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そして、ここから始まっていく。

— GRAPEVINE tour 2017 extra showを観て —

 今年メジャーデビュー20周年を迎えたGRAPEVINE。彼らはバンドが20年を迎えたからと言って、ベストアルバムやトリビュートアルバムを出すわけでもなく、はたまた記念ライヴを行うわけでもない。9月6日に15枚目のオリジナルアルバム『ROADSIDE PROPHET』をリリースすると、メンバー曰く「20周年感は出さない」全国ツアーへと旅立った。それが10月5日、恵比寿LIQUIDROOMを皮切りにスタートした「GRAPEVINE tour 2017」であり、満を持して12月1日、東京国際フォーラム ホールAにてツアーファイナルを迎えた。

 「GRAPEVINE tour 2017 extra show」と名付けられたその夜は、期待と緊張が迸る開演前の客席に比べ、いつもどおり、まるでライヴハウスのステージに登場するようにメンバー(田中和将(Vo&Gt)、西川弘剛(Gt)、亀井亨(Dr)、高野勲(Key)、金戸覚(Ba))が大舞台に現れ、“The milk (of human kindness)[1]”でステージの幕を開ける。この至って平常運転な面持ちに「さすがだなぁ」と感心しつつも、ここはメジャーデビューして20年が経ち、ようやくたどり着いた場所と思えば、いっそう感慨深くもなる。

 私が『ROADSIDE PROPHET』を聴いて一番強く感じたことは、バンドの地続き感である。過去から進化を遂げながらも過剰な部分はそぎ落とし、この両者の絶妙なバランスが、耳に心地よい刺激を与えてくれる。さらにツアーに出て、ステージ上でブラッシュアップされることで、CDだけでは見えない曲の個性が徐々に顔を出し始めるのだが、この過程を見届けていくことも興味深く、バインのライヴの醍醐味とも言えるだけに、私は今回、地方公演にも普段より多く足を延ばした。そして、ツアーファイナルのステージでアルバム全曲を改めて聴いたとき、最も心を震わせてしまった曲が次の2曲。静けさを携えたドラムから始まり、語り掛けるようなヴォーカルとエレキギターのフレーズが紡ぎ合う優美な情景描写“世界が変わるにつれて”と、ストリングスの音色とともに最小限の音数で創り上げた、ゆったりと流れる大河のようなバンドアンサンブル。その上で、透明感ある歌声を響かせた“これは水です”だった。

 バインにはいわゆるロックバンドらしくない曲もあるのだが、ロックバンドという形態から解き放たれたその音を、ホールの隅々にまで行き渡らせてしまえば、彼らにしか描けない独自の世界として成り立ってしまう。

 そんなバインの我が道を行く姿は、ときに天邪鬼のように見えていたのかもしれない。しかし、洋楽的解釈を深めながら楽曲制作を行い、淡々と積み重ねてきた功績は、5,000人規模の観客を収容する大会場で放たれることで、彼らが孤高の存在へと登り詰めた事実を証明していたと思う。例えばそれは、グルーヴにこだわりライヴをこなしてきたバインだからこそ、ホール一帯を音の渦に巻き込むような音楽体験をもたらしてしまった“CORE[2]”や、アンコールで再び客席の熱をカオス化させたバイン流プログレ“豚の皿[3]”のようにアルバム以外の過去曲からも感じたことで、秘められた曲の威力により描かれた堂々たるサウンドスケープは、彼らが日本の音楽シーンに於いて唯一無二のロックバンドであることの象徴だ。それが、一度に限らず何度も目の前で繰り返される絶景は、長年バインを観てきた私にとっては「感無量」の一言に尽きた。
 

 今回のセットリストの中心となるのは『ROADSIDE PROPHET』の楽曲群であるが、さらに彩りを与えていくものが、バンドの歩みとともに生まれた数々の名曲達だ。

 ライヴ中盤に披露されたのは、2011年にリリースされた『真昼のストレンジランド』より“Silverado”。このアルバムを引っ提げ開催された全国ツアー「真昼のストレンジランド」は、2011年3月11日を跨ぐことになった。私は力いっぱい放たれる光のようなサウンドを、全身で浴びるように聴きながら、蘇る当時の記憶を忘れないようぎゅっと唇を噛み締める。続けて、≪君を失くすくらいなら/死んだほうがマシ≫というワンフレーズが、生々しくも胸を突くバラードナンバー“Our Song[4]”では、リアルタイムでこの曲を聴いていた大学時代、部室で夜遅くまで仲間と笑い転げていた懐かしい時間を思い出した。

 しかし、これは私に限ったことではなくて、会場に集まった誰もの心の中に、そんな時間があったと思う。そして、もちろん今宵の演者であるバインにも、過去を振り返る瞬間が訪れていたと思う。

 バイン20年の歴史を語る上で外せない人物がいる。それが、かつてのバンドメンバー西原誠(Ba)の存在だ。そもそも、バインは1993年に大阪で結成され、1997年9月19日に4人組のロックバンド(田中、西川、西原、亀井)としてミニアルバム『覚醒』でメジャーデビューを果たしたが、西原は病気のため活動休止をせざるを得ない状況になり、2002年にはバンドを脱退。それ以降は、すでにサポートメンバーとして参加していた金戸と高野とともに、バインは5人体制で活動を続けている。

 そんな4人時代にリリースされたファーストアルバム『退屈の花』(1998年 /リリース年(以下同))から、西原が作曲した“カーブ”を披露。アクの強いサイケデリックナンバーを終えると、「バフバフおじさん(西原のこと)の曲でした!」と突然、田中は曲紹介を入れてきた。観客がどっと沸く中で、実際に客席にいた西原は、この状況をどう思っていたのかはわからないけど(笑)、田中なりに西原の存在あってのバインであることを、どうしても伝えたかったのだと思う(それにしても素直じゃないが)。また、リスナーである私達だって、田中と同じ気持ちでいるのだ。
 

 個人的な話になるが、「バインの曲の中で好きな曲は何?」と質問されたら、必ず選ぶ曲に“その未来”がある。今回のツアーの予定が発表されたときに「久しぶりに聴きたいなぁ」と軽く思いながらツアー初日を迎え、実際にあのイントロが聴こえたときには、驚きのあまりしばらく固まってしまった。しかし、曲を聴き進めていくうちに、あるライヴを思い出した。それが2005年の全国ツアー「sweet home adabana」、11月25日にZepp Tokyoで行われたツアーファイナルだ。

 私が過去17年間、バインのライヴに足を運んで来た中でも、このライヴだけは特別だった。手元にある同ライヴのDVDを観ると、未だに熱いものが込み上げて来てしまうくらい、感情を露わにした田中が音楽の中に全てをぶつけた激動の時間に(また、そんな彼の姿を初めて観たこともあって)酷く衝撃を受け、一部始終を観ていた私の感情という感情も、余すことなく溢れ出てしまったのだ。ライヴが終わるとすっかり抜け殻状態だったが、当時抱えていた悩みも不安も一掃され、ぐんと視界が広がっていたことを、今でもはっきり覚えている。演奏された曲の中で印象的だった曲の一つが、田中の心の叫びが、その衝動が言葉となり、疾走感あるサウンドとともに放出された“その未来”。でもあれ以来、あの日のようなライヴも、田中の姿も、私は観ていない。

 その後バインは、“その未来”も収録されている『déraciné』(2005年)で数曲携わったDr.StrangeLoveの長田進を、本格的にバンドのプロデューサーに迎え入れた。長田は楽曲制作以外にも、彼らのツアーにもギタリストとして参加したこともあり、あらゆる面でバインに多大な影響を与えていく。バインは長田と共に曲作りをしていた数年間で豊かな表現力を体得し、明らかにこれまでいたステージからワンランク上へのし上がった。先にも述べたが、ロックバンドという形態を自ら崩せる能力が養われたのも、私はこの時期だと思う。

 当時の私は、バインが長田とともに作った3枚のアルバム(『From a smalltown』(2007年)、『Sing』(2008年)、『TWANGS』(2009年))の各アルバムツアーからバンドの変化を感じてきた。アッパーな曲が披露されたら飛び跳ねながら観ていたけれど、一番魅力に感じていたことが、この時期から登場するようになった、とてつもない集中力を放ちながら鳴らされる緻密なバンドアンサンブルで、耳にしてしまえばただその場で立ち尽くすことしか出来ないくらい、私は圧倒されっぱなしだった。また、孤独や悲しみをそのまま吐き出さずに、エレメントとして曲に内包させるようになった田中の歌声には、私もそこに私個人の感情を吐き出すのではなくて、気持ちを添わせるようになった。しかも、それが急激に起きたバンドの変化というよりも、彼らがルーティン(曲を作り、リリースし、ライヴで演奏する)を繰り返す中で、自然とその道を選び、突き進んでいる印象があった。だからこそ、私はバインの新しい世界にどんどんのめり込んで行ったのだ。

 でも、正直言うとそこに戸惑いがなかったわけでもない。ライヴは付いて行くことに必死で、不完全燃焼で終わってしまったこともあったし、曲の理解が追いつかなくて、飛ばし飛ばしでCDを聴いていたこともある。しかし、だからといって、そう簡単にバインから離れることができなかったのは、「sweet home adabana」の存在があまりに大きすぎて、あのときのようなライヴに偶然でもまた出会えるんじゃないかという淡い期待があったからで、ただ、その一方でいざライヴへ行ってしまえば、自分勝手な欲なんてどうでもよくなってしまうくらい、私はバインが好きだということに気付くからだ。
 

 そんな小さな葛藤を抱えていた頃から10年近くときが経ち、今、私がいる大会場では“その未来”が盛大に響き渡っている。目の前にあの日の面影はなくとも、演奏のダイナミズムと、熱いシャウト混じりの田中のヴォーカルに思わず目頭が熱くなり、私は拳を突き上げた。そして、何より胸を打たれてしまったことが、鳴らされる時代も、演奏するメンバーの年齢も違うのに、歌詞が20年を迎えたバインそのものであったことだ。

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憧れが 出会いが
確かに全部ひとつに繋がった

(中略)

始まりさ
その未来も過去もそのまま そう
見ろ

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 そして続いた本編ラストは、今年6月にシングルとしてリリースされ、『ROADSIDE PROPHET』の1曲目を飾る“Arma”。まるで“その未来”の続きのような歌詞から感じるものは、角の取れた大人の男らしさ。どっしりとした揺るぎないギターロックが放つ多幸感は、今ここにいるすべての人の胸に、この時間を永遠に焼き付けていくようであった。

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物語は終わりじゃないさ
全てを抱えて行く 
愛(かな)しみがまだわからない
とは言わせない
とそう思うのさ

そううたおう

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 20周年感は出さないツアーとは言え、『ROADSIDE PROPHET』からも、セレクトされた過去曲からも、歌と演奏から滲み出る想いからも、私はバインの20年を感じないわけにはいかなかった。また、それは間違いなくバインにとっても、ツアーに出て、ステージを重ねていく中で結果的にそうなっていったのだと思う。そして、最終日のアンコールで彼らが解き明かしたことは、すでに21年目を迎えている自分達のこれからだ。

 まずは、「各地でこんな曲を演って、みんなに会いに行ってきました」という田中の言葉の後に、優しさがめいっぱい溢れる“会いにいく[5]”が歌われた。そして、キャンドルライトのような照明がポツポツと灯る中、不朽の名曲“光について[6]”が登場。すると、≪僕らはまだここにあるさ≫とラストフレーズが放たれると同時に、真っ白な光がステージ背後から5人を照らし、客席にいた私の視界には、その黒い姿だけが飛び込んで来た。それがまるで、≪僕らは≫つまりGRAPEVINEは≪ここ≫にある。それは、紛れもない真実である———と強く訴えかけているようで、私は少し驚いてしまったのだが、しかし、彼らは本当に再び全てが≪ここ≫から始まっていくことを肯定するかのように、“豚の皿”の投下で観客の熱を上げさせてから、なんと“覚醒”でライヴを締め括ったのである。デビューミニアルバムのタイトル曲にもなった、しかもアルバムの1曲目で終わらせるなんてちょっとズルイが、ホール一帯を懐古的な雰囲気に浸らせるわけでもなく、20年分のアップデートが成されたダイナミックなサウンドからは、媚びなど微塵も感じない。ただただ、圧倒されただけだった。  
 
 

 「20年バンドが続くとは思わなかった」

 今年に入りバインが登場したラジオ番組や音楽雑誌、また音楽系ウェブサイトのインタビューでも、バンドが20年を迎えたことについて聞かれる度に、メンバーは口々にこう答えていた。でも、これはリスナーでいる私自身もそうなのだ。20年近くバインを聴いて、ライヴに行き続けることになるなんて、彼らと出会った当初は考えたこともなかった。

 バインがデビューした1997年。地方に暮らす高校生だった私は、すでに流行のポップソングではなくてロックバンドへと気持ちが傾倒。当時、NHK‐FMで放送されていた「ミュージックスクエア」を毎晩楽しみに聴いていて、とある月のオープニングテーマがバインの“白日[7]”だった。同じ頃には、愛読していた「ROCKIN’ON JAPAN」でもTRICERATOPSやDragon Ashと一緒にバインはニューカマーバンドとして紹介され始め、目や耳で彼らに触れる頻度は日に日に高くなっていった。初めて買ったバインのCDは、1999年1月にリリースされたシングル“スロウ[8]”。 高校3年の頃に街で一番大きなCD SHOPで手に入れ、すでにリリースされていた『退屈の花』は、近所のTSUTAYAまで自転車を飛ばし借りに走った。

 高校卒業後は東京郊外にある短期大学に入学し、同じ敷地内にある4年制大学と共同の軽音楽部に入部。すると案の定、授業よりも部活メインのキャンパスライフを送るハメになり、軽音の活動を続けたいがために編入までしてしまう。そして、ここでバイン好きな仲間と出会い、彼らのコピーバンドを組んだことで、私のバイン人生がスタートした。

 初めてバインのライヴに行ったのは20歳のときだ。2001年に開催された全国ツアー「Whitewood」。チケットの半券が見当たらないのだが、確かZepp Tokyo 2 DAYSの初日、12月5日だったと思う。メンバー登場のSEが流れ出すと、あっという間に人の押し合う波に揉まれ、一緒にいた友人とは一瞬ではぐれてしまった。この日は、ライヴで聴きたい曲がやっと聴けた喜びももちろんあったが、初めてメンバーを生で観たという興奮でいっぱいいっぱいで、「ギャー!田中くんかっこいいー!はぁ~亀ちゃんに、西川さーん!!」と恥ずかしながら、基本的に頭の中はこれ (笑)。また、アンコールでバインがカバーした、とある海外アーティストを後日調べまくり、アル・クーパーのアルバムを買っては、俄然いい気になったりもした(苦笑)。

 社会人になると経済的に余裕が生まれ、バインのライヴに通い詰めた。バインの音と自分を重ねながら仕事に打ち込み、恋に破れたときも彼らのライヴへと駆け込んだ。職場の責任者を任されるようになると、バンドだのライヴだの言っていられなかったし、音楽以外の趣味にのめり込んでいたときもあったが、バインのCDが発売されたら買いに行って、ツアーには足を運ぶ。だから気付いた頃にはバインの活動を追うことが、私のルーティンの一つになっていた。

 転職をして生活パターンが大きく変わり、迎えた30代の始め。ストレスで体調を崩し、精神的にも落ちるところまで落ちてしまったとき、偶然ネットで見つけたあるロックバンドが、当時の病んだ私の心に一筋の光を射してくれた。そして、必然的に彼らに夢中なり、生きる力を取り戻していくのだが、でも、他にどんなに夢中なものができたとしても、私にはバインが欠かせなかった。サウンドから感じる包容力と、田中の優しい歌声は、まるでここが私のホームとでも言うような、何ものにも代えがたい安心感があったのだ。

 いつだって、どこにいたって、バインはあって当たり前な存在だった。だからこそ、今年はバインがメジャーデビュー20周年を迎えたことを意識しながら、しばらく手に取っていなかったバインの旧作を聴き、5月に開催された対バンツアー「GRUESOME TWOSOME」へ行き始めると、まさにそれが、私の20年を振り返る時間になってしまった。しかも、懐かしさを味わう以上に、失ったものや会えない人の顔が思い出され、つい最近だと思っていたあの時やあの日々があまりに遠くて、淋しさや切なさばかりが募るのだ。つまり、それだけ私も歳を重ねてきてしまったという事実を受け止めざるを得なかった。

 しかし、9月に『ROADSIDE PROPHET』を手に入れ、10月から始まったツアーに行き、最新のバインのステージを見続けていくうちに、10代・20代の頃にはわからなかったバインの魅力を理解できていることに気付き、それが喜びに変わっていった。古い曲を聴けばどうしたって過去を振り返ってしまうけれど、逆に今を見つめ直すきっかけになり、そして、今では離れた場所に暮らしているが大切な友人である、かつてバインのコピーバンドを組んだ大学時代の仲間と17年間、毎年のように一緒にバインのライヴを観ていることは、とても幸せなことだと実感した。

 私にとってもかけがえのない時間だった、今年のバインのツアーが、とうとう終わりを迎えてしまう。

 ライヴ本編の最中からじわじわと湧き上がる淋しさに、遂に堪えきれなくなったアンコール。大音量で“覚醒”が鳴り響く中、とめどなく涙が溢れてきた。一つのバンドをずっと好きでいることなんて、他人からしたら、ただそれだけのことなのかもしれないし、事実そういうものだと私は思っていた。けれど、バインの曲の中に封じ込められた数々の記憶とそこから生まれる感情は、私が生きてきた証であり財産だ。「20年一つのことを好きでいるって、凄いことだよ」と、最近、バイン繋がりで仲良くなった友人が掛けてくれた言葉の意味も、そのときようやく分かった気がして、目の前に広がるこの景色を絶対に忘れないよう、私は必死で噛み締め続けた。

 全てが終わり、ステージの袖へと消えていくメンバーを目で追いながら、胸に沸き上がってきたものは、「ありがとう」という言葉以上の感謝の想いだった。
 

 ライヴが終わってからしばらくの間、珍しく抜け殻状態だった私も、今やすっかり年末の慌ただしさに溶け込み、積み重なる雑務をこなしている。しかし、通勤中の満員電車の中でも、自宅にいても、聴きたくなるのがやっぱりバインで、自然と『ROADSIDE PROPHET』へと手を伸ばしている自分がいる。

 耳元で流れ始める“Arma”。この“Arma”とはラテン語で≪武器≫という意味らしいが、バインは≪要らない≫と歌っている。そして、指し示す≪きみ≫。それが一体どこの誰なのかを明かすこともなく、彼らは≪夏≫と喩えている。私にとっての≪夏≫とは誰だろう?なんて、考えなくても答えはすぐに出た。

――――――――――――――――――

例えばほら
きみを夏に喩えた
武器は要らない
次の夏が来ればいい

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 この20年の間に数多くのバンドが解散や活動休止、メンバーの脱退を発表してきた。その中には、かつて私が大好きだった人達もいて、未だにそのときの喪失感に駆られてしまうことがある。

 バインにも西原が脱退したときには「解散」という選択肢があった。でも彼らはバンドを続ける道を選び、それ以降は誰1人として欠けることなく、5人でステージに立ち続けている。これは、本当に奇跡なのだと思う。

 バインがこの先どんな道を歩むのか、私にはわからない。でも、私はバインを身近に感じながら、これからも歳を重ねていきたい。その時間が少しでも長く続いていくことを、心から願ってやまない。
 
 

 変わり続ける日々の中で、変わらぬ存在でいてくれたGRAPEVINEに、最大級の感謝を込めて。
 
 
 

・[1]『ROADSIDE PROPHET』収録
・[2]『Sing』収録
・[3] ,[5]『イデアの水槽』収録(2003年)
・[4]『Circulator』収録(2001年)
・[6] ,[7], [8]『Lifetime』収録(1999年)

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