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チャットモンチーになりたかった

すべての女の子に向けて

11月某日。
仕事終わりに歩きながらラインをチェック。cinraのラインニュースを見て思わず足を止めた。
チャットモンチーの解散。
二人の写真はモノクロで、遺影のようだ。
ツイッターをひらく。『チャットモンチー解散…まじか』とだけつぶやく。なんのひねりもないつぶやきが虚空に放たれる。
こういうときにツイッターをひらくのは現代人だとしみじみ思う。つぶやくことで、解散の速報はわたしの体にじわじわと染み込んできた。

チャットモンチーを知ったのは高校3年生の時だった。友人のなっちゃんが、このバンド、スペシャで流れててすげーよかった、とchatmonchy has comeを貸してくれたのだ。
もう嫉妬しかなかった。
自分とほとんど年の変わらない女の子たちが、こんなにかわいくてかっこいい音楽を作れることに。大きく打ちのめされた。
ハナノユメの完成度にツマサキの不器用なかわいさ。夕日哀愁風車の強く生きる決意。惚たる蛍の表現力とサラバ青春のどうしようもない切なさ。すべてに圧倒された。
特にハナノユメは、今でも薄い紙で指を切った際に脳内をよぎるほど、わたしの中に深く刻み込まれた。
歌詞のみずみずしさ、サビへと向かうドラムの高まり。それはまるで朝露の中で咲く花のようだった。
そして、当時受験真っ只中のわたしには、彼女たちの自由さが羨ましく、とてつもない輝きを放っていた。

明くる年の3月。わたしは高校を卒業した。通っていた高校に食堂はなかったが、サラバ青春はわたしの卒業ソングとなった。
そしてその時期に発売となった恋の煙は、わたしを大きく揺さぶった。

二人ぼっちに 慣れようか
逆算はできなくてもいいから
二人ぼっちは 好きですか?
リズムがあう それだけで恋しいんだ
二人よがりに なりたいな
当たりくじだけの くじ引きがしたい
二人占めしていたいから
夢にまで見た夢に 手が届きそう

まず、なんだこの歌詞、とたまげた。こんなラブソングが今までにあったろうか。たまらなく愛おしすぎるのだ。二人ぼっちって!そんな言葉、思いつきもしなかった。
それでいて、この歌詞からはどこか芯の強さみたいなものが垣間見えて、ただのラブソングとは一線を画していた。むしろ、その辺のラブソングをは違うんだよ、という意志さえ感じた。
そして歌詞がこんなにいじらしいのと対局的な、鋭いベースと繰り返されるギターのリフ。曲の始まりには不穏ささえ漂っているのに、サビでの曲調転換。ハッピーエンドの幕開けはいつだって不穏な空気に包まれているものだ。
天才かよ。
そして、これをチャットモンチーが、えっちゃんが歌うということ。これは大事件だ。こんなの、絶対男の子は好きになるに決まっている。いや、好きになるってどういうことって感じだけど。かわいすぎるわ、ずるい。
チャットモンチーに衝撃を受けるたびに羨望のまなざしも強くなっていった。
えっちゃんに、チャットモンチーになりたい。

初めてチャットモンチーを見たのは地元のライブハウス、若若男女でのことだった。
モッシュで汗まみれになったわたしの前に現れたえっちゃんは汗ひとつかいておらず、発光して見えた。そしてクールに淡々と演奏をする。同じ女の子なのに、汗まみれの自分がなんだか恥ずかしかった。初めてのチャットモンチーは衝撃の連続だった。

その後もチャットモンチーは、わたしの中にたくさんの憧れと共感を作っていく。そして、女の子が強く生きていくことを教えてくれた。
特に、東京ハチミツオーケストラの東京に対する憧れと不安は、地方民ゆえとにかく共感した。
わたしの住んでいる街と東京は300㎞程度だが、当時のわたしにとっては銀河の果てくらい遠い都市であった。
そんな東京への歌。ハチノストーキョー。わたしまでなぜだかハラハラドキドキした。
他にも、シャングリラのようにかわいらしく秀逸な表現の歌詞の曲があるかと思えば、世界が終わる夜にのように、ずしっと重く心にのしかかるような曲もあり、どの曲も、擦り切れるほどに聴いた。
また、恋の煙とは全く異なるベクトルで衝撃を受けたのが染まるよだった。
「あなたがくれた言葉 正しくて色褪せない でも もう いら ない」この歌詞。失恋ソングに正しいなんて言葉、それほどまでに染まっていたあなたを否定し、自分を取り戻すフレーズ。もう否応無くハッとなる。
失恋ソングなのに、ある種の芯の強さみたいなものを感じたし、その強さにはやはり憧れるものがあった。

しかし、わたしがチャットモンチーを聴き続けたのは、Last Love Letterまでである。キッカケはくみこんの脱退だったように思う。
わたしの中で、チャットモンチーは3人でチャットモンチーだった。その一人が抜けるということは、チャットモンチーがチャットモンチーでなくなるということだった。2人になったチャットモンチーは、いつかの輝きから遠ざかって見えた。
また、自分自身の音楽の趣味が変化し、邦楽をあまり聴かなくなったのも原因の一つだ。チャットモンチーに限らず、年を重ねるごとに、共感を抱ける曲が減っていった。
 

2017年、夏。
7年勤めた職場を辞めた。辞めて正解と思っていたものの、うまくいかない転職活動に苛立ちと焦りは隠せなかった。
また、なかなか子供ができない焦りから、周りの出産ラッシュを疎ましいと感じる自分がいた。そういう年頃、と言ってしまえば簡単だが、そんなテンプレートな馬鹿馬鹿しい悩みを抱く自分をもどかしく思っていた。
ふと、Spotifyをつけると、他の再生曲に紐づけられてチャットモンチーが流れてきた。majority blues、初めて聴く曲だ。

my majority
majority minority

自転車で30分 薄暗い道 ライブハウスは思ったより狭かった
帰り道は40分 ヘッドライトの中 初めての耳鳴りが不安だった

帰りが遅くなって 夢を見るようになった
16歳の私へ

my majority
みんなと同じものが欲しい だけど
majority minority
みんなと違うものも欲しい

そこには高校生のわたしがいた。自転車を走らせてたくさんのライブに行った日々。たくさんの夢を見た。大半のクラスメイトとは聴く音楽も、趣味も違っていた。分かり合える友人は少なかった。そんなわたしの歌だった。
わたしも歳を重ねたけれど、チャットモンチーも同じように歳を重ねていたのだ。当たり前のことを忘れていた。
わたしも彼女たちも、もう10代の女の子ではない。30代だ。えっちゃん、オムツのCM歌ってるもの。彼女はもう母である。♪スマイルスマイルメリ〜ズ♪って、一瞬でえっちゃんってわかった。
夢も、憧れも、あの頃とは違うものになっているかもしれない。それでも、変わらずに、女の子が強く強く生きていく力をずっと歌っていたのだ。10代の、30代の、すべての、女の子に向けて。

まだ見ぬ私へ
あなたを作るの私だけ

今までも、これからも、いつだって、自分をつくるのはわたしだ。みんなと同じでも、違っていても。
わたしはわたしらしく、強く(時に落ち込んだりしながらも)生きていく。
そんな、10代の子が考えるようなことを、この歳で改めて思った。
今はもうチャットモンチーになりたいとは思わない。
しかし、チャットモンチーが教えてくれた、かわいさや芯の強さはずっとわたしの中にある。
そしてまだ見ぬわたしを、全力で作っていくのだ。
 

また、チャットモンチーが50代くらいになったら再結成して欲しい。
そしてまた、すべての女の子が強く生きていく歌を歌ってほしいと願ってやまない。

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