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2017年3月7日

山下リン (23歳)

たったsyrup16gだけの共感

さらに奥深くの『darc』へ

3年ほど前、友人に、syrup16g“生活”を紹介したとき、
《そこで鳴っている/そこで鳴っているのは/目覚まし時計》
 という最後のフレーズを遮るように、私は声を上げた。
「ここだよ!」
「何が」
「ここがすごいんだよ!目覚まし時計が鳴っているリアリティ」
「何が」
「起き上がることができない感じ」
「えっ、そういうことなの? 夢から覚めないってことじゃないの?」
 友人のまっとうな解釈にはっとして、確かにそのとおりだと思いながらも、違う、この歌詞はそういうことだけ言いたいのではない、と感じた。しかしうまく説明できなかった。
 今ではわかる。友人はこの歌詞の言葉を聞き、私は感覚を受け止めた。
 歌詞は表現だから、「目覚まし時計が鳴っている=夢から覚めない」という意味で捉えるほうがふさわしい。《生活はできそう?》《君の声さえもう思い出せないや》といった、夢のようにぼやけた言葉で“生活”を歌っている。友人はそこをうまく理解し、この曲の正解へ近づいた。
 しかし私は、「目覚まし時計が鳴っている=起きられない」というふうに、安直に結びつけた。当時、毎朝目覚まし時計の音を聴きながら「また一日が始まる……つらい……」と感じる“生活”を送っていたからだろう。歌詞を書いたsyrup16gの五十嵐隆にも同じ経験があるのだ、と確信していた。
 友人はバンドをやっているから、音や曲にも注意して聴けるはずなのに、歌詞の本質を一発で言い当てた。私は繰り返し聴いても、朝はきついとしか思えなかった。感覚が言葉を超えていた。
 さて、どちらが大切か。考えても答えは出ないけれど、今の音楽の主流は言葉だ。たいていの歌詞は、内容を頭で理解できる。
 それは「確認」だ。「共感」ではない。
 たとえば「つらいのは君だけじゃない」という言葉がある。「誰しも悩んでいる」「苦しいのはみんないっしょ」なども、よく歌われるメッセージだ。しかし、聴き手からしたら、そんなことは言われなくてもわかっている。「つらいのは君だけじゃない」という言葉を聴いて、「そうだ、つらいのは私だけじゃない」と思うのは、「確認」にすぎない。そして「だから頑張ろう」と思えるのも、すでに答えが出ていた事実を「確認」したからだ。
 「君がいなくて悲しい」「君に会えなくて寂しい」と歌う曲を聴いて、聴き手も「あの子がいなくて悲しい」「会えなくて寂しい」と思う。これも、あの子が去ってから自分の中でふくらんでいた気持ちを、簡単にまとめただけだ。答え合わせ、つまり「確認」でしかない。
 曲の紹介でしばしば使われる「共感」のほとんどは、この「確認」だ。普通の人々の、普通の感情に、普通の名前をつけ、わかった気にさせている。
 本当の「共感」とは、自分ではまったく見えない感情に気づかされるような、誰もが抱く感情なのに自分だけのものだと思わせるような、心の強い動きのことを言う。そう簡単には生まれない。
 syrup16gの“夢”という曲には、こんな一節がある。
《本気でいらないんだ/幸せはヤバいんだ》
 憔悴した声で《もう何にも求めてないから》と告白する《俺》は、《夢を全て叶えてしまった》と歌う。《自由》も《世界》も、どうでもいい。《本能を無視すれば/明日死んじまっても/別に構わない》とまで言い放つ。
 満たされないから手に入れようともがくけれど、手に入らなくてもいいし、手に入れてもどうせいつか死ぬ。結局のところ、《幸せ》は生きるための餌だから《ヤバい》のか。死ぬまで餌を求め続ける人生が恐ろしいから、彼は《幸せはヤバい》と歌うのだろうか。
 ここまでは「確認」にすぎない。こんなことを考えて過ごす人々はいくらでもいるし、それは五十嵐も承知のうえで書いたはずだ。私の個人的な「共感」は少し違う。
“夢”は、まだ夢を叶えていない人間の強がりの歌だ。うまくいかない経験をしてばかりいる人間は、少しでも《幸せ》に近づくと、自分の人生ではないような気がする。その不安こそが《ヤバい》のだ。どんなこともうまくいっていないように思えてしまうほど、うまくいかない状態が普通だから、《幸せ》は普通をおびやかす罠でしかない。だから《夢を全て叶えてしまった》と言い張り、一歩引くことで命くらいは守ろうとする、抵抗の歌だ。
 この解釈が正しいとは思わない。いや、正しいかどうかは関係ない。少なくとも私はこの曲で、自分が「うまくいかない」と思う理由に気づかされ、これは自分にしかわからないと錯覚した。「共感」したのだ。そして「共感」を伝えようとして、友人と“生活”を聴き、他人との解釈の違いを知り、自分の中でさらに強く「共感」した。
 閉じている。「共感」なのに、どこへも開かない。この狭い感情を、五十嵐は歌ってきた。
 昨年11月に発表されたアルバム『darc』は、心の底へ向かう言葉と音だらけだ。暗い、という言葉ではすくいあげられないくらい、深く沈んでいる。自分で曲を作り、歌い、満足しなくても別にいいかのようなそぶりで終わっている。それでもたくさんの聴き手が感じ入る。
 五十嵐はそもそも「共感」など求めていないからだ。
 「つらいのは君だけじゃない」とすり寄る真似はしない。他人の悲しさや寂しさなんかわからない。誰のためでもない、自分のために曲を作り、歌詞を書いているから、自分のことだけが抽出される。それは今まで歌にならなかった狭い感情だ。誰かの心に隠れるものを暴き、気づかせる。「共感」させる可能性がある。syrup16gのライブではみんな、どうしたらいいのかわからないとでも言いたげな顔だ。「共感」は生ぬるいものばかりではない。
 生きていてうまくいかない人間が、ただひとつまともにこなせるのは、同じようにうまくいかない人間の気持ちを考えることだ。うまくいかない人間だけがわかる方法であらわすことだ。これは何の役にも立たないかもしれないけれど、誰かが確実にやらなければならない。五十嵐はそう思っているだろう。気持ちがわずかでも混じり合えば、とりあえず“翌日”は楽になりやしないか。
 そんな無意識から「共感」が生まれる。恥ずかしくてじゃまくさいから、音楽に溶かす。それが歌になれば、「共感」は甘やかに広がっていく。

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