳はスピッツに吸い付く。
スピッツの歌たちと共に、私はその風吹く野原で、明日への、いや今を生きる道を手に入れる。
こんな風に書くと、何もかも綺麗に解決したみたいだけれど、その道は輝かしい訳ではないし、ナイフの様な思い出は消えない。言いたいことをぎゅっと飲み込んでしまう悪い癖も健在だ。又小さな事にあっと躓き些細な事も台風の雨風に吹かれた様な気持ちになり、雨に濡れた衣服の湿りが色濃く広がる染みの様に心は塞ぐだろう。けれど人生も、そこに内包される辛い事も悲しい事も嬉しい事も、その全ては続いていくんだという意識が私の中に太い幹の様に根付いた。弾力を持った柔らかなボールの様に、その道を時に上に下にと跳ね飛んでゆけばいい。スピッツが30周年を超えこれからも紡ぎだす物語の様に。

くちびるの端は上がる、ああ、今日も編み目を紡ごうよ。
くちびるの端はひらく、ああ、今日もスピッツを歌うよ。

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