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「君という花」が繋いだ時代

KANA-BOONの想いとアジカン先輩の優しさ

年末の恒例行事であるカウントダウンジャパンが今年も始まった。チケットは全日程sold out。フェス界の恒例行事はわたし自身の恒例行事になっていた。

たくさんのステージ、たくさんのアーティスト、たくさんの光、たくさんの食べ物、とにかく毎年目移りばかりしてしまう空間だ。そんな中わたしが目玉にしていたのはKANA-BOONとASIAN KUNG-FU GENERATION(以下アジカン)だった。

一段と広く感じたアースステージ。CDJ初日の17時、KANA-BOONのステージが始まった。どこでも盛り上がるキラーチューン、今回のツアーでも聞いた耳馴染みの曲と安定したセットリストで進んで行く中、鮪さんのMCでわたしが聞きたかった言葉が聞けた。
「今年は大変なこともあって、でも大切な事もあった」あくまで抜粋だが、彼らにとって本当にその通りだったのだろう。たしかにわたしから見てもきっと大変だろうと思う事もあった。しかし彼らは今年、憧れだったアジカンのトリビュートアルバムに参加した。それも高校の頃からカバーしていたという「君という花」で。そして後にアジカンが控えるアースステージで彼らはその曲を披露した。

始まってすぐメンバーの緊張が伝わった。憧れの大好きな人の曲をフェスの1番大きなステージで演奏する。全く経験のないわたしでも緊張した。しかしイントロあけ鮪さんが歌い始めて、それとは全く違う事が胸を締め付けた。

わたしが見たのは彼らの高校時代。
そこに立っているのは約10年前の彼らのように感じた。もちろん当時の彼らに比べてば違いはあるだろうが、この時ステージからは、大好きな憧れる、尊敬するバンドのカバーをしている緊張、誇り、喜び、感動、そんな感情が溢れていた。わたしは彼らの高校時代を生で見たことはないけれど、きっとその頃もこんなステージがあったんだと確信するものだった。

メンバーに目配せする鮪さん、それに答えるように楽器を奏で、微笑む3人。きっとそうだ。初めて演奏した時からこんな風に彼らはバンドを続けてきたんだ。

この光景に君という花の歌詞も相まって、涙が止まらなかった。

「いつだって何かを失って
その度に僕らは今日を知る」
「痛みだけなら2等分さ」
「つまりただそれ 砕け散っただけ
つまりただそれ 風に舞っただけ」

きっとこの一年、失ったものもあっただろう。でも彼らはそこに立っていた。その事実は今日として残った。どこか気だるげな曲の中に残る優しさと希望が彼らにはまだまだ残っている。KANA-BOONはアジカンという花に救われたんだと思った。

歌い終わった鮪さんは
「緊張したっ」
「アジカンには内緒やで」
といつもステージで見ているフロントマンだった。
そして彼らのステージは終わりへと向かって行った。

しかしここでわたしの涙は終わらなかった。いいものを見れたと満足していたわたしに、これで終わるかとアジカンが見せてくれた。

アースステージのトリ。
さすがとしか言えないステージが進んでいた。そしてその瞬間はきた。後藤さんがニヒルな笑みを浮かべ
「あいつら勝手にやりやがったな」と言い放った。
その時点でわたしは、あぁ、最後の最後にやってくれるなと思った。そしてどうかKANA-BOONが見ていますようにと願った。
この日のアジカンの「君という花」には、優しさが詰まっていた。まるで軽音部の先輩が後輩の背中を押すような、まだまだこんなもんじゃないだろ?と早くおいつけよと伝えているように。鮪さんの少し照れたようなラッセーの掛け声と後藤さんのほらほらみんなと誘われるようなラッセーの掛け声がわたしの中で重なった。きっと彼らはこれからもアジカン先輩の背中を追って行くんだろう。

ステージが終わり残ったのは、今を生きていて良かったということとこの二つのバンドに出会えて良かったということだった。

アジカンがいなければきっとKANA-BOONも今いないだろう。
失った時代も、今という時代も、これからの時代も
「君という花」が繋いでくれた気がした。

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