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そう、私こそが主人公。

[Alexandros]・シングル『明日、また』に寄せて

2017年11月29日、いかにも彼ららしいとしか言いようのない絶好の語呂合わせを発売日として迎え、[Alexandros]が約10ヵ月振りとなるシングル『明日、また』をリリースした。

発売前からアナウンスされていた通り、実に今回収録されている3曲中2曲がそれぞれ「クロレッツ」と「MINI」の新CMソングとして抜擢されたこともあり、これまで以上に世間の注目度が増すことはそう想像に難くないはずだ。しかし、当の本人たちはというと、楽曲が流れるのは老若男女が集うお茶の間であるということをよく分かっていながら、日和見したり阿るようなことを一切していない。タイアップどうこう関係なしにそれが顕著に現れている2曲のカップリングには、リード曲の感動的な王道ラインを無視して自ら道を逸れるような異端児的サウンドが軒を連ね、「異質×異質」による異種格闘技戦さながらのぶつかり合いが至る所で勃発している。

2曲目に収録された“Come Closer”は今作唯一のノンタイアップ楽曲だが、先述の通り、本来音に輪郭を持たせるはずのドラムが始まった途端、早くもハテナだらけの大混乱。何の変哲もないクラップに安心しきった私がバカだった。第一印象なんてあったもんじゃない。あまりの変わり様に気を取られていると、そこへぶっきらぼうなピアノとチェロが加わり、まるで深い霧の奥にひっそりと佇むシックな洋館に足を踏み入れたかのような不気味な冷やかさに襲われる。年季の入った建物特有の腰の座った落ち着きがずっしりと重くのしかかり、ゾワっと身震いして足が竦んでしまいそうになる。
一刻も早くこの場から離れようと先を急ぐにつれて露になってくるのは意外にも、無機質でデジタルな側面だ。特にカオスなエンディングは、壊れたコンピュータのように無数のアルファベットや数列が画面上部からつらつらと降りてくる光景が今にも目に浮かぶようであり、曲はそのままフェーズアウトで幕を閉じる。たった4分で感じたありったけの疑問をいちいち摘み出して彼らの前に叩きつけたいほどだが、「陰りあるシックさ×茶化すようなデジタルさ」の睨み合いを前にして、それがいかに無意味であるかを痛いほど思い知らされるのである。

続く3曲目は、「MINI」のCMソングとして起用された“I Don’t Believe In You”。
フロントマン・川上洋平が英語と日本語の言語の乗り換えを難なくこなしてみせる中、表のボーカルに伴走するもう一つの声があらゆる二面性を秘めているようで、何だか心がザワついてくる。案の定、その予感は見事的中し、波風立てないように淡々と並べられる言葉がスーッと目の前を通過していった直後、積もりに積もったものがサビで頂点に達して、我慢の限界と言わんばかりの痛快な叫びが炸裂。マフラーから必要以上に白煙を上げるスポーツカーのようで清々しい気持ちになる一方、コメディーチックな小技の数々——電話のダイヤルボタンを押す音、チープな銃声、ホッハッと短く繰り返す呼吸音——が次々と繰り出され、爽やかな疾走感の裏に潜むハラハラ感が浮き彫りになっていく。まるでレーザートラップを器用に掻い潜っていくスパイを目で追っているようなスリルが全身をビリビリと駆け巡るのだ。

《I don’t know what that is/and/I don’t know what that is/the feeling jumping up and down in my head/the clicking noise inside my head》
(対訳:「それ」が何かわからない/「それ」が何かわからない/頭の中で上下飛び跳ねている感情/頭の中でカチカチうるさい音)
(“I Don’t Believe In You”)

さらに終盤に差し掛かると、一昔前のファミコンを彷彿とさせるバラエティーに富んだ効果音がモグラ叩きのように辺り一面で鳴りまくり、まさに散らかし放題そのもの。ポップな吹き出しがお似合いなアメリカンコミックの一場面をそのまま切り取ったようで、その緊迫感の無さに逆に親近感が湧いてくるが、一曲通して見ると「颯爽とした潔さ×緊張感に欠けるキッチュさ」のバランスが一度も乱れることなく、最後の最後まで貫き通されている印象がある。両者共に引き際をよく理解した上で然るべきときに最大限の暴挙を振り、それぞれの爪痕を残す。言わずもがなの迷曲だ。

さて、2曲のカップリングによって繰り広げられた「異質×異質」の行き着く先は平和的共存か、はたまた破滅的対立か——。

どうやら、まだその答えは見えてこない。

しかし、真剣な音作りがもたらした愛ある一触即発の先で、その終わりなきハイブリッドな戦いに遂に決着を付けたのが、孤高のリード曲・“明日、また”。
まず始めに特筆すべきなのは、その美しすぎるほどに澄んだサウンドスケープだろう。エレキギターを取り囲むような優しい眩しさがじんわりと滲み漂い、空高く飛ぶ鳥たちが嬉々として鳴いているような不思議な音があらゆる角度から降り注ぐ。その音は一瞬にして形を変え、キラキラとした輝きを振りまいて空中に溶けていくのだが、たった今原子同士が結び付いて空気へ引き寄せられたかのような神秘性をも感じさせるのである。

《Ah/誰しも自分から逃げたくなって/Fu/新しい居場所を探してる》
(“明日、また”)

やがて音の発信源は空から空中へ、空中から陸へと移り変わり、一歩一歩堅実に歩み続けるドラムの音が聴く人の心臓に自ら鼓動を生み出す。実際より速く感じられるそのビートは、過去の後悔を前にして立ち尽くす私たちを安易に慰めたりはしない。言葉も音程も持たない純粋な音の粒としての誇りを胸に、人々の後ろめたさに生き生きとしたスピードを与え、生命力が漲る大自然の真ん中へ誘っていく。そうして、耳をきっかけとして入ってきた音が、目に鮮やかな色となり、鼻に抜ける香りとなり、肌に優しい風となり、身体中で体感する音楽へと収束していくのである。この曲でしか起こり得ないとびきりの魔法だ。しかも、どういう訳か、「飄々とした自由奔放さ×息を吸うことの神秘性×歩みを止めない堅実さ」を可聴化したかのようなこれら全ての音が、図らずも彼らからのメッセージとして聴こえてくる。

「自由であれ。呼吸を感じろ。それ以上に、どこまでも歩み続ける挑戦者であれ——。」

そう言えば、川上は「“Come Closer”はよくわからん」としながらも、ニューヨークで撮ったという青空の写真と共にこんな想いを綴っていた。

「こんな気持ちいい青空の下で作ってました。なのでとても澄んだ空気が聴こえると思います。余談ですが曲を作る時はいつも通勤通学中の「あなた」を考えています。ライブというよりはそっちの方が多いです。それは「あなた」の1日の始まりが少しでもワクワクしたものになってほしい、と思っているからです。スッキリしたい時は“明日、また”、かましてやりたい時は“I Don’t Believe In You”というように。よかったら聴いて今日から使ってください。」
([Alexandros]公式Instagramより)

この言葉を目にしたとき、尋常じゃないほど心が震えたと共に、ふと冷静になって考えてみた。

——もしかすると、曲が進むにつれてぐんぐんと視界が開けるこの「異質×異質×異質」によるサウンドスケープがもたらすのは、破滅的対立でも、平和的共存でもないんじゃないか?

——単なる一ファンの願いとして片付けられても構わないが、そこにあるのはもっともっと彼らの想いを感じられるものなのではないだろうか?

それから数日後、テレビ画面の向こう側でこう高らかに歌い、オーディエンスを指差す川上の姿を見て、それが確信に変わった。

《明日、また/泣きじゃくる時が来たとして/怯まず笑えば/あなたは今まで以上に/強く在れる/思いも寄らず、として》
(“明日、また”)

——そうだ、きっとそうなんだ。もうこの曲に手を伸ばした以上、最初から最後までどこをどう切り取ったとしても、私は感動的希望以外の結末には出会えないのだ。

最後にようやく沢山の想いを悟ったとき、彼らからの今年最後の贈り物がより一層愛おしいものへと変わっていくのを感じた。

《We’re the light/We’re the light》
(対訳:私達は光/私達は光輝く)
(“明日、また”)

そう、この物語は他でもない私こそが主人公。

精一杯の光で照らすも、闇夜に引きずり込むも、全部が全部 自分次第。

さて、あなたは今 何を想うだろう?

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