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“生きている”ということ

忘れらんねえよとLEGO BIG MORL 奇跡のようなロックスターたちの夜

音楽が好きな人なら誰しも、大好きなバンド同士の対バンをあれこれ想像するのではないだろうか。
LEGO×WEAVER、NICO×フジファブリック、鶴×スクービー、ドロス×androp×ACIDMAN、、

これらはわたしが夢見て、叶った組み合わせ。改めて見るだけでわくわくする。ここに書き連ねていないものや、行くことができなかったものを含めるともっとある。

もちろん対バン相手のバンドを知らなくて新しい出会いがあるのも対バンの醍醐味だけれど、大好きな人たち同士だとライブの楽しさもその場にいる多幸感も何倍にもなる。いいとこどり。そのライブ限りの特別な絡みもそれぞれの良さを知ってるだけにとっておきが増す。だから、好きなのだ。
今回は、忘れらんねえよと、LEGO BIG MORL。
わたしの人生において欠かせない大好きな、大切なバンド。後述するが、わたしはずっとこの2組の間に”似た何か”を感じていた。だからこそ好きになったのかもしれないと今になっては思う。

去年、LEGOのツアーで忘れらんねえよとの対バンが発表された時は喉から手が出るほど行きたかったのだけれど、日程と更に北海道という場所柄、行けなくて悔しい思いをした。
今回のツレ伝で、この組み合わせで、しかも場所は自分の出身地の福岡だと発表されて、行かない理由はない。直ぐにチケットを取った。(後のライブMCでLEGO自ら福岡と熊本を選んでくれたと知り、だいぶ嬉しい)

ハコはドラム系列のライブハウスの一つ、DRUM SON。キャパ約200、もちろん即完だったそう。当たり前だ。この組み合わせ、絶対に見ておくべきだし見ないなんてどうかしてる。ホークスの優勝が掛かったドラマチックな日本シリーズとモロかぶりしててもこちらを選択する価値は十二分にあった。

さらに、今ツアーではLEGOのギターのヒロキさんは忘れらんねえよのサポートギターを務めており、ある意味今回の対バンはヒロキさん出ずっぱりのワンマンショーであり(笑)、忘れの柴田さんとLEGOの大ちゃんが九州出身だということ、これらの特別感も含めて間違いない夜になることは始まる前から確かだった。

開演待ちのBGMはCreepy NutsやSUPER BEAVER、打首獄門同好会なんかが流れていてエモみ溢れるさすがの選曲。高まりハンパない。

肝心のライブは、先攻LEGO。いつものミステリアスで雰囲気のある登場から一変、忘れの恒例の演出を真似してまさかのフロア後方から4人がワタリドリしながら登場。(語弊)
細身の3人に担がれた大ちゃんがノリノリで、「一緒に歌ってくれ~〜!!!」にワタリドリ(もちろんあの)の大合唱。予想だにしないサプライズに、この時点でただでさえぎゅうぎゅうの会場のボルテージが更に上がりまくる。

そしていきなり正常な狂気からスタート。飛ばしすぎ。わたしたちの期待と熱気をすべて掻っ攫っていく様に、一気にLEGOワールドへと誘われる。
盛り上がる曲もしっとりした曲も、時には解放するようなアグレッシブなプレイや煽り方で。あるいはどこまでも伸びやかで透き通るようなボーカルのカナタさんの声で感じる優しさと儚さで。
ギターのヒロキさんのまるで吸い込まれそうな挑発的な目に(心を)殺られかけながら、彼が紡いだ繊細な歌詞に込められた意味に想いを馳せる。
ベースのシンタロウさんのあの色気だだ漏れのプレイはもちろん、思わず耳を傾けてしまうベースの音や心臓の鼓動のようなはっとさせられる大ちゃんのドラム。

LEGOの曲を聴くたびにわたしはいろんな感情がぐちゃぐちゃ混じり合って泣きそうな、不思議な気持ちになる。そして相変わらずめちゃくちゃかっこよくて面白くて、スタイリッシュで華がある。(つまり褒めるとこしかない)

ヒロキさんがMCで「LEGOと忘れらんねえよは歌ってる曲やビジュアルだけ見ると(笑)違うものをやってると思われがちだけれど人の痛みを歌っているという点で似てる」と言っていた。
このときわたしはぼんやり思っていたことがはっきりしてとても腑に落ちた。
LEGOは生死や別れを歌うことで今を生きる希望や自分を見つめ直すきっかけをくれる。忘れらんねえよは自分の中のモヤモヤした醜い感情や悔しさを等身大で吐き出すように歌うことでわたしたちを肯定してくれる。両者とも、表現は違えど今を受け止めて、明日に向かうことができるように、救ってくれる。

柴田さんが一番好きだというLAIKA、一緒に鼓動が高まっていくのを感じるend-end。

『痛いほど早くなるリズム 初めて聞こえる音 これがときめきの音』(“end-end”)

ステージ上のLEGOを観て、音を聴きながら自分の心臓の鼓動を確かめる。そして、生きていることを実感する。これは彼らが今年リリースしたアルバム『心臓の居場所』とそのツアーでわたしたちに教えてくれたことである。(今年出たアルバムの中でも群を抜いて最高傑作なので知らない人はほんとに反省してほしい)
ヒロキさんが自分の胸をバスドラに合わせてそっと叩く姿が今ここにいること、同じ時を共有していることを強く思わせてくれる。

そして何度聴いてもその決意に痺れるWait?
『I’m waiting for YOU!』(“Wait?”)
あなたたちを待っていたよ、と思いっきり手を挙げる。この思いがぜんぶ伝わっているんじゃないかとさえ驕ってしまう。カナタさんの後ろから降り注ぐ照明がとても幻想的だったRAINBOWも。イナ戦との対バンの時より一段とカッコ良さが増していた、一秒のあいだ。もう圧巻としか言いようのない、あなたがいればいいのに。そして、”同じ”はいつだってない、ダイレクトにLEGOを表しているような、Ray。(LEGOを擬人化ならぬ擬曲化するならRay。ずっとそう思っている。)

あっという間だった。
曲の最後のフレーズを音源と違う低い声で歌うカナタさんは、セクシー。かと思えば振り向きざまに忘れらんねえよの定番文句である、「サンキューセックス!」を客席を指差してキメたり、はしゃぎながら何度もXポーズしたり、出し切れない感情を全て乗せるかのように、身体を揺らしてギターをかき鳴らしたり。楽しさが伝わってくる。
それでいて、いざ歌になるとスッとそのモードに入ってめちゃくちゃかっこいい。一瞬も、目が離せない。何かに対して愛おしそうに、時に憂うように歌うから。歌ってない時とのギャップよ、ほんと。

ヒロキさん「僕もサポートに入って2年になりますけども」に、カナタさんが「うち(LEGO)にすか?」って言ったのがウケた。忘れのサポートし過ぎちゃう?ってなってたもんな、どちらもファンのわたしはずっとして欲しいけど(笑)

それと、大ちゃんのやわらかい九州弁。地元民としては素が垣間見れたようで嬉しい。九州男児を柴田さんと競ってアホみたいな量のビールをイッキしてた。ちなみにそのあと柴田さんは冗談だろみたいにウイスキー(ストレート)1瓶をイッキしてた。大学生か。でも超盛り上がる。

最後の曲です、とカナタさんがRayを歌い始めた時に思わず挙がる悲鳴に似た歓声。一番難しい曲だとカナタさんがドキュメントで言ってたっけ。わたしも含めて周りが痛いほどの集中力で聴いているのを感じる。
『すべての意味があなたになるように歌にしよう』(“Ray”)
胸が締めつけられる切なさと、今日の、LEGOが与えてくれるすべてを零したくなくてわたしも飲みほしてしまいたい。

踊れたり、歌ったり、バキバキに盛り上がるだけが良いライブじゃない。魅せてくれる、そしてじんわりと染みる、噛み締める。そういう形もある。LEGOはいつだってその場の空気を変えていく。それを味わいたくて何度も通ってしまうのだ。
そして後攻のホストバンド、忘れらんねえよ。これまでもたくさんライブを観てきたけれど、きっといままででいちばんの夜だった、そのくらい特別でとっても良いライブだった。
ばかもののすべてから始まる。ばか、と言いながら
『僕らはばかのひとつ覚えだ ロックンロールと君が ずっと好きだ』(“ばかもののすべて”)
なんて、泣けるじゃない。にくいぜ。
スマートなんかなりたくない、とみんなで拳を上げて叫ぶ爽快さ。
『自分を殺して迎合してたまるか ねえそうだろ』
『また今日もやっぱ間違えた』(“スマートなんかなりたくない”)
でもそれでいいんだ。あるよなあと思いながら目を逸らしがちな現実の一コマを歌いながら突き刺さる言葉に、纏っている鎧を少しずつ剥がしてくれるような心地よさに、思わず総べてをさらけ出したくなる。

柴田さんが盛り上がれますか!!と煽ったあと、犬にしてくれと中年かまってちゃん。ゴリゴリの盛り上がり。
“1人じゃない”という歌い尽くされたメッセージを深夜にサーバーダウンするエロサイトを例えに歌うところが忘れららしい。そのくせ『おれのことなんかほっときなよ』この不器用さ、むず痒いけど、よく分かる。

氏ね氏ね言いながらでも結局ごめんねと謝っちゃう氏ね氏ね氏ねとか。
『ひとの成功妬み ひとの不幸笑う そんな自分自身が何より嫌いだ』(“氏ね氏ね氏ね”)
ともすれば眩しくなってしまう言葉は彼らにかかれば綺麗事ではなくそれは丸裸なのだ。

『外野なんか空気でしかないだろ』と吐き捨てるように歌う出だしから真っ直ぐに大丈夫だと言ってくれる強いメッセージの詰まった、世界であんたはいちばん綺麗だ。なんの根拠も無いけど無敵に大丈夫な気がしてくるのって、とんでもなくすごいことでしょ。このたった数分の曲で。
『大きな声で叫べばいいんだよ 大きな声で笑えばいいんだよ あんたが生きてるそれだけ それだけでいいから 世界であんたはいちばん綺麗だ』(“世界であんたはいちばん綺麗だ”)

愛の無能は久々でテンション上がりすぎた。すんごいかっこいいメロディなのに歌詞がまじやばい曲代表。圧倒的しょうもなさみたいなものの中にキラリと潜むフレーズ、それが忘れらんねえよの持ち味だとわたしは思っている。

寝てらんねえよの、『どうしたらぶっ壊せるの このクソみたいな世界を』このフレーズ、何回も繰り返し聴いて、唇噛みしめた日もあったっけ。

ヒロキさんがアコギに持ち替えて始まった、花火。この曲のマシータさんのドラムが特に好き。こんな名曲を平気でぶっ込んでくるからまた涙腺が緩みそうになる。1人でイヤホンで聴いてた曲をみんなで歌う、こんなにも聴こえ方が違うのか。
『いつか 僕の歌った歌を 君が悲しみに沈む夜
ひとり口ずさみ 立ち上がってくれたなら そんな夢みたいなことを信じて』(“花火”)
そんな夜を何度この曲と越えたか、どれだけ助けてもらったか、どうやったら伝わるのかな。

柴田さんが言う。「いいか?ライブは瞬間芸術だ。この瞬間このメンツで集まることはもう絶対ない、二度とないんだ。ここにいるみんなもこのライブを作ってる、ロックンローラーなんだよ」

前は自分がフラれた話や売れてる後輩への妬みとかのクソみたいなMCしかしなかったのに(それももちろん大好きな忘れの持ち味で今もやってくれるけど)今や涙が溢れそうになる熱い言葉たち。

ベースの梅津さんはいつものように一人一人をちゃんと見て、頷いてくれながら歌って、弾いていた。そして、高ぶったときには思いっきり暴れてこっちの心に衝動を伝えて着火してくれる。優しい笑顔。目が離せない。

『わけなんてなんにもないのに寂しくなって もういいよ 布団にもぐった
なんにもない夜 なんにもない部屋 どうしようもない俺よ届け』(“俺よ届け”)
何もない、そんな寂しい夜が幾つもあること。それでも何かを期待してしまうこと。そこにはリアルが詰まってるから共感できる。
個人的には最近、ライブハウスに行ってもいわゆる大人見しかしてなくて、フロアに混じって、っていう自分に正直ブレーキを掛けていたのだけれど、今回は完全に何も考えてなかった。理性が外れていた。ただ、楽しくて泣きそうでありったけの感情が高まっていた。踊りまくって汗びっしょりで化粧ももうボロボロで、それでもこの光景と瞬間を目に焼き付けていたかった。欲張りかもしれないけれど、なにも、一滴も一音も、漏らしたくなかった。
「今が楽しければいいんだよ、過去に辛いことがあったやつも。宇宙からは今しかない、過去も未来もない、ここには今しかないから。」

「こうやってLEGOに出会っちまったんだよなぁ、出会えてほんっとに良かったよ。そして3代目とか欅坂とか本当にいろいろいる中でここを選んでるみんなも、それはすげぇことだよ」
幸せそうな柴田さんと、わたしたち。そこには幸福しかなかった。余計なことは考えなくていい。ここにいる人たちは、正しい。この夜は伝説になるに違いない、と。恥ずかしげもなくそう言えるほど。
奇跡のような一晩限りのロックンロールに、嫌なこともどうでも良くなる。生きてる、その事実とめいいっぱい大好きな音を浴びてる今、理由なんかない、それがすべて。
こんなことを、あーーーー!行ってよかった!!!!と、シラフにも関わらず100回くらい思いました。

『明日とかどうでもいい 死ぬほどどうでもいい
いつか終わんだから今日が楽しくなくちゃ
意味とかどうでもいい 理由とかどうでもいい
生きている 生きている』(“明日とかどうでもいい”)

クソいい曲だよな、胸の奥からどうしようもなく熱く込み上げてくる。

“胸の奥から込みあげてくる この気持ちで生きていくよ”

柴田さんが大好きだというブランキーの曲の歌詞、まさにこれ。
みんな好きに踊ってんな、キラキラしてるな?って柴田さん言ってたけど、自分でも引くくらい笑顔だったと思う。やんちゃめの強面のお兄さんも、恐らく初見だろう思われるLEGOのTシャツを着てるお姉さんも、みんな、笑顔。美しいと思った。

そして、忘れらんねえよの泥臭さ、から一歩踏み出た、新しい”らしさ”、これを体現していると言うならばこれだろうと思える、いいひとどまり。
『振り向かれない 大事にされない 気持ち込めてもまるで届かない それでも僕らは生きるのをやめれないから
少しでも君が笑えるように ねえ僕は歌い続けるよ』

『見上げた空 沈む夕日に 不安で胸がいっぱいになり 怖くて仕方がなくなる瞬間あるだろ』(“いいひとどまり”)

なんでこんなにもわたしのことが分かるのだろう(菅田将暉くんも同じこと書いてた)ってくらい容赦なくグサグサ刺さる。後ろ向きな歌詞だってよく聴けばちゃんと前を向いてる。いつだって置いてけぼりにしない。分かってくれているという絶対的な安心感がある。
忘れらんねえよはきっと聴き手との精神的な距離が近いのだ。それってなかなかない。負け犬と自らを称しながら泥臭く汗まみれに闘ってきた時代を経て、それでもなお毎日悔しい思いをしながらも俺もこうやって頑張ってるからお前も頑張って進もうぜ、と身をもって導いてくれる超かっこいいスター。

酒田さんがいた第一章に未練たっぷりに縋り付いていた(それは決して悪いことではない)わたしは今年見たクアトロのワンマンで捨てたはずだったけれど、本当の意味で吹っ切れたのは今日かもしれない。だってライブ中楽しくて何も考えられなかったから。それは大事にしてないとか忘れたとかじゃなくて、生きているから、進んだだけ。

シンタロウさんと大ちゃんもフロアの後方から見てたようで、曲中にヒロキさんが後ろを指差していたので振り向いたら普通に覗いていてびっくりした。幸せな大好きが溢れていた。

忘れらんねえよの曲中にヒロキさんがRAINBOWのフレーズいれたり、逆にRAINBOWのC&Rのとき忘れらんねえよを歌ったり(お客さんが先々歌いすぎたり)なんとも対バンらしさもありつつ、粋。
アンコールでは「不人気曲やりまーす」とか言いながらあのイントロに湧く。
『この高鳴りをなんと呼ぶ たぶんそれは 生きていくと言う なんだっていいよ 神様 僕らは世界を変えんだ』(“この高鳴りをなんと呼ぶ”)
でかい世界じゃなくていい。このわたしの周りのちっぽけな世界は忘れらんねえよのおかげで変わっている、そう思えた。

そして、最後の曲、忘れらんねえよ。
忘れらんねえよを寝てらんねえよのメロディで覚えていた(ややこい)というシンタロウさんを登場させて一人で歌わせたり、梅津さんとヒロキさんが楽器をいつのまにか交換していたり、最終的にはLEGOも一緒にみんなで大合唱。エモい、ってこのためにあるんだと思った。もしエモいの例があるとしたらこの今の瞬間だし、甘酸っぱい青春も素敵だけれどきっと今この瞬間だってある意味の、青春。キラキラしてなくても、青春。それはあの頃には見えなかった、大人になってからじゃないと分からない。
前に柴田さんがインタビューで言っていた言葉。
『お客さんって、本当にバンドに期待してると思うんですよ。かなりの期待をしてライヴを観に来ていると思うんです。それは暴れたい、とか踊りたい、とかじゃないと思うんですよね。マジで救われたいと思っているんだっていう。』

まさにこの言葉通り、わたしはかなり重めの期待を持って行ったのだけれど、それを軽々超えてむしろなにも考えられない、生きていて良かったと心の底から救われたライブだった。
楽しかった、行ってよかった、とはよく思うが自分の生をまざまざと意識させられることはあまり無い。”生きている”ということを改めて”生”の”ライブ”で確かめさせてくれたように思える。

最高のロックスターたちの、伝説の夜。自分だけの記憶に留めて置くのがあまりにも勿体無いのでこうして記したものを投稿してみたという所存です。結構しんどい文字数になってしまったけれどまだまだ書き足りないくらい。忘れらんねえよとLEGO。何度もそれぞれのワンマンには行ってるのに、この両者が集まると経験したことのない、とんでもないエネルギーだった。こういうライブはパッケージ化されるものじゃないから、行った人だけの、もの。忘れご。ついでになんて語感の良さ。相性がいいのね。本当に最高でした。

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