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2017年3月23日

白原 美佳 (31歳)
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愛すべきヒーローたち

~エレファントカシマシデビュー30周年によせて~

 その日の環状線の車窓から見る空は、絹のように薄い雲が一面に張り付き、西に傾く太陽が肉眼で確認できた。外を眺めていると何となく歩きたくなって、予定より手前の駅で電車を降りた。目の前の大きな公園へ入ると、ちょうど植木市が開催されていて、沢山の盆栽や植樹の鉢が並ぶテントが軒を連ねている。子供たちは噴水広場や遊具で遊んでいて、大量の自転車がそこら中に留まっていた。等間隔に並ぶベンチには年配の人たちが腰掛け、ほぼ満席だった。芝生では気持ちよさそうに寝転んでいる若者もいる。いつも通りの休日の風景である。それを横目に、更に公園の奥へ進み神社で参拝しようと鳥居をくぐると、神前式を終えて祝福されている初々しい夫婦を見かけた。そのまま道なりに、今度は大きな城の門をくぐる。吹く風は暖かく、わずかに坂道を上るだけで少し汗ばんだ。桜並木の蕾は大きく膨らみ、開花は間もなくだろう。梅園の梅の花は満開のピークで、側を通り抜けると甘い香りがした。例年通りのやさしい春の訪れを感じた。そうやって寄り道をしながら目的地に辿り着くと、大阪城天守閣を背に、4人の男が写るモノクロのポスターが目に飛び込んできた。私はエレファントカシマシの初の大阪城ホール公演に訪れていた。

 外の朗らかさとは一変した、ホール中に放たれる爆発的な音のシャワーを浴びせられた。観衆の胸に刺さるような宮本浩次の力強い歌。ヴォーカルと同等の迫力で前面に出ていた冨永義之と高緑成治のリズム。そして、一音も外してはならぬとばかりに喰らいつく石森敏行の多彩なギタープレイ。毎度、「これが人生最後のステージ」の如く、持っている限りの熱を開放するロックバンドである。私はこの日も、感動を超えて、恐れ戦いて彼らのステージを観ていた。

 近年、人工知能(AI)が膨大な情報から著名作家のデータベースを基に作曲をしたり、小説を書いたりしてベストセラーを生み出そうという研究がなされているという。作家が構想から形にするまで、孤独の中、悩みながら何日、何か月もかける作業を、最も効率の良い方法で一瞬で処理するのだろう。近い将来、この研究がこの国の発展に何らかの功績をもたらし、私たちはAIが培養した創作物に涙したり、喜んだりする日が来るのだろうか。発見、衝動、歓喜、悲哀はいつだって人間が生み出してきた。それは益々ITが発展していく未来も変わらないと信じたい。しかし、破壊することも同じく人間だ。
 ヒトは成長し、成熟する程に、エゴにがんじがらめになってしまう生き物だ。そんな自分を情けなく思うことは嫌ってほどある。けれど、宮本はそこから目を背けない。歌う言葉は1つ1つ丁寧で、メロディーは強固さと巧緻さを併せ持ち、年齢を重ねる度にその器は深みを増す。ある歌では、箍が外れた爆音の演奏と怒りに満ちた声に、ダメ出しをくらわされている気分になり、ある歌では、自身を叱咤するかのような叫びに、逆に聴いている方が奮い立って前向きになるし、またある歌では、瑞々しいハイトーンに、優しく包み込まれる気持ちにもなる。更には、それらの感情が同時多発的に襲ってくる歌もある。即ち、作家が持つ歌の心、1曲毎に注ぐ愛情がそうさせている。宮本ほど、歌の神髄を存分に発揮する歌い手は多くはいない。無論、AIには心は生み出せない(スパイク・ジョーンズのスクリーンの中でない限り、今の所は)。

 漠然と「信じる」ってどういう事なんだろう、と思うことがある。その答えの一端をエレカシの姿勢や心意気に垣間見た。現在までに、4つのレコード会社を渡り歩き、デビューしたエピックソニーからポニーキャニオンへ移るまでは、どこにも所属していない期間もあったという。その頃は、J-WAVEが1988年頃に邦楽の新しい概念を「J-POP」とカテゴライズし、それが90年代前半に世間に定着してきた頃で、日本の音楽業界が目まぐるしく、華やかで勢いのあった時期でもある。そんな新しい時代の入り口でエレカシはふるいからこぼれ落ち、戦線離脱していた、ということである。それでも、演奏を、創作を止めることはなかった。実際、今後の行く末なんて誰にも分からない。分からないからこそ、手探りの中で宮本が納得できるサウンド・プロダクション、新たな次の一手を、レコード制作のたび見出そうとする、前衛志向のバンド観を持っている。冨永が倒れ、ドラマー不在の時期もあったし、宮本が耳の病気になりコンサート活動を休止していた期間もあり、ファンの前で歌を届けられない歯痒さも味わってきた。
 言葉にすると胡散臭く聞こえるが、このバンドは間違いなくお互いを信じあっている集団である。宮本は未だに3人のことを「友達」と紹介することがある。社会に出ると、心から信頼できる友人はそう簡単に出来ない。正直、そんな関係羨ましい。結婚して、家族を持っても長年「友達」と呼び合える存在価値は尊い。言葉を変えるなら、本気で向き合い、本気でふざけあい、本来の自分を取り戻せる「帰還場所」とも言える。世の中には、すべてを曝け出せる同輩と出会えることもなく生涯を終える人たちもいる。彼らはそのことをよく知っている。時代は疾風怒濤に移り変わり、4人が地元で鳴らしていた音楽は、この国の産業の一部として受け入れられ(逆に作り手の宮本は、当時その状況を素直に受け入れていたのか定かではないが)、その渦中でもバンドの核は変わらず、全員が同じ方向を見続けるタフな精神力は、これらが起因しているのかもしれない。
 エレカシの楽曲を振り返ると、宮本が影から光、或いは光から影を見つめ続け、今居る地点から思い切って反対側へ飛び込む瞬間の爆発力をエネルギーとしているものが多い。そのドキュメントを、バンドが音でしっかりと受け止めてきたから、聴き手はいつの間にか置き去りにしていた、言葉にならないキラキラした感情だったり、置き所を無くしたドロドロとした欲情を呼び起こされ、いつも心を揺さぶられる。また、暗中模索することを宮本は生きている大半、身をもって体現している。この国の欧米的な文化や社会に刃向かって生活してみたり、かと思えば、時代の流れに身を任せ、肉体と精神の歯車が噛み合わなくなる所まで突っ走ったり、慎重さと大胆さを共存させながら、曲をひたすらに作り続けている。

“ああ平和なるこの生活が なぜに我らを蝕むのか” 「偶成」
“この世の決まりはみんな正しいと信じられて 身動き一つとれない” 「ふわふわ」
“好きも嫌いもない 良くも悪くもない オレは対等に勝負した でもこれがオレの宇宙だ” 「オレの中の宇宙」
“解せないよ。生き方に、何か、きまり、あるかい?” 「夜と朝のあいだに…」
“俺は自分が認識しただけのものは 全てこの手に握りたいんだ” 「雨の日も風の日も」

……など、歌詞の中でもそれは生々しく滲み出ていて、凄みのある説得力で聴き手に迫ってくる言葉は、デビュー当時から現在まで一貫している。こんな人間は正気の沙汰じゃない、と思うかもしれないが、彼の志は強く、歪みなくまっすぐに貫かれているからこそ、極端な生き方が可能なのだと気付かされる。
 しかし、人生の半世紀目前、肉体には限りがある。それを自覚した時、22枚目のアルバム『RAINBOW』が完成した。宮本はこの時どちら側にいたかというと、眩しく照り付ける光の中で頭の天辺から足の爪先まで、骨身を曝け出して立っていた。それがはっきりと伝わる1枚だった。そしてその位置から、今もなおジリジリと己の体を燃やし尽くさんとばかりに胸を張って立つ姿がこの日のステージでも見えた。
 ホールの聴衆は、エレファントカシマシのフィルターを通して、4人の、それぞれのドキュメントを見届けていた。「そんな生き様見せられたら、もう何も言えないじゃん、ズルいなぁ。」客席の恍惚とした眼差しがそう語っているように見えたのは気のせいか。状況は違えど、恐らく、今より狂気と危うさが勝っていた30年前の客席(静まりかえった着席スタイル時代)も、同じ感情で4人を観ていたのだろうか。

“陽だまりも宇宙も 悲しみも喜びも 全部この胸に抱きしめて駆け抜けたヒーロー それが俺さ 嘘じゃないさ”

「RAINBOW」で宮本はほとんど息をつかずに、魂を吐き出すように歌い切った。バンドとストリングスの音が止んだ途端、どよめきが入り混じる歓声にホールが震えた。その瞬間から、私は目を離すことができず瞬きをするのも惜しくなっていた。尋常じゃない気迫のパフォーマンスに、観客が呼応した感じがあった。この数分の私自身の内臓から皮膚までざわざわとした異常な興奮は、人生で何度も体感できるものではないだろう。
 ああ、このバンドはやっぱりこうなのだ。宮本がハンドマイクを握り、全身でステージの音を浴び、鼓舞するように歌う姿は眩しく、最高な日本のロックシンガーだと再認識した。そして、その彼のまわりには、観客の熱量も、曲の輝きもすべて取りこぼさぬよう受け止めんと、全身全霊で今の音を響かせるメンバーがいる。ただそれだけのことなのに、この光景が奇跡に思えた。「俺たちにはこれしかできない」そう見える一方で、偉大な何者かに託された、宿命のようなものを背負いステージに立っているようだった。彼らが信じているものはもうひとつ、音楽の原動力であり、そんな4人の男たちは歴然たる覚悟と渾身の力で、今日もどこかで音を奏でている。
 エレカシには、いつものステージからどんな景色が見えているのだろうか。私には、あの4人のように信じられるものをどれだけ持っているのだろうか。今も自問自答している。

 私は日々の中で打ちのめされたり、気持ちが停滞して曇っていたり、痛みや病に伏している時にこそ「生きている」と実感できる性分で、世界中の芸術家や思想家、往年のソングライターも、そういった価値観を表現しようとする人物は、どんな歴史上にも必ず存在する。AIが近似値でも弾き出せないような、人間の儚くもあはれなるココロの移り変わりを長きにわたり大切に想い、実直に言葉で「歌っている」宮本は、現代の日本で、しかもバンドとして進行形で存在している唯一の人だと思っている。
 2017年3月、エレファントカシマシは何度目かの節目を迎えた。誇り高きこのバンドの道は、これからも続いて行くと信じたい。太陽が月を照らし続けるように堂々と、私たちの生きる時代を照らしていて欲しい。そしてこの先も、無敵の音楽を1曲でも多く、世の中に届くことを願って。

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