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2017年4月・月間賞 最優秀賞 | 2017年3月10日

かさはら えり (24歳)

なぜ、くるりのライブは最高なのか?

ツアー「チミの名は。」Zepp DiverCity TOKYOファイナル公演に見る、彼らの3つの凄み

2017年になってまだ3つ目の月だというのに、もう今年の1位に決定してもいいと思えるライブに出会ってしまった。

ベストアルバム『くるりの20回転』のリリース記念として開催された、くるりのワンマンツアー・「チミの名は。」。個人的に彼らのワンマンライブはこれが初めてだったのだが、そんな私でもこのバンドのライブの凄みや聴き手の心を掻っ攫っていく音楽の組み立て方、そして20年にもわたり多くの称賛を受け続けてきた理由が一発で理解できた、本当に素晴らしい空間だった。
 

まず感動したのは、言わずもがな、このバンドの音楽のバリエーションの豊富さだ。

ド頭から”トレイン・ロック・フェスティバル”、”Morning Paper”でギターやベースをブイブイ言わせ、ドラムを叩き狂い、ロックバンドとしての矜持を会場に響かせたと思ったら、”魔法のじゅうたん”や”愉快なピーナッツ”では一転、オーディエンスが横に揺れる穏やかなメロディに乗り、大切な人が去った後の幸せの残り香と、終わりかけの恋の憂いが歌われる。そしてネオン街が似合うR&B調のサウンドに乗り岸田がラップを繰り出す”琥珀色の街、上海蟹の朝”、鍵盤の煌びやかな音色が光るジャジーな”京都の大学生”でリスナーに異国の心象風景を抱かせたのち、終盤は”HOW TO GO”、”虹”といった比較的スローでエモーショナルなロックをぶち込み、聴き手の頬を涙で濡らしていく。

ライブに来る前からとっくにわかってはいたが、やはりこのバンドの音楽の豊かさは並みじゃない。多岐に渡るジャンルの楽曲が、シームレスかつ縦横無尽に行き来している。
ライブを目の当たりにしておいてこんなことを言うのもなんだが、正直、これらの色とりどりの曲が、たった1組のバンドから生み出されているという事実が信じられない。それはプレイヤーがその音楽を奏でられるか否かという問題もあるが、それ以前に作曲家がカラフルなセンスを持ち合わせているか否かという問題もある。
だが、くるりはそれらの問題を難なく乗り越え(というか無いものとして通り過ぎ)、「信じられない」と思ってしまった私を差し置いて、目前でその音楽を華麗に鳴らし上げていく。それによって観客の感性が大いに揺さぶられ、熱狂、恍惚、心酔、呆然、享楽、感涙といった事象が次々と生み出される。
ライブ終了後、とてつもない満足感に襲われたのは、このバンドの豊潤な音楽が、私の感覚をあらゆる角度から刺激したからであろう。1組のバンドのワンマンライブで、こんなに多彩な音楽を体験したことなんて一度もなかった。くるりのライブって、まるで人生みたいだ。
 

時間軸が前後してしまうが、このライブですごく印象に残った曲がある。”ふたつの世界”だ。

NHK「みんなのうた」のような番組でしれっと紹介されてもおかしくはないほど、軽やかなピアノの音とマーチ風のドラムがフィーチャーされたこの曲は、一聴すると「かわいらしい(というかくるりの楽曲にしてはかわいすぎる)曲」といった感じでさらっと聴けてしまう。
しかし現場で聴いて気づいたのは、この曲の後半で度々出てくる「タメ」が、観客の視線をステージに集め、息を呑む瞬間を作り出しているということだ。
楽器隊のキラキラしたメロディと「ラララ」という岸田・コーラス隊の陽気な歌が流れる中、不意に演奏がスッとストップする瞬間がある。ラストも「ジャンジャン、ジャン、ジャン、ジャン!」と、休止を挟みつつ歯切れよく終わる。こんなことは誰も気に留めない、何気ないことかもしれない。しかし曲の流れの最中で音が止まる/鳴り止む瞬間というのは、実はものすごい一体感が生まれる瞬間だと私は思っている。

演奏の途中で無音空間が生まれるのは、言うまでもないが、メンバー全員が息を合わせなければできないことである。つまり、それだけ皆が1点の無音スポットに集中し、「空白」のプレーを決め込んでいるということだ。だからこそ絶妙な無音空間が生まれるとその一体感に「おおっ」と思うし、それまで以上にステージに目が吸い寄せられるし、息を呑んでしまう。実際この曲の演奏が終わった瞬間、客席からは演奏を讃える盛大な拍手と歓声が送られていた。良い意味で「ずるい!」と思わせる構成をもつ曲だなと思った。

この「タメ」の話をする際に忘れてはならない曲がある。本編終盤で演奏された“街”だ。

<この街は僕のもの>――こう書けばすっと読めてしまうサビの歌詞だが、岸田はこれを声を一発で枯らせるほどの声量で、シャウトしながら伸びやかに歌い上げる。おまけにバックにはバンド隊による凄まじい轟音が押し寄せ、リスナーの意識を一瞬でもっていってしまう。

この曲にもラストのサビの前に「空白」がある。その「空白」で会場中の人間の意識がステージ中央の岸田に集まり、と同時に緊張感が一気に高まり、その瞬間岸田が全身を震わせてあの歌詞を叫ぶ。ステージ後方からはトリプルギターとダブルドラムによる轟音の塊がドドドと雪崩れ込む。そして岸田が歌詞を2回唱えた瞬間に、まるで電気を落とすかのようにストンと轟音が止み、曲が終わるのだ。
あれだけ「タメ」を作っておきながら、終わりはおもしろいくらいにあっけない。だがだからこそ反動で凄まじい開放感が生まれ、思わず「うわぁ……」とつぶやいてしまうほど圧倒される。この瞬間をたとえるなら、大嵐が過ぎ去ったと同時に、太陽がこの地を一瞬で隅々まで照らし尽くしていくような感じだ。とてつもない緊張感ととてつもない開放感をたったワンフレーズの中に同居させ、数千人の観客を瞬く間に放心状態にさせてしまうこのバンドの手腕には、もはや降伏するより他にない。

きっと他の観客も同じことを感じたのだろう、客席からはこの日一番の拍手と歓声が沸いた。そしてそれはなんと、ステージ上のメンバーが機材を変え、岸田と佐藤が話し出すまでの約1分間、途切れることはなかった。(観客はすでにほぼ全員スタンディングしているが、)スタンディングオベーションが起こるのは、まさにこんな空間になったときなんだろうなと思う。
「タメ」や「空白」や「間」を巧妙に手繰り、素晴らしい一体感と開放感を観客に共有してくれること。これが、くるりのライブを観ていて感動したことの2つ目だ。
 

そして、3つ目。

アンコールでは、岸田と佐藤が2人だけで曲を演奏するシーンがあった。演奏した曲は“遥かなるリスボン”と“春風”。異郷の海風も故郷の春風も聴き手に感じさせる岸田の朗らかなアコギと、その音色にしっかり寄り添う佐藤の温和なベース。その2つで織りなされる曲たちは言うまでもなく流麗で、すっかり心も瞳も潤ってしまった。

たった2人しか立っていないステージ。そこにはとても優しい時間と空気が流れている。
これまでのトリプルギターとダブルドラムのパフォーマンスも素晴らしかった。でもこの2人だけから生まれる音楽は、それとはまた違った「尊い」という気持ちを私に抱かせる。そんな感情になるのは、おそらく2人の手腕がすこぶる優れているからという理由だけではない。

デュエットの合間のMCで、曲をやり切った岸田が、満足気な表情でステージドリンクを飲む。カップにたっぷり氷が入っているのであろう、彼がドリンクを口に運ぶ度にカラカラという氷の音がマイクに入る。そんな微笑ましいシーンが観客から一笑をさらうと、続けて佐藤が一言、「おいしそうなもん飲んでますねぇ」と優しい声をかける。
なんてことのないシーン。でも、こんななんてことのないシーンを見て、ああ、佐藤の隣には岸田が、岸田の隣には佐藤がいなければならなかったのだなと感じ入る。

多くの方はご存知だろうが、くるりはこれまでに幾度となくメンバーチェンジや脱退を繰り返してきた。それも普通のバンドならばとっくに音楽を諦め、解散していてもおかしくはない回数だ。
だがその中でも、この2人だけは20年前の結成当初からこのバンドに居続けている。自身の人生の半分以上の歳月がたった今もなお、穏やかな雰囲気のまま、互いに連れ添っている。

そう考えると、まるで2人は奇跡でつながれているように思えてくるかもしれない。しかし先ほどのシーンを見て思ったのは、岸田と佐藤は奇跡なんかでも偶然なんかでもなく、ただひたすらに「必然」で結ばれているということだ。
無邪気な岸田に対して佐藤がとった行動は、ツッコミを入れるでもなく、スルースキルを発動するのでもなく、彼の行動を微笑んで見つめるということだった。岸田も佐藤のそういう性格をわかってか、無邪気な言動をどんどん積み重ね、客席から笑いを巻き上げていた。
これは、互いが互いのために存在していることの証だと思う。佐藤を含む会場中の人たちを面白がらせようとする岸田に、岸田の言動を優しくフォローする佐藤。2人の人柄と役割が噛み合いすぎているところに、私はなんとなく「必然」を感じてしまう。

言うまでもないが、これは音楽でも言える話だ。佐藤のベースは岸田の自由奔放な音楽にどこまでもついていける柔軟さを持っているし、岸田は佐藤のプレーのそういう一面を知っているから、自身のセンスとプレイヤビリティを思いっきり開放していける。そしてそれが、リスナーの中でとてつもないほどの熱量や衝撃、感動を巻き起こしていく。
そう考えると、この日オーディエンスの感性を揺らしまくった音楽は、岸田・佐藤の2人が、出会うべくして出会えたからこそ生まれたものなのだなと思う(言葉にするにはあまりにも当たり前すぎるが)。つまり20年前の「必然」が、時を越えて現在のリスナーの心を震わせにきたのだ。彼らの緻密な歴史を音楽を通して体感できたから、私は2人のデュエットを観て「尊い」という気持ちになったのだろう。最後の最後で、心の芯がほっこり温められた気がした。
 

大きな大きな満足感をもって幕を閉じた、『くるりの20回転』リリース記念ツアー「チミの名は。」。豪華な面々やレアなセトリも見事だったが、その中で浮かび上がってきたのは、くるりというバンドの本質的な素晴らしさだった。もっとも音を楽しむことに長け、「必然的」な絆をもつこのバンドは、この先いったいどんなメロディや言葉を聴かせてくれるだろうか。

21年目以降も、楽しみだぞ、くるり。

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