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会いに行ける世界平和

ピアノゾンビ~全力でふざけるかっこいい大人たち~

ただでさえ人間の視野は狭いものだ。それに加えて頭でっかちな私たちは、生きるにあたり余計なことばかりに思考を巡らせ、自ずと小さな社会を作り上げて、そのコミュニティの中で必死に身のこなしを取り繕って生きている。
もちろんそうでない人もいるだろう。しかし少なくとも私はそういう人間である。それは、手の届く範囲に必要なものを配置して暮らす怠惰に似ている。
自らの立ち位置を中心とした時の妥当な半径を「こんなもんだろう」と定め、線を引き、出来上がった円から踏み出さずに生きる平穏。それに伴う退屈と、ぬるま湯のような惰性。
そんな私の彩度の低い日々を鮮やかにぶち壊し、窮屈な円の外から「こっちに来てみろ」と言わんばかりのパフォーマンスをただ見せ付けたバンドがいる。

たとえば彼らの魅力を第三者に口頭で伝えたい時、ファンである私達はそれはもう困り果て、持てん限りの語彙で何とかそれを表現しようとする。
しかしこれがなかなかどうして難しい。
メンバーは6人。ギターボーカルとリードギター、ベースにドラム、そして大王と下僕。
この時点で普通の人間はまず理解が追い付かない。仕方がない。私だって最初はそうだった。
大王と下僕とはどういうパートなのか。何をする人達なのか。ふざけているのか。
そういう、単純な興味からの食い付きがあると、私は「しめた」と目を輝かせ、その相手にこう言うことに決めているのだ。
「観ればわかる。ライブに行こう」

かく言う私もピアノゾンビのライブを観ることになったのは全くの偶然、言ってしまえばエンカウントに近かった。単に居合わせたのだ。
昨年の6月、大阪で行われたMujack Dream Land2017というライブ。
体調を著しく崩して入院し、やっとのことで退院したばかりの私は疲弊していた。
5組のバンドの共演は素晴らしいものだったが、長丁場のライブは病み上がりの身にはつらいものがあった。もう帰ってしまおうか、そんな考えさえ浮かんだ頃、満を持して大トリを飾ったのがピアノゾンビというバンドだった。

ふざけている、そう思った。
仰々しく登場した白塗りの“大王”は、“下僕”がグラスに注いだワインを飲んで、しかしいつまで経っても歌い出さない。
今になれば勝手にボーカルだと思い込んでいただけなのだが、ギターを持った男性が歌い出した瞬間に脱力したのを覚えている。
しかしまずその歌声に圧倒された。それなりに歳を重ねて様々なライブに通った私だが、それは一度も聴いたことのないような声色だった。
公式で“セミ声”と揶揄されるボーカルのアキパンマン氏の歌声は、一度耳に入れると何度でも取り出して確かめてみたくなるような妙な感覚に襲われる。中毒性がある、と言えば幾分か伝わりやすいのだろう。
そしてバンドのサウンドは、もはや私の表現力では、かっこいいとしか形容ができなかった。
何故か軍手をしたままで器用に弦を押さえ抜群の演奏をするベーシスト、北松戸マン氏。
常に壁際の端の方にいて、まるで存在を消すかのように技巧を繰り広げるリードギター、中島マン氏。
軽々と涼しげな顔をして重厚なリズムを刻みつけるドラマー、ヘルプマン氏。
そう、ピアノゾンビの演奏はとにかくかっこいい。
そして件の大王と下僕である。
ふざけていると思っていた。実際にふざけていた。
しかし彼らは、全身全霊の力を込めて、その一挙手一投足の全てを、ただ一心にふざけることに捧げていた。

目が、離せなくなっていた。
法被を来て扇子を持ち、華麗に舞ったかと思えば、神輿に乗って観客に突っ込んでいく。
とてつもなくかっこいい曲に乗せて、全力で繰り広げられるサイリウムでのオタ芸。
気が付けば会場は笑顔と熱気に包まれていた。私も必死で腕を上げ、見よう見まねでリズムに合わせて体を揺らした。
それが、ピアノゾンビとの出会いだった。

ピアノゾンビの活動理念として外せない言葉がある。
彼らのファン(民という愛称で呼ばれるたいへん親しみやすい方々)にはもちろん周知の常識なのだが、ここにはそれを明記する必要があるだろう。
ピアノゾンビが目指しているのは、CDの売上を伸ばすことでも、その名を世間に大きく知らしめることでもない。
世界平和。そう、それだけである。
正直に言おう。何も知らない私はそれこそふざけているのかと思った。

初めてのライブのその後、酷く浮ついた私は、帰りの電車賃のみを残し、持ち金の全てを使って彼らのCDを購入した。
しかし帰路を辿りながら、スマホで調べた公式サイトを見て、途端に不安になったのだ。
世界平和。小さな円の中から這い出たばかりの私には、途方に暮れてしまう程に規模が大きすぎる話だった。
ただでさえ人間の視野は狭いものだ。勇気を出して円の中から一歩を踏み出せたとしても、突然に全方位が見渡せる訳ではない。

それでも彼らの音源を聴き込むにつれて、馬鹿な私にも見えてきたことがある。
まず、彼らが至極真面目に音楽に向き合っているということ。
その楽曲のクオリティの高さ。
紡がれる歌詞は時に切なく心を震わせ、時に深く強く核心を抉る。
かと思えばやはりふざけているとしか思えないような曲(台詞のみのボーナストラックなど)もあり、しかし戦争について考えさせられるようなラップもある。
そう言えば大王は名をホネヌキマン様と言う。最初のライブでは分からなかったが、ラップやキーボードも担当されていて、今ではたいへん努力家で真面目な方だという印象を受ける。

その後、私は熱心にピアノゾンビを追い掛けるようになるのだが、とにかく、知れば知るほど上下左右に振り回されるようなバンドだ。……もちろんこれは、良い意味での言葉選びである。
たとえばどれだけ心を閉ざしていようが、彼らのライブで笑わないことは不可能に近い。
彼らのステージは断じて熱くはない。
「もっと盛り上がろうぜ」みたいな煽りもない。どちらかと言えばゆるいのだ。そしてやはり、ふざけている。

二度目のライブに行った時、ハロウィンの企画だったものだから、ステージ上は惨劇に近かった。
城のコスプレ。巨大すぎる顔の猫に、女装や有名キャラの完コピ。
やばい空間に足を踏み入れてしまった、きっともう戻れない、そう思った。しかしまた、戻りたくない、とも。
巻き起こる爆笑と歓声の渦中で、気が付けば私は泣いていた。
体調が整わず、思い通りに生きられない日々が続いていた。
しかし彼らのライブはめくるめく夢のようで、それも、格段に気持ちのいい極彩色の悪夢のようで、ライブハウスにいる間は、きっと誰もがそうなのだろうけれど、背負ってきたしがらみも何もかもを地面に下ろして、身を軽くして踊ることができたのだ。

ピアノゾンビのライブは基本的に自由だ。
ダイブはホネヌキマン様の特権なのだが、観客は皆が皆、思い思いの楽しみ方をしている。
何の強制もない。
踊りたい人は踊ればいいし、振り付けもヘドバンも、やりたいだけやればいい。
そのゆるさが本当に心地よい。
ステージの上で繰り広げられる、最高な演奏と歌唱。そして彼らは、相変わらず徹底的にふざける。
それこそが彼らのファンを……民を楽しませるということなのだ。
なんてかっこいいんだろう。いい歳をした大人が全力でふざけて観客を笑顔にする。
何度でも言おう。ピアノゾンビは私が出会った中で、群を抜いて、一番かっこいい最高なバンドだ。

ピアノゾンビの目指す世界平和とは何なのだろう。このごろよく考える。
彼らが某大学の学園祭でライブをした時、初めて会った民の方々と円になって向かい合い、たくさんの話をした。
極度の人見知りの私を笑顔にしたあの時間。性別や年齢の境目は存在しなかったように思う。
ピアノゾンビに会いに行くことで民が笑顔になり、そこに思いやりや繋がり、あるいは友情が生まれるのだとしたら。
そこにはもう、小さな世界平和が完成しているのかもしれない。

さあ。次に彼らのステージを観られるのはいつだろう。
私はライブの予定を待ち遠しく思い、今日も胸を踊らせる。
生きづらい日々を投げ捨てて夢の中へ。
そして最高の悪夢から覚めたその後には、なんだか誰かに少しだけ優しくできるような、そんな気がするのだ。

会いに行ける世界平和。
ピアノが(あまり)弾けない大王様がいるバンド、ピアノゾンビ。

最高にかっこいい彼らを、私はきっとこれからも、全力で追いかけて生きていく。

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