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2017年3月17日

中野聖華 (22歳)

平凡と非凡

RADWIMPSを通ってこなかった私が彼らのライブに行った話

これから書くのは現在、RADWIMPSが行っているツアー「Human Bloom Tour 2017」についてである。しかし、心配されるようなネタバレは一切ないので、これから参戦する予定のある人にも、もちろんそれ以外の人にも是非読んでほしいと思う。

私の地元に“あの”RADWIMPSが来た。私がよく行くバンドのライブは、大抵「その人誰?」って感じで片づけられてしまうことが多いが、さすがにRADWIMPSのことを「その人誰?」と聞き返して来る人はいなかった。でも私は正直、ライブに行くまで彼らの凄さにピンと来ていなかった。というのも実は、彼らの楽曲をほとんど知らなかったのである。もちろん、存在は知っていた。けれど、CD音源として全く聞いたことがなかった。なぜ聞かなかったのか。それに特に理由はなく、RADWIMPSというバンドを“通ってこなかった”。ただ、それだけのことだった。
そんな私でも「君の名は。」は見たし、地上波の某有名音楽番組に出演した際にツイッターが沸きまくっていたことは知っていた。噂のバンドがこんな田舎までライブをしに来てくれる、それだけでワクワクした。売れに売れている。話題性も十分。そんなバンドと遠いところにいた私が、発売週にCDショップへわざわざ足を運び、このデジタルの時代にわざわざCDを買った。実は、この“わざわざ”な行動にはとっておきの秘密があるのだが、まぁそれは、もっとRADWIMPSのことを深く知った時に改めて書こうと思う。

アルバム「人間開花」が見せる世界は、私が想像していたものとは全く違った美しさと温かさが詰まった1枚だった。RADWIMPSの楽曲は難解なコード進行に乗せて、広辞苑でしか見たことがないような堅苦しい、一筋縄ではいかない読解不能な言葉が並んでいるものとばかり思っていた。そんな私のあまりにも勝手な想像は、このアルバムによって粉々になって消え失せた。野田洋次郎というひとりの歌い手が紡いでいたのは、どれもわかりやすく、絵本に出てきてもおかしくないような言葉だった。中でも私が心を持って行かれてしまったのは、様々な表情を見せてくれた「人間開花」という物語の最終回、エンディングに収録されている1曲だった。

≪これほど誰かが僕の真ん中を/一人占めにしてくれるとは/この世界が言うには絶対なんてないけど/内緒で今/作ろうよ≫/“告白”

エンディングは突然始まる。イントロはない。油断していると、大変なことになる。
“好き”というたった2文字の、声に出しても1秒もかからないようなこのフレーズを、野田洋次郎はこんな風に表現している。大きなヘッドホンを装着して聴いていた私は、道端で普通に“なんなんだよ、これ”と言ってしまいそうになった。端的に言うと、私はこの曲に完全降伏、強烈なパンチでノックアウトさせられて、そのままノックダウン。そんな感じだった。世の中にラブソングは溢れているけれど、こんなに純粋で優しさに満ちたラブソングがあることを私は知らずに生きてきた。この曲の歌詞でもうひとつ、たまらなく好きなのは、≪ふたりで一緒に/風邪をひこうよ≫というフレーズだ。どうしようもない倦怠感が体を取り巻く、あんな煩わしさもふたりなら、ふたりで“一緒に”なら、どうってことない。これこそ究極の愛だと感じた。サビが終わって胸の鼓動を一旦落ち着かせようとしているときに、最高にドキドキするこんな言葉を持ってくるなんて…もう参ってしまった。

無事にチケットを入手して、その日を迎えた。2017年3月2日は小雨が降っていて、もう春はすぐそこまで来ているはずなのに、肌寒い日だった。
ステージから生み出される繊細かつ壮大な音と、この日を待ちわびた何千もの人々の歓声で足が震えた。現在のバンドシーンは盛り上がりを見せてはいるものの、音楽業界全体で見ればまだまだマイナーだ。そんなシーンの中でアリーナ規模のツアーができる数少ないバンドであるRADWIMPS。そのバンドのフロントに立っていたのは赤いちゃんちゃんこのようなガウンを着た、遠目で見てもわかるほど身長の高い兄ちゃん、野田洋次郎だった。彼は確かにステージに立って歌を歌い、ギターを弾き、ピアノを奏で、そして舞っていた。まるで指揮者のようだった。けれど彼は、目の前に現れたところでなんだか現実味がなく、“この人は本当に生きているんだろうか”と思ってしまう始末だった。そんな想いの一方で、彼はこんなことを呟いていた。

「僕が生きているうちにできることなんて限られているって考えたら、いつも情けないなぁって思うんです。」

存在していることさえも幻想かと感じるほどのカリスマ性と才能を持った“彼”は、驚くべきことに、私と同じような悩みを持っていた。22歳にもなれば、普段どんなに明るく振る舞っている人にも何かしらの悩みがあることは百も承知だったが、とにかく意外だった。けれどその意外性に驚いた一方で、不思議と“本当に悩みなんてあるのだろうか”と彼のことを疑うような気にはならなかった。自分の弱さや形のない何かに追われる恐怖感さえも、この人は人間力という名のパワーに変えてしまうんだろうなと思った。物凄く尊くて特別なのに、なぜか身近に感じられる存在。このバンドを追いかける人々はそのような魅力に憑りつかれているんだろうと感じた。

ここまで、RADWIMPSについて素人なりに語ってきたが、実は、何よりも私がこの日感動したのは隣にいた友人に対してだった。私が初めてのRADWIMPSのライブへ共に足を運んだのは、同じ高校、大学に通い、この数年間のライブ人生で最も多く私の隣にいた女の子だった。無理な遠征のお願いをしても、いつも「いいよ~行こ~!」とニコニコしながら言ってくれるような子だ。なぜかわからないけれど、会うだけで癒される。そんな友人が、今この文章を読んでいるあなたの周りにもひとりはいるのではないだろうか。彼女はこれまで、ライブで感情を爆発させることはほとんどなかった。けれど、私はそれがライブとの向き合い方だと知っていたし、どうも思わなかった。そんな彼女が中学生だった頃からライブに行きたいと願い続けたバンドこそ、RADWIMPSだったのである。
ライブが始まり、野田洋次郎の声が聞こえ、私があれこれと考えを巡らせている間にふと横を見ると、彼女は隣で涙を流していた。驚いた。会場中に響き渡る音を受けて、泣いていた。初めてではないんだろうけど、泣いている姿を初めて見たような気がした。そんな姿を見て、これほど音楽を愛している人とこれまで様々なライブに一緒に行ってよかったなぁと思ったし、今日も彼女を誘って本当に良かったと心から思った。平凡な感想だと思われるかもしれないが、本当にそう思ったのである。その時、私は“才能は人を熱狂させる”なんて考えていたが、あれから数日経った今は、才能とかそういう堅苦しいことではないんだろうなぁと考え始めている。ごくごくシンプルにRADWIMPSというバンドが持つ魅力そのものが輝きに満ちた光のようなもので、その光の中で人は、普段、人に見せないような人間としての姿を開花させるための希望のようなものを見つけるんだろうと感じた。私の友人もその光の中に吸い込まれたひとりだったんだろうと思う。

生きているうちにできることなんて限られている。本当にその通りだ。同じ日なんて一日もないはずなのに、日々のルーティンをこなす毎日に私たちは麻痺してしまっている。毎日何かしらの新しいことに触れているはずなのに。この春、社会人になる私たちはこれまで通り気軽にライブの約束さえも出来なくなってしまって、またひとつ“限り”ができてしまった。けれど、そんなことに負けてなんかいられない。私なんかは無理して休みをとってまで行ってしまうと思う。(会社の皆さん、すみません。)次に、赤いちゃんちゃんこを着た兄ちゃんがステージに立っているのを生で見ることができるのはいつだろう。そんなこと全く見当がつかないが、その次もきっと私の隣にいるのは同じ女の子だ。

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